20日目
20日目
収穫の多い一日だった。携帯電話を失ってしまったけれど、それは納得のうえだ。電源を切っていたがバッテリー残量はすでに10%を切っていた。ただの平たい箱になる前に有効活用できただろう。
朝、私は小屋の扉を叩く音で目を覚ました。昨日の事件で過敏になっていたせいで、少々怯えながら扉を開けるとジェルガが立っていた。口数の少ないジェルガがめずらしく話しかけてきた。寝坊した私は起こす係はユエンだったので、もしかして宝玉を割った責任でついに村を追い出されるのかと思った。しかし、表情と聞き取れる単語から推測するとどうも違うようだ。
『レンド』という場所に『行く』から、一緒に『来ないか?』。そう言っていると理解した。
私が神隠し(この表現が適切かは分からない)にあって迷子なことは、村人たちに伝わっているようだった。彼らはそれを『ルルック・ブーズ』と呼んでいた。『ブーズ』は子供たちとの会話から『いたずら』という意味だと判明している。天狗攫いやチェンジリングなど、人が突然消えるという現象は世界中の伝承に見られる。それを超自然的な存在の仕業と考えるのはどこでも共通している。『ルルック』は神か妖精を指す言葉だろう。
話を戻そう。『レンド』は人間が『いっぱい』いると言っていたので街だと分かった。私はジェルガの誘いを受けることにした。
広場に行くと村人が集まり、荷車に織物などを載せていた。お金を直接ジェルガに渡す人もいた。私はジェルガの妻リテンから籠を預けられた。籠は深い作りで、上の方が朝食用のパンで、底の方には布に包まれた割れた宝玉が入っていた。私はその2つを抱え、荷台に乗るように言われた。
見送りは村人総出だった。村の代表であるジェルガが重大な任務を帯びているのだと分かる。おそらく私の腕の中にある宝玉に関してのことだ。一緒についてきてしまって良いのだろうかと思った。
荷馬車はゴトゴトと揺れながら道を進んでいく。村の畑が見えなくなると、道は雑草の間に少し地面が見えるぐらいで轍は完全になくなる。それほど人は通らないのだろう。
左右に少しだけ草原が広がり、その後ろには森が見える。ある程度進むと、この道がとてもなだらかな上り坂になっていることに気づいた。
快晴で日差しが暖かかった。ときおり石を踏んだ荷馬車が跳ねる。しばらく進んで森に入ると、木陰が調度良く眠くなってしまった。割れているとはいえ大事な宝玉を預かっている身としては、鼻提灯を浮かべるわけにはいかない。目をしばしばと何度も動かし、睡魔に抗い続けた。なんどもガクッとなってしまったけれど、抱えた籠を落とさなかったからセーフだ。
上り坂の途中に石を組んで作った囲いがあり、底から清涼な水が湧き出していた。牛に水を飲ませるついでに、私達も休憩し朝食をとった。レーズンのような見た目で味がりんごのような干しフルーツが入ったパンと、カリカリの刻みベーコンと山菜が入ったパンを、それぞれ1つずつ食べた。
出発して少しすると林道は下りに差し掛かった。勾配が少しばかり大きかったので私は念の為に荷車を降りた。宝玉だけとなった籠を大事に抱え、坂で転んでしまわないように歩幅を抑えて歩いた。
太陽が天頂付近になる頃、雲一つない鮮やかな青い空だったことを覚えている。森が終わり木々の切れ間の先が開けた。五時間ぐらい進んだのだろうか。一日が24時間かどうか分からないけれど、極端に違うということはなさそうだ。
下り坂から見下ろす先は広い草原になっていた。平原の一部は遠くに見える川から水が引き込まれ、人の手で耕かした畑になっている。収穫が終わっていて作物は見えない。畑の間には牧場が5軒ほどあり、柵の中では動物がうろうろしている。畑や牧場から伸びた道をたどると、その先には石壁で囲まれた街があった。
