第二話 みんなで楽しく銭湯へ バナナは入湯料対象に入りません

次の朝、七時十五分頃。

「颯太くーん、朝だよーっ!」

 紗菜々は、今朝はタンバリンをジャラジャラ鳴らして颯太を起こしてあげた。

(あのこと、母さんに絶対何か言われるだろうな)

 颯太は雨の天気も相まってか、あまりすっきりとしない目覚めでキッチンへと向かっていく。今朝は、果鈴は自分ちでトイレを済ませてくれたようだ。

「颯太、今日の雨は九時頃には止むみたいよ」

「あっ、そう。惜しいな。あと一時間早く止んでくれたら傘いらないのに」

 昨晩の件について母は一切触れて来なかったものの、颯太は朝食中なんとも気まずい気分であった。

「あら颯太、今日はキウイとりんごもちゃんと食べたのね」

「まあ、食べなきゃなって思って」

「えらいわ颯太、さくらんぼもきれいに食べてるし。〟大人〝になったわね」

 母はそう言ってフフフッと薄ら笑う。

(母さん、大人を強調するなよ)

 颯太は食事を終えるとそそくさ洗面所へ逃げ、歯磨きと洗顔を済ませる。

 七時四八分頃、いつもより少し早めに三姉妹が迎えに来たが、颯太はすぐに玄関先へ向かうことが出来た。

「あたしは雨の日も大好き♪」

 果鈴は四人の中で一番大きな傘を差し、小学生らしく黄色い長靴を履いて歩く。

 他の三人はいつもと同じ靴だ。

「果鈴、念を押して言うけどあのソースのことは、学校のお友達にもナイショよ」

「はーい、絶対言わなーい」

いつもの場所で果鈴と琴葉と別れ、残りの道を颯太と紗菜々、二人きりで歩き進む。

「昨日紗菜々ちゃんから貰ったいよかん、人間の女の子の姿にもなることが出来てたよ」

「まだ変身出来たんだ。小緑先生は本当にすごい発明家だね。私も見たかったな」

「情が移ってますます食いづらくなったけどね。こんな大雨でも春雄はやっぱりマムド寄ったみたいだ。メールで連絡来た。ご丁寧に写真付きで。これ見て」

「すごい迫力、アメリカンサイズだね。春ちゃんのお体が心配だな」

「これは食べ物を粗末にしてるよな」

 昨日とほぼ同じ時刻に教室に到着。

「おはよう颯太、新作バーガーめっちゃ美味かったぜ。思わずもう一つ注文して食った」

「春雄、あれ一個でも余裕で二千キロカロリー以上はあるだろ」

 今日は先に来ていて大満足げな様子の春雄を眺め、颯太はほとほと呆れ果てた。

 朝のSHR終了後、紗菜々が伝えに行く前に、

「夏川さん、あのソース、妹さんに効き目あったかな?」

 小緑先生の方から近寄って来て問いかけられた。

「はい、ばっちりでしたよ」

 紗菜々がにこやかな表情で答えると、

「それは良かったわ」

 小緑先生は嬉しそうに満足そうに微笑む。

「小緑先生、あのソース、すごい仕掛けですね。お野菜や果物にかけたら、目と口がついてしゃべり出したから」

 紗菜々が続けてこう伝えると、

「えっ!!」

 小緑先生はきょとんとなる。

「あれ? 小緑先生。娘さんに与えたやつはそんな現象が起きませんでした?」

 紗菜々もきょとんとなった。

「あの、夏川さん。野菜や果物がしゃべるなんて、ありえないと思うんだけど」

 小緑先生はそう主張して、にこっと微笑んだ。

「えっ……あの、小緑先生。本当だったんです。今日持って来てるので、放課後にでも証拠を見せますから」

 紗菜々は焦り気味にお願いする。

「先生、今日は午後から出張だから、一時前には学校を出なきゃいけないの」

「そういえば、昨日言ってましたね。じゃあお昼休みに」

「それなら、かまわないわ」

(夏川さん、本当のこと言ってるように思えるけど、茉桜(まお)に試した時はそんなこと一切起こらなかったわ)

 小緑先生は半信半疑な心持ちで次の授業があるクラスへ向かっていった。

 ※

お昼休み、紗菜々と颯太と優実乃、そして小緑先生は調理実習室に集う。

「小緑先生、よーく見てて下さいね」

 優実乃がそこの冷蔵庫からりんごを一個取り出した。

「それじゃ、かけるよ」

 紗菜々は例のソースのボトルを開け、りんごに数滴たらしてみた。

 すると、

「あれ?」

 特別なことは、何も起こらなかった。

 ごく普通にりんごがソースでべとついただけだった。

「気のせいだったんじゃないの?」

 小緑先生はにこっと微笑む。

「私確かに見たんですよ」

「わたしもです」

「俺も。他のでも試してみよう」

 颯太はにんじん、なすび、じゃがいも、梨、レモンなどにもかけてみる。

 それらについても特別な変化はなかった。

「やっぱり気のせいだったんじゃないの?」

 小緑先生はフフフッと笑った。

「温度や湿度、かけた量の条件が違うから反応しなかったのかも」

「それもあるね」

「俺もそんな気がして来た」

 一生懸命考察する三人を見て、

「一応、信じてあげるから」

 小緑先生は軽く苦笑いながら伝えた。

「一応じゃなく、完全に信じて欲しいです」

 紗菜々は困惑顔でお願いする。

「あの、先生もう出なきゃいけないから。あなた達ももうすぐ昼休み終わるわよ」

 小緑先生も困惑顔を浮かべ、壁設置の時計をちらっと見て伝えた。

「あっ、本当だ。もう一二時五〇分過ぎてる。次体育だから急がなきゃ。それじゃ小緑先生、また明日」

「小緑先生、失礼致しました」

「失礼しました」

 三人はそそくさ調理実習室をあとにし、

「優実乃ちゃんの推測が正しいとすると、昨日の出来事は奇跡的だったみたいだね」

「そうね。もう二度と起こらないかも」

「それは寂しいな。昨日意思を持たせたお野菜と果物、食べずに置いとけばよかったよ」

「俺は、夢だったような気もして来た」

腑に落ちない様子で廊下を早足で歩き進んでいった。

(あの子達が言ってたこと、本当のようだけど実物を見ないことにはね)

