―まっしろなくうかん 僕と老人―
僕はどこまでもただ真っ白な空間に立っていた。
寝る前に着た、半袖のパジャマに、下は長いスウェットという格好で裸足のまんまだ。
…………誰かが僕を呼んでいる。声の聞こえる方向を振り向くと、一人の老人が立っていた。僕と老人以外には、何もない。ただ白い空間が存在するのみだ。
背は低く、瞳は薄い紫色、髪は白髪で、優しげな印象を与えている。胸の辺りまで伸びている白いあご髭が特徴的だ。
老人は腰の後ろに腕を組んで、僕を黙って見つめている。言葉では言い表せないような、哀しくて、それでいて僕の心を見通すような瞳で、僕をじっと見つめている。
僕は何を話していいかわからなかったが、不思議と恐怖を感じることはなかった。
やがて、僕は沈黙に耐え切れなくなって口を開いた。
「…………あのう……あなたは一体――」
僕の質問を遮って老人が言った。
「……少年よ、お前は今、何を思ってここにいるのだ」
質問に質問で返されてしまった。そもそも、老人の質問の意味が分からない。何を思いここにいるかだって? 僕だって何でこんなところにいるのか分からない。
――いや、待てよ……僕はきっと夢を見ているんだ。この変な空間は夢の中に違いない! 前に図書館で読んだことがあるけど、夢を見ていることを自覚できることが稀にあるらしい。きっとそれだ。まったく、変な夢を見ることもあるものだ……。
「お前、今、自分は夢を見ていると思っていないか?」
僕の心の内を見透かしたように老人は言った。
考えていたことをずばりと言い当てられ、僕は焦った。
一体この老人は何者なんだ?
「……頬をつねってみろ」
言われるままに僕は右の頬をつねった。
…………痛くない。
「あのう……つねっても痛くないし、やっぱり僕は夢を見ているのだと思います。そのうち目が覚めると思うので、あんまり気にしないでください」
老人は目をつぶり、呟いた。
「…………お前は何も分かっておらん」
「どういうことですか?」
「お前は、頬をつねったのに痛みを感じなかっただろう」
老人の言葉に僕はうなずく。
「ここは私以外の何者も存在しない場所。……いや、存在してはいけない場所なのだ。ここには、物質が存在しない。痛みや音のような感覚というものも存在しないばかりか、空気も存在しないのだ。時間も存在しない。言うなれば『無の場所』。そんなところに何故お前が存在しているのか、私は分からないのだ。もう一度問う。……少年よ、お前は今、何を思ってここにいるのだ」
急にそんな突拍子もないことを話されても、僕には何と答えてよいものか分からない。それに空気がないのに僕がこうして普通にしていられるのはどういうわけか。この老人は嘘をついているのだろうか?
「……眠りに落ちて、気が付いたらここにいたんです」
と、答えるより他なかった。
再びの長い沈黙の後に老人は口を開いた。
「………………お前がここにやって来たのは偶然かそれとも必然か、……興味が湧いた」
「……えっ? なんて言ったんですか?」
僕には老人が何を言っていたのかが聞き取れなかった。
「……もうよい」
老人はそう言うと、僕の方に手をかざした。
「本来であれば、消してやるとこだが……、お前に興味が湧いた」
途端、老人の手が光っていく。と、瞬間、光は老人の手を離れて僕の足元に集中した。
なんだか暖かい光だ。
しかし、気づくと光に包まれていた僕の両足が消えていた。
「あっ、あの! これどうなってるんですか! 僕はどうなるんですか!」
「お前をこの場所から時空間転移させるのだ」
老人が話しているうちにも、僕の身体は胸の辺りまで消えてきていた。
「時空間転移? 僕には何を言ってるかさっぱり分かりませんよ!」
「まあ分かるわけもないだろう」
いよいよ僕の身体は、残すは顔のみとなった。
「名前! あなたの名前は!」
老人は少し微笑んだ。
「少年よ、今のお前に名乗る名前などない。……だが、いずれまた会うときには――」
老人が最後に何と言ったのか、僕には分からない。
――――僕の目の前は真っ暗になっていった――――。
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