第6話 深桜ちゃんはすべてを見ている
朝目覚めた時、隣にかわいい女の子がいたらきっと素晴らしい気持ちになるに違いないと、以前の私ならば思っていた。
けれど、実際かわいい女の子の寝顔がこうして近くにあっても、今の私は真顔になってしまう。
だから外側から一方的に眺めている方が幸せなのだ。
その内側を知ってしまった現在は、嬉しいという気持ちよりも恐怖心が勝ってしまう。
このまま、このまま相手を起こすことなく、静かに、ゆっくりとベッドから抜け出さなければ、私は朝から酷い目に遭ってしまうという恐怖が。
というか、私昨日からずっとトイレ我慢してるんですよねぇ。そろそろ限界。
私は抱き着いて離れないリリィの腕を慎重に引きはがし、ベッドからの脱出を試みる。
が、これほんとに寝てるの? と思うほどリリィの腕は強く絡みついていた。
くそ、トイレ行きたいのに! けどこれ以上力を入れてしまえばリリィが目を覚ましてしまいかねない。
四苦八苦すること約五分。ようやくリリィの片腕をはがすことに成功した私は、もう片腕もこの調子で、と考えたけれど、ここは一旦冷静になることにする。
私はちらりとリリィの様子を見ようと顔を覗き見ると、なんと、そこにはお目目がぱっちり開いたご尊顔があらせられた。
「……一体、何をしているのですかね?」
目が怖い! 朝一番の少女の表情じゃないよそれ!
言ってみればそれは浮気現場を目撃してしまった彼女の、修羅が宿った表情だった。
「い、いやぁ、トイレに行きたかったけれど、リリィを起こすのは悪いなぁと思ってさ」
言い訳がましいが、それが偽らざる本音である。
しかしリリィにはそんなことはどうでもいいらしく、私がリリィの腕から抜け出そうとした事実のみが重要のようだった。
「わたしは朝友梨佳ちゃんと一緒に目覚めたいし、一緒にお着替えしたいし、一緒に登校したいの。だから起こしたら悪いとか考えないでほしいな。わたしが嫌だと思うのは、友梨佳ちゃんと一緒に居られないこと、ただそれだけだから」
顔は笑ってるのに目が本気なのですが。
まぁ本気なのだろうけれど、私から言わせてもらえばそれはそれで息苦しいというか、常に一緒は物理的に無理がある。
クラスとか違うし。
「昨日、友梨佳ちゃんがわたしを置いて一人で学校に行ったの、すごく悲しかったな。だから、これ、付けてみたの」
言って、リリィは私を掴んでいた手を顔の高さまで持ち上げてそれを見せてくれた。
「……手錠?」
「そう! わたしね、昨日考えたの。友梨佳ちゃんに昨日の子みたいな害虫が群がるのは、わたしが常に側にいないからだと思ったのよ。だったら、わたしの側から離れられないようにすれば、変な虫なんてつかないでしょ?」
何言ってるんだろ、この子。
「ちょっと加減間違えちゃったから手首が痛いかもしれないけれど大丈夫、この手錠も檻が届くまでの辛抱だし、友梨佳ちゃんは痛がる表情も、すごくかわいいから」
なに言ってるんだろ、この子は。
「それで、トイレだっけ? 仕方ないなぁ、わたしがちゃんとおトイレ連れて行ってあげるからね。残さず全部、出させてあげるから」
言って、リリィは私を抱き上げるような体勢をとる。
「いやいやいや、ちょっと待ってなんでそうなる!?」
やっと言葉が発せるようになった私は、ひとまず抗議の声をあげる。
「なんでって、わたしは友梨佳ちゃんが好きだし、友梨佳ちゃんはわたしが好きでしょ? だったら当たり前でしょ」
「いや確かに私はリリィのこと好きだけど、それは友人としてであって、別にそこに特別な感情はないから!」
「嬉しい! 友梨佳ちゃんから好きって言われちゃった!」
「後半聞いてねぇなおい!」
「ねぇ、今日はもうこのまま学校休んでいちゃいちゃしましょう? 授業中なら、邪魔が入ってくることもないだろうし」
こういうのは今に始まったことではないけれど、今日ほど危機的状況に陥った日はない。
なんせ、いつもならばリリィは私が遠回しにでも抗議すれば、必ず離れてくれていたのだ。けれど今日はその抗議すら届いていない。
「さて、そうと決まれば早速学校に連絡を入れなくちゃ」
そう言うとリリィは私をお姫様だっこし、学校に繋がっている固定電話を目指す。
「あぁ、この状態だとわたし受話器が取れない。友梨佳ちゃん、お願いできる?」
固定電話の前に着くと、リリィは自身の両手がふさがっていることに気付き、私に受話器を取るように言ってくる。
私が今ここで受話器を取ってしまえば、今日は学校お休み晩まで美少女といちゃいちゃコースに突入してしまう。
字面でみれば結構魅力的だが、中身は無間地獄と変わらない。
そうじゃないんだ! 私が求めている百合はこんなんじゃないんだ! もっとこう、甘々の重ったるいいちゃいちゃなんだよ! こんな、こんな特殊な性癖持ちの美少女といちゃらぶする百合じゃないんだよ!
