第13話
「・・・・・そんな馬鹿な」
神内が言う。梓の感情は怪物には毒だったようだ。怪物はなんだか動きが鈍り、小刻みに震えていた。なぶられていた比馬はそのスキを逃さない。一瞬で攻撃態勢に転じ、怪物に一太刀振るう。しかし、怪物はなんとかそれを弾いた。まだ、弱り切っているわけではないらしかった。しかし、比馬の目にははっきりと映っていた。梓から流れる感情が怪物に染み渡り神気と黒い感情が混ざり合った巨大な塊にほころびが生まれているのを。比馬は休まず攻撃を加える。怪物はそれに対応するが、少しずつ動きの精度が落ちている。比馬を狙う攻撃も正確無比だったものが微妙にずれるようになっていた。弾かれていた斬撃が怪物の体に滑りこむ。そしてそれを修復する速度も随分と落ちていた。
「還元されているな」
怪物を構成する神気が徐々に大気に溶け出していた。
比馬は攻撃を繰り返す。怪物のほころびから溶け出している神気は比馬の攻撃を受ける度にその勢いを増していた。形勢逆転だった。このままいけば怪物は消える。しかし、怪物はそれを拒絶した。狙いを梓に切り替えたのだ。傍目からは何の動きもないのでそれを読み取るのは不可能だった。しかし、比馬の目には見えた。怪物が梓の感情に対して明らかな抵抗を見せた時、比馬はすかさず飛んだ。
「わっ!」
間一髪、梓が力場に捕らえられる前に抱え、比馬はまた飛んだ。梓の居た場所はめくれ上がり10m四方ほどの地面が岩の塊として圧縮された。その余波を浴びて滝田が転がっていた。その攻撃はしかし、先程までと比べると明らかに精度が落ちていた。めくれ方が明らかに歪で雑だった。
比馬はそのまま怪物の後ろに回り込み一太刀浴びせた。怪物は動きが間に合わあずもろにそれを背中に受け大きな亀裂ができた。怪物は悶えるよにしばし体を震わせていたが、やがて触手を大きくうねらせた。辺り一帯に、今のありったけの力を使って巨大な力場を生み出した。瓦礫の山が吹き飛び空高く舞い上がる。比馬は魔人の力を引き出して梓を覆いそれを防いだ。もはやありったけといえど、それで対応できる程度だった。
「何度同じ手に引っかかるつもりだ。お前は」
怪物が発生させた力の周りに、同じだけの力が発生した。怪物は逃れようと身をよじるが、すぐさまガレキの塊と水流が襲い、それをさせなかった。力場が怪物を襲う。さっき自分が出した力に対して、抗うだけの力はもう怪物には残っていなかった。反射した力場は怪物の全身を破裂させた。なんとか留めた原型をそのまま地面に横たえる。巨大なそれが地面に激突するとすさまじい衝撃が発生し、小さな地震のようだった。
その怪物の真上に比馬が居た。
「ぬんっ!」
比馬は常人が一太刀振るうかという一瞬で怪物を100の塊に分断した。
怪物は完全に停止していた。存在を形作っている力の流れそのものが破綻しつつあるため再生さえ満足に行われていなかった。力なく触手を波打たせるだけだ。比馬は少し目を凝らし、もはや反撃することさえ無いと確かめると刀を鞘に収めた。その後も比馬はなんとなく怪物を見つめた。相変わらず何の感情も与えないものだった。他に形容できるものが見つからないものだった。しかし、この存在ももうすぐ終わるのだった。
「もう、死ぬの」
「いや、これには生も死もない。ただ消えるだけだ」
「そう」
比馬と梓は怪物をしばらく見ていた。徐々に怪物の体がひび割れていく。崩壊が始まったようだ。比馬の目には怪物から幾筋も立ち上る煙が見えた。煙は怪物の傷口から昇り、同時にそこには梓の感情が流れ込んでいた。感情は暖かい色をしていた。
「何でだ。どうしてこうなった」
怪物の影から這いずるように現れる人影があった。神内だった。
「お前は結局何なんだ」
比馬は神内に問うた。
「僕はロストニューヨークの唯一の生き残りさ」
「何。あの事件に生き残りがいたのか」