 小緑先生も非常に気になった様子で調理実習室をあとにしたのであった。

      ※

 五時限目、晴れてグラウンドもわりと乾いて来たため、男女とも外で行われた体育の授業終了後。

「春雄、これ全部飲む気かよ?」

「もちろん。のど乾いたし。二リットルのを一気に飲むのが爽快なのに、売ってないのは残念だぜ」

「春雄君、近い将来2型糖尿病確実ですね。すでになってるかもしれませんが」

 校内の自販機で五百ミリリットルペットボトルのコーラを四本も買った春雄の姿を眺め、颯太と秀道は呆れ返るともに心配もしてあげる。

 同じ頃、優実乃と紗菜々は下駄箱最寄りの女子トイレへ向かっていた。

「紗菜々さん、千メートル走の記録、去年よりけっこう縮んでたけど、何かトレーニングした?」

「いやいや全然。私のタイムが縮んだのはバナナくんのおかげだよ。お腹の調子もすごく良くて、ゴールまであまり疲れずに気持ちよく走れたよ」

「そっか。あのソースには体調を整える効果もあるみたいね」

「きっとそうだね。今までバナナ食べたくらいじゃ便秘解消しなかったもん。あのソースがかかったバナナはやっぱ特別だよ」

辿り着くと二人とも同じようなタイミングで個室に入り、ジャージズボンとショーツをいっしょに脱ぎ下ろして、

「んっしょ」

紗菜々は和式便器にしゃがみ込み、

「ふぅ」

優実乃は洋式便座にちょこんと腰掛けた。

それから一分半ほどのち、

紗菜々が用を足し終え、水を流すレバーに手を触れようとしたら、

「やっと外に出られるよー」

 便器の中からこんな声が聞こえて来た。

「この声は――」

 紗菜々が勘付いたのとほぼ同じタイミングで、

「あっ! 紗菜々ちゃんだぁ! 約十六時間振りだね」

 声の主はひょっこり黄色いお顔を出した。

「やっぱりバナナくんだぁ! 生きてたんだっ!」

 紗菜々は驚くと共にとっても喜ぶ。

「下水を通って汚物まみれになりながらも、なんとか抜け出せたよ。たまたま出て来た所で紗菜々ちゃんと出会えるなんて、運命だね。昨日は失礼なこと訊いてごめんね」

 バナナくんは疲れ切った様子でそう言いながら全身を出し、便器をよじ登った。

「ううん、バナナくんを殺そうとした私の方が悪いよ。バナナくん、洗面所できれいに洗ってあげるね」

 紗菜々は中腰になり、床にいるバナナくんを素手でそっとつかみ上げた。

「ありがとう紗菜々ちゃん、汚いボクなんかのために」

 バナナくんはとっても喜んでくれているようだ。うるっと両目に涙も浮かぶ。

「バナナくんは全然汚くないよ。汚いのはバナナくんについた私のおしっこと下水だよ」

 紗菜々が水を流し、個室から出たのと、

「紗菜々さん、バナナさんと奇跡の再会が出来たみたいね」

 ほぼ同じタイミングで優実乃も出てくる。

「うん、すごく嬉しいよ」

「ボクもさ」

「それじゃバナナくん、きれいにするね」

 紗菜々は洗面所に移動すると、バナナくんの皮全体裏側も含めてオレンジの香りの液体石鹸でやさしくこすって洗い流してあげた。

「ありがとう紗菜々ちゃん」

 バナナくん、奇跡の復活である。

紗菜々は自分の手も同じ石鹸できれいに洗った。

「下水のにおいもすっかり消えたね」

 そのあとバナナくんをハンカチで拭きつつ鼻を近づけて喜んでいると、

「さななっち、かわいいぬいぐるみ持ってるね」

 同じクラスの子に話しかけられた。

「うん、汚れちゃったから洗ったの」

「そうなんだ。このバナナ、すっごいかわいい♪ 肌触りめっちゃリアル。うちも欲しい。どこに売ってたの? ヴィレッジ○ァンガード?」

「えっと、お母さんが買って帰ったから、よく分からないの。ごめんね」

 その子にバナナくんをぷにぷに触られ興奮気味に問いかけられ、紗菜々は少し悩んだのちこう答えておいた。

「そっか。それじゃ自分で探そう」

 ちょっぴり残念がってるその子を見送って、優実乃と紗菜々、そしてバナナくんはトイレから出て行った。

「バナナくんは、鞄にしまっておこうかな? でもそれだと真っ暗になっちゃうしかわいそう」

「ボク、鞄の中でもべつに構わないよ。むしろその方が落ち着くよ」

「そう? それじゃ、そうするね」

「小緑先生、出張でいなくなったのが惜しいわね」

「うん、すぐに証拠見せに行けてたもんね。明日この子を小緑先生に見せに行くよ」

「ねえねえ、紗菜々ちゃんと優実乃ちゃんは、学校でうんちをしたことはあるのかな?」

「私は一度もないよ。さすがに恥ずかしくて出来ないよ」

「わたしもないなぁ。学校にいる時に便意を催すことはたまにあるけど、おウチまで我慢しちゃうなぁ。ねっちょり系で切れが悪いのが出ちゃうと、お尻にこびり付くから拭き取るのに時間かかっちゃって、休み時間中に済ませられないし」

「分かる、分かる。しぶとい時あるよね」

「学校でうんちをするのが恥ずかしいことだなんて、悲しい話だよ。臭‘sとか、あぁくさぁなんかのユニット名で、学校でうんちをするアイドル、スクールうんちアイドルを結成して、『君のうんちは輝いてるかい?』とかってタイトルの歌を歌ったり、ぷりっ♪ とか、プシューとかのおならの音や、うんちの色や形の美しさを競うラぶりぶりライブなんてのを開催したら、学校でうんちブームが起きるはずだよ。トイレの個室は誰もが臭いリウムチェンジして、テンションマックス・リラックス・ナチュラルな気分でうんちを出せて、紙アイドルを目指せるぶりパラ空間なのに。みーんなともだうんち💩 なんだよ」

「バナナくん、笑顔で楽しそうにそんなお話してとってもお下品だよ。それに、さっきのはデリカシーのない質問だから、女の子に質問するのは失礼なことだよ」

「ごめんなさーい」

「あの、前から男の子達が近づいて来てるから、バナナくん、しーっだよ。これから学校終わるまでずっとね」

「はーい」

こんな会話を弾ませながら廊下を歩き進み、女子更衣室へ。

女子生徒達のキャイキャイ騒ぎ回る声が聞こえる中、

(ここにいる子達の中で、男の子のバナナを入れた経験のある子はどれくらいいるのかな?)

紗菜々の鞄に入れられたバナナくんは、無邪気な表情でこんないやらしいことを考えていたのだった。

そんなことには気づかない紗菜々と優実乃が制服に着替えて一年三組の教室に戻ったあと、

「颯太くん、見て。バナナくんと奇跡の再会が出来たよ」

紗菜々は颯太にこっそり見せに行った。

バナナくんは鞄の中から、紗菜々の命令により声は出さずに颯太に向かってパチッとウィンクした。

「ちっちゃい子ども受けしそうな可愛らしさがあるな」

 颯太は昨日の出来事はやはり現実だったんだなと確信したようだ。

 次の六時限目、化学の授業中。

「ェッチレン!」

 と紗菜々の鞄の中にいたバナナくんがくしゃみをしたため、

「ん? 何かな? 今の声」

教科担任の亀卦川先生や、一部のクラスメート達にちょっぴり不審に思われたがばれることなく次の七時限目までの授業を終えることが出来、無事解散。

紗菜々は優実乃といっしょに帰ることに。

昇降口から外へ出ると、バナナくんを鞄から出してあげた。

「紗菜々ちゃん、鞄の中エチレン臭くしてごめんね」

「いやいや、全然気にならないよ。私この香り好きだもん」

「バナナさん、見てるだけで癒されるわ」

「私もー。バナナくんをこのままペットにしたいよ」

「そう言ってもらえてボクとっても嬉しいよ。ボクは果物だからエサはいらないよ。むしろボクがエサだよ」

「そっか」

「バナナさん、ユーモアのあること言うわね」

まもなく校門から出ようという所で、

ブワァッと突風が――。

「うわぁっ」

 バナナくんは紗菜々の肩から飛ばされ、すっかり葉桜になった木の下のまだ乾き切ってない地面にベチャッとついてしまった。

「バナナさん泥まみれになっちゃったね」

「ごめんねバナナくん、また汚しちゃって。痛くない?」

 紗菜々はバナナくんを拾い上げ、ついた泥をはたいてあげる。

「平気さ。ありがとう紗菜々ちゃん」

 バナナくんは照れくさそうに礼を言った。

「バナナくんを洗ってくるよ」

 紗菜々がグラウンド隅の手洗い場へ向かおうとしたら、

「あの、紗菜々ちゃん、ボク、水で洗われるのも心地いいけど、銭湯で広い湯船にも浸かってみたいなぁ」

 バナナくんはもじもじしながらこんなことをお願いして来た。

「銭湯かぁ。もちろんいいよ。これからバナナくんを銭湯に連れてってあげよう」

 紗菜々は快く引き受けてあげる。

「嬉しいなぁ♪」

 バナナはにっこり微笑んでくれた。

「わたしも付き合うわ。久しく行ってないから」

 優実乃も参加意欲満々なようだ。

「それがいいよ。あっ、でもバナナくん、茹でずにそのまま食べる果物だけど、お湯に浸かっても大丈夫かな?」

「うん! 全く問題ないよ。一七〇℃の油で揚げられたって平気さ」

「そっか。さすが熱帯育ちの果物なだけはあるね。優実乃ちゃん、駅前のスパ銭でいいかな? ここから一番近いし」

「いや、ちょっと遠いけど熊乃湯さんにしましょう。スパ銭の方が楽しいけど、お客さんが大勢いてバナナさんを隠しづらいだろうから」

「それもそうだね。じゃ、そっちにしよう。そういえば熊乃湯さんって、小学校の時以来行ってないな。琴葉と果鈴も誘おうっと」

 紗菜々はさっそくその二人にラインでメッセージを送った。

 三〇秒足らずで返答がくる。

「琴葉も果鈴も行くって。よかった♪ いったん帰るのも面倒くさいから、直接行こっか?」

「そうね」

     ※

 夕方五時頃。

三姉妹と優実乃は夏川宅から二キロほど先にある昔ながらの銭湯、熊乃湯を訪れた。

「えっ! あの現象が起きなかったの?」

「紗菜々お姉さんの担任も、あんなファンタスティックな現象が起きるとは思わなかったってわけか。ますます不思議なソースね」

 紗菜々から伝えられたことに、果鈴と琴葉は驚きの反応だ。

「あの現象を目にしたのは、私達だけみたい。バナナくん、他のお客さんがいる前では動いたりしゃべったりしちゃダメだよ」

 紗菜々は入口前でこう注意。

「うん、みんなびっくりするもんね。ボク、ぬいぐるみのふりをするよ」

 バナナくんは素直に承諾する。

「昔行った時とほとんど変わってないね。果鈴はまだ幼稚園の頃だったけど覚えてる?」

「うん! 覚えてるよ琴葉お姉ちゃん。優実乃お姉ちゃんもいっしょだったよね?」

「果鈴さん、覚えてくれてて嬉しいな」

「料金もあの頃と同じだね。私が払うよ」

 みんな入口を通り抜け、受付にて紗菜々が代表して四人分の入浴料とバスタオルレンタル料を支払った。

「誰もいないねー」

果鈴が最初に女湯脱衣室へ。

「平日のこの時間だとこんなもんでしょ」

琴葉、

「ゆったり出来そうね」

優実乃、

「バナナくんにとっては好都合だね」

紗菜々の順に後に続いた。

「紗菜々ちゃん、ボクの分は、支払わなくてもよかったのかな?」

 バナナくんに不思議がられ、

「うん、バナナは入湯料対象に入らないからね」

 紗菜々は制服のブレザーボタンを外しながらにっこり微笑む。

「そうなんだ。ボク、一つ賢くなれたよ」

「他のお野菜や果物さんもみんなタダで入れるよ。こどもの日の菖蒲、冬至のゆずみたいなものだよ。バナナくん、私が脱ぐまでもう少し待っててね。浴室に他のお客さんがいるかもしれないから」

