#2 穴を掘る人

車一台しか通れないような住宅街の狭い道を歩いていると、ザクザクという音がどこからか聞こえて来た。


家からここまで人に出会う事も無く退屈だなぁと思っていた矢先の人の気配に、僕の心は躍った。


とりあえず耳をすませて音の発信場所を探してみる。


どうやら、目の前にある一軒家の庭から聞こえているようだ。


僕は家の庭の方に周りこんで、塀越しに庭を覗いてみた。すると、そこにはメガネをかけて、スーツ姿の男性が一心不乱にシャベルで穴を掘っていた。


「何してるんですか?」


僕が躊躇なく声をかけると、男性は手を止めて僕の方を見る。


「見てわからんか?」


「すいません、わかります」


穴を掘っているのだ。でも、僕が聞きたかったのはそこじゃない。


「どうして穴を掘ってるんですか?」


「モグラだからだよ」


「は?」


「いや」と言った男性はクスクスと笑い、「冗談だ」と口角を上げる。


「なんだ、冗談か」


「穴を掘る理由なんて、一つしか無いだろ」


僕は顎に手を当てて考える。まぁ、何かを埋めるため……それしかないか、と僕が答えを思い浮かべていると、男性はニヤけながら言葉を放った。


「地球の中心を目指しているのさ」


地球の中心?さてはこれも冗談だなと思っていると、男性は僕の目を真っ直ぐに見つめて言い放つ。


「本気だよ」


返す言葉が思い浮かばない。だから、とりあえず僕は「へぇ、凄いですね」と微笑する。


「信じてないだろ?」


信じる信じない云々、不可能だろと僕は思った。


その思考を悟ったのか、男性は「まぁいいさ」と作業に戻る。


ザクザクザク


シャベルの先っぽを地面に刺して、足の裏で地面の奥までシャベルを埋める。そして掬いあげて土を横に盛る。それの繰り返し。

少しずつではあるけれど、穴が深くなっていくのが見てわかる。


僕はその姿を無言で眺め続けた。すると、男性はシャベルを地面に置き、腰をくねらせて僕に目をやる。


「なんだ。まだ居たのか」


「すいません。特にやる事も無いので」


「ふふっ」と笑った男性は、「そんな所で見てても疲れるだけだろ?こっちに来な」と見ず知らずの僕に対して優しさを見せた。


しかし僕は、「いえ、大丈夫です」と遠慮する。


「遠慮なんてする必要ないだろ。だいたい、そんな所で見られてたんじゃ、気が散る」


「すいません」


気が散るなら仕方ないか……と、僕は玄関の方へと歩き、敷地内に入る。そして、庭を目指した。


庭に到着すると、男性は縁側に座り一服をしていた。煙草をふかしている。


「食べる物も無いし、これぐらいしか楽しみはねぇよな」


と男性は鼻から煙を出す。そして、火のついていない煙草を僕の方に向けて、「お前も吸うか?」という表情をしてきた。


「いえ、僕は結構です。吸えません」


「あ、そうなの?そりゃ人生損してるぜ」


煙草を吸えないぐらいで損する人生とは何だろう?


「まぁいいか」と男性は、火の点いている煙草を手に持ち、その赤く燃えている部分を見て言葉を続ける。「この煙草、いつから吸ってるんだっけな」


その言葉の意味を理解するのに、少しばかり時間が掛かった。


「あぁそうか。燃やしても、短くならないんですね」


「そうそう。無限に吸える。でも、いったい何が燃えているんだろうな」


僕は首を左右に振った。考えてもわからない。

その煙草も、元は命あるものだった。生物とは何も動物だけじゃない。植物だってそうだ。彼らも生きている。


それから暫く沈黙が続き、僕は沈黙を破るために男性に尋ねた。


「一人で住んでるんですか?」


男性はその質問を聞いて、「んーー……」と喉の奥で声を発し、「さて、モグラに戻るか」と、無回答でシャベルを持った。


答えなんて聞く必要は無かった。誰かと一緒にいる人間が、昼間っから地球の中心を目指すわけないだろう。


*****


ザクザクザク


僕が縁側に座り眺め続ける中、男性は必死に穴を掘っていた。


最初に見た時は、膝の下辺りまでしか穴の深さは無かったが、今は腰の下辺りまの深さになっている。


それにしても、一人でよくここまで掘れたなと感心していると、男性は「なぁ」と僕に声をかけてきた。


「地球の中心て、どうなってるんだろうな」


どうなっているのだろう?本とかに載っている断面図とかだと、マグマが詰まっているイメージだ。


「きっと、凄く熱いと思いますよ」


「熱いか……」


男性は穴の中から空を見上げて息を吐いた。


「そこに行けば、煙草も燃え終わるのかな」


言葉の意味がわからないが、とりあえず「終わりますよ」と返事をしておく。「きっと」と付け加えて。


それからも、暫く男性は穴を掘り続けた。体力が無くなってきたからだろうか?掘り進めるスピードは落ちて、まだ腰の上辺りだ。


このペースじゃ、中心に達するまで何年かかるだろう?

だけど、やる気が有れば何年掛かったって良い。だって、僕らは退屈だから。何年だって掘り続ける事は出来るだろう。


僕がそんな事を考えていると、男性は地面に手をかけて穴から出て来た。


「そろそろ暗くなるな」


言われて気付いたが、御日様は山の向こう側に沈もうとしていた。


「今日はここまでだ。また明日にしよう」


明日か。きっと、この男性はこれから毎日穴を掘り続けるのだろうな。


「じゃあ、僕はこの辺で……」と、僕は地面に足をつき立ち上がった。すると、男性は自分の家を見上げて言う。


「立派な家だろ」


僕も改めて家を見る。二階建てで、比較的綺麗な家だ。


「この家を買うのに、凄い勇気が要ったんだぜ」


そうだろうなと思う。


「ローン組んでさ……安月給なのに頑張って働いて、毎日ヘトヘトで……」


山の向こう側に太陽が殆ど沈んだ。

男性は太陽を背にしているものだから、男性の姿は影となり彼の表情を見る事が出来ない。


「でも、“ただいま”の声で、全ての疲れが吹き飛んだ」


男性は震える手で煙草に火を点けた。

その灯りで男性の表情を見る事が出来るかと思ったが、何せ一瞬だったもんで、よくわからない。


「地球の中心まで行けたなら、俺は……」


俺は?


男性はその続きを言葉にせず、「ふふ」と笑う。


「煙草は美味しいな。でも、消えない煙草程、厄介なものはないがな」


どういう意味だろうか?よくわからないが僕は、「お邪魔しました」と男性に言って、その場から去った。男性は僕に軽く手を振り見送ってくれた。


*****


それから数ヶ月間、僕は男性の穴を掘る庭を見続けた。


もうとっくに彼の姿は見えない。どうやら色々と工夫して、掬った土を穴の外に出しながら掘り進めているようだ。


今はどの辺だろうか?


ザクザクザクという音だけが、住宅街に響いている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る