第3話 食べ物の恨み

 待っていろと言われたから待っているけれど、暇ね。

 私は少女を……そういえば、名前を聞くのを忘れていたわ。よく考えたらこの子もそうだけれど、母親の名前も聞いていないのよね。少し聞いてみようかしら。

 私は二人とジッと見つめることでそれに気がついてもらい、二人から話しかけてもらおうと思ったけれど……あ、だめだ。膝に乗ってるこの子はテレビに夢中だし、お母さんの方は鼻歌交じりに料理していてこっちを見る気配が微塵もありはしない。

 さて、どうしたものか……そういえば、藤乃は? あの子に聞くのが手っ取り早い気がする。


「……呼んだ?」


「心の中で」


「そう……」


 どうにも反応の悪い藤乃だけれど、ちゃんと聞いていることは何となく理解できる。この手の人間は本当にただ反応が悪いだけなのである。昔……と、いうか、私の身近にもそんな人間がいたわね。


「二人の名前を聞いていなかったから困ってるのよ。見ての通りガン無視だし」


「ぇう?」


 少女が振り返って見上げてきた。これはアカン――そんな風に見つめられるとギュッと抱きしめたくなるわ。私は彼女のうなじに鼻を押し付け、ぐりぐりと――ふへへぇ、可愛すぎる。


「くすぐったいよぉ」


「……あんたから、すばると同じ匂いがするんだけど」


「誰よ?」


 聞いたこともない名前。私の知っている人かしら――あら?

 玄関が開く音。そして、どかどかと廊下を歩く足音――殿方よね? お父さんか誰かかしら?


「藤乃ぉ、買ってきたぞ」


「あ、昴にぃ」


 こいつが昴か……。

 そこにはやたら良い匂いのする袋をぶら下げ、顔面がボコボコの男性――先ほど鎖を使っていた人で、藤乃の下着と耳かきを盗んだ変態。

 ちょっと待ちなさい。さっき、藤乃はこれと私が同じ匂いがするって言ったのかしら? 私はそんな変態じゃないし、下着など取りませんわ。


「誰が同類だって?」


「……桜乃さくのを見る目が昴と同じだった」


「お? 同類ロリコンか?」


「一緒にすんな!」


「確かにお前も俺に愛でられる程度には小さいもんなぁ」


 鼻の下を伸ばしてる昴が鼻息を荒げて私を見てくるのだけれど……こんなのと一緒にされるなんて心外だわ。


 それに、下着なんて盗んで何の意味があるのよ。生身の温もりが一番に決まっているじゃない。


 っと、そういえば、今藤乃が言った桜乃っていうのはこの子のことかしら?


