M1 そして幕は下ろされた


◇1


 舞台裏の狭い廊下は、いつにも増して混雑していた。すれ違えるかどうかギリギリの幅しかないのに、今日は衣装やら小道具やらがずらっと並び、普段より5割増しの人数の大人たちが、バタバタと走り回っている。

 ハカタGSの公演は、普段16人で行っている。が、今日は新春特別公演のため、ファーストチーム・セカンドチームの全員――総勢32名が出演する。だから、衣装も小道具もそれだけ増えるし、サポートする大人たちも多い。その結果、楽屋に収まりきらずに、廊下まであふれ出しているのだ。

 チサトが衣装・小道具ゾーンをすり抜けると、次に待っていたのは、差し入れ・ケータリングゾーンだった。壁沿い置かれた長机の上に、お弁当ならドリンクやら差し入れのお菓子がずらりと並んでいて、そこにセカンドチームの子たちが群がっている。

「お菓子は、ほどほどにしときぃ」

 チサトが声をかけると、セカンドチームの子は、

「はーい」

 と、チサトの方も見ずに返事をして――そのまま差し入れのお菓子を食べ続けていた。

「もぅ」

 チサトは、それ以上なにも言わないことにした。アイドルは、人に見られる仕事だ。だから、スタイルには人一倍気をつけなきゃいけない。でも、言い過ぎればストレスになって、パフォーマンスに影響するし……。

 テレビや雑誌に出ることも多いファーストチームは、きちんとしたプロ意識を持っている子が多いので心配はしてない。でも、ファーストチームのメンバーが欠けたときに、アンダーとして仕事をすることが多いセカンドチームの子たちは、プロ意識に欠ける子が多くて……。

 折に触れて、チサトも注意するようにはしているのだが、あまり効果は感じられない。キャプテンとしての力不足だと反省することもあるけれど、正直、こういうことは、シアターマネージャーの尾形さんはじめ、オトナの人に言って欲しいとも、思う。

 カーテンを開けて、チサトは楽屋に入っていった。――公演中に衣装チェンジがあるため、楽屋は扉ではなく、カーテンで仕切られているのだ。

「あ、おかえりー」

 目ざとくチサトを見つけた田井中ナツキが声をかけた。「大だったの? 小だったの?」

「え!?」

 自分用のロッカーに向かっていたチサトは、足を止めた。――トイレに行くとは言ってなかったのに……バレてる!

「アイドルなんだから、そんなこと言わないの」

 そうたしなめたものの、

「アイドルの前に、フツーの女の子でぇーす」

 ナツキがおどけたように言うと、そのやりとりを聞いていたメンバーが、どっと沸いた。

 ハカタGSの楽屋は、いつもこんな風ににぎやかだ。男子禁制のせいか、ファンの人には絶対聞かせられないような下ネタもよく飛び交う。それを見て、

「女子高の昼休みみたい」

 と女子高出身のスタッフは言ってたけど……正直、もっとひどいとチサトは思っている。

 歌って踊るアイドルは、体力勝負だ。だから、衣装は汗臭くなるし、化粧も必須だから、化粧の匂いもキツい。楽屋中央の机にも、常になにかしらのお菓子が置かれていて、甘い匂いはしているし……「この悪臭は、どうにかしなきゃ」とチサトも思っているのだけれども、どうにかする前に体が慣れてしまって、いまだに放置してしまっている。

 空いている椅子をみつけると、チサトは腰を下ろして、台本に目を通した。今日の新春公演は、ハカタGSの全メンバー――ファーストチームとセカンドチーム、合わせて32名が出演する。ハカタGSのキャプテンとして、チサトがしゃべる機会も多い。なので、いつもより念入りに、台本を確認したかったのだ。

 そこへ、

「円陣、どうするの?」

 指宿リコが、チサトに声をかけた。

「あ……」

 台本のことで頭がいっぱいだったチサトは、言われてはじめて、円陣のことを思い出した。

 ステージに出る前に、出演メンバー全員で円陣を組むのが、GSグループの慣わしになっている。いつもなら、この楽屋の中で円陣をするのだが、今日はメンバーの数が多いので、この楽屋には入りきらない。

