#5 服を編む人

ある日の昼過ぎ。僕は誰も居ない百貨店へと足を運んでいた。特に用事があったわけではないが百貨店には当然の事ながら色々な物が置いてあり、一時の退屈しのぎをする事が出来る。


せっかくだから新しい靴でも頂いていくかと思って歩を進めていると、手芸用品店の前を通った時に、店内から物音が聞こえた。僕はそちらにつま先を向けて、物音を目指して歩く。


店に入ると当たり前だが手芸用品が沢山揃えられており、男性である僕は入り難い雰囲気となっていた。僕は物音の正体を探して右へ左へ頭を振る。すると、女性の頭部を編物のコーナーから確認する事ができた。


僕はそのコーナー目指して足を進める。そして、そこにいる女性を見る事ができた。


そこに居たのは三十代後半ぐらいの女性で、お腹が大きく膨らんでいる。どこからどう見ても妊婦さんだ。しかも、もうすぐ産まれそうな膨らみ具合である。


「あの……」


僕の存在に気付いていなかった妊婦さんは、僕の呼びかけにビクつき顔をこちらに向けた。そして言う。


「あ!ご……ごめんなさい。盗みたかったわけじゃないんです。店員さんが居ないから……ほら、その証拠にお金ならレジに置いてあります」


僕はレジに目をやった。確かにお金が置かれている。この世界じゃ何の役にも立たない物だ。


「いや、気にしないでください。だって、もうこんな状況ですし、盗んでも誰も文句は言いませんよ。それに僕だって、たまに服とか頂いてますし」


それを聞いた妊婦さんは、「そうなんだ」とホッとした表情を見せる。「てっきり怒られるのかと……」


それはさて置き、「大きいお腹ですね」と僕は話題を変えた。


「はい。不妊治療の末に授かったんです」


初めにそう口にした妊婦さんは、俯き加減に続きを吐きだした。


「明日産まれるって時に、生物の時間が止まりました」


明日と言うが、そういう予定だったという意味だろう。不思議なものだ。妊婦さんのお腹にはもう一つの命が宿っている。あとは産まれるだけで完成するはずだったのに、生物の時間が止まったせいでそれも叶わない。


「それで、こんな所で何を?」


僕がそう尋ねると、妊婦さんは「服を……」と答えてくれた。


「服?」


「はい、服を編んでまして、その道具とかをここから調達してるんです」


「服かぁ。え?でも誰の服を?」


その質問に、妊婦さんはお腹をさする。子供の服か。産まれていないのに?


「時間が止まる前からやっていた事です」


妊婦さんは喋りながら道具を袋に詰めて行く。赤や青の糸を選んでいた。


「私、子供が出来難い身体だったから楽しみだったんですよ。だから本当に子供が出来た時は嬉しかった……これで夢が叶うって思いました」


「夢?」


「自分の編んだ服を子供に着せるんです。年齢に合わせた服を今から作って行こうって……それで、服を編み続けているんです。時間が止まった今も、変わらずに」


時間が止まってしまったせいで、妊婦さんの夢は叶わなかったのか……


「家に見に来ますか?色んな服がありますよ」


不意の誘いを受けて、僕は返事に詰まった。


「いいんですか?」


旦那さんとかいないのだろうか?と思っていると、妊婦さんは僕の気持ちを察したのか、「いいですよ。家には誰も居ないですから……」と言った。「皆、この世界から出て行きました」


どこも同じか。だいたいの人がこの世界から出て行く。残された人は退屈しのぎに何かを繰り返す。


僕は「じゃあ、お邪魔しようかな」と言って、妊婦さんと店を出た。


*****


妊婦さんの家は住宅街の片隅に建つ一軒家だった。大きくはないが、小さくもない。ベランダには子供服が干されている。いや、もしかしたら飾っているのかもしれない。自分には子供が居ますよとアピールしているのかもしれない。


