#7 謡を綴る人

それは不意に訪れた。


僕がいつものように観測対象を捜して街を歩いていると、どこからともなく歌声が聞こえて来たのだ。


声の感じからして、年老いた男性のように思える。


僕は歌声の主を捜してキョロキョロと左右に首を振るが、それらしい人は見当たらない。というか、人が居ない。


しかし歌声は聞こえてくるものだから不思議なものだ。


僕はその歌に耳をすませて、どんな歌詞なのか聞き取ろうとした。


 あとはしぬだけだったのに

 そのまえにみんなきえていった

 とりのこされたわしにあるのは

 ただのおもいでのみ

 るらら るらら

 みんなしんだ みんなしんだ


「後は死ぬだけだったのに?」


僕は歌詞を口ずさみ、歌詞の意味を理解する。


なんという歌だ。でもこんな歌は今まで聞いた事がない。

有名な曲なのだろうか?それとも……


僕は益々好奇心が強くなり、頑張って歌声の主を捜そうと躍起になった。だが、建物の隙間や、建物の中を覗いてみるが見付からない。


 まごにかこまれてしにたかったのに

 まごもむすこもばあさんも

 わしをのこしてしんでった

 らんらん らんららん ららららら

 みんなしんだ みんなしんだ


僕が必死に捜している間にも、歌は増えていく。


いったい歌声の主はどこにいるのだろうか?


捜すのに疲れた僕は、空を見上げながら大きく息を吐く。その時、左前方に見える6階建てのビルの屋上の縁に、老人が座っている事に気付いた。


そして、その老人は口を動かして歌を唄っている。


 のこされたわしはどうすればいいの

 おいてけぼりのおいぼれにみらいはあるの

 かなしいね かなしいね

 うぉううぉううぉううぉう

 みんなしんだ みんなしんだ

 うたうことしかできないおいぼれに

 みらいなんてない あしたなんてない


その歌は元からある歌というよりも、即興で歌っているようだった。思いつくままにメロディを口ずさんでいるのだ。


僕は老人と会話をしてみたくてビルに向かう。しかし、どうしてあんな場所で歌っているのだろうか?足を宙にブラブラさせて、下手すれば落ちて死んでしまうのではないかと心配になる。


駆け足でビルの玄関へ向かった僕は、出入り口の扉を開けようとした。しかし鍵が掛かっていて開かない。


どうやって老人はこの中に入ったのだろうか?

裏口?非常階段?


僕が入口を探している間にも、歌は続く。


 ららんららんららんららん

 このよはむげんじごく じぶんからでていかなければ

 むげんにまいにちがくりかえされる

 ちきゅうのおわりまで くりかえされる

 ららら ららら ららららら

 いっそのこと しんでしまえばいい

 わしもみんなとおなじばしょへ いけばいい


この老人は死ぬ気なのだろうか?

別に死ぬなら死ぬで好きにすればいいと思う。

悲しい事だけど、この世界で生き続けるのは退屈だからそれも一つの選択だろう。


だけどその前に、僕と会話をして欲しい。

老人のためにではなく、僕のために……だ。


僕はビルの裏手に回り込んで扉を発見した。そして、ドアノブに手をかけて回すが開かない。ここも駄目だ。ならばどこに?


もしかしたら非常階段を上った先の扉から入ったのではと思い、僕は裏手に回る時に素通りした非常階段を上って各階の扉を開けようと試みる。すると五階の扉が開いて、ようやく僕はビルの中へと入る事が出来た。


ビルの中は思ったよりも暗く、廊下にはゴミが散乱している。左右に備え付けられている扉には、会議室だとか名前が書かれいた。昔はここで色んな人が働いていたのだろう。何の会社だったのかわからないが、今となっては何だっていい。


とにかく老人の元へ行こうと、僕は屋上へ続く階段を探して廊下を歩いた。ちょうど廊下の真ん中辺りで六階と四階への階段を見つけて、僕は六階へとのぼる。そしてそのまま屋上へと足を進めた。


そして屋上への扉を開けようとするが、これまた開かない。


どうしてこんなにも鍵が掛かっているのだ。

僕は屋上への鍵を入手するためにビル内を探索しようと思ったが……やめた。


見付からない気がする。

何故なら、鍵を持っているのは老人だと感じたからだ。


 

