新しい小さな旅
烏が鳴いている、誰かを呼ぶように。烏が鳴いている、くぐもった声で。
夜が明けてきて蛙は静まって僕は動きだす。
白い夜明け、いい夜明けだ。
木蓮は幸せそうな顔でまだ寝ている、僕は寝床を出て台所までいった。
彼女も夢を見るのだろうか、ここがそうだ……そうだがどんな夢なのだろう。夢の中の夢。
冷蔵庫に昨日のご飯の残りがあった、それを暖めて食べた、水筒には水を入れた。
日はまだ山を越えられず世界は白いまま静か。玄関まで行く、靴を履いていると彼女の足音。
「どこにいくの?」
まだ眠そうに彼女は囁く。
「ちょっとね」
僕は振り返らずに答えた。
「昨日の場所ね、あそこにはもう行かないで、私恐いの」
彼女は僕を背中から包んだ。
「まだ早いわ、もう一回寝なおしましょう、ね?」
僕はそれも魅力的だと思った。少し冷える夜明けにまだ暖かさに包まれて寝ていられることはとても幸せだ。
「ごめんな木蓮、でも僕行かなきゃ」
彼女の暖かさに名残惜しさを感じながらも玄関を飛び出した。
外は錆びた様に白さに茶色が混じっていた。
家の前の道まで出る、僕は走り出したかった、田んぼの真ん中を駆けて、風のような速度に乗って何もかも振り切って遠くの森へと、ほら……あの黒い森へと入り込みたかった。
白昼夢のような考えごと、ふと現実に引き戻された、僕の背丈くらいの金属の蜘蛛が歩いていた。体は多角錐、足は細い金属。
金属の蜘蛛も世界のように少し錆びが見えた。別に何かしてくるわけではない。
だたこの世界をゆっくり歩いているだけの存在。
僕はその金属の蜘蛛の挙動を少しながめ坂を下って駅の方へ向かった。
駅といっても廃駅に近く線路も続いていない箇所もありここで乗る人を見たこともなければいつ電車が来るのかわからない。
直接線路に降りれる道などいたるところに侵入禁止の看板とともに鎖が張られている、がそれは一本なので容易にくぐれたり跨いで越えることが可能である。
駅舎もぼろぼろで塗装も剥がれて木の地肌が見えている。
今日も電車を待つ人はいない、僕は線路に降りて歩きはじめる。
ここは山と山の間、ちょど谷間になっていて両脇をゆるやかな崖や大小さまざまな岩、生い茂る木が囲んでいる形になっている。
その間をずっと一本の線路が続いている。少し薄暗く風の音だけが不気味に世界を包んでいた。
脇の山側の森から物音、そして全身真っ黒な中で一際目立つ真ん丸い澄んだ瞳の黒猫が顔を覗かせた。
一鳴き、彼女は何を要求しているのか、また一鳴き、彼女は何かを要求していた。
「おいで」
僕は両手を広げた。黒猫は僕の胸に飛び込んできた。
黒猫(黒蓮)はついてくる。
彼女を肩に乗せて歩く、10分くらい歩いただろうか、森の中の駅が見えてきた。
駅名は看板が薄汚れて見えない、次の駅の表示もわからない。
金属の軋む音。振り返る、丁度電車がやってきた、僕達はそれに乗る。
電車はゆっくりと走り出す。お客は僕と一匹だけ、黒猫は目を見開いて窓際に腰掛けて外を見ている。
窓から見える過ぎ去る風景、時々前足を窓のふちにかけて顔を近づけて窓に張り付く。
「あんまりおもしろいものは見えないよ」
僕がそう言った瞬間、一瞬にして光の中に包まれた。森を抜けたんだ。
新緑が生い茂る小高い山の中腹を線路は続いている。反対側はひらけていてとても眺めがいい、世界がほんの少し大きく見えた。
台地がみえる、短い草が生え岩がむき出しだ、それを越えた先には赤茶けた土だけの不毛な平野が見えた。
電車はどんどん山を登っていく、今まで見えなかったものが見える。
平野の先は突然窪んでいた、凍りついた湖そして雪深い森が広がっていた。
電車は緩やかに曲がっていく、その先は見えない、見えていたものが今度はどんどん見えなくなっていく。
そしてまた森の中に入っていった。
「終点です、どなた様もお忘れ物のないようにご注意ください」
運転手がそう告げた。僕たちは山の裾の駅に降りた、電車は薄暗い先の見えない森へと消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます