―緋色のティア―
全身に走るような痛みを感じる。
……僕はフミヤと同じ顔をした、フロルと名乗る少年にやられて、それで……どうなったんだ? とりあえず、死んではいないようだ。
かすかに……僕を呼ぶ声がする。
「……あの、大丈夫ですか?」
体を揺さぶられて、僕は目を開けた。
「……ん……」
白い天井が見える。どうやら僕はベッドに横たわっていたみたいだ。……と、隣に座っている女性に気づいた。紫色の長髪で、修道服を身に着けており、首にはネックレスのように金のロザリオを着けている。
「よかった……」
女性はほっとため息をつく。
「あの、ここは……? 僕はどうなったんですか……?」
「ここは、ウィンリーブスより少し北東のレスタ村の教会です」
レスタ村? ……僕はウィンリーブスにいたはずだ。なんでここに?
「あなた、名前は……シュウ……ですね」
「えっ? なぜ僕の名前を知っているんですか?」
「この子に聞いたのです。……おいで」
女性に呼ばれてやって来たのは……、何とポポだった。あれほど酷い傷だったのに、嘘みたいに元気に飛び回っている。とりあえず無事なようで、僕は心底ほっとした。
「ポポ! 良かった……元気になってんだね」
《――シュウさんも……無事でよかったです》
待てよ……僕のことをポポから聞いたということは、ポポと会話ができるということ? この女性、一体何者なんだ……?
「あの、あなたは一体……?」
すると、女性は訝しむような僕の視線を気にせず、にこりと微笑して答えた。
「私は、ユーリ。旅のシスターです」
「ユーリさん。僕が言いたいのはそういうことじゃなくて、何故あなたはポポの言葉が分かるんですか?」
「何故って……あなたも分かるんでしょう。言葉なんてなくても意志は通じるものよ。少なくても私はそう信じています。ポポちゃんは、あなたを救いたいという強い思いでここまで連れてきてくれたのよ」
「ポポ……ありがとう」
と、言いながらも僕の頭の中では疑問が生まれていた。あの時、ポポはひん死の重傷を負っていた。それこそ動くことが出来ない程の。そんなポポがどうやって僕をここまで連れてくる。そもそも、ポポの小さな体では僕を運ぶのは無理だ……。
《――いえ、お礼は私ではなく……》
その時、部屋の扉が開き陽光が差し込んでくる。
「あたしに言いなさいよね! ここまで担いで来るの大変だったんだから!」
そう言い放ったのは、あの緋色の髪の少女だった。その特徴的な緋色の髪は腰に届くくらい長く、しなやか。銀色の衣を身にまとうその体躯は一見華奢そうだが、もえぎ色の瞳からは弱さなど微塵も感じさせないような覇気が伝わってくるかのようだ。
凛とした佇まいで、彼女は僕の前に立った。
「……き、きみは……あの時助けてくれた女の子」
と言うと、少女は少し顔を赤くして言った。
「あ、あの時は仕方なしに助けてあげたのよ! 目の前で死なれても嫌だから」
僕は、包帯の播かれている彼女の左手を見て
「……ありがとう。僕が君の言うとおりすぐに逃げていれば、きみを巻き込まずに済んだかもしれないのに」
僕はフロルのことを思い出していた。少女は僕をかばってこんな怪我を負ってしまったのか……。
「あの、僕はシュウ。こっちは相棒のポポ。きみは?」
「あ、あたしはティア。もう元気みたいだからあたしは行くわ。」
「待ってよ! 何かお礼ぐらいさせてよ!」
「お礼なんかされる筋合いは無いわ。あたしが勝手にやっただけなの。それじゃあ」
しかし、部屋を出て行こうとする彼女をユーリが呼び止めた。
「……素直じゃないわねえ~」
ティアはむっとした顔で反論する。
「あたしはいつだって素直に生きてるわよ!」
「またまたそんなこと言って。あなたが通りかかって人を助けるなんて普通じゃないわ」
「……何が言いたいのよ」
「あなた……好きなんでしょう? ……シュウのこと」
いよいよ顔がトマトのように真っ赤っ赤になったティアは
「このバカぁ!」
と言って、風のように部屋を出て行った。
「…………は?」
僕は目の前で起こった出来事が理解できず、ただ口をポカーンと開けていた。さながら、心ここに非ず、である。
「……ごめんなさいね」
僕はようやく意識を取り戻した。
「あ、あの……今のはドッキリですか?」
「なあにドッキリって? まあいいわ。あの子――ティアはね、今までずっと一人で戦ってきたの。私には理由は分からないけど、彼女、魔物に狙われているみたいなの。それで、ずっと逃げてきて……。……苦しかったでしょう。同年代のあなたなら分かるでしょ、家族も友達も誰も頼る人がいないことの辛さ。頼りたくても頼れないのよ。だって、その人を巻き添えにしちゃうかもしれない。だから、あの子ずっと一人で生きてきたの。そんな子が人を助けた。これってどういうことだと思う?」
ティアの境遇を目の当たりにして僕は何も返せなかった。だって、僕はそんな境遇になったことがないから。それなのに、僕が彼女のことを理解しようとしても、表面は分かったとしても本当のところまでは分からないと思う。もし分かったとしたら、それは単なる偽善だ。
「………………」
僕が返答できずにいると、ユーリさんは話を続けた。
「それはね、きっと……あなたがティアにとって、大事な人だからよ。死なせるわけにはいかない、その一心であなたをかばった。私はそう思うわ。だからね、私はあなたにティアを支えてもらいたい。ティアと一緒に戦って欲しいわけではないわ。見たところ、武器は扱えそうにないもの」
こんな話を聞かずとも、僕の気持ちは前から決まっていた。
――彼女の心の支えになる。その気持ちは宿屋で一目彼女を見たときから、ずっと思っていた。何故だろうか。理由は考えてみても思い浮かばない。けれど、彼女のことを放って置く事なんて出来やしない。
その一方で、僕に力が無いのもまた事実だ。ウィンリーブスの武器屋でおっさんに言われたことを思い出す。僕はそもそも彼女の支えになる資格があるのだろうか?