地形的にゆるやかに見下ろす形になっていたので、壁の内側にある建物の姿も見えた。比較対象が定かではないけれど、それほど高い壁ではない。投石機や高角度の弓などは防げそうにないので、大規模な軍事的な意味合いは薄そうだ。しかし、野盗や野獣から守られる安心感を得るには十分だろう。こちらから見えるだけでも数十軒の建物が見て取れた。実際、そこは千人規模の街だった。
坂を下りきりジェルガは一軒の牧場へ荷車を近づけた。柵の中にいたのは毛足の長い生き物だ。サイズと毛質は羊だが、角や顔つきはヤクに似ている。高めの声で「グナー」と鳴き、目がくりくりしていて可愛い。カックルという生き物だと後に知った。
一人の男が近くの田畑を流れる用水路から水を汲み、柵内の飼い葉桶に運んでいた。ジェルガはその男に声をかけた。
五〇代ぐらいだろうデガという男は、ジェルガの知り合いだった。このカックルの毛を買い付け、村での織物に使っているようだ。
二人はしばらく話をしてから、ジェルガは乗ってきた荷車と牛をデガに預けた。そして積んできた織物を背負い始めた。街の中へは徒歩で入っていくようだ。私は宝玉の入った籠と自分の鞄を手にして、背中に筒状にした織物を2つ背負った。幾重にも糸を織り込んだ厚手の生地はずっしり重く、立ち上がるときにふらついてしまうほどだった。そんな織物をジェルガは6つも軽々と背負い、さらに両手にも抱えた。
そこから街までの徒歩の行程はながく感じた。見下ろした時は遮るものが無いせいでデガの牧場と街は近く見えたが、実際には1~2キロ離れていただろう。街に着く頃には背負い紐が肩に食い込み、擦れてしまっていた。
街を囲む壁は三メートル弱ほどの高さがあった。構成する石はある程度均一の直方体に加工されている。石工技術の高さがうかがえた。石と石の間の目地には漆喰やモルタルのようなものが使われていた。壁の上面は胸壁付きの歩廊になっているが、歩哨などの姿はなかった。さらに川があるのに水堀がないことから、大規模な交戦を想定した城塞都市ではないのだろう。村が襲われたことからも分かるように、野盗などに対して備えているのだ。
街に壁をめぐらすのは大規模で計画的な工事が必要だ。それを可能にする領主などの権力者がこの街にいるはずだ。権力者はその影響下にある者たちの安全を守ることで、税収と信頼を得ている。そういった意味でも壁は必要なのだ。
見張り塔に挟まれた門までくると、私たち以外の姿もあった。行商だろうか大きな荷物を背負った男たちの一団や、外套を着た旅慣れた風体の若者、馬を引く兵士らしき男と馬上の高貴な雰囲気の女性、様々な人々が並び歩哨からチェックを受けていた。
チェックと言っても厳しいものではない。二、三言だけ話して問題なく通されていた。ただ馬を連れた男だけは、硬貨で支払いをしていた。街の中に動物を入れるのはお金がかかるようだ。だからジェルガは牛と荷車を牧場に預けたのだ。
列に並ぶとすぐに私たちの順番がやって来た。歩哨はジェルガを一瞥すると、私の方を指差して何か喋り出した。私の顔立ちから異邦人と分かったことだろう。怪しい奴を街に入れるわけにはいかないと言われたのかもしれない。
私は背中に冷や汗をかきながら、ジェルガに助けを求める視線を送った。ジェルガは小さく笑うと歩哨になにか説明を始めた。話を聴き終わった歩哨は深く頷くと、打って変わって同情するような表情をしていた。
なんと説明されたのか分からないけれど、ジェルガが上手く誤魔化してくれたようだ。そうして、私たちは壁の内側へ無事に入ることができた。
広々としたジルク村と比べて、レンドの街は雑然としていた。門から真っ直ぐに大通りが伸びていて、道幅的には荷車が並んで通れそうだ。しかし、道の両脇に露店や簡素な屋台が並んでいて、人通りもそこそこあるので混雑した印象を受ける。入り口で牛や馬の通行料を取らなければ、たちまち大渋滞を起こしてしまうだろう。
木やレンガ、石で作られた2階建てや3階建の建物が立ち並ぶ光景から、ここが都市であることが感じられた。土地の面積に対して建物を高くすることで、敷地面積を広げる価値がこの場所にはあるのだ。それだけ多くの人がこの街に集まってきている。私の身に起こった事の手がかりが掴めるかもしれない。
