第2話

先に動いたのは比馬だった。瞬時に間合いを詰め下から鋭く切り上げる。しかし、怪物は微動だにせずそれを受けた。甲高い金属音が響く。比馬の刀が弾かれた音だった。比馬の斬撃は怪物に傷一つ付けていない。怪物が触手を超高速で振り下ろす。常人には突然床が割れたようにしか見えないその一撃を比馬はすんでで躱す。間合いを離すことなくもう一太刀。今度は上から頭を狙って斬りつける。しかし、その一撃は怪物の触手に容易くいなされてしまった。その勢いで比馬は後ろの壁まで吹っ飛んだ。叩きつけられ比馬は小さく呻く。しかし、そこに怪物は容赦なく追撃を加えた。比馬は何とかそれを刀で弾く。ついでに一本を切り落とした。一瞬できる間をついて比馬は飛びのき態勢を立て直す。刀を構え直すと怪物の触手が元通りに再生した所だった。

「ものすごい再生能力ですね。とっとと魔人の力を使ってくださいよ。こんなん私が狙われたら即ジ・エンドですよ」

「うるさい。少し待て。何か妙なんだ」

 怪物はまた触手を飛ばしてきたが、これだけの間合いがあれば比馬は造作もなく2本とも叩き落とせた。しかし、すぐにグロテスクな音を立てて修復する。

「ほら、何度やっても無駄ですって! とっとと本気出さないと!」

「これは再生というよりは構築だな」

「どういうことですか?」

「お前には見えないだろうが、力が内からではなく外から来ている。周りから力が送られているということだ」

「そんなアホな。神性種は形を持った神気なんですよ。形を持った時点で一個体として完成するはずです。常に外部からの力を受けて形を保ち続けるなんて聞いたことないですよ。それじゃ、式神か何かみたいです」

「そうか、式神か。なるほど」

 考えながら比馬は飛んでくる触手を軽くいなす。もう大分触手の動きに慣れたようだった。比馬は静かに息を吸い吐き出すと、そのまま踏み込みより根本の方から2本とも切り落とした。その瞬間から触手が修復される。比馬の目には周囲の神気をすさまじい勢いで取り込む流れが見えた。そしてかすかに見える、どこからか怪物に流れ込む何者かの意思も。比馬は再び飛びのき安全圏に戻る。

「どうやらこいつを生み出した主はまだ生きているな。そしてこいつにその意思を送り続けている」

「そんな。こんだけ強力な個体を生み出すとなると、その源たる意思は死に際に発するものくらいのはずです。なのに主が生きてるなんてことは常識的には考えられませんよ」

「どういうことかは分からん。だが、少なくともそいつをどうにかせん限りこいつは消えることはない。跡形もなく消し飛ばしても再構築されるだけだろう」

「じゃあ、この現状をどうするんです!?」

「倒すのは無理だ。だから、しばらく寝ていてもらおう」

 そう言うと比馬の目が淡い紫色に光始めた。それと同時に比馬の体がうっすらと黒い煙に包まれた。怪物は単純な触手での攻撃が比馬に通用しないと分かったようだった。触手を畳み、少しの予備動作もなく比馬に突っ込んだ。比馬はそれに対し避けることはなかった。怪物の速度は恐らくは弾丸並だった。しかし、比馬はそれを上回る速度で構え直し、さらにそれを上回る速度で刀を振るい、怪物を打ち返した。怪物が突っ込んだ衝撃波と、吹っ飛ばされた怪物の衝撃波で猛烈な爆風が発生した。壁や瓦礫が全て吹き飛びその余波が建物全体を揺らしなぎ倒した。散り散りになった瓦礫が降り注ぐ。その中で比馬は刀を再び怪物に構え立っていた。瞳は紫色に光、全身の黒いもやもきえてはいない。

