第7話 暗黒物質と虹色固形物



 教室に着くと案の定既に数学の授業が始まっていた。

 私とれいは黒井先生に軽くお小言をもらってから、各々席に着く。

 そして、私がカバンの中から筆記具と数学の教科書、ノートを取り出している時、再び教室の前扉が開いた。

「すみません、遅刻してしまいました」

 なんと、あの優等生メガネっ子キャラである深桜ちゃんが、遅刻してきたではないか!

 入学してから約一か月、その一か月ではあるが、深桜ちゃんが遅刻をしてくることなど、ただの一度もなかったのに。

 一体、今日はどうしたのだろうか。

「結書、お前もか。今度からは気をつけろよ」

「はい」

 しかしさすがは深桜ちゃん、私たちとは違って説教を受けることはなかった。普段の態度がいいとこういう時に得をするのか。私も頑張って優等生キャラを確立させてみようかな。まぁもう遅いかもしれないが。

 私はもうこの一か月、いや半月ほどで何度職員室に通ったか。

 ある時はクラスメイトのスカートの丈を調べていて注意を受け。

 ある時は上級生に「ずばり! あなたおススメの同級生は!?」とアンケートを取って説教をされ。

 またある時は同級生で誰が一番揉みごたえのある胸を持っているのかという実証実験をして厳重注意を受け、現在職員室での私の評価は”変態”の一言で満場一致であろう。

 しかして、私は思う。

 私ほど変態をオープンにしている人間ならば、まだ警戒のしようがあるが、この学校には隠れたど変態が多すぎると。

 深桜ちゃんしかり、リリィしかり。

 まぁでも、それは別段問題にはならない。

 なぜならば、私自身そういった変態性を秘めた女の子は嫌いではないから。むしろ大好きで大好きで仕方がない。

 というか、私が相手の変態性に順応しやすい性格だから、一回でも経験したことのあるプレイならば受け入れてしまえる度量の大きい人間だということが、中学生の時に判明してしまっている。

 それゆえに、私はただ見ているだけの”外側”の人間に徹していたい。

 内側に入れば入るほど、私が私ではなくなっていってしまうという、恐怖にも似た感情が沸き上がってくるから。

 女の子は好き。

 変態の女の子ならなお良い。

 でも、その女の子が、私を好きになってしまうのは、どちらに対しても不利益にかならない。

 恋は盲目。

 それしか目に入らないほどに、溺れ落ちてしまう。

 だから、私はあの子を……。

「友梨佳さん」

「ひゃい!」

 私はいきなり後ろから声をかけられ、素っ頓狂な声をあげてしまう。

 その声に黒井先生は軽く咳ばらいをして鋭い視線を向けてくる。ごめんなさい、でもこれは私のせいじゃなくて、声をかけてきた子のせいなんですって、誰に言い訳してるんだろうか、私は。

「今日の朝は、何をしていたんですか? いや、何をいたしていたんですか?」

 今気づいたが、後ろから声をかけてきたのは、なんと深桜ちゃんだった。

「深桜ちゃんこそなにしてるのさ。席ここじゃないでしょ」

 深桜ちゃんの本当の席はもっと前のはずだ。そして今深桜ちゃんが座っている席は私含め、クラスメイトの誰も顔を見たことのない、美少女(私の願望)の席のはず。

「そんなことは今どうでもいいのです。それより、今日の朝、友梨佳さんはリリィと何をしていたのですか?」

 表情を見なくてもわかるこの殺気に満ちた視線。全身の毛が粟立ち、冷や汗もだらだらである。

 深桜ちゃん、今朝の出来事はどの辺りから見ていたのだろう。まさかずっと監視してて遅刻したなんてことは…………ありそうだな。

「私には、リリィと友梨佳さんがいちゃらぶちゅっちゅしていたように見えたのですが、私の見間違いですよね? 私の眼鏡の度が合ってなかっただけですよね?」

 いちゃらぶちゅっちゅって、言い方かわいいな。

「あれは、ただリリィが勝手に私に手錠をかけて」

「手錠!? それは許せないですね。私だってまだしてないのに、それを先に実行するなんて。まぁいいです。今後はそんな蛮行、私が絶対にさせませんから」

 どう転んでも私が手錠をかけられるという現実からは逃げられなかったわけか。それに”今後は”と深桜ちゃんは言った。リリィもリリィで私を飼育するために檻を準備しているらしいし、深桜ちゃんもなにか似たり寄ったりのことを考えているのだろうか、てか考えてるんだろうなぁ。

