Dreamf-9 幻の皇(A)
1
午前六時半。
どうやらスカイベースの食堂ラウンジに一番乗りらしい。
「吉本さん!」
「あ、コマンダーおはようございます」
食堂の厨房の奥から吉宗と歳が近い小太りした女性が現れた。
吉本さんと呼ばれたその女性は吉宗とは古い付き合いの友人だった。
「ん。おはようさん。朝ご飯くれや」
「はやいですねえ、いつも」
「まあな、年取るとどうも眠れんのや」
「私もおなじです。さもなきゃ、こんな朝早くから食堂の用意なんかしてません」
「そうやな、吉本さん俺よか早起きやもんな、こんな空の上で」
「私はまた月曜になったら一週間下に降りるんで、楽なもんですよ。それよりコマンダーは最後に下に降りたのはいつなのか、もう覚えてないんじゃないんですか?」
「んん……息子の結婚式と、孫の結婚式……あとは知り合いの葬式で……。そうやなあ、冠婚葬祭の式ぐらいやな、降りるんは。五年前か、最後は」
「ほら、五年前ってもう……」
「大丈夫や健康には気を付けてる」
「何してるんですか?」
「毎朝欠かさずラジオ体操や」
「あぁ……」
「あれな、しっかりやると案外いい具合に疲れるんやで?」
「毎朝テレビつけて?」
「そうや? 俺の朝は体操と、茶を点てることで始まるんや」
そんな会話を交わしながら、吉宗は吉本さんに朝食券を渡し、吉宗はそれを引き換えに出来上がった朝食を受け取る。
味噌汁に、赤鮭とおひたし、大サイズの白ごはんにご飯物の納豆。
一汁三菜とご飯物をおぼんに乗せて貰い、
「ありがとう」
「ごゆっくり」
今日の朝食を受け取って適当に席を探す。
「ん?」
テレビが見れる最適な席を探していたが、その時初めて今日は一番のりではないと分かった。
吉宗から見て柱の陰に隠れていて見えなかった。そこには円がいた。
一番乗りでないのは残念だったが、話し相手がいることはいいことだと思った。
「おお、円」
「……ッ、コマンダー。おはようございます」
呼びかけられこちらに気付いた円は振り向き、座りながらもほんの少し頭を下げる。吉宗は円と相席になるように座る。
「お前さん、今日早いな。いつも八時ぐらいまで寝とるやろ」
「夢見が悪かったんですよ」
「夢見が悪い? どんなん見たんや」
「聞かないでくださいよ」
「んん、今よかは悪いんや。ええことやないか」
「え?」
「悪いことは夢の中に起こるに限る。ホンマに起こったら、一たまりも無いからな」
「ええ……そうですね」
「まあ睡眠ままならんほどの悪夢を見るっちゅうことは、今以上に悪い状況が考えられるんやろ。気持ちには余裕があるっちゅうこっちゃ」
「今以上?」
「知らんかったんか、見てみ」
と、吉宗はタブレットがた端末の画面を開き円に見せてやる。
端末を差し出され、画面に映し出されたニュースを見、「まさか……」と言葉を漏らし、眉を潜めた。
ニュースの見出しには、「都内に怪獣出現」「謎の部隊と謎の少年」「人間の危機! 光の戦士現る!」など、普段はUMAなどを取り上げる雑誌のような記事を、新聞各紙が取り上げているのだ。
所々に見える「光の戦士」やら「超能力者」「謎の少年」「救世主」と言うのは円の事だろう。謎の部隊とは間違いなく自分たちSSCの事か。
「昨日のゴールデンタイムのバラエティも無くなって、全チャンネルがこのニュースになっとった」
「もう隠しきれなかったのか……」
「いつかはこうなる……。分かっとったんや」
「これからどうなるんです?」
「うん、ビーストの出現に関しては何者も止めることは出来んやろう。都心や住民が集まる所に境域が発生する前には避難活動を行わせるやろ。やが……」
「ビーストが出現するって聞いて、興味本位で居残ろうとする人、そして――」
「お前さんを見たいって奴やな」
