鬼退治

 僕は小さくなった、子供の姿に。

 彼女と同じで行けとニーナ言われて最初は意味がわからなかったが彼女の家の玄関を出ると自然とこの姿になっていた。

 黒蓮と手を繋いで、僕たちはニーナの家があった小高い丘を降りて草原を歩いていた、遠くに大きな山があって黒い雲がかかっていた。

 それは時々稲妻を走らせ空気をわずかに振動させていた。

 こっちは晴れている、臆病な黒蓮も平気のようだった。

 草原を山の方に向かって進んだ、といっても子供二人の足では一日かけても端まではいけそうにない程大地は広がっていた。

 鬼なんていやしない、風がそよいで背の低い草を揺らす。空の雲はゆっくり流れていた。

 草が鳴る音に耳を澄ませる。黒蓮は深呼吸して胸いっぱいに乾いた草の匂いを吸い込んだ、ここが彼女も気に入ったようだ。

 地面が揺れた、風のせいではない、小刻みに、少しづつ近く大きくなっていく。

 最初は気にもしていなかったが震源はどんどん近づいてくる。

 遠くにそれは見えた黒い棍棒を担いで腰布一丁に赤い顔、もちろん頭に2本の角が生えていた。

 鬼だ。横幅も広く壁が歩いているようだった。まだ遠いけど普通の状態の僕より大きいことが確信できた。

 袖口を掴んでいる黒蓮を見ると彼女は僕の後ろに隠れた。

 揺れが止まった。振り返ったときそれは目の前にいた。

 思わず一歩後ずさり。まだ遠くにいたはずなのにどうやってこの一瞬でここまで来たんだ。

 僕は両手を広げて黒蓮の前に立ち彼女を護る。僕の目は鬼を見つめる。

 お互いに何もしゃべらない、発しない。そして棒は振り下ろされる。

 それは何度も何度も土煙をたててあさっての方向に、僕に当たることはない。

 威嚇しているだけなのか、それでも黒蓮は僕の袖を離して黒猫に変わって一目散に来た道を逃げていった。

「待って! 黒蓮、どこにいくんだい」

 追いかけようとして足がもつれて転げてしまう。顔から地面に突っ伏して倒れた。土を舐めた、少し湿っている。

 顔を少し上げた先に見えた黒光するもの、黒い小刀が落ちていた。

 それを拾う。さっきまで僕がいた場所には大きな穴があいていた。

 威嚇をやめたのか、隙を突いたつもりなのか鬼の持つ棍棒は今度は僕を狙って振り下ろされる。

 避ける、また土煙があがる、それにまぎれて転げまわる。

 こんなに小さい身長で戦うのははじめて、鬼の膝丈よりも小さい。

 鬼は僕を見失う。後ろに回りこみ、ものすごく遠慮してちょこっと小刀でつつくとお尻を抑えて跳ね上がった。

 土煙が目に入りそうで目をつむる。視界が晴れると鬼はいつの間にか風船がしぼんだように小さくなって泣いていた。

 僕と同じくらいの背で肩を震わせていた。声をかけようとした、「君が脅かすから」でもそんな僕の気も知らず大きすぎる棍棒をひきづりながら山へと去っていった。

 広大な草原に一人残された僕、周りは穴だらけ、僕もあちこち泥だらけ。






 「鬼退治してきたよおばあちゃん」

 僕は疲れた表情と肩を落として気だるそうにニーナの家に帰ってきた。

「何このくらいでへばってるんだよ天下無敵の男の子だろ」

「本物のしかもすごく強そうな鬼が出てくるなんて聞いてないよ」

 僕は口をへの字に曲げて抗議した。

「心配せんでもばあちゃんがちっとのケガくらいならすぐに治しちゃう」といって腰に手をあてて笑っている。

「笑い事じゃないよ、もう」そこで冷静になった。

「あんたそれ……」

 ニーナは突然怖い顔して僕が後ろ手に持っていたものを見つめる。

「これ、落ちてたんだ」

 僕は目線をはずす。ニーナは奥の部屋に行った、そしてすぐに新聞紙を持って出てきた。

「子供が刃物を持ってるもんじゃないよ」

 僕の腕を掴むと小刀を取り上げた。

「僕子供じゃないよ」

ニーナは起用にその黒光りする小刀を丁寧に新聞紙で包む。

「私から見たら子供さね」

 やさしい笑顔。

「ほら出来た大切なものだろう、しっかり持っとくんだよ」

 僕はそれを大切にしまった。そして黒蓮は来なかったのかと聞いた。

「あら、そういえば姿が見えんね」ニーナははっとしてあたりを見回す。

 そして外に出て駆けていった。僕も玄関から庭に出た。

「黒蓮様でしたら大そう慌てた様子、一足先に私がお送りいたしました」

 振り返るとそこには、来るとき岸まで送ってくれたガマ蛙がいた。

「蛙さんもうそんな時間」

「いえかがなみ様、まだ約束の時間ではございません」

「あらあら今日は本当にお客が多い日だね」

「これはニーナ、今日もお美しゅうございます」

 蛙は深々とお辞儀した。

「お世辞はこそばゆいからよしてくれな」

「黒蓮なんで先に帰ってしまったんだろう」

 僕はうつむく。

「かがなみ様もお帰りは私目がお送りいたします」と唐突に蛙はわざとらしい明るい声で言った。

 彼の話だと電車は当分来ないらしい、それで家まで送ってくれるとのことだがここからはかなりの距離があり気の毒なので断りたかった、だが「あなた様をお送りする名誉を私に」と言って聞かなかった。


