Dreamf-8 失った者達(B)

       3




 インターホンを押すのをためらってしまう。

 顔を合わせて何をすればいいのか分からない。謝りたいと思っているのは確かだ。だが、謝ってどうすると、思い返してしまう。

 円は、取り返しのつかない事をしてしまったのだ。どのような恨み怒りをぶつけられるか、想像が出来ない。だが、それがやる事だというのならば、やるしかない

「円……?」

「っ……」

 恵里衣に呼びかけられて覚悟を決め、円はインターホンを押す。

 二回のコールの後、しばらくしてから玄関の戸が開く。

 もう親戚が来ているのかと思い、息を呑む円。

「あぁ、天ヶ瀬か」

「杉森さん……」

 出てきたのは、IA特捜室日本支部の杉森柳すぎもりりゅうチーフであった。風貌は一般の刑事と変わらない風貌をしている。

 杉森は円を見るなり、察したかのように頷き、

「さ、こっちへ」

 と、円を家の中へと誘導していった。

 玄関をくぐった後でも分かるぐらい、家の中の空気が重い。昔、自分の家がこの空気だった事を思い出し、

「……ッ」

 トラウマが甦ってきてしまう。

 さすがに気を失うことは無いが、すこし足が重い。

「天ヶ瀬?」

「あの、杉森さん」

「なんだ」

「親族の人たちは?」

「一応連絡は取った。祖父母さんと繋がってね。事情を説明したら、引き取ってくれるそうだ」

「そうですか……」

 よるところがあるようで良かった。円の場合はそのよるところが無かったのでその時の行く宛が無いという事の不安の強さはよくわかっていた。その不安にさいなまれないだけ、まだ羨むところだった。

 後は――

「女の子の――美也子ちゃんの様子は?」

「……良くない」

「……」

 親の死を乗り越えられるか、だ。

 その親を死なせてしまったのは円自身だ。責がある。重みも、背負わなければならない。

「口は一切聞いてくれない。まだ小学生で親を亡くしたんじゃそりゃな」

「そうですね……」

 小学生で親も兄妹も全て亡くしたのは円も同じだった。そうなる気持ちは分かる。円の場合は最初の三日間は眠れたのだ。まだ実感が無かったから。四日目にしてようやく分かる。「皆居なくなった」と。それから心が病み、体も壊れていくのだ。

 どうやってもその道からは逃れられない。円に出来る事は――

「この部屋ですか」

「ああ」

 円が目にしたドアには「みやこのへや」というかわいらしい札が掛けられていた。ほんの数時間で自分の周囲の状況が変ったのだ。部屋に閉じこもっているという事はすぐに分かる。

 スカイベースからここまで付いてきた恵里衣の方に振り向く円。

「……。恵里衣ちゃんは外で待っててくれ」

「え?」

「ここからは、二人っきりが良いんだ」

「……ええ、分かった」

 恵里衣でも、さすがにこの空気のなか突っかかってくることは無かった。まるで恵里衣自身が、円の気持ちを察することが出来たかのように円から一歩離れ、円から顔をそらす。

 円がやるべきことは傷ついた心に寄り添ってあげることだ。一日、一時間、一分一秒でも早く立ち直れるようにしてやらなければならない。ここからは、円と少女の二人の時間になる。

 三回ノックし、

「あの、美也子ちゃん? 入ってもいいかな」

 当然返事は無い。聞こえているが無視しているのか、本当に聞こえていないのか。分かる筈もない。どちらにしても、耳に入る音すらも入らない程にダメージを負っていることになる。

「……っ」

「あ……」

 恵里衣はつい手を伸ばして、円の肩を掴もうとする。も、触れる寸前で手を引き、自分の胸に引き寄せる。

「私には……出来ない……」

 そんな事を呟く恵里衣。円の耳に入ってはいるが気にしていられるほど、円自身、気を割ける物でもなかった。

「美也子ちゃん、入るよ」

 と、円はドアノブに手をかける。が、

「あっ……」

 開かない。

 ドアノブは回るが押すも引くも、スライドさせることができない。鍵をかけられているようだ。完全に外との関係を遮断してしまっているようだ。力づくでやれば壊してでも簡単に開けられるだろうが、当然やるつもりは無い。