円は大きく溜め息を吐く。心底疲れ切ったかのような表情を浮かべて椅子に深く腰掛け、小さく舌打ちを打つ。
「迷惑な話だ……」
「全くや」
話が止まったところで、吉宗は「いただきます」と手を合わせ、赤鮭に手を出す。お箸で切り取る。ここ最近では赤鮭が少し硬く感じてきている。体の衰えか。
切り取った赤鮭を口に含んで一、二回ほど咀嚼し、今度は白ごはんを口に含んで一緒に咀嚼する。
食べ物を飲み込んだところで、ある事に気づく吉宗。
「ん、円、飯は食わんのか?」
「……? ええ、ごはん自体はさして必要じゃないですから、スピリットは」
「腹が減らんっちゅう訳か」
「そうですね。エネルギー切れさえなかったら死にませんから」
円の言う「死ぬ」とは、「消失」の事である。命の生き死にという概念とはまた違ったものだ。その生死と呼ばれる命の概念が無いからこそ、ビーストを倒せる。逆に言えばその命の概念があるものではスピリットはおろか、ビーストにすら敵わず蹂躙されかねない。そんな生命の概念すら逸脱してしまった円だが、吉宗にとってはその言葉がどうも気に食わなかった。
「ん……」
「ん?」
すっ、と吉宗は食券を円に差し出し、当の円本人は初めて見るものを見ているかのような表情を浮かべ、食券を見る。
「何ですか? これ」
「食券や。これもって、朝飯貰って来い」
「いや、だから――」
「命令や」
その吉宗の命令と言う言葉に円は溜め息を吐きながらも受け取り、席を立つ。
向かった先を見届けた後、吉宗はまた少しずつ食を進めていった。
赤鮭や味噌汁が元の量の三分の二ほどになった頃、円は今日の朝食を持ってくる」
「おかわりですか? これ」
「俺の奢りや、それは」
「やっぱりか」
「
「まあ、お腹空かないと食べたいとは……」
「それが違うんや」
「……?」
「例えばいまそこにあるおかずの魚。元々海を元気に泳いでた普通の鮭や。俺等には何の悪いことはしてない。けど、俺等はこいつらをとっ捕まえて、こうして食べてる。ごはんも、味噌汁も、納豆もや」
「まさか、命に感謝しろって?」
「それも当然や。けど、それが本質やない」
「……?」
「食の感謝っちゅうのは、いわゆる結果や。なんで感謝するのか。それは「
「生命を享受?」
「そうや。命は他の命を喰らい、生を永らえさせる。喰らうっちゅうことは殺すっちゅうことやな。所詮生きるっちゅうのは、他を犠牲にするっちゅうことや。他に犠牲を強いり、自らの命を永らえさせ、自らは他に贖罪し感謝する。それが、「生命の享受」や」
「でも僕はその他の犠牲は必要ない」
「いや、お前が他の犠牲が必要や
「え?」
「昨日のお前さんがビーストから救ってくれた人数は三〇一七人。つまり、円はそのたった一日で三〇一七の生命の運命に干渉したんや。無関係やっちゅうのはもうありえん話やで」
「それで?」
「お前にも生命とは真っ当に関わってもらう。生命が無いなら、せめて生命と真っ当に関われ。さもないと、お前はただの
「ただの怪物か……」
「生命を喰らい、その犠牲に贖罪し、感謝する。そのための、これやろ。それに、うまいもん食えば悪い気も飛ぶやろしな」
と、吉宗は手を合わせる。
その意味を察したのか円は、今度は先ほどまでとは全く違ったような溜め息を吐き、「いただきます」と合掌して吉宗と同様、朝食に手を着け始めた。
昔の息子、孫とこうして朝ごはんを食べていたものだったと、吉宗は思い出しながら残りのごはんにゆっくりと手を着け始めるのだった。
2
学校では昨日の怪獣出現の話題で持ちきりだった。
怪獣と言うワードと一緒に所々から「光の戦士」やら「超能力者」やらが聞こえる。考えなくとも分かる。円の事だ。
昨日の夜から特集が組まれてしまう程の事件であったのだ。
新聞も、朝のニュースもにぎわった。
