4月23日(水)
メガネをかけずに家を出るなんて何年ぶりだろう。家から鳴瀬駅に向かうまでの景色がいつもよりも少しぼやけて見えた。
彼女にどう見えるか不安なので、僕は今も小さな鏡で自分の顔を確認している。僕ってこんなに目つきが鋭かったっけ。周りの物が見えにくくなっていて、目を細めないと見えないからそれが残っちゃっているのかな。
あと、普段と違って今日は何人かの女子にこっちを見られたような気がする。目が悪いから、それも気のせいかもしれないけど。
今日も午前7時30分発八神行きの電車が定刻通りにやってきた。
扉が開くと、彼女がこちらの方を向いて立っているのが分かった。目が悪くても、彼女の顔はちゃんと分かる。
彼女は僕の顔を見るなり、頬を真っ赤に染める。
「お、おはようございます」
「……おはようございます」
僕は昨日と同じように彼女と向かい合う形で電車に乗った。もうここまで近ければ、彼女の顔がはっきりと見えた。彼女が視線をちらつかせていることも。
今日も彼女は僕のブレザーの袖を掴む。控えめに掴んでいるところが可愛らしい。
電車が出発して、隣の畑町駅を通過するくらいまで互いに無言だった。
「……私のお願い、聞いてくれたんですね。嬉しいです」
そう言って彼女は僕の方を見るけど、なぜかすぐに目を逸らしてしまう。
「思った通り、メガネを外しても素敵ですね。とてもかっこいいと思います」
「あなたの想像通りになって良かったです」
「ええ。今はコンタクトをしているんですか?」
「いえ、全くの裸眼です」
「じゃあ、私の顔はちゃんと見えていますか? 見えなければもっと顔を近づけてもいいですけれど……」
「こんなに近いんですし、ちゃんと見えていますよ」
「そうですか……」
彼女は笑顔を見せるけれど、どこか残念そうにも見えた。まさか、もっと顔を近づけたかったとか? そうだとしたら、とても可愛いな。
「メガネをかけているときは優しそうな人に見えましたけど、外すと結構クールな感じに見えますよね。もちろん、こうしてお話しすると優しい人だって分かりますよ」
「僕がクール……ふふっ」
クールなんて言われたことは一回もなかったなぁ。だからか、クールという言葉が耳に入った瞬間、思わず笑ってしまった。
「えっ、私、何か変なことを言ってしまいましたか?」
「いえいえ、そんな。ただ、人ってそんな簡単なことで、印象をがらりと変えることができるんだなと思って。僕、クールなんて言われたこと、今までなかったですから」
「そんな! クールに見えますし、かっこいいですし、話すと優しいし、だからきっと今まで何度も……あっ」
突然、彼女はそこで口を噤んでしまった。彼女の頬が赤くなっている。
多分、この後に「告白されたことがあるでしょう?」という言葉が続くのだろう。きっと、彼女は告白という言葉を口にして、気まずい空気を作りたくなかったのだと思う。そんな心配なんてする必要なんて全くないのに。
もし、2人きりだったら今すぐにでも彼女を抱きしめて、安心させてあげたい。僕はそのくらい彼女のことが好きで大切に思っているし、それを彼女にも伝えたかったから。
けれど、今は満員電車だ。そんなことは到底できない。だから、僕は彼女の頭を優しく撫でた。
「……あなたのペースで大丈夫ですから。僕はいつまでもこの電車で待ってます」
彼女がもう少し考えさせてほしいと言った以上、僕は返事を急かすつもりは全くない。付き合うにしても、振るにしてもちゃんと考えた上で決断してほしいから。
彼女は申し訳なさそうな表情で、
「……ごめんなさい」
小さな声でそう言った。ありがとうではなくて、ごめんなさいと言う彼女は本当に優しいのだろう。
「気にしないでください。元々、僕から切り出したことなので。直接でも、手紙でも僕は待ってます」
「……はい」
そう言うと、彼女はようやく笑顔を取り戻した。
『間もなく、鏡原、鏡原。お出口は左側です』
今日も彼女と過ごせる時間が終わりに近づいている。彼女と一緒にいられるこの15分間は本当にあっという間だ。
彼女の答えは全て受け入れるつもりだけど、この15分間を重ねていく度に彼女から離れたくない気持ちが膨らんでいく。
「また明日、ですね」
「……そうですね」
今日も互いに笑顔で手を振って、彼女は電車を降りていった。
それから程なくして、電車は鏡原駅を出発する。
「……早く返事をしてほしいな」
それが僕の本音だった。
付き合えるかどうか不安な気持ちが続くのは嫌なものだ。こっちから告白しておいてそれは我が儘かもしれないけれど。
早く、こんな気持ちから解放されたい。願わくは、その先であなたと一緒にいたい。
片道15分だけではなくて、もっと、もっと。
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