18日目

18日目


 祭りの気配に心が騒ぐのか、やたらと早くに目を覚ましてしまった。室内に篭って収穫した芋を数えていても仕方がないので、村の広場に行ってみることにした。

 昇り始めたばかりの太陽が、世界に赤から紫のグラデーションを作り出していた。その夜と朝の境に、一晩燃え続けた松明がポツポツと立っている。昨夜のように猛々しい炎ではなく、白い灰を被った優しい火になっていた。明るさの加減で、まるで精巧に作られたジオラマを見ているような錯覚に陥った。

 朝焼けの後は雨が降る、と日本で言われている。これにはきちんとした根拠がある。低気圧に伴う東側の温暖前線の薄雲に朝日が映っている場合だ。これは後に西から寒冷前線がやってくるので雨が降る可能性がある。もちろん、前線面がなくても朝焼けは起こるので、確実に雨が振るわけではない。

 日本の気象は天気が西から東に変わる。これは偏西風の影響によるものだ。ジルク村の存在する地方に偏西風などがなければ、そもそも朝焼けによる気象予報は意味が無いことになる。

 意味のないことを考える程度には脳の活動が鈍っているようだ。


 広場では松明の番をしていた人々が地面で横になっていた。村の男達全員で世を明かしたのだろう。辺りには酒樽や杯が転がっていて、アルコール臭が立ち込めていた。

 私の足音に男達は目を覚ました。寝ぼけ眼で伸びをする人もいれば、残っていた酒を嬉しそうにあおる人もいる。

 今日は何をするのかと片言の言葉でジェルガに尋ねると、ここで待つように言われた。そして私を残して、男たちは川の方へ歩いて行く。眠気覚ましに水浴びでもするのだろう。


 暇な私が空き瓶や皿をひと所に集めていると、村の女性たちがやって来た。彼女たちは旦那たちの残した惨状に呆れた表情を浮かべて、それからお互いに笑いあった。

 全員で広場の片付けと清掃を終える頃、ちょうど子供たちが起きてきた。いつもより夜更かししたせいか、みんな少しだけ眠そうだった。

 戻ってきた男たちと入れ替わりに、今度は私と子供たちが川へ身体を洗いに行くように促された。どうやら祭りの一環として身を清める必要があるようだった。子供たちと私が終わると、次は村の女性たちが同じように川で身を清めていた。

 女性たちの準備を待つ間、広場では子供たちに衣装を着せメイクが行われていた。焦げ茶色のポンチョを身につけ、頭に緑色の帽子を被り、右の頬に朱色の顔料で×印を描く。全員が同じ格好なので、幼木がワラワラと歩いているようでとても可愛らしかった。私や大人たちは頬に朱色の×印だけだ。全員が身支度を終えると、ちょっとしたハロウィンパーティーのようだった。


 次に村人たちは自分の家の前へと行き、玄関のドアや窓に水をバシャッと掛けて濡らした。そこに石灰のような粉を撒き、ドア全体を真っ白くした。最後に頬に塗ったのと同じ朱色の顔料で、白くなったドアや窓に大きく×印を描いた。何か魔除けの一種なのだろうと思った。

 私が寝泊まりしている貸家も、ユエンや子供たちが一緒になって同じ呪いをしてくれた。


 村中の家々の玄関や窓が白地に×印となった後、村人たちは再び広場に集まった。料理の準備をしていた女性たちも手を止め、全ての人々がやぐら囲む。

 それまであった慌ただしさが消え、誰もが神妙な面持ちで息を呑んでいた。今までにない重苦しい雰囲気に気圧された私は、何が起こるのかも聞けないまま、人々の輪に加わっていた。

 小さなざわめきも消え重い沈黙が訪れた頃、村長のユーズカが人々の間から出てやぐらへと登っていった。その両手には、エメラルドのような澄んだ緑色の球体が携えられていた。ボーリング球よりひと回り小さいぐらいのサイズだ。

