8日目

8日目


 明け方、外から聞こえてくる重い音に私は目を覚ました。始めは腐った木が倒れたのかと思ったけれど、音は断続的に聞こえてきた。音の正体を確かめようと戸口に近づいた私は、慌てて小屋の奥へ引き返した。

 小屋の周囲にキノコが集まっていたのだ。森の中で見かけたことがある、あの歩くキノコだ。一瞬見ただけでも数十体いると分かった。しかも、3メートルはあろうかという巨大なキノコも数体いた。

 枕元に置いてあった木の槍を手に取り、私は這いつくばるようにして戸口の壁に寄った。キノコたちの襲来で真っ先に思いついたのが、捕食行動だ。蟻やライオンのように集団で獲物を狩る生物は種を超えて存在する。小さなキノコを見つけた時、何かマーキングのような物をされた可能性がある。あるいは大樹に生えたキノコを切り倒した私に復讐しにきたのかもしれない。

 恐怖に走って逃げ出したくなったけれど、下手に刺激すると逆に危険かもしれない。私は震える手で槍を握り締め、そろりと外の様子を伺った。

 キノコたちは小屋の前で三重の輪を作っていた。サイズ関係なしに等間隔に並び、盆踊りのような円運動を行っている。重い音の正体は巨大なキノコたちの足音だった。

 社会性のある生き物なのか、何らかの理由で多くの個体が集まっているのか分からない。前者だとするとキノコの盆踊り行動は、ミツバチのダンスのように他の個体への意思伝達の可能性が考えられる。キノコたちは集団で移動中で、その行き先を確かめているのかもしれない。私という獲物を確認しているとなると最悪だ。

 後者だとすると、生殖関連の行動が考えられる。生存確率を上げるために、鮭やウミガメ、サンゴなど一斉に交尾や産卵を行う生き物は多い。そういった時の生き物は攻撃性が強まっていたり、興奮状態だったりと危険だ。

 どちらにせよ、私から行動を起こすことは得策ではない。もちろん怖いからという理由で十分だ!


 しばらく観察していると、回り続けるキノコたちの傘の裏から白いもやが湧いているのが見えた。朝日を受けて輝くそれは、胞子のように思えた。

 胞子だとすると、このキノコたちの踊りは生殖行為だと考えられる。同一個体の胞子で交配できない種類だから、こうして集まっているのだ。ダンスに見えているのは違う個体同士の胞子をより掛け合わせて、種を繁栄させるための本能か知恵だろう。

 キノコたちが危害を加えてくる様子は無いけれど、警戒を解くわけにはいかない。私はそのメルヘンな盆踊りを見張り続けた。


 太陽が高度を上げ、明確な朝を迎えた頃だ。森から黒い影が飛び出し、キノコたちの宴に乱入した。体長2メートル近くあろうかという大イノシシだ。鋭い四本の牙を持っていて、日本の野山にいるものより凶暴さが増して見えた。

 イノシシは逃げようとするキノコたちに突進すると、その鋭い牙で襲いかかった。1メートルほどの中型キノコが牙に胴体を串刺しにされてしまう。キノコは逃れようと手足をバタつかせたけれど、イノシシは首を突き上げさらに牙を押し込んだ。そのままイノシシは木に突進し、ついにキノコにとどめを刺した。他のキノコたちは散り散りは逃げ去り、イノシシの荒い鼻息が大きく聞こえた。

 イノシシは首を振って息絶えたキノコを牙から外した。食べるのかと思って見ていると、イノシシはひと鳴きしてキノコを鼻で突くだけだった。縄張りを荒らされて怒っているだけなのかと思ったけれど、すぐに違うと分かった。

 森の中からトコトコと5頭の仔イノシシが姿を表した。大イノシシは子供たちのために、キノコを狩っていたのだ。子供たちが揃ったところで、6頭のイノシシは巨大なキノコをむしゃむしゃと食べ始めた。

 ニホンイノシシは雑食性だが、エサにしているのはどんぐりや昆虫など小さな食物だ。トリュフ探しに豚を使うことからイノシシもキノコを食べるのだろう。

 目の前にいるイノシシは、私の知っているニホンイノシシとは生態がかなり違うようだ。成体の雌雄は分からないが、子育て中のニホンイノシシが狩りをするなんて聞いたことがない。

 しかも雑食性ということは私に襲いかかってくる可能性も十分にある。イノシシの親子が食事を終えて、早く去ってくれることを祈ることしか出来なかった。


 それから30分ほどかけてイノシシたちはキノコを食い尽くし、来た時と同じ森へと姿を消した。


 イノシシたちが去ってからも、私はしばらく小屋に身を潜めていた。太陽の温かい光が窓から差し込むようになって、ようやく外に出た。

 惨殺現場にはキノコの白い菌糸が散乱していた。このキノコが元のように動ける個体に戻るのかは分からない。私の代わりにイノシシの犠牲になってくれたと思い、軽く手を合わせた。