 だが、ノックしても反応しない。鍵をかけられて顔を合わせる事も出来ないという事になると、円自身参ったものだった。

「…………」

 だからといってここで引き下がるという事になるわけでもない。

「覚えてるか? さっき、怪獣倒してた兄ちゃんだよ」

 自分で自分の事を兄ちゃんと呼ぶなんて、本当に何年ぶりだろう。

 その時、部屋の中から物音が聞こえた。完全に何もかもの音から自信を遮断しているわけではないらしい。

「美也子ちゃん、君と話したいことがあるんだ。開けてくれるか」

「…………」

 物音はするから反応しているのは間違いない。が、どうやらその場から動きたくないらしい。聞こえているなら、まずは言葉を述べる。

「ごめん……。君が僕を許せないなら……それでいい。僕は、君のお父さんとお母さんを、助けられなかった。言い訳なんか意味がない」

 あの時、ストレンジブレイズウェーブを放っていれば間違いなく美也子もろとも、家族全員を焼き殺すところだった。あの時、家から出て来たこの家族にも落ち度があるのは確かだ。だがそれが――

「ただ俺に、君に謝らせてくれ……ッ!」

 家族の命も救えず、美也子の笑顔を守れなかった理由にはならない。円は、美也子に謝りたかった。

「君が俺に死ねって言うなら、心置きなく死んでやる。教えてくれ……」

 身を切られるようだ。一言一句発するたびに、心に余裕がなくなっていく。胸が締め付けられ、体の節々の力が抜けて行く。

 エネルギー限界に入っているわけでもないのに、それ以上の脱力を感じられる。

「教えてくれ……ッ!」

 遂に円の膝は崩れ、ドアに両手をつきながら前のめりにもたれかかるような体勢になる。息も苦しくなって、ひきつるような呼吸になってしまう。

「円!」

 これを人は過呼吸という。

 脳裏によみがえる美也子の両親の死、

 突然居なくなった、円の家族。

 その二つが重なり、心の奥深くに封じ込めていた闇を抉り出す。意識はまだ落ちないだろうが、時間の問題だった。

「俺は、君に……何をしたらいい……ッ!!」

 絶え絶えになる息の中に入れるような言葉はかすれつつも強い語調であった。

 円の意識はついに沈む――

「――ッ!」

 瞬間、カチャンと鍵が開けられる音が聞こえ沈みかける意識が現実に引き戻され、次にはドアが開いたためドアにもたれかかっていた円の体は部屋の中に強引に入り込むように手を付いて跪く形になった。

