第四話 紗枝さんのヒミツ その1

 紗枝さんはその日、物語に耽っておりました。むろん、旦那さんの書いた小説です。彼の書く小説は、その性格に反して非常に巧妙に形作られており、至る所にその技巧の跡が見て取れます。計算され尽くした物語の構成技術、設計技術とも言いましょうか、それは言わば建築物のようなものであり、非常にバリエーション豊かな読み方をすることが出来ます。紗枝さんはそんな旦那さんの一番のファンであり、その傍らで彼が紡ぐ物語における第一の功労者でもあります。何を隠そう紗枝さんは、プロの編集者さん顔負けの並外れた構成能力を持つ人間(本当に人間なのか?)なのですから。とは言えど、これだけでは読者の方々に実感が湧くような説明になっては居ないでしょう(おそらく)。なので、実例を出して説明したいと思います。そうすればきっと紗枝さんの凄腕っぷりが皆さんにも分かるでしょうからね。

 と、例えとして今日の一部始終をご覧に入れましょう。


「紗枝ー、プロットのことだけどな、組み上げたは良いんだがこれだけで単行本1冊分の文章量になっちまった……どうしたもんかな。削れる所は全部削ったつもりなんだけどな」


 旦那さんはいつもこんな風にプロット(筋書きとか、下書きとかっても言いますね)が莫大な文章量を叩きだしてしまうのですが、それを印刷して用紙に起こすと紗枝さんは、いつも赤ペンを持って「ちょおっとだけ1人にさせてくださいね」と微笑んで自室にこもるんです。そして1時間ほど待つと、そこには秀麗な美文となったプロット(二重表現したいレヴェルの) が出来上がっている訳です。種も仕掛けも(私が知るかぎりでは少なくとも)ありません。それはもう仰天する以外の反応ができないほど物の見事に、鮮やかに、それもプロットの修辞にすら細かい修正を入れる旦那さんが一言も文句を言わないほどに完ぺきな文法を用いてプロットが出来上がってくるのです。


 旦那さんもその間は煙草を吸わずに正坐してその時を静やかに待って居られます。あの奔放な旦那さんが、です。普段は贅をこらした生活を何よりも重視する彼さえも、この時には敬虔な教徒のようにただ佇んでいるのです。まるで紗枝さんが教祖様であるかのように。


「『ちょこちょこ』っと書き直すだけですよ」と紗枝さんは謙遜なさいますが、作業中はなんぴとたりとも人を立ち入らせないその光景は、かの有名な童話をも彷彿とさせます。旦那さんも一度、紗枝さんの精巧な仕事の裏に潜んだ秘密を探ろうとしたことがあったようですが、その時のことを話す気配は未だにありません。誰が聞こうと旦那さんは一切口を割らないのです。一体何があったのでしょうか。……それは私、天の声No.040にも分かりかねることです。この摩訶不思議な現象を私は(勝手に)“紗枝さん七不思議”と名づけています(果たして7つでおさまるのでしょうか。現状では既に9つ位、紗枝さんの謎い所を見つけているのですが)。


「紗枝にはいっつも助けられるなあ。ありがとな――それで、悪いんだが茶を入れてくれるか?」

「はいはい、ちょっとお待ちくださいね」


 とまあそれが終わってしまうと、またいつものほんわかとした関係に戻ってしまうのですが。それでもご覧になりましたか? 

これが紗枝さんの力なのです。これはもう、とってもスクープな訳なんですが、何せスクープとはいえど漏らす場所も、その根っこも掴めておりませんのでやりようがないのですよね。紗枝さん――あれだけ超絶技巧を持っていながら寸分の隙すら作らないその全方位陣。


 そのような訳で我々は、彼女の真相が気になって仕方ないのです――。

何故か我々ともコンタクトが取れますしね。けれど何故それが出来るのかは、我々のような下層の者達に詳細な情報が伝わっては居ないので、知りようがないことなのです。故にこそ、我々天の声ネットワークでは紗枝さんに関する不思議を“紗枝さん七不思議”と呼称して、日々会話の種にしているのです(仕事も少ないので、暇な日が多いのです。給料もその分低いですけれど)。情報共有能力こそが我々に赦された数少ない能力のひとつ! 赦されているのであれば、使わぬ手はありませんからね。


とまあ、そうは言いましたが、実情としては情報統制がなされているというだけなんですけどね。どこの世界でも下っ端は辛いのです、とほほ……。

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