 やぐらを登ったユーズカは、その翠色の球を台上に安置する。昨日、子供たちや私が作った木製の人形に囲まれるような形になっていた。

 ユーズカはやぐらから降りると、ジェルガや男達に目配せをした。男たちは準備していた松明に火をつけると、それをやぐらに向かって次々に投げ放った。松明の炎はあっという間にやぐらに燃え移った。やぐらを囲っていた布に油が染み込ませてあったようだ。

 巨大な蛇がやぐらに巻きつくような炎の勢いに私がビビっている一方で、ユーズカが炎に向かって朗々と語りだす。「ララム」という精霊を表す単語が聞き取れたので祈祷や祝詞のようだ。時期的にも春の収穫祭といったところなのだろう。

 ユーズカの声が一段と高まり、そこに他の村人たちの声と手拍子が重なっていく。歌えない私も一緒になって手拍子を叩く。

 天上へ祈っているかのようだった詞はやがて、伸びやかな歌へと変わっていった。人々の輪の中心では、やぐらを飲み込んだ炎が渦巻く火柱となる。その火柱から白煙が急速に広がっていった。

 甘い匂いのする煙だ。線香や動物的な香水とは違う、自然な花の蜜のような甘い匂い。味があるかのように舌や喉でも煙を感じた。その匂いに包まれていると、まるで頭のなかに白煙が入ってきたかのようにボーっとして気持ちよくなってきた。

 まさか有害な物質を含んでいるのでは、と思った時には、すでに広場全体が白い靄に覆われていた。伸ばした手の先も見えないほどだ。燃え上がるやぐらから出た白煙は、おそらく村中を覆っていた事だろう。唯一目印になるのは、白煙越しに明るくなって見える炎の柱だけだった。

 村人たちの歌声と手拍子が煙の幕の向こう、遠くから聞こえてくる。広場から散り散りに移動してしまっているようだった。私は深い霧の中に一人で置いて行かれてしまったような心細さを感じ、人の姿を求めて歩き出した。

 広場と言っても、東京ドームほどの面積があるわけでもない。それなのに誰の姿も見えない。頻繁に煙の中で何かが動く。その後を追って手を伸ばすけれど、触れることはできない。そんなことを何度も繰り返して私は唐突に気づいた。

 確かに気配はあるし白煙が揺れる。だけれど、それは人間ではないのだと。煙の中で目に見えない何かが動き回っているのだ。今思い返してみると、2メートル以上ある影や棒状の影など、人の形ですら無いものもあった。

 これがきっと村人たちの言っている「ララム」なのだろう。

 ようやく儀式の意味が分かった。朱色で×印をしているのは、このララムという精霊的なものを人間や家の中に入れないためだ。子供たちに木の格好をさせているのも、ララムたちの目を誤魔化す意味があるのだろう。

 状況を理解した私は、いたずらに動きまわるのを止めた。聞こえてくる村人たちの歌に合わせて手拍子だけを続けることにした。

 怖がらずに立っていると、ララム達の方から私に近づいてくるのが分かった。ジーっとこちらを見ていたり、髪の毛を一本引っ張られたりと、何かを探っているような気配を感じた。私がこの世界の者でない事が、ララム達には分かったのかもしれない。

 彼らの好奇心?と村人たちの歌声に身を任せ、不思議で心地いい酩酊感に浸り続けた。


 どれほどの時間が経ったのか分からなかった。村を覆っていた白煙が落ち着き、潮が引くように徐々に足元へと下がっていく。歌声も聞こえなくなっていた。

 辺りが見えるようになって、ようやく自分が村の誰かの畑に踏み入っていたことを知る。ララム達の気配は泡が弾けるように消え。残っていた白煙がスーッと地面へと吸い込まれていった。

