6日目

6日目


 早起きを決意した時ほど人間は寝坊してしまう。きっと、そういう生き物なのだろう。

 目を覚ました私が小屋を出ると、太陽はすでに高く昇っていた。肉体はもちろん精神的に疲労していたのだから仕方ない。こんな状況だからこそ変に焦る必要はない。ゆっくりと回復できたと都合よく考えることにした。


 まず私は小屋の周囲を見て回った。太陽の下でみると小屋はかなり古びて見えた。絡みつく蔦はもちろん、戸口にまで苔が生えている。猟のシーズンとは関係なしに、ずいぶんと使われていないようだ。

 小屋のまわりには切り株が至る所に見られる。森を切り開いた建材でこの小屋を建てたようだ。また小屋の裏手には骨が転がっていた。形状からして数種類の動物だ。残っていた頭骨や大腿骨を見ると、私よりも大きな動物仕留めた形跡もある。小屋の長机にも黒いシミがついていたけれど、あれは解体した時についた血の跡だろう。猟師小屋として使われていたのは間違いなさそうだ。干し肉か燻製肉にでもすれば長期保存ができる。ある程度の量を揃えたら、集落などの人口密集地へ運び出していたのだろう。


 情報を揃えると、小屋を使用していた『人』の姿が見えてくる。間口や長机のサイズから、体型は私とそう変わらない。3メートルの巨人が使うには小屋は狭すぎるし、背の低い人間にはあの長机の高さは不便だ。

 人数は1~3人だ。それ以上ならもっと広い小屋を建てたことだろう。その人数で大型の野生獣を仕留めることができたということは、強力な狩猟道具か効果的な罠を用いているはずだ。小屋を建てていること以上に、高い知性がある証拠だ。


 小屋をひと通り観察し終わり、次は周囲の森に目を向ける。昨日も考えた通り、どこか近くに水場があるはずだ。無闇に小屋を建てたとは思えない。猟場と水場の中間ぐらいに、この小屋は存在していることだろう。

 大樹はここから東のほうに存在している。まだ足を踏み入れていない西の方を、まずは探索することにした。

 小屋の西側はひらけていた。切り倒した樹木を小屋の建材や薪にしたのだろう。背の高い木が無いので下草が茂っていて少し歩きづらかった。足元を見ながら注意深く歩いていると、地面にわずかだが白っぽいものが埋まっているのが見えた。その先からは蔓が伸び、青々とした矢尻型の葉っぱが沢山ついていた。ヤマイモやサツマイモに似ている気がした。

 足を止め、白っぽいものの周囲の土を払ってみる。5、6センチほどの太さの根(地下茎かもしれない)だった。イモかゴボウのような根菜に見える。一昨日の雨で土が流され、地表に露出したようだ。

 天然の根菜にしては、都合よく生えすぎている気がした。木を切り倒し余った土地を畑に使った可能性がある。あの小屋が使われなくなった後も、根菜は残りここで自生していたと考えるとしっくりきた。

 自然の恵みにせよ、誰かの残した物にせよ、私にとってはありがたいことだ。さっそく掘り起こしてみることにした。

 はじめは手で土を掘ってみたけれど、根っ子は縦方向に深く生えていてしんどくなった。そこで、杖代わりにしていた木の槍をスコップ代わりに地面を削っていくことにした。

 不便な道具で土を掘るのはかなり重労働だった。10センチ掘るだけで汗が吹き出し、20センチで手が痛くなり、30センチ掘って根っ子の先端に到達する頃には全身が疲弊しヘトヘトになっていた。

 出てきたのは、ゴボウとヤマイモの間のような根っ子だった。掘り出す途中で折ってしまった断面は真っ白で、水分がじわりと滲んでいる。

 いつものようにパッチテストをしたいところだが、これがヤマイモに似た植物だとすると少し困ったことになる。痒くなる可能性があるからだ。

 ヤマイモで痒くなるのは、皮の近くにシュウ酸カルシウムが含まれているからだ。

 シュウ酸カルシウムというのは実にややこしい物質だ。まず第一に、シュウ酸カルシウム自体は劇物で摂取すれば身体に有害だ。しかし皮膚が痒くなる反応は、物理的な性質による。シュウ酸カルシウムの結晶は針状になっていて、それが皮膚などにささって痒くなっているのだ。

