第7章 日光での聞き込み

 翌朝になり、牧田まきたにレンタカーショップまで送ってもらった。レンタルする車は一般的なセダンタイプを選んだ。

 いつも乗り慣れた理真りまの愛車スバルR1はラインナップになかった。マイナー車種だからレンタカーにあるわけがない。もっとも、ほとんど高速道路を走行することになるから軽自動車よりは普通車のほうがよいだろう。

 手続きを済ませ鍵を受け取る。行きと帰りの行程の半分ずつを互いが運転することにした。ひとりが往路か復路を運転し続けるよりは疲れなくていい。出発は私がハンドルを握り、途中、適当なサービスエリアで交代だ。


 昨夜の夕食は大所帯となった。高島たかしま稲葉いなばに加え、泰蔵たいぞうの妻、つまりさくらの母親マキも列席した。諏訪すわ刑事は署に戻ったため、私と理真を加えて六人で座卓を囲むことになった。


 上一色マキは、美容セミナーを催していると聞いた通りの印象の女性だった。

 髪の毛を茶色に染めて顔に派手な化粧を塗り、流行の服で痩身を包んでいる。年齢を考えればいささかやりすぎの感があったが、美容セミナーの主催者として、ある程度客を納得させられるようにとの配慮もあるのだろう。食事の席も、ほとんどそのままの格好だった。高島、稲葉、私たちの目があることを意識したのだろうか。

 私たちには愛想良く話しかけてくれていたが、私は桜の過去、男友達との仲を無理矢理引き裂かれた話が頭にあり、素直に受け止めることができなかった。それは泰蔵に対しても同じだ。両親の娘に対する異常な締め付けがこの事件を引き起こしたのか? 直接の原因でなくとも、今の桜の状態と無関係ではないだろう。

 私にはまだ断片的にしか見えていない。理真にはもう全てが分かっているのだろうか。

 マキが語る美容セミナーの話。なんとか体操、なんとかダイエット、ヨガがどうしたとかいう話を、理真は受け流しながら聞いていた。それらで結構な稼ぎがあることもほのめかす。マキは高島、稲葉の二人にもしきりに話しかけた。若い異性と交友を持つことが自身の若さを保つ秘訣だとでも言いたげに。

 桜は例によって自室でひとりで夕飯をとっているところだろう。

 食事の席で、事件や桜の話はほとんどされなかった。


 昨夜の回想はここまでにして、運転に集中することにした。

 横を見ると、理真は助手席で寝息をたてている。目的地を日光インターに設定したカーナビは到着時刻を十一時半と表示している。安全運転で休憩しながら行けば、お昼に日光へ到着するだろう。


 北関東道の波志江はしえパーキングエリアに車を入れ、運転を交代するため理真を揺り起こす。

 ここは行きの行程の半分以上を過ぎた辺りで、運転距離を少しサービスしてやったというのに、理真は、せっかくなら名産品を売ってるサービスエリアに停めてくれよ、などと文句を言ってきた。

 波志江パーキングエリアには、トイレの他にはコンビニ一軒しかないのだ。それでも缶コーヒーと肉まんを買い込み、私と代わって理真がハンドルを握る。

 私は助手席に座るが、理真のように眠る気にはならない。


「理真」

「ん?」


 私の呼びかけに、理真は肉まんを頬張ったまま答える。


「桜ちゃんは、死んだ菅田すがたという大学生と恋人同士だった。去年の冬合宿、桜ちゃんが夜に宿を抜け出したのは菅田さんとデートをするためだった。それを確かめに行くのね」


 私は、今更ながら今回の日光行きの目的を質した。


「そう」理真は短く答える。肉まんはすでに胃の中に収まっていた。


「菅田さんが急にバイトを掛け持ちした理由って……桜ちゃんの誕生日、だよね」

「多分ね」


 またもや短い答え。理真の目が少し寂しげになった気がした。


「でも、あくまで予想、推理だよね。菅田さんは収入の少ない苦学生だったっていうし、去年の冬なら、まだバイトの掛け持ちはやってなかった頃でしょ。交通費だってばかにならないのに、わざわざ長野から日光まで行くかな」

