19日目

19日目


 今日は祭以上の大事件が起きてしまった。何か判断を間違えれば私は死んでいたかもしれない。田舎の農村に語学留学したのではない現実を突きつけられたような思いだ。

 恐怖を思い出すと眠れなくなってしまいそうだ。しかし、先に進むためにはこの世界のルールに私自身が馴染まなければならないだろう。その一助とするために書き記そう。


 早朝、私は猛烈な吐き気で目を覚ました。いつ帰ったのか定かではないけれど、いつもの小屋の中だった。急いで屋外に飛び出ると、地面に向かって胃の中身をぶち撒けた。間一髪だった。あと数秒遅ければ、借り物の小屋を吐瀉物で汚すことになっていただろう。一回吐いても気持ち悪さは収まらず、ぜーぜーと息を整えようとした拍子にもう一度吐いた。身体はやたらと冷えているし、頭はガンガンする。完全に二日酔いだ。まだ体内に酒が残っているのか全身が気だるく、視界が揺れていた。

 外はまだ夜が明け始めたぐらいの明るさだった。このまま小屋の中に戻り、二度寝してしまおうかと思ったけれど、その前に口の中の酸っぱさをどうにかしたかった。それにこのまま対処せずに寝てしまうと、二日酔いの影響が長く続いてしまう。少しでも軽くなるように手を打つことにした。

 二日酔いの原因は複合的だが、確実な対処方法がある。それは水を飲むことだ。アルコールの利尿作用は強力で、体内からは多くの水分が失われている。そのために軽度の脱水症状を起こしているはずだ。

 またアルコールが肝臓で分解されてできるアセトアルデヒドも毒性が強く頭痛や、吐き気、だるさを引き起こす。これをアセトアルデヒド脱水素酵素が分解し無害な酢酸にする。日本人は遺伝的にこの酵素の働きが弱い割合が多いと言われている。私は平均的な方だろうが、昨夜の酒量には大いに問題があったため、不快感の波に揉まれている。肝臓の働きを高めこの酵素を活躍させるにはグルタミン酸やタウリン、オルニチンなどが効果的と言われている。これらは魚介類や植物の種に含まれている。ポッカやカンマイの種、正体不明のナッツ類は昨晩の宴会で籠に山盛りに置いてあった。誰でも自由に食べられるものだったが、とにかく量が多かったのでまだ残っているだろうと思った。

 こうして私は水とナッツを求めて、村の中央に向かった。

 井戸を囲む広場に近づくと、鈍った鼻でも分かるほどツンとした匂い漂っていた。アルコールと食べ物と炭、そして汗の匂いだ。どれだけ飲み食いしたのだろうか、村の男たちが満足そうな顔で高いびきをかいていた。裸で全身灰まみれになっていたり、空っぽの酒樽に頭を突っ込んだりと散々な有様だ。私自身も記憶は定かではないけれど、この狂乱に巻き込まれなくてホッとひと安心した。地面で泥のように眠むる人たちを踏まないように気をつけて井戸に近づいた。

 桶で水を汲み手酌で軽く口をすすいだ後、ごくごくと喉に流し込んだ。冷たい水はボヤケていた頭のなかを少しだけクリアにしてくれた。勧められるままにお酒を飲むのは気をつけよう。

 そうして、ナッツ類や塩分の取れるものを探そうと広場を見回していると、何かが動く気配があった。人影だ3つ。家屋の裏から小走り現れ、祭壇の方へと近づいている。やぐらの燃え後に作られた祭壇には、捧げ物だろう酒樽や食料、そしてあの白色化した宝玉が安置されていた。

 私の視線に気づいた男たちが駆け足になった。様子がおかしい。よく見ると、身に着けている服の雰囲気が村で見るものとは違った。村人の服にはワンポイントの刺繍が入っているが、その男たちの服は特徴の無い旅装に思えた。

 不審に思った私は日本語で「誰ですか」と尋ねた。足を止めた男たちは不審げな顔を浮かべる。その様子が私のことを知らないと語っていた。それはつまり、村の人間ではないことを意味していた。私の方も彼らに見覚えがなかった。