 つまり、毒物だから痒くなっているのではない。だからパッチテストで、皮膚がかぶれたとしても見分けがつかない。

 さらに難溶性なので茹でたりしても取り除くことはできない。ただ、還元剤として働くので酸化物と反応しやすい。これを利用したのが、お酢をかけて痒みを取り除くご家庭の知恵だ。もちろん手元にお酢などない。

 採取した芋も皮だけにシュウ酸カルシウムが含まれているなら剥けば済む話だ。しかし、その保証はない。


 とりあえず西側の探索を適当に切り上げた私は、根菜を小屋に持って帰り、次は南側へと向かった。

 歩いてみてすぐに分かった。周囲と比べて木々の生え方が違う。ほぼ一直線に大きな石や倒木の破片などが落ちていず、踏み固められたかのように地面が平らだ。この方角が道として使われていたようだ。

 道の痕跡を注意深く観察しながら進んでいると、見覚えのある植物が生えているのに気づいた。ブドウに似た黒紫の果実だ。口の中に酸っぱさの記憶が蘇り、唾液が溢れだす。その刺激に閃いた。あれだけ酸っぱいということはクエン酸やビタミンCが含まれていることが期待できる。つまり、あのイモの処理に使えるかもしれないのだ。私は辺りに生えている黒紫の果実を大量に取ると、ビニール袋に入れた。


 それからしばらく進むと、地面が下りになっていた。さらに何か連続する低い音が聞こえてきた。私は逸る気持ちを抑え、転ばないように下って行く。音が大きくなっていった。

 視界が急に開け岩場が見えたところで、私は思わず「よしっ」と声を漏らした。

 太陽を受け輝く水が流れていた。水場の存在は自分を納得させるために予想していたけれど、こうして実際に発見できると心の底から嬉しかった。

 川幅は6~7メートル程だろうか、流れはあまり速くない。水はかなり澄んでいて、川底までほぼ見通せる。水深は分かりづらいけれど、深くはなさそうだ。

 あの小屋を使っていた人間は、この川を利用して獲物を運搬していたのだろう。本格的な船を行き来させるのは難しそうだけれど、水深を必要としない筏で下るだけならできそうだ。


 つまり、この川の下流に人口密集地がある可能性が高いということだ!


 自分でも分かるほど浮き足立っていた。一刻も早くこの川を下っていきたくなった。しかし、まだダメだ。私にまともな筏は造れないし、無理に作ったとしても操舵はムリだ。もしこの前に、滝でもあったらすべて終わりだ。

 徒歩で下るには、どれほどの距離を歩かなければいけないのか分からない。数日かかるとしたら、それに耐えられる準備が必要だ。少ない食事と水で衰えている体力を回復し、可能なら保存できる食料を持って行きたい。そう、焦ってはいけない。


 下流への移動はこれから考えるとして、水を見つけたことはとにかくラッキーだ。ただ、生水を直接飲むのは少し怖かった。細菌類はもちろん、エキノコックスなどの寄生虫の危険もある。水蒸気が凝結した雨の方が、出自が分かるだけずっと安全だ。

 沸騰させることができれば良いのだけれど、あの小屋に鍋などはなかった。沸騰させる以外だと二つほど方法を知っている。一つはペットボトルに小石や砂や葉っぱ、炭や灰を突っ込んで蒸留装置を作る方法だ。炭と灰による殺菌が上手くいくか不安が残る。もう一つは、地面に水を撒いて日光で蒸発した水蒸気をビニール袋などで集める方法だ。手持ちのビニール袋二枚では、とにかく時間がかかるから現実的ではないだろう。