「桜乃って名前なのね?」


「うん! 雪原 桜乃だよぉ」


 膝の上で身体を揺らして嬉しそうに自己紹介しておる……なんだこの子、もっと揺らしなさい。色々な部分がこすれて気持ち良い。

 って、やばいやばい。こんなことを考えるから変態だと思われるのよね。私はただ、可愛い子と戯れたいだけなのよ。


「ここは相変わらず、俺のパラダイスだよなぁ。俺はただ、小さい子と戯れたいだけなんだが、街でやったら捕まっちまうからな」


「………………」


 言葉は同じでも、意識の差があるに決まっている。こんな変態と私は同じことを言っていないわ。


「……警察が捕まえなくても、あたしがあんたをボコボコにするけれど」


「構わん! お前に殴られ続けて早十数年――俺は目覚めた」


「……一生寝てろ」


 藤乃の拳が昴の顔面――ああはなりたくないわね。


「っと、そうだ。桜乃、お母さんの名前は?」


「お母さん? えっとぉ――」


「お母さんはお母さんよぉ? アリスちゃん、そのままお母さんって呼び続けても良いからねぇ。娘が増えたぁ」


 台所から顔を覗かせるお母さんが満面の笑顔で言うんだけれど……私のお母さんではないわよね。それに、私の方が年上よ? これでも長く生きて――言うだけ無駄ね。


 あら? というか、さっきから思っていたのだけれど、私、もしかしてここに住むのかしら? それはありがたいのだけれど……。


「ねぇ、藤乃」


「……何?」


「私ここに住むの?」


「――? ああ、そりゃあそうだけど?」


 そりゃあと言われましても、私はあなたたちに何の関係があるのか一切話してもらってないのだけれど。


「えっとねぇ、アリスちゃんがここに来たら一緒に住めって言うのがおじいちゃんの遺言なのよぉ」


「おじいちゃん?」


「……あたしにとってのひいおじいちゃん」


 え? 何故? ひいおじいちゃんって言うと、きっとまだ私がこの街にいた時の人間よね……えっと、何かが喉に引っかかってる感じ――あ。


「雪原……もしかして貴方たち、翠泉すいせんの身内?」


 やっと思い出した。普段から翠泉と呼んでいたから気が付けなかったけれど、確か、雪原という苗字だったはず。

 私が最も長く一緒にいた人間――雪原 翠泉。そして、私の最後を見届けてくれた人間であり、最初で最後の奇跡を託した人間。


 つまり、魔法という理を世に伝えるために私が送った使者……なんだけどなぁ。今の人類には魔法がちゃんと伝わってないのよねぇ。


「……うん。それがひいおじいちゃん」


「あたしのおじいちゃんねぇ」


「………………」


 内から湧き上がる怒りが沸々と。

 ほう、この子たちが翠泉の身内――。


「ふがぁぁぁぁ!」


「……どうかしたか?」


「どうかしたじゃないわよ! 何で私が授けた魔法がこんな風に使われてるのよ! 貴方たちは、その説明義務を私に果たすべきだわ!」


 私は確かに人類の発展を願った。しかし、いざ蓋を開けてみると、魔法は娯楽に使われており、技術は発展しているようだが、思っていた発展とはかけ離れている。


「私は……ただ、人間にもっと楽を――」


「はいは~い! とりあえず、昴ちゃんも来たしぃ、ご飯にしないかなぁ?」


 お母さんが私の脇を抱える様に持ち上げてきたんだけれど、私は子どもじゃないわ。

 とはいえ、少し八つ当たり気味だったわね。桜乃が困ったような表情で見上げてきているし、藤乃も頭を掻いてだんまりしている。


「……ごめんなさい。ちょっと感情的になったわ」


「いや、うん……よく知らないけれど、あんたがイーケリアーやるために魔法を与えたわけじゃないのは理解した」


 藤乃が軽くだが、頭を撫でてくれる。

 あ――そういえば、藤乃が誰かに似ていると思ったけれど、このぶっきら棒な感じ、完全に翠泉だわ。


「貴女、ひいおじいちゃん似とかって言われない?」


「ん? ああ、言われる」


「そうなのよぉ、藤乃ちゃん、おじいちゃんにそっくり。髪も白いしぃ。目つき悪いしぃ」


「……母さん、それは年による白髪だよ。あと、目つきも年相応の貫録じゃない?」


「いえ、翠泉は銀髪だったわよ。目つきに関しては、普段からバイク乗り回して、バット振り回しながらよく県外に行って不良グループと喧嘩ばかりしていたから」


 私は少し懐かしく思った。


「……なぁ、俺、まったく話についていけてないんだが」


「なんだいたのか。帰って良いぞ」


「ひどくね! 買い物行かせるだけ行かせて、あとは用無しかよ! この鬼! 悪魔! まな板――」


「……殺されたいようだな?」


  昴の断末魔が家じゅうに響く中、私はお母さんに抱っこされたまま椅子に着陸――。机にはたくさんの料理が並んでおり、一体これだけの量を誰が食べるのだろうか? しかも、昴がピザと寿司とフライドチキンを買ってきていたはずなのだけれど……多くね?

