第35話 一日目(四)



『これより一時間三十分のお昼休憩に入ります。お昼休憩が終わりましたら、生徒の皆様は一時に所定の場所へと移動してください。繰り返します――』

 ともすれば録音ではないかと思うほどに冷静な放送が流れると、それまで白熱していた生徒たちは一斉に落ち着き、お昼ご飯のために校舎へと入っていく。

 私もその流れに乗ってお昼を手早く済まそうとしたが、しかし午前に撮った写真や動画の整理、それに使用済みのタオルと飲み物を回収しないといけないので、しばらく人が少ないグラウンドに残っていた。

 私のほかにも実行委員の生徒や生徒会補佐などがグラウンドの見回りや清掃、各種競技に使用する機材の再チェックのために残っているのが見える。

 友達のいない七未はてっきり私について来てくれるかと思っていたのだが、この隙に野外で露出をするのだと言ってどこかへと消えてしまった。あいつ、こんな日にもそんなことを考えているだなんて、さすが変態であると言わざるを得ない。いや、私も人のこと言えないのだけれど。

 とにかく、今は今日初めての一人の時間となる。この間に諸々準備をしておかないと午後は忙しくなる予定なので、ぶっちゃけお昼なんて食べている余裕はなかった。

 でも、同級生が体育着で互いに汗の匂いをおかずにお弁当を食べている瞬間を逃してしまうのはもったいない気がしないでもない。

 ここで私の特技である盗撮が役に立つのだ。朝のうちにしっかりと教室内に隠しカメラの準備をしているので、私が直接その場にいなくとも良いのだ。さらに言えば、私という危険人物がいないという事でクラスメイトは安堵し、隙だらけの表情やらあそこやらを見せてくれるに違いない。

「友梨佳さん、お昼食べないんですか?」

 ぐへへと気持ち悪い笑い声を出していた私の後ろから、聞き慣れた声が呼びかけてくる。振り返って顔を見なくとも分かる。みんな大好き深桜ちゃんの登場である。

「いやー、色々準備やら整理やらが必要でね。食べてる暇がないというか、まぁ食べなくてもお腹いっぱいって感じで」

「ダメですよ、お昼はちゃんと食べないと。いくら午前の競技にほとんど参加しなかったとはいえ、午後はそれなりに参加するんですから。そこで倒れられたりしたら大変です」

「大丈夫だよ、私これでも一日何も食べないでエロいこと考えてたこともあるんだよ?」

「ダメです、何か食べないと私が心配なんです。友梨佳さんは私のものなんですから、私の言葉は絶対なんです」

 所有物扱いされるのは慣れているが、心配されるのには慣れていないので、どういう反応を返せばいいか分からない。

「それでも友梨佳さんがお昼を食べないって言うなら、私の手作り弁当をここで一緒に食べてもらいます」

「私、今からお昼食べに行きますね」

 自ら地獄を選ぶ人などいないだろう。ここで意地を張って動かなければヘドロを食べさせると言われて動かない奴は被虐主義者なので私とは分かり合えませんね、残念。

「いいえ友梨佳さん、あなたが私とお昼ご飯を食べることは既に決定しているのです。そう、私があなたを見つけてしまったその瞬間に」

 蜘蛛の巣並みに動けば動くほど身動きが取れなくなっていくことこの上なし。

「では、場所を変えましょう。ここでは誰かに邪魔される可能性もありますからね」

 誰かと濁してはいるが、確実にリリィの事ですよね。




 校舎の中ではみんなでわいわいと騒がしくも楽しそうに食事を楽しむ女の子たちで溢れていたが、この第一庭園、つまりはグラウンドから一番近い庭園には人っ子ひとりいないと思えるほどに静かだった。

 まるでどこか違う世界に迷い込んでしまったかのよう。

 と言えば聞こえはいいかもしれないが、しかし待ってほしい。

 私が一人であればそういった雰囲気もありかもしれないが、ここには変態の中の変態、世界の変態を集めたとしてもこの変態には及ばないと言わしめるほどの変態が一緒にいるのだ。この状況はもう叫んでも助けがこないから何をしてもいいよねの状況ですよ。やばい。なにがやばいって私の貞操がやばい。

