第6話 いや、神にも住民票っているの?

「ねぇ、役所って、人が暮らすために必要なあれこれをする場所でしょ? どうして私がここに――」


「え~? だってぇ、アリスちゃん、ここに住むでしょぉ? 住民票作らなきゃぁ」


「いや、作れないでしょ……」


 住民票やその他諸々を作るためには、身分を証明するものが必要だったはずである。生憎ながら、私が神である証明をすることは難しくないかしら? 100年前、信じてくれたのは翠泉とその他の――確か、不良仲間だけだったし。


「え~、そんなことないよぉ」


 どこにそんな根拠があるのかしら?

 施設内をちょこっと拝見――何だか、見慣れない機械が多くなったわね。


「あ~、い~、う~、え~――」


 あら? 椅子に座った人たちが発声練習していたり、何かの機械に顔と指をくっ付けてたりしてるけれど、あれは何かしら?


「ねぇ、あれは何をしているの?」


「う~ん? あれぇ? あれはねぇ、声紋認証とぉ、網膜スキャンと、指紋認証――」


 ここにはお宝が保管されているのかしら? そんなにたくさんの認証システム、100年前に見たスパイ映画で、核爆弾が仕舞われている場所のロック並みに厳重じゃない。


「あれやるとねぇ、すぐに情報が出てくるから、役所で待つ必要がなくなったのぉ」


「役所でくらいゆっくりしなさいよ」


 神視線だけれど、人間って何が楽しくてあんなに忙しないのかしら? 時間を司る神に会う機会があったら、いっそのこと封印してやろうかしら。そうすれば、時間に追われることもなくなるでしょ。


「さ、アリスちゃんもぉ、あれに顔埋めてぇ」


「え? いや……あれって、既存の情報を読み取るやつよね? 私の情報なんて――」


「あるよぉ?」


「何で!」


 さっきから思っていたのだけれど、お母さんは私がここで住むための準備が周到過ぎない? そりゃあ、翠泉の孫だから、ある程度事情は知っているのだろうけれど、役所にまでそれを信じさせることは難しいんじゃないかしら。


「早く早くぅ。藤乃ちゃんの学校に行くのが遅れちゃうよぉ」


「え、ええ――」


 まぁ、お母さんがそう言うならやるけれど、やっぱり解せないわね。

……でも、あれに顔と指を突っ込むのね。慣れていないから、少し緊張するわ。えっと、それじゃあ、いれるわよ。


「………………」


「アリスちゃ~ん?」


「ば、爆発とかしない?」


「したら面白いよねぇ」


 私の可愛い顔が吹っ飛ぶのだけれど……。

 私は意を決して顔を機械に埋めてみる。

 緑色の光が少し鬱陶しいけれど、眩しいとも痛いとも感じない程度の光が顔を照らしているのがわかる。

 まんまスパイ映画だわ。ついに人類はフィクションを凌駕したのね。


「ふぅ――」機械から顔を離し、一息。


 しかし、ここまで進歩していると色々と聞いてみたくなるわね。


「ねぇお母さん」


「なぁ~に?」


 少し、聞くのにも躊躇するわね。例えるなら、月面着陸したロケットの搭乗員にSF映画の感想を自慢げに伝えるくらいの気恥ずかしさがあるわ。


「く、車は飛べるようになったのかしら?」


「え~?」


 あとはそうね。タイムマシンの実現とかはどうなっているのかしら? いざ疑問に思うと聞きたいことがたくさん出てくるわね。


「う~ん、飛べるには飛べるよぉ。けど――」


「やっぱり!」

 これは夢が広がるわね。魔法でも出来なくはないけれど、やっぱり機械で出来る様になるのは浪漫があるわ。


「でもぉ、お金もとっても掛かるし、飛行機免許が必要だしぃ、空飛ぶ車を買った物好きが、空からゴミを投げ捨てて大変なことになったしぃ、別の国の領空内に入っちゃった人がAIで動くイージス艦に落とされちゃったり、旅客機の邪魔をしたりとやらかしちゃったから1年で生産中止と廃棄されちゃったよぉ」


「え? あ、そう……」


 フィクションは所詮フィクションなのね……。それより、イージス艦って何かしら? AIは人工知能よね? つまり、人工知能によって動いて判断する何かが空飛ぶ車を落とした――巨大ロボット?


「あ、アリスちゃ~ん、そろそろだよぉ」


 お母さんが手を招いて階段を指差している。すると、放送が流れてきた。


『雪原 アリスさん、雪原 アリスさん――』


 誰が雪原だって? その姓を名乗った記憶は一度もないわよ。

 しかし、そんな疑問も問うことも出来ないまま、お母さんに腕を引っ張られる。

 待って、そっちは階段よね? 案内を見る限り、そっちに用はないはずなのだけれど、私をどこへ連れて行くのよ。

 え? エレベーター? それは職員専用とかではないのかしら? どうして最上階を押すのよ。


 色々と説明不足のままエレベーターに乗せられ、私はとんでもなく静かに上昇している箱に足を震わせる。

 これ、落ちないわよね? なんでこれも静かなのかしら? 人間、どうしてあらゆるものを黙らせるのよ。いつか、声までも取っ払っちゃうんじゃない?


「……ねぇ、私はどこに連れていかれるのよ?」


「う~ん? えっとねぇ……あ、ついた」

 エレベーターの扉が開き、中途半端に言葉を止めたお母さんが足を進める。


 私はそれについていくしかないのだけれど、あんまりにも説明がなくて不安になるわね――って、お母さん、何だか偉い人が良そうな扉の前で手を振ってますけれど、私、場違いじゃない?