「うん」

「バナナさんは最初からすっぽんぽんね。きゃっ、きゃぁっ!」

 優実乃は中央付近にあるロッカーの前に向かっていく途中ステンッと転び、ドシンッと尻餅をついてしまった。さらにM字開脚水玉のショーツまる見えになってしまう。

「優実乃お姉ちゃん、バナナの皮で滑ったぁ!」

「リアルにバナナの皮で滑った人、生まれて初めて見たわ」

 果鈴と琴葉はアハハッと大笑いする。

「優実乃ちゃん、見事な転びっぷりだね」

 紗菜々も思わず笑ってしまった。

「昔のマンガみたいなこと、本当にやっちゃうなんて恥ずかしい」

 優実乃はすばやく立ち上がって元の体勢へ。

「ごめんね優実乃ちゃん、転ばせちゃって」

 バナナくんはしゅんとした表情で謝った。

「いやぁ、下をよく見てなかったわたしの方が悪いよ。バナナさん思いっきり踏みつけちゃったけど大丈夫?」

 優実乃はバナナくんを手に取り、なでなでして心配してあげる。

「うん、平気さ。ボクの体は踏まれても大丈夫なように頑丈に出来てるもん」

 バナナくんはにっこり笑顔で答えた。

「バナナくん、タフだね。優実乃お姉ちゃんも、琴葉お姉ちゃんと同じでメガネを取っても目が3の形にならないね」

「それはなるわけないよ。なったら怖いよ」

 果鈴に裸眼をじーっと見つめられ、優実乃は照れ笑いする。

「なったら面白いと思うけどなぁ。あたし、これも持って来たんだ。今日の部活で作ったんだ」

 果鈴は手提げポーチからとある手作りおもちゃを取り出した。

「果鈴、やっぱり持って来たのね」

 琴葉は笑顔で突っ込む。

「パチンコだ。私、久し振りに見たよ」

「小学生の頃に図工の授業で作ったね。懐かしいな」

 紗菜々と優実乃は興味深そうに眺めた。

 Y字型の木の枝にゴム紐が結ばれた、手作りらしい単純な構造をしていた。

「何に使うんだろう?」

 バナナくんも興味津々だ。

「ゴム紐の部分に石とかを当てて、いろんなものを打ち落とすんだ。部活の時は紙くずを当てて空き缶にぶつけて遊んだよ」

「果鈴、ここで遊ぶのはダメだよ。危ないし、お風呂場は湿気が多くてゴムがすぐに劣化しちゃうよ」

 紗菜々にこう忠告されると、

「はーい。石鹸でシャンプーボトル倒ししようと思ったんだけどなぁ」

 果鈴は不満そうにしつつも素直にポーチにしまった。

「これを使ったら、ヤシの実も簡単に落とせそうだね」

 バナナくんは笑顔で呟く。

「ヤシの実が思い浮かぶなんて、バナナくんさすが熱帯育ちだね。浴室にはお客さんいるかな?」

 果鈴はすっぽんぽんになると休まず浴室へ駆けて行った。 

「こらこら果鈴、走ったら危ないよ」

 そんな果鈴を、琴葉は優しく注意しつついちご柄ショーツを脱ぎ、すっぽんぽんに。

「琴葉さん、全身お肌つやつやね。乳首の色もきれい。むだ毛も無くて羨ましいです」

 優実乃はそんな琴葉の姿をじーっと眺める。

「そんなにじっくり見られると、恥ずかしいな」

 琴葉は頬をぽっと赤らめ、ふくらみかけの胸を手で、うっすら生えかけの恥部を手ぬぐいで覆い隠し、照れ笑いしながら浴室へ。

「琴葉さん、思春期真っ只中みたいね」

「そうみたいだね。優実乃ちゃん、琴葉のお体のことについては深く触れないようにしてあげなくちゃダメだよ」

「うん、わたしも中学生の頃は人前で裸になりにくかったから、琴葉さんの気持ちはよく分かるし」

 優実乃と紗菜々も、最後にショーツを脱いで浴室に向かっていく。

「ボク、男の子だけど女湯で大丈夫かな?」

「平気だよ。バナナくんは生まれたての赤ちゃんだもん。ここの銭湯は九歳まで混浴出来るよ」

 バナナくんは紗菜々の肩に乗せられていた。

「ボク達以外誰もいなーい。ボク、思う存分しゃべれるね」

 平日夕方のためか、他にお客さんがおらず貸切り状態だった。

 バナナくんは大喜び。紗菜々の肩から飛び降りて床をぴょんぴょん飛び跳ねる。

「でも、急に他の客さん入ってくるかもしれないから気をつけてね」

 紗菜々は一応注意しておく。

「琴葉お姉ちゃん、見て見て。スーパーサ○ヤ人」

「もう少し逆立ってないとダメね」

果鈴と琴葉はすでに洗い場シャワー手前の風呂イスに隣り合って腰掛け、シャンプーで髪の毛をゴシゴシ擦っているところだった。

「んっしょ」

 紗菜々は琴葉の隣に腰掛け、

「果鈴さん、シャンプーハットはもう使ってないのね」

 優実乃はにっこり微笑みながら、紗菜々の隣に腰掛ける。

「優実乃お姉ちゃん、あたし、そんなのはとっくの昔に卒業したよ」

 果鈴は照れ笑いした。

「果鈴が二歳くらいの頃、シャンプーハット被せてもシャンプーすごく嫌がってたね。懐かしいな」

「ワタシも鮮明に覚えてる。果鈴、いつも泣いて暴れてたね」

 紗菜々と琴葉は思い出し笑いする。

「紗菜々お姉ちゃん、琴葉お姉ちゃん、本当なの? あたし全然覚えてないよ」

 果鈴はますます照れてしまったようだ。

「みんな気持ち良さそうだね」

 バナナくんは目下シャンプー中の三人の姿をじーっと見つめる。

「バナナくんにもシャンプーしてあげる。目をつむっててね」

 紗菜々は自分の髪の毛を洗う前に、バナナくんの目より上にラベンダーの香りのシャンプーを、

「ここは、こっちの方がいいかな?」

目より下と皮の裏側全体には青りんごの香りのボディーソープを付けてあげ、傷付けないように指で優しくこする。

「あの石鹸よりも気持ちいいなぁ」

 バナナくんはとっても幸せそうだった。

「あれは手洗い用の石鹸だったからね。バナナくん、お湯かけるよ」

「うん」

「湯加減はどうかな? 熱くない?」

 紗菜々がシャワーを浴びせてあげると、バナナくんについていたシャンプーとボディーソープの泡は小さい分あっという間に消えた。

「うん、ちょうどいいよ」

 バナナくんは恍惚の表情を浮かべ、とっても気持ち良さそうだった。

「バナナくん、ますます輝きを増したね」

 紗菜々も嬉しそうだった。

「お礼にボクが紗菜々ちゃんの体磨いてあげる」

 バナナくんはそう言うと、自分の皮の一つでポンプを押し自らボディーソープを浴び、紗菜々の体に飛び移り這いずり回る。バナナくんはヌルヌル感たっぷりだ。

「バナナくぅん、くすぐったいよぅ。でもすごく気持ちいい」

紗菜々は耳たぶやうなじ、乳首、

「紗菜々ちゃん、ちょっとお尻浮かせてね」

「ひゃぁんっ」

 恥部からお尻にかけて動かれた時、特に敏感に反応した。

「いいなあ紗菜々お姉ちゃん、バナナくん、あたしも洗ってーっ」

「次はワタシも」

「わたしもお願いします」

「お安い御用さ。ボクはスポンジとしても活躍出来るもん」

 バナナくんは快く、紗菜々の次に果鈴の体に移動して這いずり回った。果鈴の体に元々ついていたボディーソープの泡が混ざり、バナナくんのヌルヌル感と滑り具合はますますアップ。

「きゃはははっ、くすぐったいよバナナくん」

 果鈴は笑いが止まらなくなったようだ。

「ごめん果鈴ちゃん、ボクもう少しゆっくりこするよ」

「いや、これくらいで平気だよ。普通にタオルで擦るよりもきれいになった気がする。ありがとうバナナくん」

「どういたしまして。次は琴葉ちゃんの番だね」

 バナナくんは果鈴の肩の上から琴葉の肩の上へ飛び移り、背中から這いずり回っていく。

「バナナ君、とっても気持ち良い。プロのマッサージ師みたい」

 琴葉は恍惚の表情を浮かべた。

「ありがとう琴葉ちゃん。褒めてもらえてボクとっても嬉しいよ」

「バナナ君、照れて黄緑色になってる。バナナらしいね」

「バナナくん、また洗ってね」

 果鈴はボディーソープの泡をシャワーで流し終えると、

「それーっ!」

 一目散に湯船の方へ駆け寄り、はしゃぎ声を上げながら湯船に足から勢いよく飛び込んだ。ザブーッンと飛沫が高く上がる。さらに犬掻きのような泳ぎをし始めた。

「果鈴ちゃん、とっても楽しそうだね」 

「果鈴、小学校低学年の子みたいよ」

「果鈴さんの気持ちは良く分かるな。わたしも果鈴さんくらいの年の頃はしょっちゅうやってたから」

「私も同じだよ。今でもやりたいくらいだよ」

 バナナくんと他の三人は湯船の方を振り向き、微笑ましく眺める。

「それじゃ、優実乃ちゃん、磨くよ」

「あんっ、胸を念入りに磨くなんて、バナナさんのエッチ♪」

「ごめん、ごめん」

 バナナくんは優実乃の体も快くきれいに磨いていく。最後に優実乃の前に置かれたお湯の張られた洗面器に飛び込んで、自分の泡を落とした。

「わたし、お肌が若返った気がするわ」

「私もそんな気がするよ」

「ワタシも。バナナ君は天然のマッサージ器ね」

 体を洗い流し終えた三人は湯船に静かに浸かった。足を伸ばしてゆったりくつろぎ、ほっこりした表情を浮かべる。

「広いお風呂は最高だね。いい湯だな♪」

バナナくんも大喜びで、ぷかぷか浮かぶ。

「えーいっ!」

 突然、背後からバシャーッと湯飛沫が――。

「果鈴さん、ダメですよ、公共の浴場でそんなことしたら」

 優実乃は思いっきり被せられたが、叱らず優しく注意。

「はーい」

 果鈴はてへっと笑う。

「ボク、急にお湯の流れが変わったから溺れそうになったよ」

 バナナくんは目をくるくる回していた。

「ごめんねバナナくん」

 果鈴は申し訳なさそうに謝る。

「果鈴、今度やったらお尻ペーンするよ」

 同じく思いっきり被せられた琴葉に微笑み顔でガシッと肩をつかまれ告知され、

「ごめんなさーい、琴葉お姉ちゃん」

果鈴はちょっぴり反省したようだ。

「あの、優実乃お姉さんは、今でも秀道お兄さんのことは好きですか?」

 琴葉に唐突に尋ねられ、

「……いや、べつに。というより、昔から好きじゃないって」

 優実乃は俯き加減で慌て気味に答えた。

「あれ? 優実乃ちゃん、秀ちゃんのこと好きなんでしょう?」

 紗菜々は疑問を浮かべながら問いかける。

「あの丸尾くんみたいなひょろひょろのお兄ちゃんだね」

「その男の子、バナナの大きさはどれくらいなのかな?」

 果鈴とバナナくんも興味津々だ。

「もう、前にも言ったけど、あの子はわたしの勉強のライバルなの」

 優実乃は淡々とした口調で否定する。

「秀ちゃん、昔からすごくいい子で真面目で賢いし、知的な顔つきだもんね。優実乃ちゃんが好きになっちゃう気持ちは私にもよく分かるよ」

 紗菜々はほんわかとした表情で言った。

「だから違うって」

 優実乃は困惑顔だ。

「優実乃お姉さん、もういい加減、秀道お兄さんと付き合っちゃったら? 両親のお仕事もお互い大学教授なんだから」

 琴葉はにこにこ笑いながら、優実乃の肩をペチッと叩く。

「いいって」

 優実乃は俯き加減になった。

「優実乃ちゃん、お顔が赤いよ」

 紗菜々はにこにこ顔で指摘した。

「これは、体が火照って来たからなの。わたし、もう出るね。あつい、あつい」

 優実乃はそう告げて焦るように湯船からバシャーッと飛び出し、脱衣室へと早足で向かっていく。

「私ももう限界。これ以上浸かったらのぼせそう」

「ワタシもー」

「ボクももうじゅうぶん温もったよ」

 紗菜々と琴葉とバナナくんもすぐに後に続く。

「あたしはまだ大丈夫だけど、みんな出るならあたしももう出ようっと」

 そして果鈴も。

(今何キロあるかなぁ?)