「……僕だって……僕だって、彼女を助けたいです! でも……僕には力がない。だから、僕に彼女を助けるような資格は……」
「資格ならあるわ。あなたには確かに力がない。でも、優しさはあるわ。純粋な優しさにはね、人を笑顔にする力があるの。だから、あなたの優しさであの子を支えてやって頂戴」
「……優しい……ですか」
「私は思う。あなたは、真に優しい人だからこそ、ポポちゃんと意志が通じるのだと」
「えっ? ユーリさんだってポポと意志が通じるんじゃ……?」
「ごめんね。あれは嘘なの。本当はね、ティアがその子の声を聴いたのよ。あの子が言ってたわ。不思議な声が頭に響いてきたんだ、って」
「ポポ、そうなの?」
《――はい。ティアさんは傷ついた私とシュウさんをここまで運んでくれたんです。私の必死のメッセージをティアさんが受け取ってくれて》
「……行かなきゃ。ポポ、早く!」
《――はい!》
僕はポポを肩に乗せて、教会を飛び出した。
外はまだ夜明けで、見上げると暁の空が広がっている。
レスタ村を望む高台に、緋色の髪の少女、ティアは座っていた。
「はあ、やっと……見つけた……」
ティアは僕を一目見やると口を開いた。
「…………何で来たの?」
「僕は……きみを助けたい!」
「……丸腰のあなたに何ができるっていうの? はっきり言って迷惑なんだけど」
「それでも、僕はついていくよ! 僕はきみに助けられた恩を返さなきゃいけないんだ」
「その気持ちだけで結構よ。もう……お願いだから! あたしに構わないで!」
「嫌だ!」
「あんたバカ? ユーリから話は聞いたんでしょう。あのおせっかい女……あたしに関わるとロクなことがないわ。本当に死ぬかもしれないのよ?」
「だって……僕は……僕だってきみのことが好きなんだ! たとえ嫌と言われても僕は君を助ける。そう決めたんだ!」
言葉に出した瞬間、恥ずかしさで自分の体が丸焦げになったように熱くなった。ティアも紅潮させた頬を隠すように、くるりと後ろに向き直った。
「……あたしはあんたのことなんて大っ嫌いなんだから……」
そうつぶやいた彼女の目からはきらりと光るものが零れ落ちる。
零れ落ちる雫は暁の光に照らされてきらきらと煌めく。まるでダイヤモンドの如く。
僕はひしと彼女を抱きしめた。
「……………………」
しばしの沈黙の時間。
抱きしめた背中から彼女の体温が伝わってくる。見た目よりもずっと小さい、危なげな背中。僕はこの小さな背中を守ると、そう決心した。
彼女を抱きしめる腕の力がギュッと強くなる。それと同時に、彼女の方も強く抱きしめ返す。
「もう……一人にはしないから……」
僕がそう言うと、ティアは、僕の肩に痛いくらいの力ですがりつき、これまでため込んできた感情を爆発させるように泣いた。大声を上げてむせび泣いた。僕はずっと彼女の涙を受け止めていた。何も言わず彼女を抱きしめたまま、ずっと。
どれくらいの時間がたっただろう。やがて、彼女は泣きやみ、そして口を開く。
「……本当?」
不意の問いかけにしどろもどろ。
「えっ?」
「……本当にあたしを一人にしない?」
そんなの答えは決まっているじゃないか。
「……うん。絶対」
「…………約束よ」
僕とティアは互いの手を取り合い立ち上がった。
そして互いの小指をを絡め合わせる。
夜明け。
夜が去り朝が、太陽がやってくる時間。
太陽は大きく、そして赤々とのぼり始める。
――僕らの目の前には、美しい茜色の空が広がっていた。
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