「ばあちゃんまた来るね」

 僕は手を振る。

「あいよ、またおいでな黒蓮にもよろしくね」

 ニーナも見えなくなるまで笑顔で手を振っていた。

 僕は蛙と一緒にニーナの家を後にした。

 どうやって僕を送るつもりなのだろうか、きっと彼の見かけより大きな背中にまた乗ることになるだろう。

 長い旅になりそうだった、絶対自分で帰った方が早いよなと思った。

「あの蛙さん、僕の家まではすごく遠いんですだからやっぱり一人で帰ります」

 僕は顔色をうかがった。

「なあにご心配なく! こう見えても橋渡し役は伊達ではありません、いやはや次元超越すらお手の物」

 蛙は腰に手を当て胸をはって「エッヘン」と鳴いた。そして続けた。

「まあ次元というのは冗談ですが家の近くまでならお安い御用、大船に乗ったつもりでいてくだせえ」

 今度は胸を右手でたたく仕草、なんとも人間らしい、ちなにみ彼はさっきから蛙のくせに二足歩行である。

 依然として僕は子供の姿のままなので出会ったときよりも彼がすごく大きく見えた。

 蛙としては自然な姿、つまり手足を地面に付けた状態でようやく僕と同じくらいの高さだろう。


 来たときと同じ岸についた。蛙はどこから取り出したのかわからない手すりと鞍が合体したような、その背中に生物を乗せるための道具を腰に取り付けはじめた。

 装着が終わると優雅な曲線を描き蛙は美しく水に飛び込む。

 水しぶきは波紋となってやわらかく水面に広がった。

「ささ乗ってください」とひと鳴き、僕は小船に乗るように身長に片足ずつ恐る恐る搭乗した。

 「出発進行」その掛け声とともにゆっくり滑るように進みはじめる。夕日に暖められた乾いた風が心地よかった。

 目をつぶってそれをいつまでも感じていたかった、がそれは唐突に終わりを告げた。夕闇が突然やってくるようにまぶたを通した光が突然青黒く変わった。

目を開けるとそこは水の中だった。なぜか息が出来る。

 どんどん深度は深まっていく。これが彼の近道なのか、それとも見知らぬ竜宮城にでも連行されているのかもしれない。

 底の方に家が見えた、青い家、砂浜があってそこに洗濯物が干してあった、乾くのか。

 遠くで鯨が泳いでいた。それは散った、鯨ではなくて小魚の集団。

 上を見上げた、もう随分深いところまで来てしまった。暖かい紅の夕焼けはわずかに感じられる程。

 光った、稲光のように、星だ、星々の瞬きにそれがぐるっとなってやがて点が線に変わった。

 歪んでいる、水のなかではない、ここは空だ!

 虚空の黒を線の光が攻めている、そして一面真っ白になり何も見えなくなった。




 気がつくと僕は、背丈ほどある岩の前に立っていた。そこはとてもとても弱い湧き水を祭っている場所だった。

 僕を送り届けてくれたガマ蛙は岩になってしまったのか、時空を越えて時の流れだけが僕を置き去りにした。

 浦島太郎になってきっとここを出て外の世界へ行けば何もかもが変わってしまっている。

 誰が僕を覚えている。

 帰る家はない。

 何も知らない世界。

 僕だけが僕を知っている。

 そんなことを考えていた。目の前の岩の後ろ側から這い上がるように一匹のガマ蛙が現れた。僕の拳ほどの大きさだ。

 蛙はお辞儀したように見えた。

「あんまりお話できなかったね」僕は呟いた。

 浅く小さく川と呼ぶにはあまりにもか細い、小石とささやかな水の流れ。

 僕の足元のそれに蛙は飛び込むと水が湧き出る左手の大岩の下に泳いで消えていった。


 森の小道を歩くとすぐにひらけた場所に出た。見慣れた風景、ここは家のすぐ近くの田んぼだった。

 家までは段々になった田んぼのあぜ道の上り坂を歩いていけば5分くらいでつく。


 家につくととびっきりの笑顔で木蓮(大人の姿の黒木蓮)が迎えてくれた。

 僕は「ただいま」と言った。その後に何か言葉を言ってみたくなったがなぜか声にならなかった。

 こんな暖かさがすごく懐かしかった、もうずいぶん昔の出来事のように。

「おかえり、手を洗っておいでご飯にしよう」

 僕はなぜ先に帰ったのか聞きたかった、でも妙に上機嫌で結局聞けなかった。

 その夜はいつもより暖かくして眠った。

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