というわけで私は無駄だと思いつつも、受話器と取らないという小さな抵抗をして見せたりする。
「……どうしたの友梨佳ちゃん? 受話器、早く取って?」
そんなかわいい表情で言われたって、私はなびかないぞ!
「あ、分かった! 友梨佳ちゃんお願いのちゅーが欲しいんだね!」
違う! そんなものが欲しいわけじゃ……ちょっと欲しいかもしれない。だめだめ! 今はこの状況をどう切り抜けるかを考えなければ!
ああでも、ちゅーはしてほしいかも。
「友梨佳ちゃん、目、閉じて」
どんどんリリィの顔が近づいてくる。
私も受け入れ体勢を整えるべく、ゆっくりと目を閉じる。って受け入れちゃダメじゃん! このまま流されちゃうじゃん!
でも、もうそれでもいいかなって思うんだ。
「ちょっと!? なにしてるのさ!」
しかし、そんな錯乱状態の私を救う声が、玄関から聞こえてきた。
「れい!」
今私にはれいが天使に見える。いや女神だ、結婚しよう!
「もう何ですか昨日から! 鍵かけておいた玄関がぽんぽん開けられるなんて、セキュリティがばがば過ぎませんか!?」
「いや昨日友梨佳が置いてった荷物の中に鍵あったし、それにこんな状態になってるなんて思わないし」
そりゃそうだよな。朝から同年代の友人の部屋に行ったら友人がお姫様だっこされた状態でちゅーしようとしてるなんて、普通の思考回路持ってる人なら想像すらしないもんな。ちなみに私はしたことある。
「勝手に人の部屋に入ってくるなんて、常識ってものがないの? あなたは」
まんまリリィのことじゃないですかね、それ。
「いやだいたい寮で鍵かけてる生徒なんて、この部屋と深桜さんのところくらいじゃないか? 上級生はしらないけれど」
まぁ、寮自体のセキュリティがしっかりしてるし、エレベーターも生徒証が認証キー代わりになってるおかげで、自分の部屋がある階にしか移動できない仕組みだからね。自前で鍵取り付ける生徒なんてそうそういないだろう。
しかも、学校の近くには県警本部もある。この寮に侵入しようとする変質者は刑務所好きの馬鹿しかいないって言われてるくらいだ。
けれどそんな万全のセキュリティでさえ、在校生という変態の前には無意味なんだよなぁ。
「みんなプライバシーっていう観念や概念がないのかしら」
「あるからみんな安心してるって思わないのか……」
そうだよね。ここのセキュリティを知っていれば安心だと思うのが普通だよね。しかしそれが通用しない相手っていうのも、世の中にはいるんだよ。例えば今私をお姫様だっこしてるこの人とか。
「まぁいいわ。他人に見られてしまってはもうずる休みするわけにはいかないし、大人しく登校しましょう」
「いや他人に見られなくてもちゃんと登校しようよ。あんた仮にも学年を代表する生徒なんだから」
「学年総括だって、恋はするのよ」
「しちゃいけないとは言わないけれど、普通の恋をしようよ。これはちょっと特殊ですぜ」
うん? まぁリリィが特殊な人間だとは思うし、この状況は普通ではないけれど、特別変ってわけでもない気が。
「ってなんでリリィさんはワイシャツ一枚しか着てないんですかね!? おかしくないですか!?」
思わず叫んでしまった。
朝から色々とあったからリリィの格好をちゃんと確認していなかった私も悪いが、しかしこれは処女の私には刺激が強すぎるよ!