「どうしよう」

 正直に答えたチサトに、

「レッスン場でやれば?」

 リコが言った。

 ハカタGSシアターには、レッスン場が併設されている。ステージとほぼ同じ大きさで、楽屋のように散らかっていない。そこなら、32人全員入っても余裕だ。

「そうしましょう」

 と、チサトは即答。長いものには巻かれるタイプなのだ。

「先に行ってるから、みんな連れてきて」

 リコはそう言うと、チサトに背を向けて、楽屋を出て行った。その背中を、チサトは「頼もしいなぁ」と眺めていた。

 リコは、チサトの4年先輩で、テレビでも見ない日はないくらいの売れっ子アイドルだ。元々はアキバGSだったのだが、事情でハカタGSに移籍してきて、「グループのお荷物」と呼ばれたハカタGSを躍進させた、立役者でもある。その働きが認められて、現在ではメンバーでありながら「スーパーバイザー」の肩書きをもらっている。

 アイディアも豊富だし、決断は早いし、忙しいのにメンバーのことをよく観察してるし……チサトが尊敬している人のひとりだった。

 チサトは立ち上がるって、

「円陣するから、みんなレッスン場にいって!」

 と声をかけた。が、動き出すのは数人で、

「ここじゃないの?」

「なんで?」

 とブツクサ言い出すメンバーに、

「ここじゃ狭いけん、レッスン場でやると」

 チサトはそう返事をして、楽屋を回りはじめた。――イヤホンで音楽を聴いたり、動画を見たりしているメンバーもいるので、一人ひとりに声をかけるのだ。

 楽屋にいるメンバーが、全員席を立ったのを確認して、チサトもレッスン場に向かった。

 楽屋より広いとはいえ、きっちりステージと同じサイズしかないレッスン場は、32人入るとなかなかの混雑ぶりだった。

「1、2、3……16、17」

 チサトは、なんとなく輪になっているメンバーの中に入り、人数を数えはじめた。「17!?」

 びっくりしたような声を上げたチサトに、

「今日は32人だから!」

 ナツキがツッコむと、メンバーから笑い声がもれた。

「あ、そうだったね」

 顔を赤らめたチサトが、気を取り直して人数を数えなおそうとしたとき、

「円陣の前に、ひとついいかな」

 そう言いながら、シアターマネージャーの尾形がレッスン場に入ってきた。その声を聞いて、手をつないだまま、メンバーは顔だけ尾形に向けた。「ニュースで流れたので知っている者もいると思うが……フェニックスタウンモールが閉鎖されることになった。このハカタGSシアターも、閉鎖になる」

 それを聞いて、メンバーがざわつきはじめた。半数は、ニュースを聞いていたのか「やっぱり」という顔をし、残り半分は、はじめて聞いたようで、ぽかーんとしている。

「いまのシアターは、3月いっぱいで閉鎖になるが、新しいシアターの準備も進んでいるので、安心してほしい。詳しいことは、正式に決まったら伝えるが、みんなはいまのシアターに感謝して、一回一回の公演が特別な日のつもりでパフォーマンスして欲しい」

 尾形の言葉に、

「はい!」

 という元気のいい声が返ってきた。最初は不安だった表情のメンバーも、尾形の言葉に、勇気付けられたようだった。

「じゃあ、円陣いきます!」

 チサトの声が、レッスン場に響いた。


◇2


 本編が終わると、あとのことはサブマネージャーの磯山にまかせて、尾形はアンコールを見届けずに、裏口に呼んであったタクシーに乗り込んだ。

 行き先を告げると、尾形は腕組みをして、どうしたものかと考えはじめた。

 メンバーには「準備も進んでいる」とは言ったものの、実際のところは、なにも進んでいないも同然だった。

 もちろん、以前からウワサは聞いていたし、今回は内々に打診があったので、それとなくアタリをつけてはいた。が、尾形自身、どこかで「今回も立ち消えになる」とタカをくくっていたのだ。

 ところが、正式にフェニックスタウンモールが閉鎖することが決まってしまった。決まってしまった以上、それを覆すのは難しい。エンターテインメントの世界だけに、「ゴネている」というマイナスイメージがつくのは避けたい。だとしたら、さっさと次の場所を探すほうが得策だ。

