第九話・紅蓮の愛で。
犬居誠人はある女性に片想いをしている。
彼女は芸術大学に通う芸術家の卵で、前衛的な作品を日々生み出していた。
彼女を知ったのはふらりと入った学生の展示会。髪を赤く染めたその女性に一目惚れし、SNSアカウントをチェックするようになって以来、犬居はすっかり彼女のファンと化していた。
彼女が気に入った映画や小説、漫画をすべてチェックし、感銘を受けたミュージシャンなど、アーティストに関する勉強も欠かさない。
色彩の暴力といった印象を見るものに与える抽象画、何かの動物をかたどったと思われるオブジェ。彼女の作品であるそれらが飾られ、彼女の好きな音楽のかかった部屋で、犬居は至福の笑みを浮かべていた。
ある日、どうにもやる気が出ず有給休暇を使った犬居は、やることもないので彼女の通う大学の近くをうろついていた。すると、運良く意中の相手が友人と歩いているのを見つけることができたのだった。
耳に入れていたイヤフォンを外し、会話に耳を澄ましながら後をつけていく。
「こないだのアレだけどさー、うん、自殺。やばいよね」
どうやら二人の芸大生は、最近報道された焼身自殺のニュースを話題にしているようだ。
「苦しいよねあんなの絶対。すぐには死ねないし」
顔をしかめて言う友人に、赤い髪の彼女はこう答えた。
「だよね。でもインパクトはあるし、なんかメッセージ伝えたい人がよくやるっぽい?」
そのまま二人は大学の門をくぐって中に入っていく。
犬居は久しぶりの彼女の声に酔いしれたまま、ひとりこう呟いた。
「僕、死ぬなら焼身自殺にしようかなあ」
数週間後、すでに日課となっているSNSのチェックをしていた犬居の目に、ある画像が映った。
「う、嘘だろ」
画面にはカップルと思われる仲睦まじい様子の男女の写真。顔には修正が施してあったが、あきらかに女性の方は赤い髪の彼女だ。
『大学同じのKくんと。実は私たち付き合ってました! リア友の人は割と知ってたよね?』
茫然と立ち尽くす犬居。
スマートフォンが手から滑り落ち、固い床に叩きつけられる音が響いた。
それから、さらに三日が経ち。
とある芸術大学の門の前。眼鏡をかけた男性と腕を組んで歩く赤い髪の女性がいた。
「付き合ってるって堂々と言っちゃったねー」
「別にいいんじゃね?」
楽しげに歩く二人の前に、突然スーツの男が立ち塞がった。
「え、何」
赤い髪の女性の目が見開かれる。黒いスーツの男が、持っているトートバッグから二リットルのペットボトルを二本、取り出したのだ。
トートバッグは彼女が過去に販売した作品で、布製のバッグに様々な色の模様が描かれているものだった。
「あ、私の絵!」
ファンの方ですか、と喜んだのも束の間、男が自分の体にペットボトルの中の液体をかけ始めたのを見て、女性は小さく悲鳴を上げた。
「ガソリン……?」
匂いに気づいた女性が恐怖の色を露わにする。男性が女性の肩を掴んで、スーツの男から距離を取った。
そんな二人を見て、男??犬居は悲しげな顔をする。
だが、次の瞬間。
犬居の手のライターが擦られ、火柱が上がった。たちまち犬居の身体は炎に包まれる。
その服が、肉が焼け、焦げるような異臭が漂いだし、人々はそれを見て逃げ出したり、遠巻きにスマートフォンのカメラを構えたりしていた。
その炎の中、想像を絶するような苦痛の中で、よろめきながらも犬居は立っている。
「僕は君を愛してました! 僕は君が、ずっと、大好きだったんです!」
熱傷を起こしたその喉で、犬居はずっと叫び続けていた。
「どうか! どうかそれだけ、それだけ覚えていてください!」
女性は目を真ん丸に見開いてそれを見ていたが、やがて犬居に近づこうとふらり、足を踏み出した。
眼鏡の男性が慌てて、それを後ろから抱きしめるようにして止める。
「ダメだ」
「…………」
あまりの激痛と熱さに耐え切れなくなり、崩れ落ちた犬居に、女性はそれ以上近づこうとはしなかった。
警察と消防、救急車が到着したとき、犬居の衣服を燃やし尽くした炎は消えていた。しかし犬居の皮膚はほとんどが焦げており、救急隊員は助かる見込みはないだろうと首を振った。
その晩、大学の門の前で焼身自殺を図り死亡した男のニュースが報道されるのを、自宅のテレビで見ている赤い髪の女性がいた。
その手には、現場からこっそり拾って持ち帰った、トートバッグの焼け残りが握りしめられていた。
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