第14話
「すいません、すいません。ここまで事態が大きくなるとは思ってなかったんですよ!」
「ふざけんな! 死にかけただろうが!」
激昂する京子から滝田が逃げ回っていた。京子の目は完全に怒りに我を忘れており、捕まったら本当に殺されるかもしれなかった。サムソンがそれを微笑みながら見守っていた。街は瓦礫の山と化し、原型を留めているものはひとつもない。そこに軍隊やレスキュー隊が集まり処理に躍起になっていた。その中で梓が手錠を繋がれ護送車の前に立っていた。
「ちゃんと、罪を償えよ」
そう言ったのは比馬だった。コートはボロボロでそこら中に赤い染みができていた。
「・・・・うん」
梓の顔は暗かった。果てしなく暗かった。自分のしたことを自覚し、それを直視しているのだから当たり前だった。比馬も元気を出せとは言えない。そういう問題ではない。
「私、本当にひどい事をしたね」
「ああ、完全に犯罪者だ。人殺しだ。いろんな人間に後ろ指を指されても文句を言えん」
「うん、本当にそうだと思う」
梓は手錠で繋がれた拳を強く握りしめた。そして、ポロポロと泣き始めた。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
梓はうめくように言った。
「泣くな。泣いても罪は消えん。何をすべきか考えろ」
「・・・うん」
梓は涙を拭った。
「私、罪を償えるかな」
「償えるかじゃなくて償うんだ」
「また、昔みたいな日常が手に入るかな」
「ああ、必ず手に入る。だから。しっかりやるんだ」
「うん」
梓は頷いた。
「いろいろありがとう。あなたがいなかったらどうなってたか分からない」
「何、大したことはしてないさ」
「そう」
梓は微笑んだ。比馬の調子がおかしかったようだった。梓の横の警官が護送車に乗るよううながした。梓はゆっくり護送車に乗り込んだ。そして、重い扉が閉じられた。犯罪者を乗せた護送車は走りだした。比馬はそれを黙って見送った。
「行ってしまいましたか」
「ああ、牢獄行きだ」
「多分懲役は200年は下りませんよ」
「ああ、そうだろうな」
「それでも、出てこれるとお思いですか」
「ああ」
「そうですか。まぁ確かに、模範囚になれば条件付きの仮釈放になる可能性もゼロではありませんかね」
「なんでもいい。あいつは出てくるさ」
比馬は言った。なんだか祈りのようだった。
「で、良くわかんないけど一件落着なの」
京子が言った。後ろを見るとサムソンにしっかりと取り押さえられていた。それでも今にも滝田に飛びかかりそうだった。
「ええ、これにて。では」
そう言って滝田はすさまじい勢いで走りだした。
「あの野郎、逃がすか!」
京子はサムソンの股間に一撃入れた。サムソンはうめき声を上げながらうずくまり、京子はそのまま滝田を追った。滝田は悲鳴を上げていた。
「やれやれ」
比馬は溜息をつく。それから護送車が走り去った方向を見つめた。しばらく、そうしてから、比馬は家路についた。
私は護送車に揺られていた。部屋の中には窓ひとつない。こういう犯罪を犯したものへの特別製のようだ。
別れたあの人の顔を思い出す。「しっかりやれ」とあの人は言った。さっきあの人と話していたのは恐らくは強がりだった。戻れるなんて本気で思ってはいない。自分の罪の大きさだって良く分かっていない。まず、自分が何をして、何が起きていたのかもよく分かっていない。分かっていない。全然分かっていないことばかりだった。
それに気づいた時に、きっと私はさっき言った言葉の殆どが強がりで、夢だったと気づくのだろう。本当の地獄が始まるのだろう。それは、うっすらと、何となく分かった。
きっと自分はこれから絶望する。それは分かった。
じゃあ、何で生きようとしたんだろう。何であの時死ななかったんだろう。何であの人に頼ったんだろう。
それさえ分からなくなって、自分が幸せになれると妄想したんだろうか。現実から目をそらして希望にすがりついたのだろうか。何もかもから逃避したのだろうか。
それは、多分違った。私は確かに現実は見えていなかった。これから来る絶望も理解していなかった。ただ、本当にまた昔みたいな生活が欲しかったのだ。それは逃避ではないし、立ち向かうということとも違うと思う。単純に願望だった。ただ、強い願望だった。
今ならありありと思い出せる、借金地獄の前の日々。普通の家族が、普通に楽しく暮らしていた日々。何の変哲もない事で笑っていた日々。それが、また欲しかった。
これは、多分本当の絶望に出くわしたらまた忘れるかもしれなかった。擦り切れて霞んでしまうかもしれなかった。
その時はあの人の「しっかりやれ」という、近所のおじさんみたいな普通の励ましを思い出そうと思う。
私は、また普通の暮らしが欲しいのだということを忘れないようにしようと思う。
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