 大皿には山のように盛られた大量のから揚げ×2、横の大皿には大量のサラダ×3、底の浅い鍋に入ったパエリア×6、アクアパッツァ×4、大量のアヒージョ。

 見ているだけでお腹いっぱいなる量なのだけれど……。


「えへへぇ、張り切っちゃったぁ」


 張り切り過ぎじゃない? これは普通なら四日分くらいの量じゃないかしら。


「わぁ~、お母さんのパエリア、大好き」


「……母さん、何で嬉しいことがあるとスペイン料理を作るの? まぁ、美味しいから良いけれど」


 子どもたちが量に言及することなく着席しているんですが。

 すると、変態が血を鼻から垂らしながら肩を叩いてくる。出来れば触れてほしくないんだけど。


「……驚くよなぁ。小学生の時、初めてこの家に泊まったんだが、死を覚悟したよ」


「……何故、食事風景に死の匂いが香ってくるのよ」


 げんなりした昴が席に着くと、お母さんがパエリアを鍋ごと昴の目の前に置き、続けてから揚げをに盛り、それを笑顔で昴に手渡す。


「まだまだたくさんあるから、いっぱい食べてねぇ」


「……はいッス」


 昴が身体を震わせているが、きっと気のせいだろう。

 あれで最後なのだ。まさか、わんこパエリアなんてするわけもないでしょう? 台所からこちらを覗いているようにさえ見えるパエリア鍋は、お母さんがきっとパエリア鍋のコレクターだから積まれているのよね? 私には明らかに水に浸されているだろう米は一切見えない。


「そういやぁ、さっき言ってたけれど、翠泉って言ったらイカロスを広めた人だろ? 藤乃のひいじいちゃんだっけ?」


「……そう。それで、その子がアリス」


「は?」


 昴が首を傾げて私を見る。醜く首を傾げるのは止めなさい。それをやって良いのは可愛い子だけよ。

 しかし……ふふ、やはり驚かれるわね。ここで私は神と呼ばれる理由を見せるべきよね。


「ふっふっふぅ~。私が神よ!」


 銀色の粒子を周囲にまき散らし、神々しさと華やかさと私という可憐さを演出――驚き私にひれ伏しなさい。


「なんだ、藤乃と同じじゃねぇか。でも、壁がなくてどうやって魔法を使ってんだ?」


「お~な~じ~じゃ~な~い~。む~、見てなさい――」


 気になる発言があったけれど、それどころじゃない。ここは神の威厳を見せなければ。

 私は銀の粒子を手元に集める。これが私が神たる所以――。


「ふぎゃ」


「……ご飯だから大人しくしろ。あとで見てやるから、それは仕舞って」


 藤乃に頭を押さえつけられ、渋々ながら魔法を解く。確かに食事中にすることではないわね。


「本当にアリスちゃんなのか? アリスちゃんっておかまだろ?」


「ち~が~う~! と、いうか、何で私がおかまさんで広まってるのよ! それだけは譲れないわ」


「あ~、それねぇ~」


 お母さんがそう言いながら部屋から出て行った。なにかあるのかしら?

 そうして待っていると、手に封筒を持って戻ってきた。お母さんが封筒の中から便箋を取り出す。


「えっと、なになに――?」


『あと30年もすれば、小生意気な小娘が調子に乗って復活してくると思う。そうなったら、この家に住ませてやってくれ。一人だとわかったらきっとピーピー泣くだろうからな。

 そいつの名はアリス。イカロス――魔法を私たちに与えてくれた変わり者の神。見た目通りのクソガキで、軽度のナルシストだ。扱いにくいと思ったら抱っこしたり撫でたりすれば機嫌がよくなる。

 私はアリスちゃんとして世に広めたが、出来ることなら、あまり世間にアリスを出さないでやってくれ。

 追伸――俺の大事なカステラを喰った恨みは忘れんぞ。よってお前は世ではおかまと呼ばれている。食い物の恨みを侮るなよ? 小娘』


「………………」


 あんぐり――相も変わらず所々で毒を吐く翠泉に少し安心している自分がいることに驚いたけれど、最後の文章はどう考えても私が読む前提で書かれていることに多少の苛立ちを覚える。


「……私のことを小娘というのは止めろと言ったはずなのだけれど」


「おじいちゃんの遺書よぉ。この手紙とアリスちゃんが写ってる写真が残されてるのよぉ」


「……カステラを食べてしまったのなら、アリスちゃんが生まれてしまったのにも納得できるな」


 出来ねぇよ。貴方たちの中でカステラがどの立場にいるのよ。


「あ~、えっと、マジでアリスちゃん?」


「ちゃん付けするな。私はアリスよ。覚えておきなさい」


 食べ物の恨みがまさかここまでの影響を及ぼすとは思わなかったわ。

 この家ではカステラを見かけたら一切手を付けないようにしましょう。


「さてぇ、それじゃあそろそろいただきますしよぉ?」


 そろそろお腹も空いてきたと思っていた頃ですし、お母さんに従うことにしましょう。

 まだまだ聞きたいことがあるけれど、それは食事をしながら――。

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