 私は「ダット(起きる)」と大声で叫んだ。男の一人は祭壇に駆け寄ると宝玉を手にし、すぐ近くで目を覚まそうとしていた村人に向かって祭壇を突き倒した。大きな音がし、村人たちが驚いたように身を起こした。その間にも男たちは宝玉を奪い走りだした。状況を説明する語学力も暇もない私は、とにかく「ダット」を大声で連発しながら男たちの後を追った。

 広場を抜けると収穫の終わったジェルガの畑が広がっている。掘り返し腐葉土を混ぜたばかりなので、土が柔らかく足をとられて走りづらかった。それは男たちも同じで、私の背後からは異変に気づいた村人たちが追いついてきていた。農作業に慣れた村人たちには、走りやすい場所が分かるようだった。

 逃げる男たちの行く手、村の外れではフードを被った男がひとり馬上で待っていた。数日前に広場で見かけた男だと直感が告げていた。あの時、村の偵察に来ていたのだ。男以外には無人の馬が三頭まっている。

 馬のところに辿り着かれたら負けだ。ガンガンと二日酔いで痛む頭を無視して私は懸命に走った。お世話になった村の人達に何か1つでもいいから、明確な恩返しがしたかった。

 その願いが通じたのか、宝玉を持っていた男が地面に足を引っ掛け転んだ。ちょうど私が収穫したあたりだ。どうやら取りきれなかった地下茎に足を引っ掛けたようだ。前をゆく二人の男が足を止める。

 私はあらぬ方向へ転がった宝玉に向かって飛びついた。正確には、咄嗟の出来事に慌て足をもつれさせた方向に宝玉があった。宝玉を抱え込み逃げようと立ち上がった私の目の前には、登り始めた朝日にギラリと光る刃先があった。戻ってきた二人の男がナイフを抜き、その刃をこちらに向けていたのだ。

 殺されると思った。私がこの世界にきて初めて明確に死を意識したのがこの瞬間だった。夜空に飛ぶ竜や、怪しいキノコ、巨大な怪鳥を見た時でもなく、空腹や乾きで辛かった時でもない。その時は必死であり、死への思考が遮断される。他者の害意こそが、理不尽な死を予感させるのだろう。

 しかし、男たちは私にナイフを突き立てようとはしなかった。代わりに、私の身体を引き起こすと首筋に刃先を当てた。その脚力で追いついたジェルガや村の男達が、周りを囲み始めていたいたのだ。

 人質になった私は宝玉を抱きしめるように腕に抱え込んだ。この盗人たちに宝玉を渡したくないという思いはあったが、同時に助かる可能性を上げるためだ。さらに後から追いついてきた村人たちは斧や桑、木の棒などで武装している。盗人たちを捕まえるだけなら、強引に数の力でどうにかなるだろう。しかし、不用意に刺激すれば盗人たちは逃げるのに邪魔な私を殺し、宝玉を奪うかもしれない。盗人と村人の両方に、私と宝玉が一体であるかのように思わせたかった。打算的な考えはもちろん、単純に恐怖で身体が縮こまっていただけでもあった。

 最初に動いたのは、離れた場所にいたフードの男だった。無人の馬の尻を叩き、こちらに向かって走らせたのだ。出来上がりつつある村人たちの包囲を馬の力で突破しようというのだ。

 馬の突進に全員の意識が向いたその時だ。人垣を回りこんだ小さな影が躍りでた。ユエンだった。手にした鉈で私を抑えていた盗人に斬りかかったのだ。新品の鉈は革の篭手を切り裂き、盗人の手首に食い込んだ。吹き出した血が私の顔面にパッと飛び散った。

 痛みに私を抑える力が緩んだ。男の手を強引に振りほどき逃げようとするが、痛みと怒りに顔を真赤にした男がナイフを振るった。私は咄嗟に手にしていた宝玉を突き出していた。

 硬質な音が響いた。ナイフの刃が欠け、宝玉に大きなヒビが入ってしまった。ナイフで襲われたショックや、宝玉を盾にしてしまったまずいという気持ちに動揺していると、ユエンがすごい力で私の腕を引っ張った。その衝撃で宝玉は私の手を離れ、地面に落ち完全に割れてしまった。