「だって友梨佳さんこういう格好好きでしょ?」
「まぁ、好きだけど」
というか、大好物だけど。そうじゃない、今はそういう事を議論しているんじゃないんだよ、リリィさん。
「というかリリィさん。どうして私が裸ワイシャツが好きなのを知っているのですか?」
「パソコンに画像があったから」
「人のパソコンを勝手に見るのは、非常識ですよリリィさん」
「常識なんて、恋の前では無意味よ」
「恋はすべてを肯定する魔法の言葉ではありません」
「恋は盲目って言うでしょ?」
盲目どころか、聴力すら奪っていってないか、この子の中の恋心は。
「朝から漫談するのはいいけど、いい加減準備しないと遅刻するよ」
「え!? 今何時!?」
私はリリィ越しに掛け時計を見ると、ちょうど八時を指していた。
いつもならば、すでに教室に着いている時間だった。
「こんなことしてる場合じゃないよリリィ! 早く学校行く準備しないと!」
私はお姫様だっこの状態から颯爽と抜け出す。そして壁に掛けてあった自分の制服を取ろうと手を伸ばした瞬間、何か強い力によって左腕が後ろへと引っ張られてしまった。
「痛っ!」
「友梨佳ちゃん、そんなに引っ張られたら痛いよ」
そうだった! 今私とリリィは絶賛警察に連行される凶悪犯状態だった! すっかり忘れてたわ!
「でも、今確信しましたわ。これがあれば、何人も私たちを遠ざけることはできないと」
「いま! そんなことは! どうでもいい!」
私は早く学校に行きたいのだ! 学校というよりも、この場から早々に逃げ出したい!
そこでふと、疑問に思った。
「これって、つながった状態じゃ、着替えられなくない?」
私の言葉に、その場にいた全員が静まり返ってしまう。
どうやらリリィも、そればかりは想定していなかったらしく、非常にまぬけでなんともかわいらしく「あっ」と言わんばかりに口をあけた表情をしていた。
「……とりあえず、学校にちょっと遅れますって電話入れるね」
三人の中で一番冷静だったれいが、気を利かせてそう言うと、私とリリィは「はい、お願いします」と返す他なかった。
……もうほんと、外側の人間になりたい。
れいの助けを借りて、無事に手錠を外すことに成功した私たちは、急いで学校へと向かっていた。
リリィの口から手錠の鍵を窓の外に捨ててしまったと聞いた時には、もうダメかもと思ったけれど、それがちょっと高級なおもちゃ程度の強度だったこともあって、何とか包丁やらハサミやらを使って鎖部分を切ることが出来た。
まぁ正確に言えば手錠はまだ外せていないけれど、今日は体育もないし、問題はないだろう。
「今日の一限目って、なんだったっけ?」
「確か現国」
「あの厳しくも優しいことで有名な黒井翁の現国か……」
飴とムチって奴かな。さすがは最年長の教師なだけあって、青春を謳歌しつくしているうら若き生徒の手懐け方が分かっていらっしゃる。
それに、あの先生にはあまり心配かけたくないって思っちゃうんだよねぇ、不思議と。
「わたしは一限目科学ですよ」
「訊いてないし」
なんで言ったし。興味ないし。
と、私が思いながら後ろにいたリリィを見た私は、その後方に私たちを監視するような人影を見つける。
遠くて誰だか分からなかったが、私たちと同じ制服を着ていたので同じ学校なのはわかった。
しかし、あの子も遅刻なのに、あんなに悠長にしていて大丈夫なのだろうか。
「ほら友梨佳、ぼさっとしてないで足動かす!」
「あいあいさー」
前かられいに話しかけられ、私は再び学校を目指すべく前を向く。
後ろからの猛烈な寒気を伴った視線には、気付かなかったことにして。
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