「ここ市長のいる部屋だよぉ」


 そんなに大声で言わなくても良いですから! 何となくそんな気はしてたわよ!


 コンコン! コ、コ~ン。と、軽快にドアを鳴らすお母さん。何だか、こっちがハラハラしてきたのだけれど、お母さん、ここにいても大丈夫な人間かしら?


「――どうぞ」

 ドアが鳴った後、部屋の中から優しげな声がしてきた。


 お母さん、許されているのね。


 お母さんが豪快に扉を開け放つのを驚きながら見つめ、周囲に視線を動かしながら部屋に入る私――これ、相当怪しいわよね。


「仁龍寺のおじさん、こんにちはぁ」


「梅乃さん、こんにちは。相変わらず、自由な方ですねぇ」


「でしょぉ?」


 お母さん、気づいて。多分、褒められていないわ。しかも大分オブラートに包んでくれているわよ。梅じゃなくて牡丹になるわよ。


「この子がアリスちゃ~ん」


「ええ、写真で見た通りの可愛らしい方ですね」


 この人凄くいい人ね。

 って、写真? 私のことを知っている――仁龍寺って言ったわよね。聞き覚えがあるわ。確か、翠泉が変わった名字だからって、パンを買いに行かせていた……。

 ふと、部屋を見回してみると、飾ってある写真に目がいく。

 どこか面影のある顔――老いても人懐っこく、小動物を彷彿とさせる雰囲気が写真越しでも伝わってくる。

 しかし、人懐っこいのは表と身近なものだけであり、よくよく目を見てみれば、獲物を狙う蛇のようにギラギラとしているのがわかる。


「……あなた、子蛇の縁者?」


「ええ――父はそう呼ばれていたみたいですね。貴女のことはよく父から聞いていましたよ」


 懐かしいわね。翠泉にいつもべったりくっ付いて、影で翠泉に反抗する人を倒していた懐刀。メンバー内ではマスコット的立ち位置だったけれど、メンバー以外には容赦なかったのよねぇ。


「ここに写真を飾らせてもらっている通り、父は先代の市長です。そして、二代連続で市長をやらせてもらっているのですが……」


 あの子蛇が市長ねぇ。確かに、一番野心があって世渡りも上手い感じだったけれど、あの不良がよくここまで出世したわね。


「だから、私の住民票も作れるってわけなのね?」


「ええ、父はアリスさんのために市長になったといつも言っていましたからね。もっとも、市長になる前は国会議員で土台を作っていたようですが」


 あまり深くは聞かない方が良いわね。

 けれど、あの子蛇が私のため――ね。私のことを姉さんなんて呼んで懐っこかったけれど、あの子の優先順位は1に翠泉だから、その辺りの兼ね合いもあったのかしらね。


「それでは――」

 市長が封筒を机から取り出すと、それを私に手渡してくる。

 これは何かしら? 書類だと思うのだけれど、今必要な書類なんてないわよね?


「保険証や免許証、さらにはパスポートと個人番号。この時代に必要なあらゆる書類のあれこれとその説明が書かれたものです」


「……そんなに渡して良いのかしら?」


「もちろんです。父はそのために準備していましたからね」


「そう――」

 私はそれらを受け取ると、市長に向かって頭を下げる。

 このくらいの礼儀は必要よね?

「ありがたくもらっておくわ」


「ええ、それとこの後は学校に行ってください」


「え? まぁ、そのつもりだけれど、どうして?」


「それはですね――」


「し~! おじさん、アリスちゃんを驚かせたいから内緒ぉ」


 お母さんが市長の口を塞いだ。

 いやいや、その方は市長ですよ? 総理大臣より偉くはないだろうけれど、一般市民からしたら偉い人よね? 口を塞ぐとかどうなのかしら? 打ち首とかにならない?


 お母さんの手を口から離した市長が申し訳なさそうに私を見てくる。

 いや、申し訳ないのは私の方だから。


「……梅乃さん、内緒にするのは良いのですが、それですと、アリスさんが不安になるのでは?」


「そんなことないよぉ」


 そんなことあります。ここに来る時もそうだけれど、一喜一憂して気が気でなかったわよ。

 それにしても、この市長良い人ね。私のことを可愛いって言ってくれたし、心を代弁してくれたし――よし、彼が死んだ暁には英雄として天の国に迎えましょう。


「それじゃあ、アリスちゃん、お昼食べてから学校に行こうねぇ」


「……もう慣れたわ」


 挨拶もそこそこに市長の部屋から連れ出される私。お母さん、そんなに手を引っ張らなくてもついていきますよ。


 ふと、市長が笑みを浮かべていることに気が付き、私は視線を向けてみる。


「アリスさん、父が残した言葉なのですが――」

 市長が柔らかい笑みを浮かべ、私を祝福するように――。

。だ、そうです」


「……ええ、そのつもりよ。ありがとう。今度、線香でもあげに行くわ」


「はい、お持ちしています。それと、孫のことをよろしくお願いします」


 今は亡き友人の残り香――少し寂しいけれど、人と神は共存出来ないからね。人の文化を模して、私は子蛇を労わることにするわ。

 って、そういえば、翠泉の方にも線香をあげなくちゃいけないわね。


 この時代に来て、やっと明確にやることが決まったけれど、今日はもう少しその残り香を歩ませてもらうわ。

 それより、孫って?

 それを市長に聞くより先に扉が閉められてしまい、私は変わらずお母さんに引っ張られる。 

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