 脱衣室で、優実乃はすっぽんぽんのまんま体重計にぴょこんと飛び乗ってみた。

「……えええええええっ!? 十日前の身体測定の時より一キロ増えてるぅ。なんでぇ!?」

 目盛を眺めた途端、優実乃は目を大きく見開き仰天する。

「優実乃ちゃん、まだそんなに太ってないから気にしちゃダメだよ」

「ワタシより痩せてるから、優実乃お姉さんはまだダイエットの必要ないって。そもそも一キロって誤差の範囲じゃん」

「優実乃お姉ちゃん、無理なダイエットは体に毒だよ。おっぱいも大きくなれないよ」

 三姉妹は優しくアドバイスしてあげた。

「ボクの仲間を毎日食べれば、体重を減らさなくてもナイスボディを維持出来るよ」

 バナナくんも優実乃のお尻を見上げながら。

「そうかなぁ?」

 優実乃は納得いかない様子だ。

「優実乃お姉さん、体重のことで悩んでるのは、秀道お兄さんの視線が気になるからなんでしょ?」

 琴葉はほっぺたをつんつん押して問い詰める。

「もう、琴葉さん。そんなこと全くないです」

 優実乃は困惑顔で伝え、琴葉の背中をペチーッンと叩いた。

「あいったぁ! ごめんね優実乃お姉さん」

 琴葉はけっこう効いたようだ。

「優実乃お姉ちゃん、すごい速さのビンタだったね。琴葉お姉ちゃんに手形がついてる」

 果鈴はくすくす大笑い、

「今のは琴葉が悪いね」

 紗菜々はにっこり微笑む。

「痛そうだ」

 バナナくんは優実乃にちょっぴり恐怖心を抱いたようだ。

 みんな着替え終え、脱衣室から出て行こうとしたら、

「あらっ」

 出入り口付近からこんな声が。

「あっ、小緑先生だ。こんばんはー」

「こんばんは小緑先生、ここで会うなんて思いませんでした」

 紗菜々と優実乃は軽く会釈する。

「先生もよ。こちらの子達は、妹さんかな?」

「はい。ちっちゃい方が果鈴で、おっきい方が琴葉、小四と中二です」

「そっか、とっても可愛らしい子達ね」

 小緑先生は優しく微笑みかける。

「緑のおばちゃん、はじめまして」

 果鈴はぺこんと頭を下げて初対面の挨拶をするや、大胆な行動をとった。

「えいっ!」

 いきなり小緑先生のロングスカートを捲ったのだ。

彼女の真っ白なショーツがあらわになると、

「きゃっ!」

 小緑先生は軽く悲鳴を上げて、照れ笑いする。

「こら果鈴、初対面の方に失礼なことしちゃダメでしょ」

 すかさず琴葉は優しく注意。

「ごめんなさーい」

 果鈴は素直に謝る。

「果鈴ちゃんって子、なんか、男の子みたいね」

 小緑先生はにっこり微笑んだ。

「ごめんね小緑先生、果鈴が失礼なことして」

 紗菜々はぺこんと頭を下げて謝った。

「いえいえ、どうせ全部脱いじゃうから」

 小緑先生は楽しげな気分で服を脱いでいく。

「娘さんはごいっしょじゃないんですね」 

 優実乃が不思議そうに話しかけると、

「前に銭湯へ連れてった時、浴室ではしゃぎ回ってずってんしちゃって、銭湯が嫌いになっちゃったみたいなの。今回もいっしょに行こうと思ったんだけど、絶対行かないって言われちゃったわ。だからお祖母ちゃんとおウチでお留守番」

 小緑先生は苦笑いで残念そうに伝える。

「そうでしたか。茉桜さん相当痛かったんでしょうね。でもきっとまた行きたくなって来ますよ」

 優実乃は慰めるように言った。

「あの、紗菜々お姉さんの担任の小緑先生、ワタシも松早高第一志望なので、再来年お世話になるかもしれないですね」

 少し緊張気味に照れくさそうに伝える琴葉に、

「妹の琴葉ちゃん、その時はよろしくね」

 小緑先生は優しく微笑みかけた。

 その直後、

「このお姉さんが、小緑先生なんだね」

 こんな声が。

「何かしら? 今の男の子っぽい声」

 小緑先生は思わず後ろを振り向く。

「はじめまして、ボクバナナ」

 そこには棒立ちし、口を動かしてしゃべるバナナくんの姿が。

「バナナが、しゃべった?」

 小緑先生は目を大きく見開く。

「やっぱりびっくりしてるぅ」

 バナナくんは嬉しそうにくすくす笑う。

「小緑先生、私達の言ったこと本当だったでしょ」

 紗菜々は得意げな表情で言った。

「えっ、ええ……それにしても、先生の作ったソースで、条件によってこんな風になっちゃうなんて。我ながらびっくり。創作絵本のキャラクターに使えそうね」

 小緑先生は驚愕しつつも家庭科の先生らしい反応もし、バナナくんを手に取って興味深そうに観察した。

「ねえ小緑先生、四歳の娘さんがいるってことは、旦那さんの硬くて太いバナナを中に入れたってことだよね? 気持ち良かった?」

 バナナくんは無邪気な表情で質問する。

「……バナナ君、子どものくせにそんなことに興味持っちゃダメよ」

 小緑先生は照れ笑いし、バナナくんにペチッと軽くビンタした。

「いてっ!」

 バナナくんは両目を×にする。

「バナナくん、失礼な質問しちゃダメだよ。小緑先生、さようなら」

「さようならです」 

「緑のおばちゃん、さようならーっ!」

「小緑先生、さようなら。再来年までは松早高にいて下さいね」

「お姉さん、ばいばーい」

 四人とバナナくんは別れの挨拶をして、脱衣室をあとにした。

「さようなら、また明日ね」

 小緑先生はとても機嫌良さそうに挨拶を返す。

(……本当に、食べ物がしゃべるなんて……しゃべるぬいぐるみにも見えたけど)

 小緑先生はまだ完全には信じられないといった心境ですっぽんぽんになり浴室へ。

紗菜々達四人とバナナくんは休憩所の自販機前へ。

「私、ストロベリーソーダにしよう」

「わたしは、レモンティー飲もうっと」

「ワタシは、メロンソーダにする」

「あたしは、えっと……迷うなぁ。どれも美味しそう。でも銭湯上がりに甘いジュースは虫歯になりそう。やっぱ銭湯といえばカフェオレだよね。バナナくんはどれがいい?」

「ボクは何も飲まないし何も食べないよ。むしろバナナジュースの原料だよ」

 バナナくんはにこにこ笑いながら機嫌良さそうに言う。

「そっか、バナナくん自体が食べ物だもんね」

 果鈴はバナナくんの反応に笑ってしまった。

 このあと四人は長イスに腰掛け風呂上りの一杯を楽しみ、銭湯をあとにした。

 自転車で来ていた果鈴と琴葉も押して歩き、みんないっしょに自宅への帰り道を進んでいく。

 その途中、

「バナナくん、元気なさそうだけど、大丈夫?」

紗菜々は琴葉の肩の上でぐんにゃりしおれていたバナナくんに心配そうに問いかけた。

「バナナ君、湯あたりかしら?」

「のぼせたの?」

「バナナさん、大丈夫?」

 他の三人も心配する。

「ボク、息が苦しくって。もう、寿命が来たみたいなんだ」

 バナナくんはつらそうな表情を浮かべて、ゆっくりとした口調で伝える。

「えっ! そんなの早過ぎるわ。昨日ワタシがかけたばっかりなのに」

「バナナくぅん、せっかく再会出来たのにもうお別れなんて悲しいよ」

「バナナくん、死なないでー」

「バナナさん、食べ物だけどとっても寂しいわ。わたし達を洗ってくれたり、熱いお風呂に浸かったことで、寿命を縮めちゃったのね。バナナさん、どうか元気を取り戻して」

 三姉妹と優実乃はバナナくんに向かって励ましの声をかけてあげた。

 けれどもその厚意空しく、

「皮だけになった時点で、すぐに死んでもおかしくない状態だったし、奇跡の生還も果たせたから天寿を全う出来たよ。だからボク、この世にもう未練はないよ。果肉のないバナナはただの皮なんだ」  