ジェルガが、私に向かって何かに注意するように言って、籠と鞄を強く持つようにジェスチャーをした。どうやらスリに気をつけろと言っているようだ。
ウンウンと頷いた私は両手を強く握りしめた。それから、ジェルガの背中にくっつくようにして通りを進んでいく。
街の中は人間の生活の匂いが強かった。すれ違う人たちの酸っぱい体臭や、露店から漂ってくる熱々のスープやこんがりと焼けた骨付き肉のいい匂い、軒先に干している洗濯物が揺れ微かに漂ってくる清涼な匂い。土の匂いに包まれたジルク村とは大きく違った。
大通りを進むに連れて店に並ぶ商品が、食料品から物品へと変わっていった。食器などの日常雑貨や漢方的な草木や蜥蜴の手?の量り売り、山のように布を積んだ古着屋、移動式の棚にずらりと本を並べた書店など様々だ。そういった中に剣や弓、盾などを並べている店が違和感なく溶け込んでいる。アメリカの銃砲店のような感覚なのだろうか。
想定される文明レベルから考えて、普通の人が平時から武器を手にしている理由は2つ考えられる。1つは自衛のためだ。そうなると村が野盗に襲われたのは決してイレギュラーな事態というわけではないことになる。もう1つは兵役などで領主に人足として駆りだされる場合を想定してだ。質の良い武具を持参すると良い待遇が受けられたり、そもそもの生き残り確率が上がる。
もちろん良い武具は値段もはる。例えばヨーロッパの騎士や日本の武士は余裕のあるときに武具を作り、代々受け継いだ。戦いに使わなくても資産的価値がある。
武具店を覗いていたのは若い男女だった。鎧を身につけ、腰に鞘を下げている。見るからに荒事が得意そうだ。兵士や傭兵を生業としているのかもしれない。そういった職業に向けた武具店が普通にあるということは、私が想像しているより、この地域は物騒な情勢なのかもしれない。
そんなことを考えながら道を進んでいくと、入ってきた門のちょうど反対側にある大きな屋敷の前に着いた。他の建物が一区画にぎゅうぎゅうに詰め込まれているのたいして、この屋敷は一軒で広々と区画を占有していた。鉄柵が周りを囲み、内側にはちいさいながら庭と専用の井戸があった。説明されなくても、すぐに権力者の屋敷だと分かった。
庭では中年の男性が馬の手入れをしていた。植物の繊維を割いたブラシで身体を撫でられた馬が、気持ちよさそうに首を下げていた。ジェルガが声をかけると、男は先に立って歩き私たちを屋敷の中へ案内した。
屋敷のつくりは一言で表してしまえば洋館風だった。板張りの床が玄関ホールから左右の廊下と階段で、上階へと続いている。街中では見かけなかったが、窓にガラスが使われている。インテリアとして幾何学模様や動植物、兵士を描いたタペストリーが壁の大きな余白を埋めるように掛けられていた。
男はジェルガに待つように言うと、二階へと上がっていった。しばらく無言のまま待っていると、鼻髭を蓄えた身なりの良い老人が二階から降りてきた。老人と言っても髭や髪が白いだけで、背筋はシャンとしていた。
顎鬚の老人はジェルガの顔を見ると、問いかけるような笑みを浮かべた。ジェルガが何か説明しようとしたが、老人はそれを遮り私たちを応接間に導いた。
老人が応接間の椅子に座ると、ジェルガは手にしていた織物をテーブルに広げた。織物を挟みジェルガは真剣な表情で老人に訴え始めた。断片的に聞き取れた単語と、その切実な表情から緊急で織物を買って欲しいと言っているようだ。
領主が特産品の売買を独占することは、支配体制を維持する上で合理的だ。生産者側からすると、いくら良い商品を作っても販路がなければ意味が無い。領主としても高く売りさばければ自分の利益を確保しつつ、領民からの信頼を得ることができる。