 やはり沸騰させるのが一番だ。太い枝か動かせる切り株でも見つけてきてそれを削って鍋を作るか、くぼんだ石でも探してくるのが良さそうだと思った。とりあえず、雨水を飲み干したペットボトルに川の水を汲むことにした。

 川には魚の影もちらほら見えた。槍で突こうとしたけれど、簡単に逃げられてしまってかすりもしなかった。岩に石をぶつけて衝撃で魚を気絶させるガッチン漁も試してみた。砕けた石が腕をかすり、跳ねた川の水で服がビショビショになった。飛び出したのは小さな虫だけだった。やけになって魚に掴みかかった。魚は小指の先にすら触れなかった。

 魚一匹以上のカロリーを消費しても、私の身体能力では魚を捕らえることが無理だと分かった。何か工夫と道具が必要だ。もし魚を多めに捕らえることができれば、燻製にして保存食にできる。下流に向かって捜索範囲を広げるためには必須だろう。

 私は魚を捕らえる方法を考えながら小屋に戻った。


 小屋に侵入していた蔦を石ナイフで切り落としているうちに日が傾いてきた。急いで夕食の準備を始めた。

 今日の食材はあの芋だ。パッチテストは芋の皮の部分と、芯に近い部分の2箇所で行った。すると皮に近い部位では案の定、皮膚が赤くなり痒みがあった。そこであの黒紫の果汁を塗ってみた。予測通りに効果があって、赤みが引き痒みも収まった。どうやらいけそうだ。芯に近い部分は赤くなった気がするが、痒みはない。なんとも言えない結果だった。とりあえず、調理中は手に果汁を塗っておくことにした。

 私は拾ってきた平たい石の上に、切って皮を剥いた芋の欠片をいくつか乗せ、黒紫の果実と一緒にすり潰した。この芋にはヤマイモと同じような粘性があり、果実と混じって紫色のペーストが完成した。ペーストを石の上に薄く伸ばし、そのまま囲炉裏の火の近くに置いた。サイズは小さいけれど岩盤焼きだ。

 しばらく待っていると、ペーストに混じった気泡がプクプクと現れ、焼きあがっていく。紫の表面に焦げ目がついたところで、木の枝を使って石を火から離して冷ました。

 紫色のホットケーキもどきの完成だ。とりあえず、見た目はそれほどよくなかったけれど、香ばしい匂いがして美味しそうだ。

 紫の生地は石からぺろりと簡単に剥がれた。まずは一口だけ食べてみる。温かい生地はムニッとした食感で、果実の酸味と仄かな甘さが染み出すように広がった。見た目からホットケーキを想像していたけれど、むしろ厚めのクレープを食べているような感覚だ。思ったよりもずっと美味しかった。ホイップクリームでもあれば最高のお菓子になっただろう。

 1つ食べ終わってから30分ほど様子をみた。身体に異変は起こらなかった。芯に近い部分の芋で行ったパッチテストも劇的な変化はなかった。どうやら、硝酸カルシウム(と思われる物質)が含まれているのは皮の周辺だけのようだ。

 その後、皮を剥いた芋の欠片を直火で焼いて食べてみた。噛むたびに甘くなり、まさにホクホクとした里芋といった味だった。こちらは醤油が欲しいところだ。

 私は二つの調理方法で黒紫の果実と芋一本を食べ尽くした。日記を書いている今に至っても身体に不調はない。葉っぱの形は憶えたので、積極的にこの芋を探していこうと思う。


 さて水の件だけれど、先ほど意外な形で決着がついた。今日書いた日記を読み返していて、鍋に使えそうな物を思い出した。

 小屋の裏に放置されていた動物の頭骨だ。これを杯に使うことで少量の水ならば沸騰させることができた。さすがに煮るなどの調理は無理だが、喉を潤すことはできる。

 飲み水は解決したけれど、新たな問題も浮上した。着火剤に使っていた銀紙がなくなってしまった。囲炉裏の火をつけっぱなしにはできない。火事の危険もあるし、なにより燃料を集めるのが大変だ。


 明日は火おこしの道具を作らなければならない。忘れないようにしよう。

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