「――ッ!」

「うぐっ――!?」

 お互い驚きに呻き声を漏らす。

「お兄ちゃん……泣いてるの?」

「……ッ!」

 そんな美也子の言葉に、意識が完全に現実に戻り、呼吸も少しずつだが整えられていく。が、同時に、

「う、ぐっ……ぅっ」

 胸からこみあげ、

 喉を詰まらせる物も一緒に引き戻されてきた。

「泣かない、で」

「くっ――」

 円を慰める美也子の言葉も震えている。

 何をやっているのか。謝って慰めるつもりだったはずが、逆に慰められている。

 美也子は跪く円の顔を抱き、すすり泣き、

「ごめん……ッ。ホントに……ごめん、なさい……ッ!」

 円は少し身を起こして美也子の体を抱きしめ、涙を流す。

 美也子も円も、心に抱える闇をさらけ出しあうように抱きしめ合い続けた。




       4




「円……」

 人を救えなくてそこまで辛いのか。

 自分が傷つくよりも誰かが傷つくことのほうが尚苦しい。その気持ちは分からないものではない。だが、今の円ほど、恵里衣は苦しむことが出来ないだろう。

 例え、恵里衣が円と同じ心の傷を抱えていようとも――。

「はい、了解しました。至急……」

 傍にいた杉森が無線でどこかと取り合い、今度はその無線をどこかへとつないだ。

「境域が発現する。ビーストだ――」

「……ッ!?」

 その無線先はおそらく同じ特捜チーム。

 ビーストがまた出現するようで、住民の避難を行おうというのだろう。吉宗の言う事だ。今の状態の円に戦わせることは無いだろうが、だからと言って人間たちが出ると戦いが長期化する可能性もある。

「ねえ」

「なんだ?」

 恵里衣は杉森に声をかけた。

「私が出る」

「なんだって?」

「私が出る。だから隊は下ろす必要はない」

「しかしな――」

「協力してやるって言ってんのよ。それなら吉宗も大満足でしょう。私なら一部隊が出るよりもサッと終わらせるわよ!」

「だろうが――」

 と杉森が応答を渋っている所に、杉森の持つ通信機に割り込み通信が入り込む。

『ん、せやったら任せるわ、恵里衣』

「吉宗……」

『今の円を戦いに出すのも危ないやろうからな。現場におる恵里衣なら用意は早いやろ。杉森』

 無線先の吉宗が杉森の名を呼ぶ。

「はい」

『その無線をいったん恵里衣に貸してやれ。周囲の状況はこちらで逐一モニターしとる。協力するからには、周りには気を使ってもらうで』

 その吉宗の言葉に鼻で笑う恵里衣。

「一瞬で終わらせれば問題ないでしょ」

『お前らしい答えや』

 吉宗との通信が切られ、杉森はその通信機を恵里衣に渡す。

「頼んだぞ、桐谷恵里衣」

「ええ……。今回ばかりは、任されるわ」

 渡される通信機を手に取り、付属しているインカムを耳に付けた恵里衣は円の方に向く。

(円……)

 今の円は心の傷を抉りだすことで、美也子と心をつなげた。それによって、円自身も想像しがたい程の精神的なダメージを負っている。

 半年前も、そして今日も円がいなければ恵里衣自身がどうなっていたのか想像することも容易い。

(このままじゃ前と変わらない……。士道の次に円までを……ッ!)

 恵里衣は手にもつ通信機をポケットにしまい、杉森にアイコンタクトをした後その場から立ち去った。

 玄関の戸を開け、外に繰り出す。

 境域が発生した感覚は無かった。ビーストもまだ出現することは無いだろうが、SSCが境域の発生を予測したからには油断は出来ない。周囲の空気が張り詰めるようで息苦しくなり、

 瞬間、

「クッ――!?」

 バキンッと言うガラスが割れるような音と共に世界がほんの一瞬反転した。

 円もおそらく気づいただろう。

 これに際して円が飛び込んでくる前に勝負を着ける。

 恵里衣の目の前にファントムヘッダーと同じ色の光が集約し、一体の異形の形となる。顔の形はホオジロザメを思わせる形をしており、全身はサメ肌を思わせるような皮膚と甲殻に覆われ、背びれ、足びれ、腕びれが生えている。さらに全身からは冷気が漏れ出してていた。霊長類とホオジロザメを思わせる姿をしているそのビーストは、唸り声をあげて真っ先に目の前にいる恵里衣に殺意を向ける。

『マウンタークか……』

 吉宗が呟いたその言葉が、おそらくこのビーストにつけられた名前だろう。恵里衣自身、ビーストの名前など一々気にしてはいないが、スピリットの様にいかなるビーストもほぼほぼ確実に倒すことが出来るものとは違って種類ごとに戦術や武器を変えなければならない人間側にとってはビーストに名前を付けることでの区別は重要な事なのだろう。