バナナくんの声はどんどんかすれていく。

 そして、

「それじゃみんな、さようなら。ボクは燃えるゴミとしてゴミ箱に捨ててね。道路にポイ捨てしちゃダメだよ。みんな、ボクとはこれでお別れだけど、ボクと同じ、ケホッ、ケホッ、そんなバナナ……」

 これが最後の言葉となった。

 目と口が消え、ごく普通のバナナの皮状態へと戻った。

 バナナくん、本当にご臨終のようである。

「バナナくぅん、最高に美味しかったよ」

「バナナくんが、死んじゃった」

「食べ終えたバナナと同じものだけど、意思を持ってた分悲しく感じる」

「バナナさんがいたことは、わたし一生忘れないからね」

 みんなちょっぴり悲しい気分になった。

「バナナくんの死に際を見て私、食べ物はもっと大切に扱わなきゃって思ったよ」

「ワタシも、食べ物は粗末に出来ないなって思った」

「あたしも、給食やおウチのご飯を残しちゃいけないなぁって思ったよ」

「わたしもお魚さんやスイカやメロンを隅々まできれいに食べなきゃって思いました」

 同時に食べ物のありがたみもより一層分かったようだ。

 自宅へ向かってさらに歩き進んでいる途中、

「そういえばバナナくん、死の間際に何か伝えようとしてたね。ひょっとしたらバナナくんは、完全に死んでないかも」

 紗菜々はふとこんなことを思った。

      ※

 三姉妹帰宅後。

「こんばんは、ボクバナナ。みんな約二五分振りだね」

 紗菜々があのバナナと同じ房に付いていた別のバナナにソースをかけると、目と口が現れて意思を持ってくれた。

「バナナくん、復活だぁ!」

「シュガースポットの位置は違うけど、人格はこの死んだバナナ君と全く同じみたいね。まるで新しい顔に変わったアン○ンマンみたい」

「バナナくん、また会えてすごく嬉しいよ。今度は絶対流さないからね」

「新生バナナさん、こんばんは」

 三姉妹と、おじゃました優実乃は再会を大いに喜ぶ。

「バナナくんの意思は、新生バナナくんにしっかり受け継がれたよ」

 あのバナナの皮は、紗菜々が遺言通りキッチンのゴミ箱に捨ててあげた。ゴミ箱がバナナくんにとって、理想の墓場なのである。

 優実乃が帰って少し経った午後六時半頃、母が買い物から帰ってくると、

「果鈴、明日の遠足のお弁当用に、果鈴の大好物たくさん買って来たよ」

 母はこんなことを伝えて来た。

「やったぁーっ! ママありがとう」

 果鈴は大喜びだ。

「お母さん、果鈴にはピーマンのひき肉詰めもたっぷり入れた方がいいよ」

 琴葉は微笑み顔で言う。

「それは絶対嫌だー」

 果鈴は苦い表情を浮かべて言った。

「今年の四年生は山登りだったわね」

 母は問いかける。

「うん、しかも歩きだよ。学校から頂上まで三キロ以上はあるのに。三年生は科学館だから羨ましいよ」

「春は近くで自然散策か文化施設巡り、秋はバスに乗って遠くまでなのは私の頃と変わってないね」

 紗菜々は懐かしく感じたようだ。

「お菓子もいっぱい持っていこう」

「果鈴、お菓子は三百円までってルールになってるでしょ」

「四年生からは五百円だよママ」

「そっか、でも食べ過ぎないようにしなさいね。お弁当が入らなくなるわよ」

「はーい」

 夕食団欒中。

(紗菜々ちゃんのお部屋、とっても女の子らしいね)