「行くわよ」理真は即答した。「あの二人の境遇を考えてみれば行かないはずがないわ。桜ちゃんはもう、大っぴらに長野市内でデートなんてできないはずよ。一度友達に目撃されてしまったけど、菅田さんとは余程気を遣って会っていたはず。目撃されたのが学校の友達だったからよかったけど、もし、また両親の知り合いなんかに目撃されたら、あの悲劇が繰り返されてしまう。高校生の桜ちゃんは自由に外に出るのにも苦労したはずだし。そんな彼女にとって県外への合宿なんて千載一遇のチャンスじゃない。菅田さんも乗ってきたはず。旅費なんて何とかなるわ。誰の目にも怯えることなくデートできる機会なんて、あの二人にしたらお金には換えられないものよ。そんな大切な思い出だから、何としても桜ちゃんは取り戻そうとしたはずなの」

「取り戻すって? 桜ちゃんが油木あぶらきさんを殺すことが?」

「これ以上は、現地で証言を取ってからだね」


 理真はそれ以上口を開きそうになかったので、目的地に着く間、私はやっぱり横になって眠ることにした。



 パーキングエリアとは逆に、今度は私が理真に揺り起こされた。

 車窓から外を見るが視界がぼやけている。眼鏡を上げて目をこすり、再び眼鏡越しに外を見ると、そこは大きな駐車場の一角だった。


「お昼は後でもいい? 聞き込みの時間が惜しいわ」


 私は了解した。聞き込みが終わったらご当地の名物でも食べることにしよう。


「じゃあ、ここからは分かれて聞き込みしましょう」


 私と理真は、諏訪刑事から借りた桜と菅田の写真をそれぞれ持って観光地日光に散った。


「去年の冬なんですけど、見かけませんでしたか? 時間は夕方から夜にかけてです。ええ、女の子は高校生、男の人は大学生です。……そうですか。ありがとうございました」


 聞き込みの成果は芳しくない。

 さすが国内きっての観光地。世界遺産もある日光だけあって、平日でも観光客は少なくない。しかし、ほとんど一見いちげんの観光客が桜たちを見かけているとは考えにくい。聞き込み対象は店の店員や宿の従業員となる。

 成果は芳しくない。諏訪刑事から聞いていた桜たちが宿泊していた旅館は理真が担当して聞き込みに行っている。そちらに期待したいところだが、よくよく考えたら桜と菅田が一緒になって泊まっている宿に姿を現すはずもない。桜単独の目撃証言なら得られるだろうが、問題は菅田が来ていたか。一緒にいたか。である。

 日光東照宮にっこうとうしょうぐうの名物に倣って、見ザル聞かザル言わザル、ではないが、誰か見聞きしてはいないものか。


 通り沿いの坂道の上に建物がある。看板を見るとステーキハウスらしい。金のない菅田が入るとは思えないが、本場栃木牛のステーキがいかほどのものかという興味も手伝って私は坂道を登っていった。

 店の前で私は立ち尽くした。表に出されたメニューを見て脚の震えが止まらない。桜と菅田は絶対にこの店に来てはいるまい。私はきびすを返し、最後に一度だけ振り向いてステーキセットの値段を確認したあと、一目散に坂を駆け下りた。



「おーい」


 理真の声を耳にした。見ると車道を隔てた向こうでその理真が右手を振っている。左手にはいくつかの紙袋を提げている。聞き込みの合間にちゃっかりお土産買ってんじゃねーよ。車道を渡ると、理真は近くにある店を指さして、


「ちょうど電話しようとしてたの。ここ、このお店のご主人が見たって」

「本当に?」


 私と理真は、その土産物屋に入った。



「もう一度聞かせて下さい。間違いないですか?」


 理真から受け取った写真を見ながら、うーん、と店の主人は唸って、


「うん、間違いないね。閉店間際で客はこの若いカップルだけだったんで憶えてるよ。このお嬢さん、えらいべっぴんさんだったからね。確かに来たよ。正確な日にちまでは憶えちゃいないけど、うん、去年の冬だったな」