「吉宗、私こいつ見るの初めて」

『珍しいからな。結構出現しいひんらしいし。まあ、お前さんなら大丈夫やろ』

 と言う吉宗。

 マウンタークの全身から冷気が漏れている所からして、氷系統か何かを操るビーストなのだろう。炎系統を操る事が出来る恵里衣にとっては相性抜群のビーストである。

「ええ、そうみたいね」

『頼んだで。あんま遊んでると、円が出よるぞ』

「関係ないでしょ、そんなの」

『そっか。まあどっちにしても早めに片付けろや』

「命令する必要は――」

 吉宗と恵里衣がやり取りしている間に、マウンタークが恵里衣の方に走り襲い掛かってきていた――

「ハアッ!!」

 所を恵里衣はマウンタークの方に大きく踏み出し、

 腹部に赤い光を纏わせた正拳突きを放つ。

 マウンタークは思わぬ反撃を撃ち込まれたようで呻き声を発し、後ずさる。

「無いわよ、別に」

 恵里衣に重い一撃を受け、マウンタークの被弾部が大きく凹んでいる。

 その一撃を受け、マウンタークは明確に恵里衣を敵とみなしたようだ。

 敵と捉え、

 高々に吠え、全身に力を込める。

 すると、全身から溢れ出す冷気がマウンタークに貼りつき、

 バギリッと言う音ともに全身に氷の鎧を纏わせた。

 それだけではなく、瞬時に自分の周囲の地面や物を凍り付かせてみせる。

 さすがの恵里衣でも、あの冷気に触れるのは危険そうだ。

 だからと言ってじっくりと様子見をしながら戦う気も無い。

「――ッ!」

 ウリエルを出現させ、その手に掴む。

 刀身は赤熱し、熱による振動でキィーンと言う音が聞こえる。

「ふぅ……」

 一刀必殺。

 長期戦は行えない。マウンタークの冷気をこれ以上周囲にまき散らすわけには行かない。冷気が恵里衣の手に届くところまで、そして恵里衣が手の届かないほどまで大きくなる前に、勝負を決める。

 赤熱するウリエルの刀身から火の粉が散り、

 火の粉はすぐさま小さな紅焔を為す。

 むやみに突っ込んでも攻撃その物を止められる危険性がある。

 無防備になる瞬間を――

「――ッ!」

 その時、マウンタークが呻き声を発し、

 両腕を大きく振り回す、

 と、

 鰭を覆う氷から、氷色の真空波が撃ち放たれた。

 恵里衣はすぐさま利き手とは違う左手にウリエルを持ち替え、右手に赤い光を纏わせた。一撃で終わる筈がない。

 案の定、マウンタークは無数に真空波を撃ち放ってきた。ウリエルの様な長身の刀では多く振り回すことは出来ない。

 防御が間に合わない。

 恵里衣の右手に纏われた赤い光はナイフのようなブレードの形となり、

「――ッ!

 ハッ――!

 ゼアッ――!」

 次々と来る直撃する真空波を右手で弾き飛ばし、

 かわせる真空波はギリギリのタイミングであってもかわす。

 真空波は弾き飛ばされるたびにバヂンッと言う音と共に火花を散らせて砕け、

 かわされたものは彼方まで飛んで消えていく。

 最後の一撃だろう。

 対処していたものとは比べても段違いに巨大で鋭利な真空波である。

 手に纏う光だけでは弾き飛ばせない。

 完全に小さな動作でかわすことは出来ない。

 だが、大きな動作でかわせばせっかくの攻撃のチャンスを潰すことになる。

 せめて、マウンタークの動きを止めなければ――。

 