バナナくんは紗菜々のお部屋で待機。

 紗菜々は夕食後、自室に戻る途中にトイレに立ち寄った。昨晩と同じように小をした後ついでに大もすることに。

「今日もスルッて楽に出た。二日続けて出たの、いつ以来だろう?」

 紗菜々が満足そうに呟くと、

「紗菜々ちゃん、今日もうんちがスムーズに出たみたいだね。ボクも嬉しいよ」

 バナナくんに背後から話しかけられた。

「あっ、バナナくん、また私のトイレ覗いて。恥ずかしいよ」

 紗菜々はくるっと振り返って照れくさがる。

「ごめん、ごめん。今日も紗菜々ちゃんが入る隙を狙ってこっそり入ったんだ」

「全然気付かなかったよ。バナナくん、忍者みたい。今日はバナナくん食べなくても、すっきり出てくれて良かったよ」

「ボクの効果は長続きするからね」

「このバナナくんとはもう少しお付き合い出来るね。今日はいっしょに寝よう」

 紗菜々はこのあとバナナくんを自室に連れて行き、

「バナナくん、すごい! 自分で自分の皮も剥けるんだ」

「ボク、自分で剥いた皮は閉じることも出来るよ。ほら」

「本当だ。剥く前の状態に戻っちゃった。やっぱバナナくんは普通のバナナとは一味も二味も違うね」

いっしょに宿題をしたり楽器演奏をしたり、

「バナナくん、サイコロまた狙ったように良い目出した」

「バナナ君、素晴らしいフォームね」

果鈴と琴葉もまじってボードゲームで遊んだりして楽しく過ごしたのであった。

 午後十一時半頃、

「おやすみバナナくん」

 紗菜々は部屋の電気を消し布団に潜り、就寝準備完了。

「おやすみ紗菜々ちゃん」

 バナナくんは紗菜々の頭のすぐ横、同じ枕の上に寝転がった。

「そういえば、バナナくんって寝るのかな?」

 紗菜々はふと疑問に思い、お顔をバナナくんの方に向けてこんな質問をする。

「うん、ボクも目を閉じて睡眠取るよ。まさに今眠たいよ」

 バナナくんはこう答えて、あくびをした。

「そっか。人間や他の動物さんと同じなんだね。おやすみ」

 紗菜々はもう一度就寝の挨拶をして、バナナくんの方を向いたまま横臥姿勢に。

 それからあまり経たないうちに、紗菜々もバナナくんもすやすや眠りついた。

      ☆

「紗菜々ちゃん、寝顔とってもかわいいね。ボク、きみの中に入りたいよ。でも、そんなことしたら怒られそう」

 真夜中三時頃、ふと眠りから覚めたバナナくんは、紗菜々の寝顔を眺めながらやましいことを考えてしまったのであった。

      ☆

 朝、七時十八分頃。

「颯太くーん、朝だよーっ!」

 紗菜々は、今朝は鈴を鳴らして颯太を起こしてあげた。

「颯太くん、おはよう。きみのバナナは立ってるかい?」

 バナナくんも声をかけて加勢する。

「バナナ、かわいい顔して失礼な質問だな」

 颯太は一昨日昨日と同じくすぐに目が覚めた。

 バナナくんはあのあと琴葉&果鈴のお部屋へぴょんぴょん跳ねながら移動していき、

「果鈴ちゃん、ボクもいっしょに遠足について行きたいなぁ」

 パジャマから私服にお着替え中の果鈴におねだりする。

「ごめんね、連れて行きたいんだけど、バナナくんのことがバレると大変なことになるから連れていけないんだ」

 果鈴は残念そうに伝えた。

「そっか」

 バナナくんはしょんぼりしてしまう。

「バナナくん、お詫びにお土産買って帰るから」

 果鈴がこう伝えると、

「やったぁ!」

 バナナくんは途端に元気になった。果鈴の机の上でぴょんぴょん飛び跳ねる。

「ところでバナナくんは、バナナはおやつに入ると思う?」

 果鈴がこんなことを問いかけると、

「ボクは入らないと思うな。バナナは立派なおかずだよ。特に女の子のね」

 バナナくんはにこやかな表情できっぱりと主張した。

「そっか、バナナくんらしい意見だね。それじゃ、バナナくん。朝ご飯食べてくるね。またもう一回諭吉にエサやりに戻ってくるよ」

 着替え終えた果鈴はにっこり微笑みかけて、お部屋から出て行った。

 階段を降り切ったのとほぼ同じタイミングで、琴葉がトイレから出てくる。

「琴葉お姉ちゃん、うんこ出た?」

「今日はうんこじゃないって。果鈴、やんちゃな男の子みたいに面白がってうんこ、うんこ言い回るのはいい加減やめなさい」

 琴葉はニカッと笑い、

「いたたたっ、ごめんなさーい」

果鈴の両こめかみをぐりぐりしておいた。

      ※

 七時五〇分頃、いつもと変わらず四人で仲良く登校。

果鈴は今日は、ランドセルの代わりにリュックサックを背負っていた。

「果鈴ちゃんのリュック、パンパンに詰まってるね」

「だってお菓子いっぱい入れたもん」

「果鈴、お菓子は食べ切れる量だけ入れなさいって言ったでしょ」

「登山だから荷物は軽い方がいいよ。私が何個か貰ってあげるよ」

「大丈夫だって。お友達にも分けるし。それじゃあね」

 いつもの場所で果鈴は別れる。春の遠足は全学年近場のため、集合時刻も集合場所も同じなのだ。

 颯太達の通う高校、朝のSHR終了後。

「夏川さん、昨日は疑ってごめんね」

 小緑先生は紗菜々のもとへ近寄って来て謝ってくる。

「いえいえ、信じられないのも当然ですから」

「あのバナナのこと、娘にも伝えたの」

「そうでしたか」

「どんな反応をされましたか? 四歳だから、やはり嬉しがったんじゃないですか?」

 側にいた優実乃が興味深そうに質問した。

「それがね、全然信じてくれなかったの。しゃべるぬいぐるみと見間違えたんでしょって」

 小緑先生は困惑顔で伝えた。

「……まあ、それは普通の反応ですね。いや、四歳にしては現実思考かな」

 優実乃は軽く苦笑いする。

「実物を見てないから信じられないんだと思いますよ。私すごく不思議なんだけど、あの時はどうして変わらなかったのかな?」

 紗菜々が疑問を浮かべると、

「水で洗わなかったからかも」

 優実乃はすぐにこんな考えが浮かんだ。

「そういえば、昨日りんごとかにかけた時は水で洗わなかったね。でもバナナやみかんは洗わなくても変化したし」

「あれは皮を剥いてから食べるからだと思うわ」

「そういえば、そうだね。あのソース今日も持って来てるから、お昼休みに試してみよう」

   ※

 午前九時頃。

「このマンガ、とってもエロいね。それにしても不思議だなぁ。主人公の男の子、バナナも小さそうだし、顔もそんなに格好良くないのになんで女の子にモテモテなんだろう? コンデンスミルクをたっぷり出せるからかな?」

 琴葉&果鈴のお部屋でお留守番中の新生バナナくんは、皮でページを捲る方法で読書に耽っていた。

   ※

 松早川高校お昼休み、紗菜々、優実乃、颯太、そして小緑先生は調理実習室へ。

「とりあえず、これで試してみるわ」

優実乃は昨日は何も変化しなかったりんごに、今回は水洗いをしてからソースをかけてみた。

「やぁ、おれっち、りんご。生まれは長野。皮ごと食ってくれよ」

 見事成功。りんごは明るく元気な声でしゃべり出す。

「おう、しゃべったわ」

「優実乃ちゃんの推測、正しかったみたいだね」

「すごい! 絵本のような出来事が本当に起きるなんて」

 この現象を初めて目にした小緑先生は大いに驚く。

「おばさん、おれっちに意思を持たせてくれたソースの作者さんだよね。おれっちを食べて、食べて」

 りんごは小緑先生の目の前でぴょんぴょん飛び跳ねる。

「なんか、怖いわ」

 小緑先生は若干怖がっていたが、当然の反応ともいえよう。

(そりゃそうだよな)

 颯太は深く同情する。

「大丈夫ですよ小緑先生、この子をそのまま齧ってみて下さい」

「めちゃくちゃ美味しいはずですよ」

 紗菜々と優実乃に強く勧められ、

「それじゃ、いただくわね」

 小緑先生は恐る恐る手につかみ、一口齧ってみた。

 その結果、

「あら、なんて瑞々しくって美味しい味なの。このりんご」

 美味に圧倒され、あっという間に全部平らげてしまった。

「想像を遥かに上回る美味しさだったわ。安物のりんごなのに」

 小緑先生は満足げに感想を語る。

「食欲を沸かせる効果もあるでしょ」

紗菜々はにっこり微笑んだ。

「一種類だけじゃ偶然かもしれないから、他のにも試してみるわ」

 優実乃は他にあった七種類の野菜や果物にも水洗いしてからソースをかけてみた。

「野菜のエリートのオレ様のこと、人間みてえな名前とか言うなよ」「こんにちは、わしは馬鈴薯とも呼ばれておるのはご存知かな?」「はーい♪ アタシ、フルーツ王国岡山育ちのモモちゃんよ♪ 残念ながら桃太郎はアタシの中には入ってないけどね」

 そのうち三種類が意思を持った。

「ニンジンさんとりんごさんとジャガイモさんと桃さんは意思を持ったけど、大根さんと白菜さんとレンコンさんとスイカさんは変わらなかったね」

 紗菜々は不思議そうにする。

「変わらなかった方には、共通点があるわね」

 優実乃は法則に気付いたようで、にやりと笑う。

「俺にも分かった」

「ひょっとして」

 颯太と小緑先生も勘付いたようだ。

「何だろう?」

「紗菜々さん、よく見てみて」

「うーん」

 紗菜々は変わらなかった野菜に顔を近づけ注意深く観察する。

「ひょっとして、切られた状態で、完全な形じゃないからかな?」

 十秒ほど眺めて気付いたようだ。

「その通りよ紗菜々さん、洗って食べるべきものは水洗いして、完全な形で残ってるっていうのが、意思を持つための条件だと思うわ」

 優実乃は結論を出した。

「皆さんでわしを食べてくれんかのう?」「オレ様も早く食って欲しいぜ」「アタシはこいつら食べた後のデザートとして味わってね♪」

意思を持った三種類の望み通り、颯太達四人でほぼ均等に行き渡るように切り分けて、美味しく食してあげることに。

時同じくして、果鈴の学年は山頂付近でお弁当タイムとなっていた。果鈴はわくわく気分でお弁当箱を開ける。

(やっぱりピーマン入ってる)

 野菜炒めに千切りにされて入れられていて、少しがっかり。

(でもソースがあるから大丈夫♪)

 果鈴はリュックから三五〇ミリリットルペットボトルを取り出し、中のソースをぶっかける。事前に少量移していたのだ。

(あれ? 変わらないや。なんで?)