 ドキドキと早鐘を打つ心臓に手を当てながら広場に戻る。村中に散っていた他の人達も集まってきた。

 焼け落ちたやぐらを前に村長のユーズカが何かを告げる。村人たちが一斉に大歓声を上げた。言葉の意味は分からなくても、儀式が成功したことは私にも理解できた。


 儀式が終わるとそれまでの神秘さや厳かさは一切なくなり、大宴会が始まった。大きな酒樽が盛大に開けられ大人たちは豪快に杯を満たしていく。豚の丸焼きや腸詰め、パンとナンの中間のような薄焼きピザ、ニワトリの煮込み料理などなど準備していた料理が大皿に盛られ、子供たちはそれにかぶりついた。

 熱気に少々呆気にとられていた私も、いつの間にか杯を持たされ林檎酒のような少し甘い酒をジャブジャブと飲まされていた。酒と言ってもアルコール分は強くないので、ほとんどジュース感覚だ。男たちの中には、匂いだけでキツいと分かる酒をガバガバ呷っている者達もいた。

 肉汁したたる丸焼きや香草の効いた腸詰め、焼きあがるたびに違う具材ののったピザ、料理はどれもこれも美味しかった。もう死ぬほど食べてお腹がパンパンになってしまったけれど、スペシャルな一品は最後にやって来た。


 やぐらの火がぷすぷすと収まった所で、村の人達は燃え残りを探り始めた。

 最初に火かき棒で掻き出したのは、鉱石の球体だった。大きさからして村長のユーズカが儀式のためにやぐらに安置したあの球だろう。色はエメラルドではなく、真っ白になっていた。まるで力を使い果たしたかのようだ。

 次に出してきたのが、真っ黒焦げになった歪な玉だ。1つや2つではない、それこそ数十個もある。

 まずはユエンの母ラナが女衆を代表して、黒玉に包丁を入れる。玉の上の炭化した部分を砕きながらくり抜くと、黒焦げの外側からは想像できない黄金色に輝く中身が詰まっていた。

 カボチャの丸焼きだった。周囲の硬い皮のお陰で、炎の中でも中身は殆ど焦げることなく調理されていたのだ。

 灰の中から掻き出されたカボチャの丸焼きが、人々に配られていく。大量にあるので、誰も気にせず一人一個ずつぐらい取っていた。私は小さめの物で良かったのだけれど、断りきれず大きな物を受け取った。

 全部食べきれるかと心配しながら、とりあえずスプーンでひと掬いしてみた。

 ひとくち食べて杞憂だとすぐに分かった。ホクホクと白い湯気をたてるカボチャが、口の中でスーッと滑らかに溶けていく。丸焦げという豪快な見た目に反して、カボチャ本来の旨味を最大限に引き出したコクのある甘さだ。徹底的に裏ごししたカボチャを、生クリームと混ぜてホイップしたかのような味と食感だ。

 これまで食べたカボチャ料理の中で間違いなく一番だ。洋菓子で考えても五本の指に入るだろう。それぐらい美味しいし、いくらでも食べられるほど胃に優しい感じがした。村の人達がこれでもかとやぐらの下にカボチャを詰め込んでいたのも納得だ。

 このまま食べるのはもちろん、はちみつを垂らしたパンに塗たり、シチューの具になっても美味しかった。


 宴は衰えることを知らない。気づくと私の酒杯にも、強いお酒が注がれていた。村の人達の勧めを断ることができずに飲み干すと、さらにもう一杯と飲まされてしまった。

 煙の中での霊的な経験とは別の意味でグラグラになった私は、いつの間にか地面に突っ伏し寝てしまった。それから起きて貸家に戻り、この日記を書いている。2時間ほどしか寝ていないので、まだまだ酔が残っている。幸いにも吐き気はなく、火照った身体が気持ち良いぐらいだ。

 喧騒が聞こえてくる。まだ宴は続いているようだ。

 外で誰かが私を呼んでいる。どうやら酔っぱらいが、宴に連れ戻しに来たようだ。


 食べ物と酒、そして歌と喧騒の満ちる戦場へもう一度戻ることにしよう。

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