「クッ――!」

 そんな事、思考しなくても良かった。

 恵里衣は身を転がして巨大な真空波をかわし、

 立ち上がり様に右手の逆手持ちにウリエルを持ち替え――

「デアッ!!」

 そのままウリエルをマウンタークにめがけて投擲した。

 紅焔を螺旋状となり、

 それを刀身に纏ったウリエルは空に紅焔の尾を残しながら飛んでいく。

 マウンタークに回避と言う余地すら与えず、

 ウリエルは敵の身を貫く。

 炎に身を焼かれ、

 刃に身を貫かれ、

 ほんの一瞬の隙で自らの身が滅ぼされる寸前のところまで追い詰められたマウンターク。

 だがその状況を読み取る事が出来ないほどにまで深刻なダメージを受けているためか、自らを貫くウリエルも引き抜かぬまま、甲高い悲鳴を上げている。

 強い一撃、もしくは止めを刺すならば今が好機。

 拳を握り、腕をクロスに交わせると、

 ――同時、恵里衣の身を縁取るように赤い光が現れた。

 半円をたどるように腕を広げて両手を斜め上に突き上げると、

 ――同時、恵里衣の前に炎球が生まれた。

 突き上げた両手を力を込めながら下ろしすと、

 ――同時、恵里衣の体を縁取る赤い光が炎球に吸い込まれ――

「ハアアッ!!」

 大きく足を踏み出し、

 勢いよく両腕を突き出し、

 恵里衣は炎球をマウンターク目がけて撃ち出した。

 その時ようやくマウンタークは自らの身が滅びようとしている事を自覚する。

 だが全て手遅れであった。

 自覚した時には恵里衣の撃ち放った炎球が身を穿った時であるからだ。

 そのまま炎球から噴き出してきた炎に撒かれ、

 衝撃で身を潰し――そして悲鳴を上げ、

 体の先から中心に向かうように身を粉々に爆散させた。

 爆炎の中から弾き飛ばされてきたウリエルは宙に舞い、恵里衣の前の地面に突き刺さる。

「ふぅ……」

 小さく息を抜いて恵里衣はウリエルを手に取って軽く振る。

 そうすると、ウリエルは炎に包まれ一瞬にして恵里衣の手元から消えた。

(円……)

 ほぼ瞬殺だったからであろうか、円が家の中から出てくることは無かった。

 が、気づいてはいたようだ。

 窓から、ビーストとの戦いの様子を覗き見ていたようだ。この戦いの中で何を感じ取ったのか。どんな事を心に決めたのか、明らかに先ほどまで心の傷で精神的に参っていたものとは全く違った表情を浮かべ、円は恵里衣と目を合わせたまま視線を離すことは無かった。




       5




「里桜ー?」

「んん?」

 部活が終わり、格技場の戸締りをした後に部長会議があったものでシャワーを浴びる事が出来たのは日が落ち始めた頃であった。細い水流が全身に染みついていた汗と臭いを流し、全身の肌を撫でる。