 とはいえ、そう簡単に代替地が見つかるわけもない。300人収容できるホールはあるが、常時使用となると、なかなか難しい。いまのハカタGSシアターは、以前フィットネスクラブだった場所を改装したものだ。同じように、空き施設を改装するという方法もあるが、そうすると今度は改装費用の問題が出てくる。

 シアターマネージャーという役職は、いわば「ハカタ支社長」だ。だから、ある程度のお金は動かせる。が、改装費用となると、数億円はかかるハズだし、そうなると「本社」とも相談していかないといけない。

 ただ、いままでは「閉鎖することになったら」という仮定の話だったので、具体的な交渉はできなかったのだが、こうやって閉鎖が公になったことで、本格的に話を進められるようになる。

「それはそれで、一歩前進か……」

 つぶやいたとき、タクシーはホテルのエントランスに滑り込んだ。支払いを済ませると、尾形は早歩きでロビーに向かいながら、ブリーフケースから1枚のハガキを取り出した。

<2階「不死鳥の間」ね>

 新年会の会場を確認すると、尾形はロビーのエスカレーターに向う。

 地元の集まりには、できる限り顔を出すようにしていた。商工会はもちろんのこと、商店街の小さな飲み会にだって、声がかかれば出向くようにしている。もちろん、東京に滞在しているときは無理だが。

 GSグループは、テレビや雑誌などのマスコミで活動を目にしていただく機会が多い。が、原点はなんといってもシアターでの公演だ。地元にあるシアターで、地元の人に見ていただいて、育てていただく――そのコンセプトが揺らぐことはない。そのためにも、地元の方に愛されるグループでなければならない。地元に愛されていないグループが、日本全国の、全世界の支持を受けられるわけがない――と、尾形は信じている。

「不死鳥の間」に入ると、ちょうど来賓の挨拶が終わり、歓談がはじまったところだった。

 宴会場には、200人ほど集まっているだろうか。中央の大きなテーブルには、お正月らしい華やかな料理がずらりと並んでいる……のだが、どの参加者も料理を味わうよりも、挨拶まわりに忙しいようだった。

 さて、どのあたりから攻めようか……と、尾形があたりを見回したとき、声をかけられた。

「あけましておめでとうございます」

 声をかけてきたのは、テレビ局の副編集局長の浜口だった。「なんか大変なことになってるねぇ」

 いきなり核心を突かれて、尾形は苦笑いするしかなかった。

 それほどまでに、「フェニックスタウンモール閉鎖」というのは大きなニュースなのだ。

「あ、そうだ。尾形さんに紹介したい人がいるんだ」

 そう言うと、浜口は尾形の二の腕をつかんで、「不死鳥の間」の奥のほうへと引っ張っていった。

<相変わらず、強引だなぁ>

 と思いながらも、尾形はしぶしぶついて行った。――浜口は、ハカタGS結成以来、細々とではあるものの、ハカタGSが出演する番組を用意してくれている、大の恩人なのだ。

「ツツダさん!」

 かなり奥まったところで、どう見ても地元財界の重鎮と思しき人たちと談笑するひとりの男性に、浜田が声をかけた。

 背筋がやけにピンとしていて、周囲の人たちよりは明らかに若そうに見えるが……顔つきには、それ相応の迫力がある。自分よりひとまわり……いや、ふたまわりは上だろう、と尾形は思った。

「こちらが、この間お話した尾形さん」

「はじめまして」

 あわてて、尾形は名刺を差し出した。「ハカタGSの尾形と申します」

「こちらは、佐賀を中心に、手広く事業をされているツツダグループの筒田さん」

 浜田の紹介に、尾形はなにかひっかかった。――筒田!?

「はじめまして」

 ゆっくりと、筒田は言った。「いつも孫がお世話になっております」

 ――やっぱり!

 セカンドチームに、筒田リカというメンバーがいる。――ということは、リカのおじいさまか!

