乙 武夜のチン騒動
灯凪田テイル
第1話
短編
「チャンチャン、かな」
けろりとした顔で、朝のニュースを見終った
この男、やはり懲りていない。
彼の秘書兼お世話係兼(大学時代からの)友人、
「じゃ、タケ(乙 武夜の愛称)、俺行くから」
「ああ、また明日」
コーヒーをゆっくりと飲みながら片手を上げたタケの背中を見ながら、お前の憲法はお前自身なんだな、とのび太は思った。
「のび太くん、お待たせ」
春らしい若草色のツーピースに身を包み、
「やあ、忙しいのにごめんな」
「いいのよ。のび太君の方こそ、いろいろあって忙しかったんじゃないの?」
ハイジがそう気遣ってくれたのは、例の一件のことだ。世間を仰天させた騒動の主役は、もちろん俺たちの元同級生タケ。
「さっそくだけど、なににする?」
ハイジは茶色の革表紙のメニューをめくりながら、小声で言う。
「やっぱ、銀座のイタリアンは高いわね」
「ランチだから、そうでもないよ」
「奢ってくれるってホント?」
「うん。タケと違って、俺の甲斐性、それくらいしかないから」
「やだ。のび太君、やっぱり結構まいってるんじゃん」
図星だ。
秘書兼お世話係兼友人の俺がこんなに意気消沈してるのに、当事者であるタケは…。
「ええと、このBコースにする。のび太君は?」
「あ、じゃ俺も」
銀座の有名高級イタリアンの給仕は、慇懃にメニューを受け取り去って行った。
「で?」
ハイジがグラスの水を一口飲みながら、本題に入る。
「タケは?」
「いつも通りさ。たいしてまいっている風でもない」
「ふ~ん」
手持無沙汰な俺も、グラスの水を一口飲む。
ハイジがいきなり、こう切り出した。
「大体さ、タケを有名にした大学時代に書いた著書をちゃんと読めば、聖人君子じゃないことぐらい分かりそうなもんじゃない」
「まあね。障害がなけりゃ、ただの能天気なそこら辺にごろごろしてる〈あんちゃん〉のひとりだったからな」
「障害があるってだけで逆にヒーローみたいに扱われて、一番居心地悪い思いしてたの、実はタケだったんじゃないの?」
「だけどさ、やっぱあの表紙とタイトルは、当時としては衝撃だったわけよ。いまよりもっと、障害を持った人達が肩身の狭い思いしてた時代だし」
「そんな中、電動車いすでホイホイ雪の日にもバーゲン行っちゃうタケは、相当特異な存在として受け取られても仕方ないか」
「あいつ、隠さないからな」
「だからって、不倫まであっさり認めちゃうってどうよ?」
給仕が前菜を持ってきたので、いったん話は中断された。
お上品に盛りつけられた5種の前菜の一つに、ちょっと乱暴にフォークを突き刺しながらハイジが言った。
「腹立つ。あたしね、タケが結婚して子供ができた時、知り合いに『それって人工授精ですか?』って真顔で聞かれたんだよ」
「まあ、結婚したときだって、ここまでハンディキャップがある障害者が健常者と結婚で来ました!的な扱いだったからな」
「タケ、内心困りながらも、世間の常識に合わせたコメントしてたよね」
こんなことがあって、再びワイドショーに流されている若かりし頃のタケの映像を思い出しながらハイジは言った。
「ねぇ、あたし思うんだけど。もしかしたら…」
「なんだよ」
ハイジが少し言いにくそうに、周りを見回してから小声で言った。
「今回の件は、もしかしたらそういった世間の根強い偏見を払拭する、タケなりの挑戦だったんじゃないの?」
「え~、だからって、こんな地雷級の騒動引き起こすか?」
そう言いながらものび太は、この草食系の時代に健常者よりも派手に〈絶倫〉をアピールすることになったタケを、心のどこかでアッパレだと思っている自分に気づいていた。
「まあ、あいつにしたら、根本に障害者も健常者も人生を楽しむことにかけては平等だって意識があるからな。楽しんだ者勝ちっていうか、さ」
「タケといると、五体が不満足なのは一目瞭然なのに、障害者だってことを不思議と忘れてるもんね。なんか、そんなのどうでもいいじゃん、みたいな」
「ああ。天然パーマだとか、タレ目だとか、耳がでかいとか、そういう個性の一つだと思えてくる」
「タケは別に、障害者なのに努力次第でここまでできる!なんて美談にしてほしかったわけじゃないのにさ。実像を離れて『清廉潔白』『教育熱心』『人格者』的なイメージが独り歩きしちゃって、とうとうぶちギレちゃったんじゃないの?」
「ありえる。タケ、中身はやんちゃだし、チャラいし、悪ふざけ大好きだし、意表ついて驚かせることに情熱燃やす困った性格だし」