 友里は仕切り越しに隣で自分と同じようにシャワーを浴びている里桜にしゃべりかける。

「明後日、暇?」

「明後日? 部活休みだっけ?」

「うん」

「じゃあ暇」

「付きあって?」

「付きあって、て?」

「お買い物行くんだけどさ」

「何買うの?」

「ちょっと、プレゼントをって……」

「プレゼント? 誰に?」

「いや、ちょっと……」

「おや?」

 その時、友里は答え方を間違えたと思い、「やっば……」と呟いて苦虫を潰したような表情を浮かべた。もはや覚悟を決めるしかない。

「おやおや? その答え方は訳アリですな?」

「訳アリってなにさ」

「とぼけちゃってぇ。で、どんな人なの」

「どんなって、――いや、そういうのじゃないからね!?」

「じゃあ、なんなのさ。友里、今までプレゼントあげるとかあった?」

「里桜~?」

「あ、私でした」

「酷いよ、ホント」

「じゃあ、そのプレゼントって私?」

「いや、違うけど」

「もうっ、焦らすんだから」

「別に焦らしてないし、もう……」

 一向に話が進まない。里桜はまだ友里をいじりたいようだが、友里は話を先に進めることにした。

「知り合いが誕生日なの。だからそのプレゼント書いたいなって。でも一人で行くのも迷いそうだし」

「相談役に選ばれたわけね」

「そういうこと」

「で、その知り合いって? 女なの、それとも男?」

 なぜそっちの話に持って行こうとするのか、友里には分からなかった。

「そんなのどっちでもいいじゃん」

「良くないわよ。友里、あんた男に女物のスカートでもプレゼントする気なの?」

「んん……」

「男がウェンディングドレスなんて着ないでしょ」

「そう……だよね」

 その時、ふと考えてしまう。

 もし彼が――天ヶ瀬円がウェンディングドレスまで行かなくとも、女装すれば、と。

 化粧次第では――

「似合うんだろうなぁ……」

「え?」

「え、いや、何でもないっ」

 里桜の思考が少し移ってしまっているようだ。

 円の服を着てみたいと思ったり、円をどうにか着せ替えたいと思ったり、里桜が友里をおもちゃみたいにかわいがるように円のことをそうしたいと思っている節があった。

 円のことなので嫌がるだけで乱暴はないだろう。それがむしろ嗜虐心をそそり――

 と言うところで、友里は横に首を振る。

 思った以上に、蝕まれているようだ。

「と、とりあえずっ、明後日付き合って」

「ん? うん……」

 とにかく、里桜とは約束を取り付けることはできた。

 あとは何を買うか、大体のめどを立てておく。

 五月一七日は――

(もうすぐ)

 ではなく、五月一八日。

 その日、

(誕生日だね、円)




       6




 美也子との対面からスカイベースに再び戻ってきた円は、ラウンジの窓枠から外を眺めていた。日没近くになり、夕焼けで真っ白であった雲も青かった空も、ほんのりと紅に染められている。

 円が自分の手に持っているのは、小さな石板の化石だった。美也子の父親は考古学者で、時に世界へ飛んで恐竜や古生代の生き物の化石の発掘隊へ参加することが多く、円が持っている化石は美也子がその父親からお土産としてもらった物らしい。

(パパと同じだ……)

 特に、世界中を旅してまわる事が多いという所が。

 世界中を回る父親。

 家族を一気に失う。

 ここまで彼女と共通点が多いと親近感を抱いてしまう。かつての自分と重ね合わせるようで、放っておけない。

 また会おう、と約束した。

 そして――

「天ヶ瀬」

「……ッ、響チーフ」

 背後から突然話しかけてきたのは響チーフであった。

 彼がここにいるという事は今は管轄内にビーストが一体も出現していないという証拠。基本はチームどれかの現場にいるので、円もあまり顔は合わせない。

「ずっとここにいたのか」

「はい」

「どうだった? 女の子の……美也子ちゃんの様子は」

「前の僕よりも強い……」

「前の……天ヶ瀬?」

「僕は、小学五年の頃に家族に捨てられたんです」

「…………」

「ほんとに一瞬でした。その日、学校から帰ってきてからその後ずっと、家族誰一人、帰ってきませんでした。その時僕、「捨てられたんだな」って思ったんです。でも、そう思ってから何日もそれを認めなくて、学校でも友達の家でも普通に振る舞ってたんです。奏してるうちにどんどん感情が無くなっていくような感じがして、でも戻れないから――」

「いっその事、感情を捨てた?」

 円は小さく頷く。

 いつも一生懸命で、

 いつも笑っていて、

 いつも誰かのためにと動いて――

 感情を捨てたころの円は小さな体で出来ることならなんでもやっていた。周りが嫌と言う事を進んでやり、頼まれたことは基本断らない。

 思えば、自分でもあの頃の天ヶ瀬円という少年は、異常だったと思う。例えるならば人間天ヶ瀬円のふりをしたロボット。

 あまりにも悲しすぎるから、

 その悲しみを誰にも知られたくないからいつも以上に強く「いつもの自分」を演じていたのだろう。

「なら、今のお前は無かったんじゃないのか?」

「友里がいてくれた……」

「友里?」

「僕が変だって、友里が気づいてくれたから僕は僕のままでいれたんです」

 友里がいなかったら、今の自分は無かった。スピリットとして甦っても、それは感情のないロボット。ファントムヘッダーに怒り、人と出会って関わり合う中で喜んだり戸惑ったりと、そんな人間のような感情を持つことは出来なかっただろう。