 やはり桜と菅田は日光に来ていた。桜の合宿の合間に、お忍びでデートをしていたのだ。


「この二人は何か買っていったと思うんですが、それは憶えていないですか」


 主人から写真を返してもらった理真は続けて質した。


「うーん、何か買っていったかな? ああ、買っていったような気もするし……」


 主人の記憶があやふやになってきたようだ。


「それは、そんなに高くなくて小さいものだったと思うんです。例えば……」店内を見回した理真は、所狭しと様々な商品が並んでいる中から、「これ、こんなものを買っていったと思うのですが」


 理真が手に取ったのは小さな指輪だった。もちろん本物の宝石が付いたものではない。ガラス玉がはめ込まれた子供のおもちゃだ。なぜ日光でこんなものを売る必要があるのかと。まあ、どこの観光地も一緒だ。ご当地とは全く関係のないおもちゃやアクセサリーが名産品と一緒に並べられていたりする。私はこういうものを見るたび、果たしてどれほど需要があるのか疑問に思うのだ。

 理真の手にした指輪の値札が目に入る。そんなに高くないどころではない。安い。子供でも買える品物だ。


「ああ! そうそう」主人が声を上げて、「思い出した。確かにそれと同じ指輪を買っていったよ。色は赤だったかな?」


 理真と私は礼を言って土産物屋を出た。私は、せっかくなのでお土産にと箱入りのお饅頭を買って出た。

 理真は携帯電話を取りだしダイヤルする。相手は諏訪刑事のようだ。高島と稲葉は今日も上一色家に来るのかと質している。どうやら二人は今日も夕食をご馳走になりに来るらしい。それを確認した理真は、ちょっと調べてほしいことが、と追加の用件を喋る。それが終わると、また別の電話を掛けた。


「あ、もしもし、安堂です。牧田さん、ちょっと教えて欲しいのですが、別棟のトイレが壊れたのはいつでしたか? ……土曜日の昼? 事件があった翌日ですね。ありがとうございました。ええ、帰りは……」


 理真は私に顔を向けた。腕時計を見ると午後三時だ。私は、「七時」と告げる。


「七時くらいになります。迎えに? ああ、レンタカーショップまで。ありがとうございます。いえ、夕食は食べて帰りますから。それでは」理真は携帯電話を鞄にしまって、「これで決まったわ。由宇、帰りも先に運転お願いね」


 帰りの車内。外はもう夕暮れどきに差し掛かっている。助手席に乗り込んでから理真は一言も口をきかない。考えをまとめているのだろう。


「由宇」理真が口を開いた。


「何?」

「お腹減った」


 そういえば、目撃情報を得てすぐに発ったため、結局日光で食事をすることは出来なかった。上一色家で朝食をいただいてから何も食べていない。理真が肉まんを頬張っただけだ。


「そうだね。近くのサービスエリアに入ろうか」


 私はカーナビに目をやり、一番近いサービスエリアの情報を得る。


「今度こそ食堂とかあるところに寄ろうよ」


 まだ日光宇都宮道路を出て東北道に入ってからそれほど時間は経ってない。次の都賀西方つがにしかたパーキングエリアなら食堂もある。私と理真はそこで夕食をとることにした。


 食事を終えて再び車に乗り込む。昼食抜きで聞き込みに回った私と理真は、その分を取り戻さんとばかりに食べた。日光では結局何も食べなかったことが少し悔やまれる。湯葉そばというのが美味しそうだった。あとは、栃木牛ステーキ……いや、思い出すまい。

 東北道から北関東道へ分岐する岩舟いわふねジャンクションに差し掛かったところで私は理真に訊いてみた。


「理真、これで今度の事件は解決したの?」


 理真は小さく頷き、


「ほとんどが私の想像だけどね。でも多分間違いない。道中長いから、由宇には先に話しておくね」


 私はハンドルを握る力を込めた。理真は語り出す。

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