第2話
この力に気づいたのは、確か五歳のときだ。母に連れられて出歩くようになった街は、珍しいものにあふれていた。あれも欲しい、これも欲しいというフィリアのわがままを母は聞き入れてくれなかったが、望んだものは結局、幸運な偶然によって手に入るのだった。
自分には、幸運の神様がついているのかもしれない。そう考えたフィリアは、思いつくままにいろいろな願いを口にしてみた。
お金持ちになれますように。
綺麗な服が着られますように。
ごちそうがたくさん食べられますように。
そして、そんな願いはまたしても叶えられることとなる。
願いをかけた翌朝、治療院の前には金貨の詰まった袋が落ちていた。近所で仕立屋を営む女性は、子供用のドレスを気前よくくれた。初めて訪れた親戚の家では、テーブルいっぱいにごちそうが並んでいた。
予想以上の収穫にフィリアは舞い上がったが、その喜びは長くは続かなかった。幸運の裏にあるものを知ってしまったからだ。
金貨は、とある貴族の邸から盗まれたもの。ドレスは、それを着るはずだった子供が急死して行き場がなくなったもの。そしてごちそうは、親戚の葬儀の席で出されたものだった。
もしかして、自分の願いを叶えるために、他人が不幸な目に遭っている――?
ふと浮かんだ考えに、幼いフィリアは震え上がった。ただの偶然として跳ねのけるには、あまりにもできすぎていた。
それからというもの、フィリアは聞き分けのいい子供になった。欲しいものはないかと訊かれても、黙って首を振るような子供に。
奥の小部屋でお湯を沸かしていると、治療室から物音が聞こえた。慌てて戻ってみれば、青年が床の上で身を起こしている。
「駄目よ」
フィリアは青年のそばにしゃがみ込み、首を振った。急に動いたりしたら、傷が開くかもしれない。
「心配ない、もう傷はふさがっている。そっちのベッドに移るだけだ」
青年は床に手をついて立ち上がると、ふらつく脚ですぐ脇のベッドによじ登ろうとした。途中で後ろに倒れかけたところを、フィリアがどうにか受け止めてベッドに押し上げる。
「……なにも訊かないんだな」
乱れた息を整えながら、青年は試すような目でこちらを見た。
「俺が何者か、気にならないのか」
フィリアはその目を見返し、また小さく首を振る。
「あなたがどこの誰でも、私の患者ってことに変わりはないわ」
まったく気にならないといえば嘘になるが、薬師たるもの、患者を選んではいられない。どんな素性の人間にだって、適切な治療を受ける権利があるからだ。
「変わってるな、あんた」
青年はぽつりと漏らし、天井を仰いだ。気が抜けたようなその顔は、少年じみたあどけなささえ感じさせる。二十歳くらいかと思っていたが、案外もっと年が近いのかもしれない。
「……レヴィン」
「え?」
「俺の名前だ」
そう言うと、青年は壁のほうを向いた。
「わ、私は――」
慌ててフィリアが名乗り返そうとしたときには、すでに寝息を立てている。
「もう、勝手なんだから」
傷口を消毒しようとして、ふと気づく。床からベッドに移動したぶん、しゃがむことなく楽に作業ができる。
「まさか、そのためにわざわざ移動してくれたの……?」
尋ねても、当然答えは返ってこなかった。
レヴィンという名の青年は、その後も驚くような回復ぶりを見せた。乾燥して小さくなっていく傷口を目にするたび、フィリアは嬉しさと罪悪感の入り混じった気持ちになる。
不思議なのは、怪我が治るにつれてレヴィンの表情に陰りが出てきたことだった。ときにはベッドに起き上がって、壁の一点をじっと見つめていたりもする。その憂いを含んだ眼差しを内心気にかけながらも、フィリアはふだん通りに治療を続けた。
「なあ」
思いつめたようにレヴィンが口を開いたのは、包帯を取り替えていたときのことだ。
「魔女というのは、本当にいると思うか」
飛び出した単語に、フィリアの心臓はどくんと跳ねる。
「……どうしてそんなことを訊くの?」
もしかして、「力」のことに気づかれただろうか。身を強張らせながら反応をうかがうが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「自分も魔女だったら、と思うことがあるからだ」
そう言って微笑むレヴィンの瞳には、昏い光が宿っている。
「魔女は魔法を使って、他人を呪い殺したりできるんだろう? 直接手を下さなくていいなんて、便利じゃないか。いっそ俺にもそんな力があれば――」
あふれ出した台詞は、しかし最後まで続かなかった。パン、と乾いた音が響き、レヴィンの上半身がわずかに揺らぐ。
「馬鹿なこと言わないで」
フィリアは押し殺した声で言った。レヴィンの頬を打った右手が、しびれたようにじわりと痛む。
「呪いなんかじゃ、誰も幸せにはなれないわ。『力』を使えば、それ相応の報いが返ってくるのよ」
幼い自分の他愛ない願いが、他人の命を奪ったように。
フィリアはレヴィンを睨みつけた。彼は打たれた頬に手をやったまま、呆然とした顔をしている。そして我に返ったように唇を引き結ぶと、小さくつぶやいた。
「悪かった」
その目はもう、澄んだ灰色に戻っていた。
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