 さぁとぼう

 いますぐとぼう

 みんなのところへとんでいこう


老人の歌は果てしなく続いていく。僕はその声をかき消す程の音で扉を叩いた。


ビル内に叩く音が反響する。


その音が静まった時、僕は扉の向こう側に居るであろう老人に声をかけた。


「あの……!!」


まぁ予想通りだが返事は無い。


僕が声をかけるのをやめると、ビル内は再び静まり返った。それにしても、ビルの屋上から歌を唄いそれが地上にまで届くとは本当に世界は静かになったものだ。聴く相手など居ないのに、老人はどうして歌を唄っているのだろうか?何としてでも老人に会ってみたい……


そんな願いが通じたのかどうかはわからないが、扉の鍵が開く音がした。


僕が驚いて扉から離れると、ゆっくりと扉は開き光がビル内へと差し込んだ。そして、僕の捜していた老人が目の前に現れる。


頬がこけていて、白い髭に白い髪の毛。

その老人は笑顔で僕に言った。


「ようこそ。コンサート会場へ」


その単語に一瞬戸惑う。


「コンサート……会場?」


「お客さんがくるのをずっとお待ちしておりました」


「お客さん?」


「私は、シンガーソングライターの宇田部です。さぁ、会場内へ入ってください」


*****


何時間経っただろうか?宇田部さんは縁に腰かけて演奏も無い状態で歌い続けていた。

僕は床に座りそれを聴き続ける。


一曲目は幼少期の頃を歌った曲で、二曲目は少年時代、そして三曲目は青春時代。産まれてから今までを宇田部さんは歌にしていた。


特に変わった歌詞ではない。つまりはごくごく普通の人生。だけど、誰にでも当てはまる事だからこそ共感出来る部分は有り、特にどの曲にも現れる両親の存在は僕に懐かしさと切なさを与えてくれた。


両親に愛されて育ち、少年時代は両親の存在が自分にとっては大きく頼りになるものだったが、次第に疎ましくなり心配をかける。だけど成長するにしたがって両親の苦労が分かるようになり、迷惑をかけた事を反省。そして、親孝行をしようと考えるが照れ臭さがありなかなか実行できずに時間だけが過ぎて行く。


そんな中、恋人が出来て結婚をして子供が出来て……親孝行も出来ぬまま両親は他界。


僕は恋人も居ないし、結婚の予定も無いからそこらへんの感情はよくわからないが、こんな世界にならなければ僕にも訪れる未来だったのかもしれない。


そんな人生の曲を黙って聴いていると、宇田部さんは「それでは最後の曲になりましたが……どうぞお聞きください」と言って、曲名を口にした。


「“終わらない人生”」


 あとはしぬだけだったのに

 そのまえにみんなきえていった

 とりのこされたわしにあるのは

 ただのおもいでのみ

 るらら るらら

 みんなしんだ みんなしんだ


 まごにかこまれてしにたかったのに

 まごもむすこもばあさんも

 わしをのこしてしんでった

 らんらん らんららん ららららら

 みんなしんだ みんなしんだ


 のこされたわしはどうすればいいの

 おいてけぼりのおいぼれにみらいはあるの

 かなしいね かなしいね

 うぉううぉううぉううぉう

 みんなしんだ みんなしんだ

 うたうことしかできないおいぼれに

 みらいなんてない あしたなんてない


 ららんららんららんららん

 このよはむげんじごく じぶんからでていかなければ

 むげんにまいにちがくりかえされる

 ちきゅうのおわりまで くりかえされる

 ららら ららら ららららら

 いっそのこと しんでしまえばいい

 わしもみんなとおなじばしょへ いけばいい


 さぁとぼう

 いますぐとぼう

 みんなのところへとんでいこう


歌が唄い終わる頃。つまりは最後のフレーズに差し掛かった時に嫌な予感がした。直感とでも言うのだろうか?それを感じたから僕は自然と立ち上がり、腕を伸ばして宇田部さんの身体のどこかを掴もうとしていた。