「いろいろ続かなかったのも、すぐ新しいことに目移りしちゃう飽きっぽいところあったからかな?」
「飽きっぽいは許されるけど、だからって五股不倫はなぁ…」
「…なんか、羨ましがってない?」
「そ、そんなことないよっ」
そう言いながら、のび太はメインディッシュの肉料理をフォークからぽろ、と落とした。
やばい、動揺がバレバレだ。それに比べて、タケの胆の座りようは…とのび太は思わずため息をつく。
「もしかしたらさ」
「お、おう」
「タケ、してやったりって思ってるんじゃないの?」
「ま、まさか」
のび太はそう言ったが、ハイジが言った可能性はなくはない。
「健常者でもなかなかできないことを、俺やっちゃったぜぇ~、なんて実は面白がってるんじゃないのっ。ったく、相変わらずとんでもないヤツ」
ハイジはそう言いながら、クスリと笑った。
「だってさ、いままでもバラエティーやインタビューで、女の子好きは口にしてたじゃない。それをジョークだって受け取ってたのは周りの方で、タケはいつだってあけっぴろげなバカ正直で」
のび太は、パンの最後のひと欠片を口に放り込みながら言った。
「だけど、いったんは世間が用意した制服を着たのはアイツの意志だぜ?」
「それが窮屈になってきたからって、勝手に脱ぐのはルール違反ってこと?」
「まあ、一般的に大人のすることじゃない」
「タケはもともと存在自体が、一般常識からかけ離れてるじゃない」
それはそうだが、大多数が占めるから一般常識と言うのだ。それから外れる人間を、世間は糾弾しようとする傾向にある、とくに最近は、とのび太は思う。同じじゃないと、安心しないというか。
「だけど、残念だったな」
「うん?」
「政治家」
「ああ。いまの政治家たちって、小者揃いだからね。優等生のサラリーマン政治家か、打たれ弱い二世か、自尊心の強いタレント崩れ…。国会だって上げ足の取り合い、重箱の隅の突き合いだし」
辛辣な持論を披露しながら、ハイジはぺろ、と舌を出すと再び周りを見回した。
周りを気にするぐらいなら言うなよ、とのび太は思ったけれど。大概の人間は、自分と周囲との距離を測りながら生きているのだ。
だけど自分たちの処世術と、タケの処世術はきっと生まれた時から違っていたのだろう。
「それこそ、税金の無駄遣いだよな」
「カリスマがいないってことよ、独裁者はいるけどね」
日本人は神風の時代から変わっちゃいないのかもしれない、とのび太は思った。集団になると怖い、否に耳を貸さず、核心となる議論は尽くさず突き進む。それがいま政治の世界で起こっているとしたら、この国はどうなるんだ?
急に黙ってしまったのび太を、ハイジが怪訝そうに覗き込んだ。
「な、なんでもないよ」
「そう?」
気を取り直したように、のび太は続けた。
「昔はさ、政治家とか大物タレントとか、愛人なんて公然の秘密で。英雄色を好むってね」
ふん、とハイジは面白くなさそうな顔をした。
「誤解しないでよ。あたしは、
「わかってるよ、ひめ(タケの嫁)だって、俺たちの後輩なわけだし。子供までいるんだから、タケのしたことは人でなしだと思うよ」
「ホンット。ろくでなしの、ばかチャラ男!」
エスプレッソが運ばれてきた。
「…人生って、ほろ苦いわね」
「いや、タケは最高のゲームだって言うよ」
ハイジは、カップに浮かんだ白い泡をしばし眺めていたが、やがてぼそりと言った。
「チャレンジャーだな、タケって」
「ああ」
「きっと、死ぬときに『ああ、人生面白かった。やりたいことやり尽くしたぁ~』って言って大往生するんだろうな」
「もしくは、アインシュタインみたいにベロ出して『バイバ~イ』とか」
ふふ、とハイジが楽しそうに笑った。
「たいしたヤツだね」
「ああ、たいしたヤツだ」
「ヘッドロックかましたいくらい」
「足四の字固めとかさ、できないけど」
「あはは」
銀座の高級イタリアンで久しぶりにゆっくりランチを楽しんだのび太とハイジは、店を出るとそれぞれの方向へ別れた。
ハイジが見上げた空に、白い雲が一つぽかんと浮かんでいる。
「まあ、等身大のタケの、一部分でもバレて案外すっきりしてるのかもな、アイツ」
急ぎ足の人波に逆らうように歩きながら、のび太は盛大にクシャミをした。
「次は、なにをやらかす気だよ。え、タケ?」
乙 武夜のチン騒動 灯凪田テイル @mikazuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます