17日目

17日目


 「タセリラ」という作業は昼食の後だと言われたので、午前中に子供たちを集めて授業を行った。

 まずは二桁の足し算の復習から初めて、引き算の勉強に入った。多数の子供たちの眉がムムムと寄ったのは、やはり桁下がりで「十の位からから借りてくる」ところだった。

 とはいえ、ここが引き算の肝なので丁寧に説明して、子供たちに分かってもらうしかない。

 石を使って繰り返して説明した。例えば「13-4」なら「10個と3個」の石があって、「先に10個の方から4個とる」という風に、原理を掴んでもらえるようにワンステップごと丁寧に石を動かして見せた。すぐに原理を理解しなくても良いので、とにかく形式を憶えてもらうことに終始した。


 早く理解できる子供と苦戦する子供の差が大きくなってきた。その両方を同時に教えなければならないので1.5倍ぐらい大変だ。田舎の小さな分校の先生は、きっと毎日が目の回るほどの忙しさなんだろう。

 教えてる私はパニックになりそうだけれど、まだ理解できていない子供を諦めたりはしない。理解できた組はまたリームに任せて、私は悩んでいる子供たちに寄り添って教えた。

 授業時間をすべて使って何度も何度も繰り返して説明することで、計算の形式だけはなんとか全員に憶えてもらった。形式だけでも計算はできるし、慣れて当たり前になってくればそれで良い。反復練習が重要な段階なので、授業以外でも不意打ち的に問題を出すことにした。


 昼食は子供たちと一緒にパンを食べた。今日は母親たちも朝から忙しく何かの準備をしていたので、昨日の作り置きだ。多少表面が硬くなっていたけれど、その分しっかり噛んで食べると甘みが増すような気がした。食べ盛りの子供たちには少し足りないようで、どこからか持ってきた林檎に似た果実を分けあって食べていた。もちろん、私にも分けてくれた。ニヤッといたずらっ子の笑みを浮かべていたので、口止め料なのかもしれない。


 ちょうど食事が終わる頃に、村の男たちが森から戻った。荷車からはみ出す程の長い木を何本も運んできた。畑のために腐葉土を取りに行ったのではなかった。

 男たちは木を荷車から広場に下ろすと、その場で枝を切り落としたりと加工を始めた。材木にして売るのかと思ったけれど、どうも様子が違うようだった。

 加工の過程で切り落とされた枝や、ジュース缶サイズに切り分けられた木を、子供たちが競い合うようにして拾っていた。チャンバラや的当てをするわけではない。子供たちは自分のナイフを取り出すと、木材を削って何かを作り始めた。

 工作の時間なのかと見ていると、ユエンが私にもナイフを差し出してきた。私がナイフを受け取ると、ユエンは地面に人の絵を描いてみせた。どうやら全員で人形を作るらしい。人形遊びも悪くないので、私は余っていた木材を拾って、その表面にナイフを当てた。


 彫刻刀の扱いぐらい美術の授業でやったことがあるし、東大寺南大門の金剛力士像だって修学旅行で実物を見たことがある。どうせなら、子供たちがビックリするぐらい写実的な木像を彫ってやろうと思った。

 そうして出来上がったものは、トーテムポールの出来損ないだった。左右の大きさが二倍ぐらい違う目元に、ガクガクと曲がった鼻、ガタガタに掘られた唇らしきもの、失敗した右耳は抉れている。運慶や快慶には及ばないけれど、キュビズム要素だけは余すことなく発揮していた。さらに錐で穴を開け枝を挿して手足を付けることにより、その芸術性は大爆発した。

 ひとしきり子供たちが私の不細工トーテムポールで爆笑した後、村の母親たちがお椀を持ってやって来た。お椀に入っていたのは男たちの食事ではなく、赤や白、黒に緑など色鮮やかな染料だった。

 子供たちは動物の毛をまとめた筆を手に取り、その染料で人形に色を付けていく。あまり人間に似せる気はないのか、そういうものなのか、緑の目玉や四色の顔だったりと自由な発想で塗っていた。私はあくまで写実性に拘って配色をしたのだけれど、子供たちにすこぶる好評で大爆笑された。どうやら私はとんでもない怪物を生み出してしまったようだ。


 私と子供たちがゲラゲラ笑っている横で、大人たちは木材を高く組み上げていた。地面に穴を掘り、礎石を置き、そこに柱を立てる。四隅の柱に横木を渡し、さらに床板を張っていく。男たちは慣れた手つきで作業をこなしていた。人形作りの傍ら横目にしていただけの私には、あっという間に出来上がっているように感じた。

 そうして完成したのは高さ3メートルほどの『やぐら』だ。階段も付けられていて、大人が2~3人乗っても壊れたりしない。

 ここまで来るとさすがに「タセリラ」が、「祭り」を意味する言葉だと分かった。


 やぐらの床下を隠すように幕が張られた。祭壇のように見えるけれど、太鼓が置かれれば盆踊りのやぐらとそっくりだ。幕が張られた後で村人たちがカボチャを大量に、やぐらの床下に運び込んでいた。肉や小麦、果物は一切なく、カボチャだけなので何か宗教的な意味合いがあるのかもしれない。ハロウィンとの不思議なつながりを感じるけれど、よく思い出すとジャック・オ・ランタンはもともとはカブだった。アイルランドからアメリカに渡る時にカボチャに変わったのだ。

 私と子供たちが作った人形は、やぐらの上に置かれた。祭儀に人形を用いるのは古今東西どこにでも見られる。人間の見立てや身代わりとして使われる。子供たちに作らせた事を考えると、形代のように魔除けや無病息災を願うといったところだろうか。


 やぐらの他に広場には幾つものかまどが作られ、大鍋で料理が行われていた。時折、いい匂いがしてきて食欲をそそられるけれど、仕事はまだ残っていた。

 やぐら作りで残った丸太や、森から新しく切り出してきた木々で松明が準備された。手に持つトーチタイプではなく、木や枝を寄せ集めて紐で巻いた自立タイプだ。サイズは一抱えもあり、かなり重い。

 大人たちがこさえたその松明を、私や子供たちが協力して村中に置いて回った。広場や村の通り道はもちろん、周囲の畑にも配置した。

 暗くなってからは、すでに置いてある松明に火をつけ作業を続けた。正確に数えてはいなけれど、大小合わせて百個近くになっただろう。

 夜の帳が下りると、点々と置かれた松明が家々や畑を仄かに照らした。森からの風でオレンジ色の炎が闇の中でゆらり揺れる。まるで空間が歪んだように家が陰に飲まれた。

 幻想的な光景とざわざわとした気配が合わさって、どことなく大晦日の神社や寺の境内ようだ。少しだけ懐かしさを感じた。


 松明を置き終わり広場に戻ると、焼きたての棒パンと大鍋で煮込んだシチューが振る舞われていた。生地を枝に巻きつけて焼いた棒パンは、二種類の食感が同時に楽しめた。パン全体は程よい柔らかと甘さなのだけれど、焦げ目が付いている所はサクサクで香ばしい味がする。特にこのサクサクの焦げ目がシチューと相性抜群だ。

 ふーふーと息を吹きかけシチューを一口すする。トロトロになるまで煮込んだ芋やカボチャ、オレンジ色の根菜の甘みがウワーッと口の中に広がる。二種類の肉が入っていて、ひとつはニワトリ肉のようにほろほろと旨味とともに解れ、もうひとつは牛肉のように噛むたびにコクが染み出てきた。時々歯に当たるキノコが、またプリプリと弾けるような食感で口を楽しませてくれた。疲れた身体がこれを欲していると言い切れるほど、シチューが美味かった。

 シチューは大好評で7つ用意してあった大鍋がすぐに空になってしまった。それでも足りない人もいて、肉や芋を焼いて食べたりしていた。参加したことは無いけれど、東北地方で行われている芋煮会もきっとこんな感じなのだろう。


 夕食が一段落すると目をショボショボさせた子供たちは家へ帰された。大人たちはまだ酒を飲みながら何か語り合っているけれど、私も体力の限界だったので子供たちに続き貸家に戻った。その途中、松明に薪をくべに行く村人とすれ違った。大人全員かは分からないけれど、朝まで松明の火が消えないのようにするのだろう。


 村人の様子からして「タセリラ」はまだ続くようだ。

 明日は一体どんな事をするのか(+どんな美味しい料理が食べられるのか)とても楽しみだ。

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