 イノシシたちはキノコを食べただけではなく、周囲の地面を掘った形跡がある。小屋の周囲に芋が生えている事に気づいたら、荒らされることは必至だ。

 この小屋に住んでいた猟師は、あのイノシシなどを狩っていたのだろう。猟師がいなくなり、キノコが戻ると、それを狙ったイノシシも森の奥からやってきたようだ。

 イノシシは脅威だけれど、私としても下流へ向かう準備が整うまでは、この小屋を離れるわけにはいかない。貴重な芋だって出来ることなら守りたい。危険だがイノシシに対処する必要があった。

 とはいえ、2メートル近くあるイノシシに正面から向かっていく勇気はない。

 罠か何かでイノシシを仕留め、その肉を手に入れられれば最高だ。落とし穴が浮かぶけれど、あの巨体を捕まえるための穴を何個も掘るのは現実的ではない。幸運にもイノシシを捕えられたとしても、木の槍でトドメを刺すのは危険だ。紐を引っ張ると槍衾が落ちてきたり、縄を使って捕らえるような仕掛けを私が作れるはずもない。

 追い払うことを考えるべきだ。野獣は炎を恐れるらしいので松明は有効だろう。しかし、接近された時点で私が不利なことに変わらない。

 奴らを近づけさせなければ良い。古典的だけれど、ほとんどの野獣に対して有効なのは音を立てることだ。ただ私がひとりで叫び続けたり、木を叩き続けたりするのは無理だ。

 解決法として思いついたのが鳴子だった。

 私は小屋の周囲で枝や石、骨、蔦を集め制作に取り掛かった。


 鳴子に決まった形があるわけではない。獣が触れて、とにかく音が出れば良い。というか目的上は音がでなくても、その動きや振動で獣が逃げれば良い。

 まずは20センチ程度に切った蔦の両端に、骨や石、硬い枝を結びつける。これが音を出す楽器部分だ。できるだけ色々な場所に鳴子を仕掛けたいので、頑張って40本ぐらい作った。

 イノシシが去っていった方向へ重点的に鳴子を仕掛けることにした。木々の低い場所に蔦のロープを渡し、そこに作っておいた楽器部分を括りつけていく。ロープや楽器部分に獣が触れると、音が鳴るという仕組みだ。試しに蔦のロープを揺すると、カラコロとそこそこ音が出た。

 何箇所かに鳴子を仕掛けていると蔦が足りなくなったので、枝から直接垂らしてみたりした。とりあえずイノシシがやってきた北側だけはカバーできた。


 作業が終わる頃には、もう昼を過ぎていた。私は水を汲みに行くついでに、昨日の仕掛けをもう一度確認することにした。

 驚いたことに、川辺に作った囲いの中に一匹の魚が閉じ込められていた。かなり荒い仕掛けだけれど、時間さえかければ魚を取れることが分かったのは嬉しい。

 さっそく魚を川から上げようとしたのだけれど、これがまた一苦労だった。魚は直径1メートルほどの囲いの中を逃げまわり、簡単には捕まってくれない。掴んだと思っても、するりと私の手の中から逃げていった。一度はそのまま、囲いから逃してしまいそうになったけれど、どうにか地面に上げることができた。昨日以上にビショビショになってしまった。

 魚のサイズは20センチほどとかなり大きい。背中は黒く、銀色の体表に大きめの斑点があった。全身がヌルヌルとしていて鱗の感触はない。エラに背びれ、胸びれ、尾びれと揃っていた。川に住む淡水魚であるからニジマスやヤマメと似ていた。川から上げてもまだ元気だったので、頭を石にぶつけて気絶させた。

 ちょうど石ナイフを持ったままだったので、このまま捌いてしまうことにした。小学校の理科でイワシを解剖して以来、魚を捌くのは人生で二度目だ。解剖と調理は目的が違うけれど、魚を解体するのだから結果は同じだ。なんとかなると思った。

 肛門に石ナイフを引っ掛け、そのまま頭の方に向かって切り開いていく。ヘビを捌いた時よりも、鮮やかな血が出た。切れ味が悪いので、皮や身が多少ぐちゃぐちゃになってしまうのは仕方ない。

 切れ込みが魚の顎の下まで達したところで、今度はエラの部分に石ナイフを入れる。さらにグチャグチャとしてきたけれど、どうせエラは食べられないのだから気にしない。

 魚の口の中に指を突っ込みエラを外しながら、そのまま内臓も一緒に引っこ抜く。魚の内臓類は寄生虫の宝庫だ。生はもちろん、焼いても食べないほうが良いだろう。途中で内蔵が切れたりしてしまったが、なんとか取り除けた。血まみれになった魚と手を川で洗う。非常に不格好だけれど、なんとか魚を捌くことができた。二回目にしては上々だろう。


 小屋に戻った私はすぐに火を起こした。たった一匹なので、干したりせず調理することにした。薪用に拾っておいた枝で魚を串刺しにして遠火で焼いていく。

 魚の表面の水分が蒸発し、皮にフツフツと焼き目がついてくると食欲をそそる焼き魚の匂いが小屋に漂い始めた。久しぶりのタンパク源だ、本能的に口の中によだれが溢れてきた。香ばしい匂いと灰に落ちる滴りから、ヘビ肉よりも油が乗っていることが容易に想像できた。

 途中で火に当たる面をひっくり返した。両面が焼きあがる頃には小屋中が焼き魚の匂いで満たされていた。熱くなった串に苦戦しながら、魚を口元まで持っていく。

 思わずこのままガブリとかぶりつきそうになった。しかし、食欲に抗いわずかに残っていた理性がストップをかけた。

 いくら見知った川魚に似ていても、この魚に毒が無いという保証はない。

 毒を持つ生物は二種類に分けられる。一つは自ら生成した毒を持つ種類だ。魚介ならオコゼやエイなどがそうだ。そしてもう一つが、生体濃縮によって取り込んだ毒を蓄積する種類だ。フグなどがこれに当てはまる。前者の場合は毒腺を取り除けば問題ないけれど、後者は単純ではない。生体濃縮の場合は毒素が蓄積される場所によって、毒の強さが変わったりもする。

 生体濃縮による毒素でもっとも一般的なものは、フグ毒であるテトロドトキシンだ。解毒剤は存在しない猛毒だ。毒のあるフグ肉の場合、10グラム以上が致死量だと言われている。

 逆に言えば、数グラム程度ならその肉を食べてもなんとかなるかもしれないということだ。

 私はまだ熱い魚の肉を少し摘み手にのせる。見た目からして、だいたい3グラムぐらいだろう。それを手にして川に向かった。


 川べりの岩に座った私は意を決して、その魚の肉を口にする。少量なので味はよく分からなかった。喉を鳴らして唾液とともにグッと飲み込んだ。

 フグ毒の症状が出るまで20分~3時間だと言われている。私が川まで戻ってきたのは、その時間内に何か身体に異変が起き時に、胃の中身を吐き出し大量の水を摂取するためだ。テトロドトキシンの場合、水を摂取しても病状は改善されないけれど、他の毒素なら効果があるかも知れない。毒に侵されたのなら、多少の水の汚さや雑菌など気にしていられない。


 始めのうちは緊張していて、動悸が早くなったように感じた。しかし、最初の壁だと考えていた1時間を過ぎても何も体調に変化はない。やがて、川辺に座っているの飽きてきた。空腹感が強まり魚の続きを食べたくなったけれど、いつ体調が一変するか分からない。


 私は周囲が暗くなってからも川辺にとどまった。結局なにごともなく、3時間ほどボケーッと座っていただけだった。ラッキーなのだけれど、用心深すぎる自分の性格に多少呆れた。


 小屋に戻った私は囲炉裏で魚を温めなおし、安心してその身にかぶりついた。二度焼きしたにもかかわらず、身に脂がのっていた。ほろほろと口の中で崩れる白身は馴染みのある焼き魚の味で、涙が溢れるほど美味しかった。骨の間に詰まった身までしゃぶるようにして味わい尽くした。塩が欲しいなんて言ったら神様に怒られそうだけれど、どこかに岩塩でも落ちてないかと期待するぐらいは許してくれるはずだ。

 実際、塩分が不足している。ナトリウム不足は血液循環に致命的な支障をきたす。そういった意味でも、果実よりもナトリウムを多く含む魚やヘビなど肉が良い。というか、小さな芋や酸っぱいブドウよりもっと肉が食べたい!


 ステーキが食べたい!

 スパゲッティが食べたい!

 ラーメンが食べたい!

 おにぎりが食べたい!

 サンドイッチが食べたい!

 いちごのショートケーキが食べたい!


 勢いに任せて、殴り書いても何も変わらないことぐらい分かっている。

 まともな料理が食べたいのに、私にできることといえば、仕掛けに魚がかかっていることを期待するぐらいだ。


 日記に残したくない言葉が浮かび消えていく。

 もう寝よう。

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