 まさかこんなところで、メンバーの親族と面会することになるとは……。


◇3


 秋山がそのニュースを耳にしたのは、正月恒例のハワイ旅行から帰国した翌日だった。

 年末の歌番組ラッシュと新春特別公演を終えると、アキバGSの「トップチーム」メンバーを引き連れて、ハワイにいくのが恒例行事となっている。トップチームというのは、アキバGSグループを引っ張る「選ばれし16名」だ。

 アキバGSグループは、アキバGSのほかに、名古屋のサカエGS、大阪のナンバGS、福岡のハカタGSがある。それぞれのグループに、ファーストチーム16名、セカンドチーム16名が在籍している。

 が、「アキバGS」としてCDを出す場合、アキバGS以外のグループ――通称・支店――からも、メンバーが参加する。けれども、1曲に参加できるメンバーは16名と決まっている。その16名は、特別に「トップチーム」と呼ばれていた。人気アイドルグループの中から、さらに選りすぐられた16名だから、いずれも名の知れたタレントばかりである。

 その「超売れっ子」を引き連れて旅行に行く――それがここ数年、秋山が一番楽しみにしていることだった。空港や現地には、マスコミが大挙してきており、取材攻勢にあう。それがなんとも気持ちいい。しかも、費用はGSグループ持ちで、自分の財布は痛まない。最高だ。

 ただ、今回「指宿リコ」だけは、その旅行に参加しなかった。秋山は、それに腹を立てていた。

 指宿リコは、「好きな女性芸能人ベスト10」にも選ばれるほどの人気で、あれこれと仕事が詰まっており、こちらから旅行の打診をする前に、断ってきたのだ。

 アキバGSグループの総合プロデューサーである自分の誘いを断るだけでも腹立たしいのに、「どうせ誘うんでしょ?」という態度も気に入らなかった。

 そんなモヤモヤした気持ちで、休み明けに事務所に顔を出して、たまっていた新聞をバサバサとめくっていったときに、その記事を見つけたのだ。

 全国紙で、フェニックスタウンモール閉鎖と再開発の記事が報道されたのは、福岡での報道から一週間後、フェニックスタウンモールの新しいオーナーとなる三友地所の正式発表後だった。

 秋山は、スマホを取り出し、戸黒の番号をプッシュした。――ワンコールしたのを確認すると、すぐに電話を切った。

 コールすれば、呼んだのは伝わるし、どうせ来て話すのだから、電話で話すのがもったいない。

 戸黒は、秋山のコールからきっちり3分後、秋山のオフィスに現れた。――とはいっても、秋山の個人事務所と、戸黒が代表を務めるアキバGSグループのオフィスは、ビルの同じフロアにあるので、いつもこのくらい……いや、今日は少し、遅いくらいだった。

「秋山先生、お呼びですか?」

 ドアを蹴破らんばかりの勢いで、秋山の事務所に入ってきた戸黒は、そのドアを閉め終わらないうちにまくし立てた。

 秋山の事務所は、会議室をベースにしている。中央に、10人は座れようかという大きな長テーブルと、部屋の奥に「偉い人」対応用のソファーセットが置いてある。

「ハカタの件、どうなってるの?」

 長テーブルの向こうから、読んでいる新聞から顔も上げずに、秋山が言った。

「ハカタの件……と言いますと?」

 戸黒は、額に汗がにじんでくるのを感じた。――ここまでダッシュしてきたせいが半分、「ハカタの件」というのが把握できていないのが半分。

「これだよ、これ」

 秋山は、長テーブルに広げられたいくつもの新聞の中から、「フェニックスタウンモール閉鎖」の記事を指差した。

 ズボンのポケットから、ミニタオルを取り出して、額の汗を拭きながら、戸黒はその記事を覗き込んで、ようやく事態を把握した。

 フェニックスタウンモールが閉鎖されるので、ハカタGSシアターはどうなるのか、ということを聞いているのだ。

「賃貸契約解除通知は、事前に届いておりまして、新しい劇場は尾形が探しているはずですが、進捗は……」

 戸黒が言いかけたところで、

「潰せ」

 そっけなく、秋山が言った。

「潰せ、とおっしゃられても……」

 必死に、戸黒が額の汗をぬぐう。「大手デベロッパーの再開発を潰すのは、容易ではないかと……」

「なに言ってんだ」

 どん、と秋山は椅子に腰を下ろした。「潰すのは、再開発計画じゃなくて、ハカタGSの方だよ」

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