 私の将来、どうなっちゃうんだろう……。

「大丈夫、友梨佳さんは私が責任をもって幸せにしてあげますから」

 似たような言葉をどこかで聞いた気がするが、今はもう考えるのをよそう。

 そう、今は現国のことだけを考えればいい。

 現国のことだけを……考えて生きたい。



 何がどうなって現状に至ったのかは、私という矮小な人間風情では甚だ理解できないところだけれど、とりあえず天上におわす神々よ、どうして私にこんな試練を与えるのでしょうか。私もしかしたら死後星座になれるんじゃないのってくらい試練を押し付けられている。

 大体、私が理想としていた高校生活からは脱線しまくって軌道修正すらままならず、新たに敷かれたレールは地獄へ一直線なのに、これ以上私をいじめて楽しいのか。

 まぁ、楽しいんだろうな、本人たちは。

「それで、その暗黒物質をあなたは友梨佳さんに食べさせようとしているの? 友梨佳さんがお腹を壊したりしたらどうするんですか」

「あなたの虹色に輝く固形物に比べたらまだましだと思うけれど。それはどうやったら作れるの?」

「私のは見た目は悪いですが、しっかりと味見してますし、ちゃんとした食べ物です。あなたの見た目も味も超次元のそれとは違うのよ」

「わたしのだってただ見た目があれなだけよ。食べられないものも入ってないし、味だって悪くはないはずよ」

 とあるお昼休みの、優雅な昼食時。

 いつもであればれいと一緒に食堂の隅っこでおとなしく食事をするのだが、今日は深桜ちゃんに捕まって無人の教室で食べることになった。そこまではいい。深桜ちゃんはあれな性格だけれど、注意しながら接すれば割とどうにかなる。

 問題なのは、そこにリリィが乱入してきたことだ。

 一人ならば対処できる変態も、二人同時は混ぜるな危険。核反応のごとくいろんなものが爆発してしまいかねない。

 身近に変態は一人で充分ってことだ。

「とにかく、友梨佳さんの胃袋は私のお弁当で満たされる予定なので、その禍々しい物体を仕舞ってください」

「あなたの食べ物に惚れ薬やら媚薬やらが入っていない保証はどこにもないでしょう? ルームメイトとしては得体のしれないものを友梨佳に食べさせられないわ。故に、友梨佳のことをよく知っているわたしが作ったお弁当を食べるべきよ」

「惚れ薬だか媚薬だかしらないけれど、そういうものの製作がお得意なのはあなたでしょう。私、文系ですし」

「あらあら、その言い方だとわたしのお弁当にはそれが入っているみたいじゃないですか。そんなものを入れなくても友梨佳はわたしにぞっこんですから」

「最後のは言い間違いかな? 友梨佳さんが愛しているのは私だけですよ。むしろ友梨佳さんは私しか愛してはいけないんです」

 そして今、いったいどちらのお弁当を私が食べるべきかという論争に発展している。暴力沙汰にならなかったのは良いことだが、どちらのお弁当を食べても、私の胃が崩壊現象を起こすことは容易に想像できた。

 胃薬、持ってきてたっけな。

「私たちがこうして言い争っていても埒が明かないですね」

「そうね。なら友梨佳に一口味見してもらって、どちらのお弁当を食べたいか決めてもらいましょう」

 やはりそうきたか。

 というか、話し合いでは絶対に解決しないとは思っていたし、初めからこういう展開になるのは予想できた。王道ルートまっしぐらで突き進んできたから、もうなんかばっちり受け止めちゃったけれど、本来ならば私が「いや、どっちのお弁当もいらない」ってはっきり言えれば済む話なんだけどね。

 まぁ、そんなことを言ってしまえば、私は二人から死ぬほど重い愛をお見舞いされてしまいかねない。命はひとつだけなので、大事にしようと思います。

「それで、友梨佳さんはどちらのお弁当を食べたいと思っているんですか」

「どっちもとか、いらないとかはナシだからね。ちゃんと白黒つけてくれないと、わたし達何するか分からないから」

 怖いよ。その発言も目もお弁当もすべてが怖いよ。

 目だけで人を殺せそうだわ。

 しかし、困った。

 いらないという選択肢はもちろん私の中では消えていたが、なんとどっちも食べるという選択肢まで見事に潰してくるリリィ。今日のパンツは確か白黒だったから、明確に白黒つけてほしいのかな。そんなわけないか。