友里は報道陣が駆け込んでくる前に自宅に戻ることが出来たので、囲い込まれずに済んだ。だが、その夜、目を瞑って眠る。その瞼の裏に円とビーストの戦いの一部始終が繰り返し映し出された。
「…………」
おかげで寝心地が悪く、いまだ瞼が重い。
「んんん……」
周りの会話を聞いている内にいつの間にか机に顔を伏せてまた目を閉じてしまう。
映し出される。
――突然銀色の光を体に纏ってビーストに跳び蹴りを放つ円が
――片手を天に掲げてコロナリングを出現させ、赤い光を纏う円が
――自らが出現させた太陽から光線を撃ち出す円が
「ん……ッ」
「友里?」
「ん?」
体を揺すられ目を覚ます。友里を起こしたのは里桜であった。里桜はしゃがみ込んで友里の顔を覗き込んできていた。目を開けたら里桜の思案顔が目の前にあったものなので、行動には出ないが内心でほんの少し驚く。
「なぁに? 里桜」
「大丈夫? なんか参ってるみたいだけど」
「うん。夢見が悪かったみたい……」
「そう……。調子悪いの続くんなら、今日は休んだら? 明日は大事な日なんでしょ?」
「ううん、大丈夫。眠いだけだから」
と、友里は寝ぼけ顔になりながらもまた机にまた伏せる。今日はおそらく授業中はガッツリと居眠りすることになるだろう。幸い、今日は体育も移動教室の授業も無い。教室でゆっくりできそうだった。
そんな友里の様子を見て、小さく溜め息を吐いた里桜。
「ノート写しなよ、私の」
と友里の耳に添え、その言葉に友里は小さく「うん」と答えて頷く。そうして友里は眠りに落ち――
「今度さ、怪獣が出たら見に行ってみようや」
「面白そう!!」
そんな会話がどこからか聞こえた。
「――ッ!?」
その会話が友里の耳に入ったとき眠気も飛んだ――
「ダメッ!!」
「友里!?」
ガタンッと大きな音を立てて友里の席の椅子が倒れる。
眠気で怠そうだった友里が突然声を荒げて立ち上がったことに里桜も、教室内に居た生徒たち皆も驚いた。
きっとそれはただの珍しい物に対する好奇心だろう。怪獣などただの特撮やアニメの空想上の物でしかなかったものが実際に現れた。誰だって興味が湧く。だが友里は本物に三度も襲われた。好奇心なんてものは最初から持ってすらいない。突然大災害でもあったように状況が読み取れない。そして次第に底の見えない恐怖心と焦燥、暗い絶望が心を埋め尽くす。そしてそれらは一瞬。一瞬が過ぎれば自分の命は絶たれているのだ。半年前、円が来なかったら――
「絶対……ダメ……ッ!」
「友里、ねえどうしたのさ。そんな必死になって」
「ダメ……ビーストには――」
「友里?」
自分が今何の言葉を発し、何を言っているのか、友里自身にその自覚は無い。そんな友里のただならない表情を見て、
「あ、いや、冗談だって冗談っ、なあ?」
「お、おう。そうだよ園宮。ホントにやろうなんてしないって、な?」
そんな声を震わせながらも即座に自分の言ったことを撤回する会話をしていた生徒二人。
「ねえ、友里? やっぱり休も? 早退じゃなくても、保健室で寝るぐらいならいいでしょ?」
そんな、里桜の自分を気遣ってくれる言葉も、友里の耳には入らなかった。息が震え、身が固まる。
「ね? 友里、行くよ?」
友里はそのまま里桜に身を支えられながら友里は教室を出ていった。
保健室へと向かって歩く廊下を、里桜に支えられながら進んでいくなか、友里は徐々に殆ど眠りにつかなかった体にのしかかる身体的、精神的な疲労に耐え切れず、保健室のベッドに座る頃にはそのまま寝そべってしまった。
意識が眠りに落ちるのはたやすいことだった。
「ごめんね、友里……」
最後に里桜の声が耳元で聞こえた。
何故謝るのか、考えようとしたときには――眠りに落ちた。
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