ジェルガの話を聴き終わった老人は眉をひそめ渋い表情を浮かべていた。続いて老人が何か言うと、今度はジェルガの方が厳しい表情になった。それからピリピリとしたやり取りが続き、ついに両者は合意に達した。しかし、買い叩かれてしまったのか、ジェルガの表情は苦々しいものだった。
ジェルガに促され担いでいた織物を下ろしていると、老人が私に話しかけてきた。息子のユエンではなく怪しい異邦人を連れているのだから、素性を尋ねているのだと分かった。答える言葉を持たない私がおたおたしていると、代わりにジェルガが話し始めた。迷子だという事情を説明し、さらに何か知らないかと聞いてくれたようだ。老人は何か考える素振りをみせ少し唸った。それからゆっくりと首を横に振った。
落胆はなかった。それよりも、ジェルガが私の身に起こったトラブルについて調べるため、一緒に連れて来てくれたのだと分かって嬉しかった。
織物をおろし身軽になった私たちは、老人に見送られ屋敷を後にした。次に向かう場所が決まっているのか、ジェルガは大通りをずんずん進み、井戸のところで曲がり裏通りへと入っていった。
赤ら顔の男たちが肩を組み、両開きの扉から千鳥足で出てきた。高い位置に掲げられた看板には麦穂が描かれている。酒屋だろうか。そのまま視線を通りに沿ってスライドすると、旗や剣、三日月のマークの看板が見えた。屋台が並ぶ大通りのような喧騒こそないが、この通りも様々な店が並んでいるようだ。
ジェルガが足を止めたのは、六角形の看板の店だった。こじんまりとした外観で正面の扉はピタリと閉じられている。まるで隠れるように看板以外は何も主張していない。排他的な佇まいの店にジェルガは躊躇なく足を踏み入れた。私もおっかなびっくり後に続いた。
ロウソク灯りだけの店内は暗かった。その闇の中に怪しい仮面が浮いていた。虚ろな目をしたメンフクロウのようなその仮面に驚き、私はヒッと悲鳴を漏らし後ずさった。私の慌てようを見て仮面が嗄れた声で笑った。
店の中はリサイクルショップのように雑多なもので溢れていた。天球儀のような金属の大型装置や、木組みの糸車にフラスコをつけた装置、右手にある棚には標本のごとく鉱物や干からびた昆虫などが置かれている。まるでヴァンダーカンマーだ。
それらに囲まれた店主は、暗さのせいか仮面ではなくまるで肩からメンフクロウの頭が生えているように見えた。
ジェルガは私の持っていた籠を手にすると、中に入っていた包みをテーブルに広げた。店主は露わになった宝玉の欠片を枯れ枝のような指先で1つ摘み上げ、ローソクの火にかざしてしげしげと眺めた。そんな店主の勿体つけた態度にしびれを切らしたように、ジェルガは布袋をテーブルに押し付けた。紐で止められていた袋の口が開き、褐色と鈍色、そして銀色の硬貨が覗いた。
732ディルと3ハスあるとジェルガは言った。ディルは通貨の単位だ。鈍色の硬貨が1ハスで、褐色の硬貨が1ディル、銀貨が10ディルとなっている。見た目だけだと価値の高低が日本の十円玉と百円玉と逆なので常に気をつけるべきだろう。
二つの単位の換算は1ディル=12ハスとなっている。詳しい物価は分からないが屋台のスープが5ハス、肉を挟んだパンが7ハスで売っていた。そこから考えて、732ディルはかなりの大金だろう。
店主は大金の入ったを布袋を確かめもせず首を横に振った。これにはジェルガも唸るような声を出した。なぜダメなのだと詰問するように、店主に詰め寄った。
老人は怯むことなく2000ディルという金額を提示した。これにはジェルガも目を剥き、厳しい表情を浮かべた。
払えないなら帰れとばかりに店主は、くるんでいた布を宝玉ごとまとめはじめた。しかし、ジェルガは引かなかった。内容こそ分からないが、その切々とした様子に私は思わず「クト(売る)」と声を出していた。
二人の視線を受けながら私は鞄の中に手を入れ、携帯電話を取り出した。つやつやと輝く画面や見たことのない材質に興味を引かれたのか、店主の仮面が揺れる。