「そのときに神気を操る術を手に入れてね。その後色んな研究機関を転々としてた。そのときに色々知識を覚えた」
「神気を操る術だと。何だそれは」
「僕にも良く分からないよ。研究者たちは濃い神気を浴び続けたことで感応力が極限まで引き上げられたとか言ってたな。でも、そんなことはどうでもいい。僕はあれから今日までずっと努力を続けてきたんだ。自分が正しいと思う世界を作るための努力を」
「そうか、そいつはご苦労だったな。だがそれも今日で終わりだ」
「・・・・くそっ」
「神内さん・・・・ごめんなさい」
梓は苦々しげに顔を歪めた。
「お前は何も謝る必要など無い。こいつが勝手な理屈をお前に押し付けていただけだ」
「ううん。でも、従ったのは私の意思だったから」
神内は崩れゆく怪物に手を付き顔だけを上げて梓を見た。
「何故だい、梓ちゃん。何故こんなことをしたんだ。君は本当に世の中を憎んでいたし、正当な理由もあったんだ。何故こんなことを」
「世の中が憎いのは今でも同じ。それは変わらない。でも、やっぱり私のやりたいことはそんなことじゃなかったみたいなの。私が本当にやりたかったのは、欲しかったのは昔みたいに平凡な日常を取り戻すこと」
「戻らない。戻らないよ梓ちゃん。それは地獄の道だよ。君にはきっと耐えられない。大体、その行く手を阻むのは他ならない世の中なんだよ。結局君はまた世の中に苦痛を味合わされるんだ。何にも知らない連中に」
「そうね。やっぱりそうなんだと思う。でも、私思い出してしまった。幸せなあの暖かな毎日を。また、欲しい。そんな風に思ったら、なんだか世の中を憎く思うのもどうなのか分からなくなった」
「苦痛を、絶望を忘れられるのかい」
「それは、多分無理だと思う。ずっと私の中に傷として残ると思うし、忘れちゃいけないことだと思う。でもきっと、憎しみに身を任せていたら、あの日常にはずっと戻れないの、神内さん」
「それは自分の感情から目を反らすということじゃないか。逃げじゃないのかい」
「それは・・・・」
梓は言いよどむ。
「逃げではない」
しかし、その空気を比馬が断ち切った。
「俺はお前の苦痛をまったく知らんから勝手なことは言えん。だが、それは逃げではない。むしろ、立ち向かっていくことだろう。自分で出した結論に従うんだからな。こいつの言ったようにその先は地獄の道だ。しかし、それでも行くというのだ。どこが逃げだ。それにそんなに一々自分の感覚に白黒付けられるものか。感情はそう簡単に処理できるものではないだろう。それを抱えてなお進み答えを探すしかない、と俺は思う」
「・・・ありがとう。そうよね、きっと」
梓は神内を真っ直ぐ見た。
「ごめんなさい。神内さん。私もうあなたに協力できそうにない」
「一緒に新しい世界を作ろうって言ったじゃないか」
「ごめんなさい。私にはそれが正しいものか分からなくなった」
「じゃあ、こいつは。君にとってはもう過去の負の遺物でしかないのかい」
「そうね。これが何なのかは分からないけれど、少なくとも私はこの子に救われてた。それが正しかったのかもやっぱり分からない。でも、やっぱり感謝したい」
梓は目を閉じて石に頭を傾けた。梓から流れる感情が暖かみを増し、怪物の体に染み渡る。怪物は一気に形を失っていく。端のほうから灰になっていった。抗うこともなく、怪物は静かに消えていった。
「ありがとう、さようなら」
梓が言ったとき、怪物は完全に灰になり風にさらわれていった。梓も比馬もその様を黙って見届けた。
「終わったわ」
遠くからボロボロの滝田が走ってくるのが見えた。沢山のヘリの音も聞こえる。もうじき色んな人がやってきて総出で事後処理が始まる。騒動はようやく終わりを迎えた。
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