第5話 彼女を救いだすために

 しばらく経過を見てみると、効果は二時間ほどで無くすと分かった。

 どうやら消えるのは体だけでなく、身につけている物も影響するらしい。

 実際街中を歩いてみると、周囲の人にも見えていないらしく、どれだけ大胆に動き回っても、まったく気づかれることはなかった。

 誰がどういった意図で、僕にこんな薬を寄越したかは分からない。けれど、もらえるというのなら充分活用させてもらおう。

 たとえ後で咎められたとしても、桜に会えるなら安いものだ。



 作製決行は薬をもらった翌日……つまり今日となった。

 今僕は、桜が入院していると思われる、市内で一番大きい病院へと来ていた。

 殺人事件の事情聴取を行えるだけの大きな病院となると、ここぐらいしか思いつかない。

 予想は見事的中して、とある病室の前で、刑事と思われる屈強そうな三人の男達が、時折どこかと連絡を取り合っていた。

 そして病室には、『面会謝絶』という札が貼ってあった。

 間違いない。桜がいるのはあの病室だ。


「まずは、あの刑事をどうにかしてどかないと……」


 とてもじゃないが、生身で敵うような人達ではない。正攻法よろしく、真っ正面から突っ込んだところであっさり取り押さえられるだろう。事情を話して頼んだとしても、通してくれるとは思えなかった。

 覚悟を決め、一旦男子トイレの個室へと行き、ポケットに潜ませていた小瓶を取り出して飲み干した。

 効果が表れるまで少し待った後、人がいなくなったのを見計らって、トイレから出た。

 透明にはなれたが、病室を開ける音で気づかれてしまう。ひとまず刑事達を離れさせなければならない。

 作戦自体は昨日じっくりと練っておいた。きっと上手くいくと信じるしかない。

 二、三度深呼吸を繰り返した後、僕はありったけの声量で悲鳴をあげた。こういう時は、変に喋るよりリアリティがあった方がいい。


 「なんだなんだ!」と騒ぐ刑事達の横をすり抜けて、僕は病室へと赴いてひっそりと潜入した。


 そこには桜が、ベッドの上で仰向けになりながら眠っていた。

 いや、よく見ると寝ていただけで眠ってはいなかった。でも両目とも虚空を見つめていて、まるで生気が感じられなかった。死人みたいだと言っても大げさではないくらいに。

 事件があってから一睡もしていないのか、目の下は隈でボロボロで、血色も非常に悪く、前に会った時より一層やつれているように見える。唇もあちこちひび割れており、見るに耐えないほど痛々しい姿だった。

 虐待を受けているという話だったが、一見では分かりづらかった。きっと見た目には分からない部位に暴力を振るっていたのだろう。頭に巻かれた包帯が、何よりもただならぬ状況を言外に語っていた。


「桜ちゃん、僕だよ。分かる?」


 おずおずと声をかける僕に、しかし桜は無反応だった。いくら僕の姿が見えていないは言え、声は聞こえているはずなので、驚きもしない桜の反応がとても異常なように見える。


「どこか痛い所はない? 食欲はある?」


 やはり、無反応。最初から僕なんていないかのような感じだった。

 気づけば、涙が溢れて頬を伝い落ちていた。こんな風になるまで何も気付けず、何もしてあげられなかった自分が許せなかった。

 桜のやせ細った手を握る。骨ばっていてほとんど肉付きがない。きっと満足に食事も取らせてもらえなかったのだろう。


「何か、僕にできることはない? して欲しいことはある?」


 駄目元で訊いてみた。今の人形然とした桜の耳には届くどうかは分からなかったが、それでもイジメられていた僕を助けてくれた時のように、少しでも彼女の力になりたかった。

 ややあって、桜はパクパクと口を僅かながらに開いた。僕は慌てて彼女の口許に耳を当てて、しっかり桜の掠れた声を聞き取る。


 き、え、た、い。


 蚊の鳴くような声で、けれど確かに桜はそう囁いた。

 桜の両目から、静かに涙が流れていた。とても脆くて、儚くて、心を攫うような涙だった。

 ふう、とたっぷり息を吐いた後、僕は優しく桜の体を起こして、彼女に告げた。


「うん、消えよう。僕と一緒に」

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