そして、歌の終わりに宇田部さんは身体を後ろに倒してビルから飛び降りようとする。あと少しで落ちる。その時だ。僕の手が宇田部さんの胸倉を掴んだ。このまま手を放さなければ救える。だけど、宇田部さんの重さに自分も引っ張り落とされそうになり、僕は足の裏を縁の内側に引っかけて身体全体で宇田部さんを支えた。


そして宇田部さんを全力で引っ張り上げる。


身体を鍛えてこなかった僕にとっては非常にきつい。しかし、そんな事も言っていられないだろう。きっと明日は筋肉痛になるに違いない。


*****


「小さい頃から即興で歌を作るのが好きでしてな」


宇田部さんは床に座って僕に語る。僕はというと、疲れた身体を休めるために仰向けとなり全身で息をしていた。


「歌……ですか。もしかして今日聴かせてくれた歌も全部?」


僕の質問に宇田部さんはハイもイイエも言わない。


その代わりに「誰かに聴いてほしくてな」と口にした。


「だからここで歌い続けていた」


「いつからですか?」


「ん?」と宇田部さんは僕の方に顔を向けて「孫が出て行ってからじゃな」と悲しい表情をする。


僕はどんな言葉をかければ良いのかわからず、黙って宇田部さんが言葉を続けてくれるのを待った。


「昔は会場を借りてコンサートを開いたもんじゃ。それまでは路上で歌っておったんじゃがな、ちゃんと設備の整った場所で歌ってみたかったんじゃね。だけど、会場を借りたのに私の歌を聴きに来てくれたのはたったの一人。恥ずかしいやら情けないやら……」


そういえば、聴かせてくれた曲の中にそんなフレーズがあったような気がする。


「でも私は全力で歌った。そしたらそのたった一人のお客さんが、唄い終わって帰ろうとする私に声をかけてくれた」


なんとなく話の先が読める。


「それが先立った私の妻で……。どうやら路上で歌う私の歌を聴いて、私のファンになってくれてたようなんじゃ」


宇田部さんはその時の事を思い出して微笑む。


「あいつと付き合い始めた頃かな?私の理想の未来像がくっきりと見えた」


「未来像ですか?」


「あぁ。好きな歌を唄いながら人生を謳歌し、孫に囲まれて死ぬ事」


だけど、宇田部さんだけを残して皆この世界から出て行った……


「でも、どうしてこんな所で歌を?」


「んー?」


「宇田部さんもこの世界を出て行きたかったんですよね?歌なんて唄ってないで……」


その続きは言わないようにした。何となく冷たい言い方になりそうだからだ。


「どんな時にでも歌が作れてしまうもんでな。作った歌は誰かに聴いて貰いたくなるものじゃ」


という事は、歌を聴いて貰えてから飛び降りようと思っていたわけか。つまりは僕がそのスイッチを押してしまった。


「誰かが来るのを待っておった。誰も居ない世界。現れる事なんてもう無いと思っておったが、まさか私の歌に魅かれて来てくれる人がいるとはな」


そう言った宇田部さんは「ふふ」と笑った。「この出来事もまた歌にできそうじゃ」


そして宇田部さんは立ち上がり、屋上から見える静かな街を見下ろす。


僕は上半身を起こして宇田部さんに「新曲が出来たら、ぜひ聴かせてください」と言った。「今度は僕以外の人も連れてきますよ」


「ありがとう」


宇田部さんは僕の方に身体を向けて礼を言い、そして最後にそれを口にした。


「じゃあもう少し、この世界に残るとしようかの」


*****


「コンサート?」


僕はさっそくモノちゃんに宇田部さんの事を話した。リュウちゃんはコンサートって何だろう?とその意味を考えている。


「そう、コンサート。今度行こうよ」


コンサートと呼べるものかどうかよくわからないが、コンサートという事にしておこう。


「うーん……歌にはあまり興味ないけど」とモノちゃんは乗り気でない。しかし、「その宇田部って人の顔を描きたいから行こうかな」と微笑んだ。


モノちゃんが行ってくれる気になって良かった。


早く新曲が完成しないだろうか?


時間はたっぷりあるのだから、最高の歌に仕上げて欲しい。


誰もが感動するような、そんな歌に。

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