 私は破片を拾い集めようと思ったけれど、ユエンは腕の力を弱めなかった。言葉こそ分からないが、命の方が大事だと言っているようだった。頷いた私は宝玉を諦め、男たちから離れていった。

 盗人たちがしゃがみ込み破片を拾っていると、フードの男が馬とともに合流した。このままでは宝玉を奪われてしまう。そう思った時だ、異変が起きた。

 地面から靄が立ち昇り始めたのだ。先日の祭中に土が吸い込んだ煙が、逆に放出されているように見えた。そして、馬に跨がろうと、鞍に手をかけていた男たちの動きがおかしくなった。腕に力を入れても、一向に身体が持ち上がらないのだ。見ると彼らの靴が足首まで土の中に埋まっていた。男たちだけではない、馬の足も徐々に地面に埋まり始めていた。

 違和感を感じた馬たちが激しく暴れだした。手をかけていた男たちを振り払い走りだしたのだ。フードの男も振り落とされ地面に落ちてしまう。まるで沼のようになった地面を波紋が伝わる。もがく男たちを急速に土が飲み込んでいく。

 呆気にとられ足を止めた私の腕をユエンが再び引っ張る。ハッとして下を見ると、靄が足元まで広がり地面がゆるくなり始めていた。勇敢に盗人を囲んでいた村人たちも、大慌てで広場の方へと逃げている。つまりこの宝玉が起こしたのだろうトラブルは、四人の盗人たちよりも危険度が高いということになる。

 ユエンの後について私も走った。背後から男たちの怒声が聞こえてきていたが、広場に着く頃にはピタリと止んでいた。

 広場に到着するとジェルガが大声で指示を出していた。村人たちは家や農具小屋に飛び込むと、お椀や桶を手にして戻ってきた。

 そして畑から急速に広がる靄に向かって、お椀や桶の中身を撒き始めた。それは石灰に似た白い粉だった。祭が始まる前に、家々のドアにふりかけたものだ。

 白い粉が撒かれた場所は靄が晴れ、それ以上は地面から煙が出ることはなかった。

 村人総出での粉撒きが始まった。もちろん私も協力した。先日に同じ粉を扉に塗って封をしていた人家に被害はなかったが、村中の地面に粉を撒くのは一苦労だった。対処が早かったからだろう、村人が地面に呑み込まれる被害はなかった。ただし、白い粉をまぶしても地面の液状化?の影響はすぐにはなくならず、まるでウォーターベッドのような不思議なふみ心地になっていた。それでも普段ならたいした問題ではないのだけれど、なにせ昨晩の酒宴で村の多くの人間が二日酔いになっていた。その結果、畑や道端に不必要な栄養が撒き散らされることとなってしまった。


 地面が正常に戻ったのは陽が傾き始めた頃だった。村の男達が宝玉を回収するために畑を掘り返した。一緒に出土した男たちの遺体は、村の外れに穴が掘られそこに埋め直された。

 割れた宝玉を前にして、村の大人たちは不安な顔を浮かべていた。単純な村の宝以上の価値があるものだったのだろうことは想像に難くない。仕方がないとはいえ、その損傷の原因になってしまった私は頭を下げ審判を待つしかなかった。

 追い出されることぐらいは覚悟していたけれど、長老のユーズカや、村のリーダーであるジェルガは私を責めたりはしなかった。むしろ、盗人たちを見つけたことに感謝してくれているようだった。私はほっと胸をなでおろした。一人で先走り危険なことをしたユエンは、父のジェルガに少し怒られているようだった。ただし、ジェルガは最後に頬を緩ませ、息子の身長を確かめるようにポンポンと頭に触れた。その横顔は勇敢さを誇っているようでもあった。


 その後、村人全員で祭壇に捧げられていた作物や肉で食事を取り、日が暮れるまで片付けが続いた。

 私や子供たちは寝床へと向かうように言われたが、村の大人たちはジェルガの家に集まり、夜遅くまで何やら話し合っていた。

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