「滝田。大丈夫か」

 かなり離れた所にある壁の破片が崩れ、滝田が現れた。

「大丈夫じゃないです。とっさに伏せてもダメでしたね。護符がなかったら全身複雑骨折でしたよ」

「よし、大丈夫そうだな」

 比馬は怪物を見る。怪物は弾き飛ばされ、裏庭の土堤に大きなクレーターを作り全身を深く埋めていた。ゆらゆらと触手を振るっているが、先程までのような勢いがない。それもそのはずで怪物の体には十文字に大きな亀裂が入っていた。その修復に力の大部分を割いているらしかった。しかし、その傷も見る見る内に修復されていく。その怪物の上に比馬が瞬く間に跳びかかっていた。比馬の動きで空気が裂け、稲妻のような音が轟いた。そのまま比馬は常人なら一太刀入れることも出来ないような一瞬で、怪物を5つの塊に分断した。怪物は悲鳴を上げることもなく動きを止め、機能を停止した。すかさず比馬は懐から札を取り出すと、怪物の5つの塊にそれぞれ貼り付けた。

「封印」

 札から光の幕が膨れ上がり怪物のそれぞれの塊を完全に覆った。怪物の姿は見えなくなった。

「それで、時間稼ぎになるというわけですか」

 滝田が物陰から出てきた。

「ああ、神気の流れを妨げた。2日は持つだろう」

「2日ですか。その間に主を探してどうにかするしかないですねぇ。これは思ったよりも一大事だ。我々の方でももう少し手を貸しましょう。とりあえずここの監視を用意します」

「ああ、頼む」

 比馬は刀を鞘に収めた。瞳も体も元通り普通の人間に戻っていた。比馬は怪物を包んだ光の幕に目を凝らした。

「さて、どうしたものですかねぇ。被害者にしたって職業以外の共通点はありませんし、ほとんど場当たり的に殺されてます。手がかりは殆どありませんよ」

「いや、ある」

「何か見えたんですか」

「先程瀕死になったこいつがより大量の神気を必要とした時、同時にこいつに繋がる意思も濃くなった」

「おお! で、どこから来てたんですか、それは」

 比馬はゆっくり指を上げて一方の方向を指した。その先には高層ビルの立ち並ぶ街の中心があった。

「いやぁ、手がかりって言えますかねこれは」

 滝田はやるせなさそうにため息をついた。



 街の中心から離れた住宅街。通勤通学時間を少し過ぎたお昼には早い午前半ば。家事の合間に主婦達が世間話に花を咲かせている。話はワイドショーやらゴミの分別の話やら、とにかく内容ではなく話すこと事態が目的のそれは次から次へと話題が変わっていく。

「そうだ、それよりどうなの。あのアパートの女の子は」

 中年の主婦が少し声を落として相手の若い主婦に尋ねる。

「ええ。何だか塞ぎこんでいるとかで。一時は親戚の方も来てたんですけど、今は誰か来てる様子もないですよ。たまにコンビニの袋を持って歩いてる所は見るんですけど」

 若い主婦は何だか言いにくそうに苦笑いをしている。

「親の借金背負って自殺だなんて。死んだ方も遺された方も可哀そうねぇ」

「ええ、本当に。借金も結局残ったままだといいますし」

「ろくでもない親だねぇ。こどもにこんな思いさせて。あの子はこれからどうするんだろうねぇ」

「バイトくらいじゃ返せないでしょうし。そのバイトにも行ける状態じゃなさそうですしね」

「本当に塞ぎこんでるんだねぇ。あんた気をつけて上げた方がいいよ。あの子も首吊ったりするかもしれない」

 若い主婦は話題の少女のアパートのすぐ近所に住んでいるようだった。

「ちょっと、不謹慎ですよ」

「でも本当にそうなんだよ。後追い自殺なんてよくある話なんだから」

「そうですねぇ。本当に。良い方にどうにか向かってくれるといいんですけど」

「まったくね。あの子は何にも悪くないんだから。ひどい話だよ。っと話は変わるけど、あんた今度のバレーボール大会は出るの?」

「私運動苦手なんですよ。そうそう、この前なんか」

 主婦達は談笑を続ける。次から次へと話題を変えながら。その主婦たちが談笑する家の塀の影に一人の少女が居た。会話を盗み聞きしていたようだった。少女は雲のように頼りない足取りでその目つきはとても鋭く、しかしどこも見てはいなかった。憎しみに満ちた目だった。

「何にも知らないくせに」

 少女は小さく、しかし確かな感情の籠もった声でそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る