私は一計を案じ、念を込めるような仕草で本体を握りしめ、こっそりと電源を入れた。真っ黒だった画面にロゴマークが表示され、ピロリロリンと軽快な音が鳴り響く。店主もジェルガも何事かと驚き、わずかに身を引いた。
さらに念を込めながら、「牛丼、ハンバーグ、メロン、プリンアラモード」などなど適当な日本語を呪文のように唱えながらカメラを起動した。変わった楽器だと思われては困るので、店主の顔を数秒の動画で撮影し、再生して見せた。
まずはジェルガは目を丸くし驚きの声を上げた。店主も不思議そうに画面を指で突いた。動画が再び再生されビクッと身体を震わせた。
店主は興味を持ったようだが、強く食いついてはこなかった。こけおどしらしい仮面といい、したたかな性格だ。私は「2000」と吹っかけることにした。店主は首を縦には振らないどころか、先ほどまでの掠れた声が嘘のように笑った。それから「500」と向こうは向こうで吹っかけてきた。互いに相場とモノの価値を知らない者同士が、数字を言い合うだけのひどく原始的な交渉だった。
両者の思惑から1500ディルの付近で、細かい値段の上下が続いた。ジェルガの手持ちのお金と合わせれば目標額に達するけれど、あれは村の人達が無理して捻出したものだ。出来る限り使わないですませたかった。
そこで私は電子辞書もつけようと考えた。電池残量は沢山残っているが、どうせ辞書として役に立たない。
ぜーぜー肩で息をしながら鞄をテーブルに置き、電子辞書を取り出そうとした。その時、たまたま退けようと取り出したのが、森のなかで意思を持つ巨木に貰った果物の種だった。
それを見た店主は仮面を取り去るとぐっと身を乗り出し、私の持った種に顔を近づけた。困惑してジェルガを見ると、彼も目を見開いて信じられないと言った表情をしていた。記念のつもりで持っていた種だったが、どうやら貴重なものだったようだ。
ゴクリとつばを飲んだ店主は携帯電話と種を交互に指し二本指を立てると「2000」と言った。私はそれで構わなかったが、今度はジェルガが押し留めた。真剣な表情で、売ることはないと言っているようだった。私はジェルガに「大丈夫」だと言い、村のために使えるなら構わないし、種はもう一つある。むしろこの種の価値を知れたことの方が私にとってはラッキーだった。
交渉が成立すると店主は仮面をかぶり直し、テーブルを片付け一度奥に引っ込んでいった。戻ってきた店主は床に縦横2メートルほどの正方形の羊皮紙?を広げた。それから小さな壺を抱え、その中に入っていた青白く光る粉で中心に大きな円を描き、四隅にそれぞれ小さな円を描いた。中心の大きな円に割れた宝玉を置き、小さな円には透明なクリスタル、紫の液体が入った小瓶、緑色の土、虹色に輝くカブトムシのような甲虫を置いた。
誰も入ってこれないように店の戸に金具をかけ、私とジェルガも手伝って店中のローソクを消した。部屋の中は光ひとつない完全な闇へと沈んだ。
店主はブツブツと何か呪文のようなものを唱えだした。断片的に聞き取れたのは『精霊』を表す『ララム』と、『約束』を表す『アールス』ぐらいだった。
呪文が終わると同時に、ふっと風が吹き暗闇で何かが動いた。気配が現れた方を見ると、薄っすらした光をまとった茶色の影が5つ、わさわさと動いているのが分かった。二十センチぐらいだろう、ずんぐりむっくりとした小人だった。驚いたけれど、村での祭を体験した後ではさすがに声をあげるほどではなかった。
小人たちは羊皮紙の上に集まると、どこからともなく金槌を取り出し宝玉の欠片を砕き始めた。大丈夫なのかと思ったけれど、ジェルガが止めないので私は黙ってみていることにした。
宝玉は小人たちの手であっという間に小さな粒へとなった。虹色の甲虫も同じように砕き、それらに緑の土を加え小さな手を使ってこねこねと練り始めた。ある程度均一に混ざったところで、瓶を倒し中に入っていた紫色の液体をその粘土に混ぜた。それから空気を抜くように小人たちは激しくし粘土の上で跳ねまわった。十分に広がると畳んで厚みを出し、また踏みつけた。うどんか蕎麦をうっているようだ。しばらく、その作業を繰り返していると斑だった粘土が徐々に白く透き通っていった。