「どうぞ」と妊婦さんは僕を中へ案内する。中へ入って思い出したが、表札を見るのを忘れた。いつまでも妊婦さんじゃだめだろう。名前を聞かなければ。


モノちゃんは名前なんて何でもいいと言うけれど、決まっているならそれを使ったほうが良い。皆が皆違う呼び方をしていたら混乱するだけだ。


だから僕は「あの、名前はなんていうんですか?」と妊婦さんに尋ねた。


すると、妊婦さんは「トキオ」と答える。


男性みたいな名前だなと思っていると、「女の子ならトキネ」と続けた。


あぁ、子供の名前か。僕が知りたかったのは妊婦さん自身の名前なのだが……


「えっと、子供の名前じゃなくて……」


僕が妊婦さん自身の名前を聞こうとしたら、「着きましたよ」と妊婦さんはある部屋の前で止まった。「この中に、私の作品があります」


妊婦さんはドアノブに手をかけてカチャリと回した。そして、ギギ……と扉を開ける。


部屋に入る前に、フライング気味に中の様子を確認する。すると、壁一面に手作りの服が並べられているのがわかった。


僕はワクワクしながら部屋の中へ右足を踏み入れる。そして、改めて服を見渡した。


幼稚園児ぐらいの子が着れるような服がズラリと飾られている。男の子用と女の子用に分けられていて、几帳面な人だなという印象を僕は受けた。


「そういえば……」と妊婦さんは僕を見る。「さっき、何か言いかけてませんでした?」


「あぁ。貴女の名前は何ていうんですか?」


「私ですか?私はトキコです」


「トキコさんか。ありがとうございます」


「子供には……」トキコさんは部屋のクローゼットを開けながら言葉を続けた。「自分の名前の一部を付けたかったんです。だからトキオかトキネにしようって決めていました」


「性別はわかってなかったんですか?」


僕はクローゼットに納められている服を見ながら質問をした。今の時代、お腹に居る時からそういうのを確認するのは容易だろう。


「産まれてくるまでのお楽しみにしようかと思ってました。だから、そういうのはお医者さんにお願いして秘密にしてもらいました」


でも、こんな世界となり永遠の秘密となってしまったわけか。


「これなんて、どうですか?」


トキコさんは服を引っ張り出して僕の目の前に広げた。


手作り感満載のその服にどういった感想を述べればいいのか迷う。下手ではないが、特別上手いわけでもない。服のデザインもシンプルでセンスがあるかと言われれば「うーん……」という感じだ。


「うーん?」


どうやら言葉に出ていたらしい。


「いえ、味があって良いと思いますよ」


「ありがとうございます。でも分かってるんですよ。センス無いなぁって」


それでもトキコさんは子供のためを思って編み続けているというのか。子供に着せるという事よりも、子供のために編んでいる事が楽しいのだろう。それを着てもらえれば尚更嬉しいし、着てもらえなくても別にいい。この服の量はきっと、トキコさんの子供に対する愛情の量なのだ。


その時、目の前の服を見てある疑問が過る。


「この服、小学生が着れそうな大きさですね。どこまで作っているんですか?」


「どこまで?」


「年齢です。何歳までの服を?」


「あぁ、今のところ……そうですね」


トキコさんは暫く考えたあとに答えた。


「50歳ぐらいまで?」


50歳?もう大人ではないか。そんな年齢までの服を編んでいるというのか?