「うふふ、大丈夫ですよ。変なものは入ってませんから」

 そう言われて安心できるほどに信頼を勝ち得てないですよあなたは。

「そんなに警戒しないでください。私はただ友梨佳さんと二人きりの時間が欲しかっただけです。ここで襲ってやろうとか、ここなら誰にも邪魔されないから何しても大丈夫とか思ってないですよ、本当に」

 絶対思ってる。この顔は絶対思ってる顔だよ。

「ほら、ちゃんと食べないと。それとも、私からのあーんを期待してますか? しょうがないですね。まったく友梨佳さんは私がいないとご飯も食べられないんですね」

 睡眠薬か? それとも催淫薬? 惚れ薬の線も捨てがたいな。

「はい、あーん」

 ……ここでこれに応じなければ、きっと深桜ちゃんはもっと過激な行為に走るだろう。しかしここで応じてしまえば調子に乗った深桜ちゃんはもっと過激な行為に走る。あれ? どっちでも過激な行為に繋がってるよ? 逃げ場がないよ?

「こうなるだろうと思って学校内に監視カメラを設置しておいて良かった!」

 私が覚悟を決めて深桜ちゃんのお弁当を口にしようとした時、その声は聞こえてきた。

「銀リリィ……! あなたは何度私の邪魔をすれば気が済むのですか!」

「何度だって邪魔してやるわ! だってそのお弁当、催淫薬入りでしょ! そんなもの友梨佳ちゃんに食べさせるわけにはいかないもの!」

 やっぱり入ってたかー。分かってても衝撃ですよね。

「そんなものは入ってませんよ。私の愛なら入ってますが」

 それって愛と言う名の催淫薬では?

「どちらにしろ、あなたの手作り弁当を友梨佳ちゃんが食べることに、私は我慢が出来ません。私の手作り弁当も一緒に食べるのならいいですが」

 そんなに食べたら逆に午後動けなくなるんですが。ってそんなこと考えてませんよねぇこの人たちは。

「銀さんのお弁当なんて食べた日には胃痛胸やけが止まらなくなってしまうのでおすすめしませんね」

「あら、だったら結書さんのお弁当も吐き気や頭痛を催すって噂ですから、食べない方がいいですね」

「私はちゃんとお薬も持参してますので、ご心配なく」

 おい、健康を損なうの前提で話をしないでいただきたい。

 というか、この場合最も安全なのはリリィのお弁当の方なんだよなぁ。毎日結構練習したりとかして、今ではそれなりのレパートリーだし、今日の朝もリリィの作った朝ごはん食べてきてるわけだし。

 しかし、深桜ちゃんの料理の腕も上がっていないとはまだ言えない。毎日お弁当を作って来てくれてはいるが、初日の悪夢が尾を引いていて、まともに食べていないから、最近の腕前は判断が出来ないでいる。けれどここで深桜ちゃんのお弁当を安易に信じて食べるのは早計であるし、またリリィのお弁当も朝と同様に何も細工がされていないという可能性も低い。

 ここは慎重に出方を見なければ、今日の午後は保健室のベッドでうなされる羽目になるぞ。

 さぁ、どうする若木友梨佳!

「じゃあこうしましょう。友梨佳さんに一口食べてもらって、どちらのお弁当を食べたいかを決めてもらう。それならいいでしょう」

「そうだね。食べる際は目隠しでもして素直に味だけで決めてもらうのが一番だね」

 ……そうだった。この状況では私の意見など誰も汲んではくれないのだ。この二人相手には私はただの人身御供、もとい常に受け身状態。これは伝説のエンドレスマイターンシステムというやつですね。分かる人いんのかこの表現。

 とにかく、私には決定権がなく、二人のおもちゃであるということだ。それ何プレイだよ。拷問? 違うな、地獄めぐりプレイだな。

「友梨佳さん、そういうわけなので、この目隠し、付けてください」

「なぜそんなものが用意されている」

「あれでしょ。どうせ結書さんが友梨佳ちゃんのことを目隠ししてもっと人気のない場所に連れて行こうとしてただけでしょ」

 恐ろしい。想像しただけでちょっと漏れちゃったくらい恐ろしいですよ、それ。

「あ、今友梨佳さんちょっと漏らしましたね。後で拭いてあげますから、今は我慢してくださいね」

 どうして私が漏らしたことを深桜ちゃんは瞬時に理解できるのでしょうか。臭いですか? そんなに私のって臭いますか? まぁいつも管理されてるもんね、それくらいはすぐ分かるか。

 …………それって怖くない?


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