第9話

怪物はますます大きくますます禍々しくなっていた。大きさはもはや高層ビルと並んでも遜色ない。使う力も強大に、精密になっている。水柱も、飛んでくる街の構造物やミサイルも容易く弾き、力に反応して発生する術も怪物の全力に押し負けるようになっていた。怪物は砲弾以上の速度であっという間に怪物の下にたどり着いた。相変わらず攻撃は怪物に対して続いているがもう、避ける素振りさえなかった。ただ触手を振るって撃ち落とすだけだ。比馬が真下に来たことを感じると怪物は比馬に向かって力を使う。しかし、比馬はそれを躱しビルの壁面を足場に怪物に斬りかかる。怪物に放った分の力が返っていたったがびくともしていなかった。

「ふんっ!」

 比馬の刀に黒いもやがまとわりつく。それは刀身の何倍物長さに伸びた。そのまま職種ごと怪物の体を傷つけるが、一瞬で修復されてしまった。再び力が襲うが、比馬は怪物を蹴りつけて一気に地面に戻った。追い打ちも躱す。一対一ならとっくに的にされていただろうが、いかんせん気を回す用事が多いためか、比馬にもなんとか躱せるようだった。

「あれ、あなた来たの。随分大きい怪我をしたみたいだったけど、やっぱり人間じゃないのね」

 梓が言う。

「とっとと止めろ! 馬鹿げている!」

「馬鹿げているのあなた達でしょう! 世の中に正義を見せつけてるのに。寝ぼけた馬鹿どもに思い知らせてるっていうのに」

 力が放たれ、ビルごとあたりの景色が歪む。しかし、比馬は別のビルに飛び移り躱す。それから電話を取り出した。中折式だった。

「おい、滝田。他の連中に俺がスキを作ると伝えろ」

「ちょっ、比馬さん。今どうなってます? 神性種のーーー」

 比馬は滝田の言葉を待たず電話を切る。そして電話をしまうと深く腰を落とし一気に飛び出した。常人にはまるで見えない速度で怪物を四方八方から斬りつける。大した傷は付けられないし、付けた側から修復されるが比馬を追うことで怪物の意識が削がれていた。そこに何本もが合わさった巨大な水柱と工事用のクレーンが襲いかかる。

「うざいっ!」

 怪物は強力な力を放ち、水柱とクレーンを跳ね除ける。しかし、今使った力の反射が丁度怪物が態勢を崩すような配置で発生した。怪物は体を傾け、ビルに激突する。その真上に比馬が現れ、刀を思い切りふりかぶる。

「ぬんっ!」

 刀にまとわりつくもやが一際濃くなった。そのまま比馬は斬りつけた。常人が一太刀振れるかさえ分からない一瞬で、比馬は10の斬撃を浴びせた。怪物は綺麗に20分割された。しかし、一瞬で復活してしまう。以前とはもはや比べ物にならなかった。そのまま怪物は触手を振るい反撃する。それをすんでんで躱す比馬。鼻先を巨大な触手がかすめていく。比馬は黒いもやを放ち、地面に戻る。

「今のでこれとなると、いよいよ手詰まりだな」

 比馬は頭を回す。首の関節が鳴った。どう考えても物理攻撃で倒す方法はなかった。怪物に弱点のようなものもなさそうだった。何かを核に神性種としての形を保たせているのかと思ったが、梓曰く依代は割れてしまったという。大体この芸当、この圧力はまがい物ではない。本物の神性種のものだった。

「うざったい、本当にうざったい!」

 梓は怒りに満ちていた。ビルの激突から守るために巻き付いた触手の中から姿を現す。

「どうして、どうしてここまで強くなっておいてあいつ一人殺せないのよ。こいつは全てに復讐する力じゃなかったの!」

「落ち着きなよ梓ちゃん。まだ覚醒していないからだよ。それにあいつらにはこいつは倒せない」

「あるわよ。私を殺せばいい。そうすればこいつは消えるわ! ほら、とっととやりなさいよ! 簡単でしょうあなたなら!」

 梓は激情を露わに、しかし、どこか楽しそうに言う。

「その方法を取るつもりはない」

 比馬は刀を揺らし、少し体を休める。またミサイルが飛んでくる。怪物は触手で軽くあしらった。他の三人は様子見で一旦攻撃を停止しているようだった。

「何で? 私は4人も殺して、しかもこうやって街をメチャクチャに破壊してる。そしてこいつはほっといたら手に負えなくなって、でも私を殺せば止まる。殺さない理由なんてないじゃないの」

「殺しはいついかなる場合でも取るべき手段ではない」

 比馬は刀を構え直した。

「それに貴様は死ぬべきではない」

 それは確かな石の籠もった言葉だった。

「何で。私の話し聞いてたの。状況が解ってるの!」

「貴様には望みがあるからだ」

 比馬は言った。

「ふざけないで。私がいつ! どうして! こんな世界に望みを抱いたっていうのよ!」

「そうだな、有り体に言うなら『幸せ』だろう」

 梓はわなわなと震えだした。

「待つんだ。落ち着いて梓ちゃん。それ以上感情を高ぶらせるのはまずいよ」

 神内が静止すが梓は言葉が聞こえていない。

「何言ってるの? 私が幸せを? そんなもの要らないわよ。失くした時に絶望するだけじゃないの。邪魔なのよ! 私は復習したいよ! この世全てに!」

 梓の叫びに合わせて怪物が大きく震えだした。ミシミシと音が鳴り。形が変わっていく。

「いいわ! いいわよ! そうよどんどん強くなりなさい! そして全てをーーー」

 パキリ、という音が梓だけに聞こえた。何かが割れたのか、それとも感覚的なものだったのかは分からなかった。ただ梓は力を失い、怪物の方からゆっくりと落ちた。梓は落ちながら怪物に手を伸ばす。しかし、怪物は形を変える一方で、梓に反応一つ示さなかった。神内だけが、何かを言いながら梓に届かない手を伸ばしている。

 怪物との繋がりが消えたことが梓には分かった。梓は落ち、地面にぶつかる前に比馬がそれを受け止めた。比馬と梓は怪物を見上げる。怪物は音を立てて形を変え、とうとうそれが終わったかというころには今までのものがなんだったのか、という程の別のモノになっていた。姿はもちろんだったが、その印象が違った。

 それに神々しさはなかった。かといって気味の悪いものでもなかった。ただ何も感じなかった。まるで河原の石ころのようだった。この世の何よりも恐ろしいものなはずなのに、この世の何より何も感じなかった。それはとても恐ろしいものだった。

 怪物はゆっくりと上昇し、街を見渡せる位置に来ると静かに触手を波打たせた。メロディアスば唄のような鳴き声を上げる。波打った触手が羽のように広がり、その先が光る。そして、景色の全てが歪みひしゃげた。

 大地は割れ、ビルは弾け、川も形を失い、山は砕けて崩れた。世界が壊れた。

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