「90まで生きるとして……あと40年分は編まないと」


トキコさんはそう言い、服をクローゼットにしまう。そして、クローゼットを閉じた。


「どうして、そんな年齢までの服を?」


僕は疑問に思った事をそのまま口にした。すると、トキコさんはお腹をさすりながら答える。


「なかなか産まれてくれないからですよ。わかってるんです。そんな年齢まで作るのは異常だって。でも、もう子供の服を作り終えて作る服が無くなった時に、私は何をしたらいいのだろう?って……だから大人の服も編むようになったんです」


トキコさんもきっと退屈なのだ。だから、何か目的を持って行動していないとこの世界から出て行きたくなるのだろう。わざわざ聞く事でもないから他の家族がどうなったのかは聞かないが、きっと先に逝ってしまったのかもしれない。


「じゃあ、一生分の服を編み終えたら……トキコさんはどうするのですか?」


僕のその質問に、トキコさんは「編み終えたら……」と呟き「どうすればいいのかな……」と目を潤ませる。


そしてお腹に両手を当てて、中にいる子供に語りかけた。


「お願いだから早く出てきてよ。いい加減にしないと、引っ張り出すよ?」


その言葉に僕は寒気を覚えた。文字通り引っ張り出す姿を想像したからだ。でも、あとは産まれるだけの胎児を外に出したらいったいどうなるのだろうか?


そこにはちゃんと命が宿っているのだろうか?それとも命の宿らない物として産まれてくるのだろうか?どちらにせよ、止まった時間を無理矢理動かすのは良くない気がする。


「お母さん、せっかくあなたのために服を編んでるんだから……お願いよ……」


僕が黙り込んでいると、トキコさんはそう言った。トキコさんはきっと、自分の行為が無駄になるのを恐れているのかもしれない。そこで僕は、「知り合いに幼稚園児がいます」と言葉を発した。


「リュウちゃんという子で、最近知り合った男の子です」


トキコさんは僕の方に目を向けて、僕の言葉を聞き続ける。


「その子にトキコさんの編んだ服を着てもらってはどうでしょうか?僕もトキコさんの服を着ます。知り合いの女性にも着てもらいましょう」


モノちゃんが着てくれるかどうかは不明だが、良い案のような気がする。


「気を遣って頂き有難うございます」


トキコさんは困った笑顔を見せてそう言った。


「でも、この子に着てもらわないと意味が無いんです」


僕の案を却下されて、少し残念に思う。そんな僕の気持ちを察したのか、トキコさんは再びクローゼットを開けて服を探しだした。


そして、僕が着れそうな服を引っ張り出し、「これなんかどうでしょう?」と訊ねてくる。


チェック柄のシンプルな服だ。


「これを僕に?」


「遠慮なんてしないでください」


遠慮なんてしていないが、子供に着てもらわないと意味がないのでは?


戸惑う僕に、トキコさんは笑顔で言葉を続ける。


「せっかく作ってあげたのに、この子ったら着ようとしないんです。仕方の無い子です。この子のお下がりだと思ってもらえれば……」


「お下がり?」


そうか、お下がりか。


「ありがとうございます。大事にします」


僕が感謝の言葉を述べると、トキコさんは「他にも色々とあるんで」と口にした。「必要な方が居ましたら、お下がりですが差し上げますよ」



それからトキコさんと少し雑談をしたあと、僕はトキコさんの家を出て行く事にした。すると、家を背にして歩きだそうとする僕に、トキコさんは「安心してください」と言う。


「引っ張り出すなんて乱暴な真似、私にはできません。だって、悩んで苦しんで、ようやく出来た子供ですから」


そうか。それなら良かった。


僕はトキコさんに笑顔を向けて、手を振った。


*****


「何?その服?趣向変わった?」


リュウちゃんの様子を見にモノちゃんのアパートに行くと、モノちゃんは僕の服を見るなりそう言った。何か馬鹿にされているが気にしない。


「お下がりだよ。知り合いに貰ったんだ」


「ふーん」と言ったモノちゃんの後ろから、「お兄ちゃん!」という声が聞こえてリュウちゃんが駆け寄ってくる。


僕はリュウちゃんの頭を撫でて、「リュウちゃんも、お下がりだけど服を貰いに行く?」と言う。


するとリュウちゃんは「行くーー!」と即答した。


これで断られたらどうしようかと思ったが、良かった。


きっとトキコさんも、喜んでくれる。

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