「とりあえず、私のお弁当から先に食べてください。この女のを食べた後だと気絶するかもしれないので」

「何言ってるのかな。わたしのを先に食べるべきよ。そうしないと舌がばかになってしまって何を食べてもゴミの味しかしなくなっちゃうじゃない」

 すごい言い様だな、二人とも。

 気絶とかゴミとか、私を抹殺する気満々じゃないですかぁ。

 いや二人にその気はないことは分かっている。私のことを想うあまり様々なものを合成してしまって、結果超物質が出来上がってしまっただけで。

 その超物質をなんの疑問もなく食べさせようとしている二人は異常としか思えないけれど。まぁ好きな人に手料理をご馳走してあげたいって思いは、私もよくよく理解できるし、なにも変わったことではない。むしろこれはまだ平和的かつ日常的な感情の内ではないだろうか。

 とまぁ、長々と言い訳を並べてきたが、私が言いたいことは一つだけ。

 食べたくない。

 だってそうじゃない。こんな暗黒物質と虹色固形物を食して生きていられる自信がない。でもこれだけ近くに物体があるにも関わらず無臭というのはある意味すごい。

「さぁ友梨佳さん、遠慮せずに食べてください」

「はい友梨佳、いっぱい食べてね」

 行くも地獄で引くも地獄。ついでに食べたら三途の川。食べなくても生き地獄。

 それならば!

「い、いただきます!」

 私は自身の身体に眠る勇気と覚悟を総動員させて、二つを同時に口へと放り込む。

「あっ」

「ちょっ」

 二人は驚いた様子で私を見るが、気にしていられるほど余裕はない。

 なにこれすごい! 固いし柔らかいし液体だし超合金混じってるし、どうやったらこんな不思議な食べ物を作れるのか。

 というか、味がしない……。

 こういうものはたいてい苦かったり甘かったり辛かったりするのだけれど、何も味がしない。ただただ口の中で千変万化の感触が私を襲うのみである。

 と、思ったらなんだろう。物体の奥の奥から滲み出てくるこの味、なんとも言えない。あ、あれだ。噛みすぎて味がめっちゃ薄くなってゴムみたいになったガム。それに近いものがある。ただし味は辛酸っぱい。いや甘苦い? どうでもいいか。とりあえず不味い。

 でもなんだろうか、ただ不味いだけだし、気絶するほどとかゴミとか、そういう感じではない。とにかくただ不味い。それのみに特化した料理としか評価できない。いっそ気絶とかゴミの味がしたほうがいいリアクション取れて、こちらとしてもおいしい展開なのに。

「……どう?」

「おいしい?」

 二人は様子を窺うように私の顔を見ていた。

 どうって言われても……普通に不味いですよ? とか言えない。時に嘘をつくことは世界を平和に回すために必要な行為なのだ。

「うん……まぁ二人ともがんばりましょうスタンプかな」

 たとえ嘘だとしてもよくできましたは押せないし押すわけにはいかない。ここで二人が「この料理でいいんだ」なんて勘違いをしてしまったら最後、死ぬまでその料理が出され続ける運命の輪に囚われてしまう。

「そう、まぁこれを機に料理を頑張って一か月後くらいには驚くほどに上達していればいいのよね」

「まぁ、わたしだって料理得意ってわけじゃないし、これから友梨佳に手取り足取り教えてもらえばいいのよね」

「いや私も教えられるほど上手くないし」

「そういうことなら私も教えてもらおうかな」

「だから私も上手くないし」

「それじゃその時だけは休戦ってことでいいかしら?」

「あのだから」

「そうね、それがいいわ」

 二人とも、話聞けよ。当人を置き去りにして会話しないでよ。

 なんなの、もしかしてあなたたち本当は仲めちゃくちゃいいんじゃないの。もしかしたら私っていないほうがいい感じ?

「よく見たらあなたの暗黒物質も、まぁ悪くはないわね」

「あなたの虹色固形物も、勝るとも劣らずって感じじゃない」

 ほんと、私必要ないだろ。



 本日のお昼休みに学んだことはいくつかあるが、私が一番驚愕したのは類は友を呼ぶがごとく変態は理解しあえるということだった。

「お昼休みに姿が見えないと思ったら、そんなことになってたのか」

 事の顛末を授業直前にれいに話すと、れいは苦笑交じりにそう言った。

「いやしかし、そのただ不味いだけの弁当だけでお昼は大丈夫なの?」

「うん、残念ながら全然足りない。足りないからさ、放課後ちょっと付き合ってよ。お口直しにデザートが食べたいのです」

「ああ、うん。わかったよ」

 れいの了承を得た直後、安いチャイムの音が鳴り、前の扉から古典の先生が入ってくる。

 そして、次の授業が始まるのです……。 

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