第3話

 治療があらかた終わると、レヴィンは治療院を出ていった。一週間以上も休業していた治療院は通常営業に戻り、また患者たちが通ってくるようになった。

「ずっと寝込んでたんですって? 薬師が病気になんてなっちゃ駄目じゃない」

 呆れ顔をする常連患者の女性に、フィリアは曖昧な笑みを返す。休業の理由は、表向きには風邪のせいということにしてあるのだ。

 女性が帰ってしばらくすると、室内に長い影が差した。

「今、いいか?」

 戸口に立っているのはレヴィンだ。薄手の黒の上下に黒い編み上げ靴を履いていて、まるで彼自身も影のように見える。

「どうぞ」

 フィリアはレヴィンにベッドを勧め、薬草の用意を始めた。レヴィンはいったんここを去ったあとも、治療のために毎日のように通ってくる。傷はもう放っておいても治るくらいなのだが、まだ痛むのだと言われては断れない。

「これでいい?」

 かさぶたの上に湿布を当てながら尋ねる。

「ああ」

 レヴィンは気持ちよさそうに息を吐き、「ところで」と切り出した。

「ここの経営は上手くいっているのか? あまり患者が多いようには見えないが」

 言いながら、ざっと室内を見渡す。全部で四床あるベッドは、今使っているものを除いて覆い布がかけられている。患者が何人も同時にやってくることはまずないからだ。

「失礼ね、ちゃんとやっていけてるわよ。毎日来てくれる常連さんだっているし」

「それでも、全体の人数は減っているんだろう?」

「そりゃあ、ね。まだ治療が途中なのに、ぱったり来なくなっちゃった患者さんもいるわ」

「『魔女狩り』のせいか」

「……たぶんね」

 フィリアはためらいながらうなずく。

 このところ、〈獅子の爪〉の動きが活発になってきている。王の病状が思わしくないため、王に呪いをかけた魔女とやらを必死であぶり出そうとしているらしい。

 数日前には、王城に茶葉を納入していた店の女主人が部隊に連行されていった。魔女は茶葉や薬草を調合して、さまざまな効能の飲み薬を作り上げるという。薬師であるフィリアも、魔女として疑われる可能性はあった。

「怖くないのか? 次に連れていかれるのは、あんたかもしれないんだぞ」

 レヴィンは平然とした口調で、物騒なことを言う。しかし、フィリアがそれに怯むことはなかった。

「怖いわよ、もちろん。でも、薬師が薬草を使ってなにが悪いの? 私は患者さんを治療してるだけで、王様を呪ってなんかいないわ。できることなら、病気を治してあげたいくらいなんだから」

 唯一の気がかりは「力」を使ったことへの報いだが、今のところ、レヴィンの命が助かったというほかに影響は出ていない。

 堂々と言ってのけたフィリアに、レヴィンは面食らったように目を丸くする。そして、唐突に笑いだした。

「あんた、やっぱり変わってるな」

 湿布を貼りつけた腹を抱えて、なおも笑う。

「ちょっと、お腹痛いんじゃなかったの?」

 フィリアは呆れながらも、初めて見る彼の表情から目が離せずにいた。憂いを取り去った、子供のようにまっさらな笑顔。

 変わってるのはお互い様よ、と心の中でつぶやく。魔女狩りに遭うかもしれない薬師のもとへしつこく通ってくるなんて、変人としか思えない。

 けれどいつの間にか、彼の来訪を待ちわびている自分がいるのも確かだった。霧が晴れるように少しずつ表情が明るくなっていくさまを、ずっとそばで見ていられたら。――そんなふうに思うのだ。

「じゃあ、また」

 治療が済むと、レヴィンは満足顔で治療院を出ていった。

 入れ替わりにやってきたのは、常連患者の老女だ。フィリアの顔を見るなり、慌てた様子で駆け寄ってくる。

「ああよかった! 無事だったんだね」

 老女はフィリアの両手を取ると、大きく息を吐いた。気分でも悪いのか、しわだらけの頬が青ざめて見える。

「どうしたの、そんな顔して。私なら大丈夫よ。ここだって、朝から平和そのものだし」

 フィリアはなだめるように言った。しかし、老女の顔からはますます血の気が引いていく。

「馬鹿だね、平和なもんか!」

 老女は悲鳴じみた声を上げると、振り返って入口のほうを見た。

「いいかい、あんたは知らないみたいだから言うけど――」

 低めた声に、フィリアの胸がざわりと波立つ。

「今出てった男、〈獅子の爪〉の指揮官だよ」


 その夜はなかなか寝つけなかった。昼間患者から聞いた一言が、いつまでも耳の中でこだましている。レヴィンが魔女狩り部隊の指揮官だなんて、悪い嘘だと思いたかった。

 しかし患者の老女は、彼が〈獅子の爪〉を率いて街を歩いているところを見たという。部隊員の証である、獅子の紋章入りの軍服と軍靴を身につけていたとも。確かにレヴィンは、いつも黒い編み上げ靴を履いている。折り返し部分に型押しされた模様は、言われてみれば紋章に似ていた。

 寝返りを打つと、ベッドが軽くきしんだ。あの雨の夜とは逆に、息の詰まるような静寂が眠りの邪魔をする。

 もし本当に、レヴィンが〈獅子の爪〉の一員だとしたら。いったい彼は、今までどんな思いでフィリアのそばにいたのだろう。魔女になりたいなどと言ったのは、フィリアを試すためだったのだろうか。傷が癒えても治療院に通ってくるのは、フィリアという「標的」を監視するためなのだろうか。

 疑問は次々と湧いてくるが、答えは一つとして見つけられそうになかった。真実は、きっと彼自身しか知らない。

 今度レヴィンがやってきたら、思いきって訊いてみよう。フィリアはそう決意して、浅い眠りに落ちていった。

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