 ピーマンは、特別な反応をせず果鈴は不思議がる。

 優実乃の推測は本当に正しかったようだ。

「かりんちゃん、どうしたの?」

 同じシートすぐ横に座る、お友達の女の子に問いかけられ、

「いや、なんでもないよ」

 果鈴は困惑気味に答えた。

「あっ、分かった。ピーマンが入ってたからだね。アタシが食べてあげるよ」

「いや、自分で食べるよ。なんか食べなきゃ、ピーマンさんがかわいそうな気がするもん」

「えらい! かりんちゃん。昨日の給食のグラタンに入ってたアスパラガスもきちんと食べてたし、少し大人に近づいたね」

「そうかなぁ? いただきまーす。ピーマンから先に食べよっと」

 褒められて果鈴は少し照れくさがる。

 ひょっとしたら、しゃべった時のピーマンさんと同じようにものすごく美味しいかもしれない。

そんな期待も抱きつつお箸でピーマンをつまむと、素早くお口に放り込んだ。

(にがぁい。しっかりピーマンの味だぁ)

 噛みしめた瞬間、苦い表情を浮かべる。

それでもピーマンを結局残さず平らげたのであった。

    ※

松早川高校。六時限目の体育の授業中。

「優実乃ちゃん、記録だいぶ良くなったね」

 紗菜々は五〇メートル走を終えたばかりの優実乃に話しかける。

「わたしもびっくり。八秒台を出せたなんて。これは絶対あのソースがかけられたニンジン、じゃがいも、桃を食べたおかげね。紗菜々さんも、今日もいい記録出したね」

「うん、私も八秒台で走れるとは思わなかった。あのバナナくん食べてから、頭も良く働くし、絶好調続きだよ」 

 紗菜々が嬉しそうにこう言ったその直後、

「魚返君9秒05、牛原君10秒08」

 男子の五〇メートル走計測係の子の声が二人の耳に聞こえて来た。

「今年は春雄さんだけじゃなく、秀道さんのタイムにも勝ててよかった」

 優実乃はそっちの方を振り向いて、嬉しそうに微笑んだ。

「優実乃ちゃん、春ちゃんと秀ちゃんにちょっと失礼だよ」

 心優しい紗菜々は哀れんであげる。

 その後、颯太も7秒33の自己ベストを出すことが出来た。

「颯太君、去年までボクとさほど変わりなかったのに、七秒台前半と出すとは……目測でも大幅な計測間違いじゃないようですしぃ、なんという裏切り者」

「颯太、ジムでも通ってるのか?」

 かなり驚く秀道と春雄、

「いや、まぐれだって」

 あの野菜と果物食ってからやけに調子いいなと思ったけど、これほどまでとは――。

颯太自身は自分の記録よりもソースの効能に驚いていた。

この日、他に行われた立ち幅跳びについても、颯太、紗菜々、優実乃は自己ベストを大幅に更新することが出来たのであった。

          ☆

「ただいまバナナくん、約束どおりお土産買って来たよーっ」

 果鈴は午後三時半頃に帰宅すると、さっそく自分のお部屋へ向かい、扉を開けた。

 その直後、

「あっ、バナナくん! ダメだよ」

 果鈴は目を大きく見開き、慌ててバナナくんの側へ駆け寄って手でつかんだ。

ちょうどバナナくんが諭吉のいる水槽によじ登ろうとしているところだったのだ。

「おかえり果鈴ちゃん、ボク、諭吉のエサになりたくなっちゃって。この子が食べたそうにしてるから」

「バナナくん、エサになるにはまだ早いよ。一昨日ママが買って帰ったばかりなのに。あと四、五日待ってからにして。バナナは腐りかけが一番美味しいって言うし」

「そうだね。果鈴ちゃんや琴葉ちゃん、紗菜々ちゃん達ともう少し遊びたいし、ボク、賞味期限ギリギリまで待つことにするよ」

「その方が絶対いいよ。はいこれ、バナナくんにお土産。カブトムシさんのかっこいいシールだよ。山頂の売店に売ってたんだ。貼ってあげる」

 果鈴は十数種類あるうちオスのヘラクレスオオカブトのシールを剥がし、バナナくんにぺたっと張ってあげた。

「ありがとう果鈴ちゃん、シールの貼られたバナナは選ばれしバナナの証だから、誇りに思うよ」

 バナナくんは満面の笑みを浮かべる。喜んでくれたようだ。

         ☆

 同日夜、夏川宅。家族揃って夕食団欒中。

「果鈴、今日の遠足楽しかったか?」

 父から問いかけられると、

「うん、楽しかったよ。でもあたしは動物園や水族館巡りの方がよかったな。山登りは歩き疲れるし」

 果鈴は軽く苦笑いしながら伝えた。

「果鈴らしいな」

 父はにっこり微笑む。

「ねえ、明日はあたし、お友達と遊ぶ約束してるから、日曜日に家族みんなで動物園行こう!」

「もちろんいいよ」

「ワタシも行っていいわ。動物園へは最近行ってないもんね」

 紗菜々と琴葉は快く賛成。

「すまない果鈴、パパはこの土日とも部活指導の仕事で休日出勤なんだ」

 父は申し訳無さそうに言う。

「なぁんだ」

 果鈴が少し残念そうに呟くと、

「あなた達だけで行って来なさい。もう幼い子どもじゃないんだし」

 母はこう勧めて来た。

 そんなわけで紗菜々は夕食後、

「颯太くーん、明後日の日曜日、いっしょに動物園行こう!」

 自分のお部屋から颯太のお部屋に向かって叫び、誘いをかけてみた。

「紗菜々ちゃん、悪いんだけど俺、明後日は秀道んちでゲームする予定だから」

「颯太くん、そんな体に悪いことせずに。動物園の方が絶対楽しいよ」

「颯太お兄ちゃんもいっしょに動物園行こうよぅ」

「颯太お兄さん、お願いっ!」

 果鈴と琴葉からも紗菜々のお部屋越しに頼まれると、

「仕方ない」

颯太は断り切れなかった。しぶしぶ秀道のスマホにキャンセルの連絡をする。

『あらら、残念ですが夏川さんからの誘いなら断るわけにはいきませんね。ぜひ楽しんで来て下さいませー』

 秀道は同情してくれたようだ。

(確かに動物園の方が楽しいかもな)

 颯太がこの選択で良かったなと思いながら電話を切ったのと同じ頃、

「日曜日にみんなで動物園行くんだってね。ボクもいっしょに行きたいなぁ」

 バナナくんは果鈴&琴葉のお部屋から紗菜々のお部屋へ移動して来た。あの会話が聞こえていたようだ。

「バナナくんも連れてってあげるよ」

 紗菜々からこう伝えられ、

「わぁーい! 嬉しいな♪」

 バナナくんは大喜びだ。満面の笑みを浮かべて紗菜々のベッドの上でぴょんぴょこ飛び跳ね回る。

「よかったねバナナくん」

 果鈴も嬉しそうだった。

「紗菜々お姉さん、人が大勢いる場所だけど、大丈夫かな?」

 琴葉は少し心配な様子。

「全然問題ないよ。しゃべるぬいぐるみさんにも見えるだろうから」

 紗菜々は自信を持って主張する。

「ボク、明日は体力温存ために一日中お休みするよ。傷むのを遅らせることも出来るし。なるべくボクを日の当たらない涼しい場所に置いて欲しいな」

 バナナくんからお願いされると、

「了解。じゃあ日曜日にね」

紗菜々は学習机一番下の最も広い引出を開けた。

「あっ、根元をラップで包んだ方がいいな。その方がより長持ちするし」

 ふとその雑学を思い出し、キッチンへ取りに行って来た。

「紗菜々ちゃん、ボクのためにここまで気遣ってくれてありがとう」

「どういたしまして。バナナくん、ぐっすり休んでね」

「おやすみバナナくん、日曜日いっぱい遊ぼうね」

「バナナ君、ゆっくり熟成されてね」

 三姉妹は優しく声をかけて、引出を閉めた。

『動物園か。せっかくの機会だし、わたしももちろん参加するわ』

 このあと三姉妹は優実乃にも誘いをかけた結果、快く乗ってくれた。

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