 きっと、円が「皆の笑顔を守るために戦う」と言う覚悟も出来なかったはずだ。

「じゃあ、感謝しなきゃな。その友里って子に」

「五月一七日……」

「え?」

「俺が……ッ、家族に捨てられた日です……」

「……ッ!?」

 思い出そうとしてこなかった。

 今までそうして生きていたのだ。五月一七日と言う日を、忘れようと。思い出さないでおこうと……。

 思い出すと、気が追い詰められる。

 気分が悪くなって胸に込み上げてくる黒い物を吐き出さないとどうにもならなくなってしまいそうになる。その感覚が、円は嫌いだった。

 今日はそんな事が多い。

 友里がわざわざ五月一七日を指定してきたのも、これが理由かもしれない。一番円が精神的に追い詰められかねない日、友里自身が傍にいてやろうと思っていたのだろうか。

「キッツいな……これ」

 震える小言でそんな事を呟いた円。

 その時、艦内にアラームが鳴り響く。

 円も響も、そのアラームの音に意識が向かれる。

「ブリッジへ行くぞ、天ヶ瀬」

「……ッ、はい」

 円は走りゆく響の後を追い、ラウンジから出て行く。

 ブリッジへとたどり着くと先ほどとは変わって緊迫した空気に満たされている。

「おお、円、響」

「コマンダー、状況は」

「ん、仁舞中央通りのど真ん中に二体分のマイナス霊周波を検出したところやあと二分で現界しよる」

 響と吉宗のそんなやり取りの最中、円はビーストの出現する地点を映し出されたモニターを見つめていた。

 現地のチームによって避難勧告が発令されて、その場にいる人たちは何が何やらと訳が分からないまま境域が発動するエリアから避難させられている。

 だが人が多すぎるせいもあって、それもいつもよりも進みが悪い。全員をエリア外に出すのは不可能だ。

「……?」

 その時、ふと一番後ろ辺りにいる一人が目に入る。

「――ッ!?」

 瞬間、背筋を寒気が通り過ぎて行った。

「友里!! ――」

「おい、円!!」

 気づけば円はブリッジから飛び出していった。考えるよりも行動に移す方が早かったのだ。

 後ろから自分を呼び止めて制止しようとする吉宗の声も、円の耳には届かなかった。




       7




 制止も聞かず、円は甲板の方へと走り去っていった。

 EXキャリーなど使わなくとも、普通に飛ぶ方が速いからだ。

「コマンダー、仕方ありません。一体は天ヶ瀬に」

「うん、そうやな」

「綾子、ビーストコードは分かるか?」

 響に聞かれ、綾子はモニターに映し出されたビーストの霊周波の詳細を検索する。

「一体は“マグリドラ”、もう一体は……“グランゼル”です!」

「なら、イーグルをスタンバらせろ。円なら地上のグランゼルに当たる筈だ」

「了解」

 綾子は響の指示に従い、チームの待機室、ハッチの組員それぞれへ「チーム・イーグル、スタンバイ。EXキャリー、発艦準備」と指令を出す。

「私も、EXキャリーで同伴します」

「ん、任せるわ」

 そう言い残し、響はブリッジから出て行く。

 響の姿がドアに仕切られて見えなくなると、吉宗は再びモニターに目を映す。

 この映像に映る中から誰一人として死人を出すつもりは無い。

 だが――

「いや……。誰も死なせんなよ」

 「だが」等と考えるのはよしておく。

 人の死が、何を呼び寄せるか。円自身が一番よく知っているはずだ。円ならば誰も死なせることは無いと、その念を押す用意小さくつぶやいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る