小人の一人が合図をすると、五人は粘土を大雑把に固めその周りを囲んで手を繋いだ。小人たちは歌いながらその塊の周りをぐるぐると回り始めた。カサカサと木の葉が擦れるような声で、ジェルガたちが使う言語とも違うようだ。そもそも言葉なのかどうかも定かではない。ただ祭り囃子のような陽気な歌だった。
その歌に合わせて塊はひとりでにもぞもぞと動き出し、まるで形状記憶合金が弾性を発揮するように球形を取り戻していった。そして小人たちの歌が終わると、透き通った真球が羊皮紙の上に姿を表した。
店主は仕事を終えた小人たちに、金色をした鉱物を渡した。受け取った小人たちの纏う光が弱まり、ついには完全に消えてしまった。店主の合図でジェルガが扉を開けて光を呼び込んだ。小人たちの姿はなく、真新しい透明な宝玉だけが残っていた。
うながされたジェルガが宝玉を手にとり光にかざす。通り抜ける光の具合から、傷ひとつなく扁平率0の球体だと分かった。ジェルガは満足気にうなずいた。
修復された宝玉と引き換えに、携帯電話と巨木の種を店主に渡しジェルガと私は店を出た。ちなみに携帯電話の電源は切っておいた。スイッチの長押しにはそのうち気づくだろう。はったりをかましたのは値段を釣り上げるためもあるが、無事に売れた電池がなくなることを考えてだ。何か神秘的な力が必要だと思わせておけば、電池切れで動かなくなったことも適当に解釈してくれるだろう。
目的を達しようやく緊張が解けたジェルガが長い一息をついた。私も釣られてため息をつく。そんな私の目を見てジェルガは「ナークル」と重い声で礼を述べた。私は世話になっているお礼だと片言の言葉で伝えようとした。どの程度伝わったか分からないが、ジェルガは情のこもった声でもう一度「ナークル」と言った。
残ったお金をジェルガは全てを私に渡そうとしたが、私は断った。村の人々が無理して集めたお金だと知っていたし、これで貸し借りなしのつもりだったからだ。そもそもジェルガがいなければ、携帯電話や種を金銭や物品に換えることは不可能だった。言葉の通じない私一人では、売れたとしてもはるかに安く買い叩かれたことだろう。
それでもジェルガは強引に金の入った布袋を私に押し付けた。受け取る、受け取れないと、しばらく押し問答を続けたが結局、半分ずつ分けることで手を打った。正直、これからのことを考えれば望外の幸運だ。
日が暮れるまでの少しの時間、ジェルガがレンドの街を案内してくれた。主にどんな店や施設があるか大まかにだが分かった。案内の途中で私は受け取ったお金で早速ひとつ買い物をした。
地図だ。レンドの街を中心にしたもので、縮尺は定かではないが街道や他の村や街の名前が載っている。そこに書かれた文字を解読していないので、詳しくは分からないが例のジクルスの位置が分かるかもしれないと期待した。
その後、調理済みの肉や腸詰め、窯焼きパン、酒を抱えるほど買って牛を預けたデガの牧場に戻った。それらの食料はデガとその家族、そしてジェルガと私で夕食にした。食べきれず残った分も合わせて、宿代ということだ。
デガとジェルガはまだ居間で酒を楽しんでいる。私はあてがわれた部屋のベッドで横になりこの日記を書いている。家族の人数に対して部屋数が多い。住み込みの従業員がいないようなので、牧場経営以外に旅人に部屋を貸して収入を得ているのだろう。
新しい発見など濃い一日だったので、書くことが多かった。手もだいぶ疲れて来たのでそろそろペンをおくことにしよう。
そうだ、ノートやシャープペンの芯にはまだ余裕があるが、ペン自体が壊れた時のことを考えて、代わりになる筆記具を探したほうが良いかもしれない。
お金が入り可能性が広がったのはいい事だ。
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