5日目
5日目
驚くべきことが2つあった。こうして日記を記している今も多少だけれど興奮している。夜空に舞う二匹の竜を見た時も驚いたけれど、それ以上の感動だと言って良いだろう。
前置きが長くなってしまった。物事は順番通りに説明すべきだ。まずは朝の『出会い』から時系列に沿って書いていこう。
私は強い葉っぱの匂いで目を覚ました。感覚的には朝を迎えているはずなのに、不思議と辺りが薄暗かった。清涼感のある匂いに頭がはっきりし焦点が合っていくと、自分がどういう状態に置かれているのか認識することができた。
私の身体を大樹の枝葉が覆っていたのだ。折れた太い枝の下敷きにでもなってしまったのかと錯覚したが、圧迫感はまるでなかった。むしろ羽布団のように優しく私を包んでくれていた。
枝の下から這い出そうと身体をねじると、その振動に反応して大きな枝が自動的に持ち上がった。不可思議な現象に辺りを見回すけれど、枝が昨日と違う方向を向いている以外の変化は分からなかった。
何か危険が潜んでいるかもしれない。この場をすぐに去ろうと、荷物に手を伸ばした。そんな私を呼び止めるように大樹がざわめいた。振り向くと、皺のように見えた幹の樹皮の左右に並んだ2箇所がめくり上がった。
現れたのは二つの球体だ。木肌を彫刻刀で削りヤスリで仕上げたような滑らかな球面、くぼみに嵌るようにして存在するそれは、紛うことなき眼だった。
私は情けない悲鳴を上げて後ずさり、足を引っ掛け尻もちをついてしまった。そんな私の醜態を見て、大樹が笑った。目の下の幹が横一文字に開き、そこからくぐもった低い笑い声が聞こえてきたのだ。
面食らっている私に向かって大樹は、その太い枝を振り下ろしてきた。昨晩の雨で地面が緩んでいてとっさに立つことが出来きず、両手を前につきだした。もちろん、そんなことで防げるとは思えないが仕方がない。
潰されると肝を冷やしたけれど、何の衝撃もなかった。恐る恐る目を開き大樹の方を見ると、太い枝をゆっくりと前後に振っているだけだった。どうやら私をぺちゃんこに潰して、食べようというわけではないようだ。
立ち上がった私は大樹の目を見た。そこには何らかの意志や感情が宿っているような気がした。わけの分からない状況に叩き落とされてから、初めて出会った知性を感じる生物だ。緊張に頬を引き攣らせながら、それでも安堵の混じったため息を吐いた。
危害を加える意志がないとなると、俄然興味が湧いてきた。大樹はそんな私の考えなど、気にも留めないで枝を振り続ける。よくよく観察してみると、どうやら腕代わりの太い枝で、背中?背面?の方に私を呼んでいるようだった。
完全に安心したわけではないので、ある程度距離を取りながら私は大樹の背後に回り込んだ。するとそこには全高で1メートルはあろうかという巨大なキノコが生えていた。茶色の皺皺の傘に真っ白い網目状の柄をしている。
昨日、大樹を見て回った時にはこんな巨大なキノコは無かったはずだ。一晩でここまで成長したのだろう。おおよそだけれど、一分間に4mm程度成長した計算だ。形状と成長速度はキヌガサタケというキノコに非常によく似ている。ただしキヌガサダケは10センチかそこらで、1メートルなんて馬鹿げたサイズに成長することはない。
大樹は背後に回した枝先でキノコに触れて左右に動かす。どうやら、このキノコを取れと言っているようだ。試しにキノコを両腕でつかみ揺らしてみる。大樹は意志が通じたことを喜ぶように枝を揺らした。
そのままキノコは左右に揺すってみたけれど、簡単にもぐことは出来なかった。私は荷物のところに戻ると、作ったばかりの石ナイフを手にとった。
キノコの石突きの部分に刃をあて前後に動かすと、網目状の繊維にショリショリと切込みを入れることができた。そのまま石ナイフを動かし続けること10分ほど、巨大キノコを切り倒す事に成功した。念のためキノコの生えていた幹と根っこ部分を石ナイフで削っておく。大樹は気持ちよさそうな低音を鳴らした。
これで良いのかと取り除いたキノコを見せると、大樹は私の布団にしたのとは逆の枝を差し出してきた。そこには直径15センチほどで丸々とした黄緑色の木の実がなっていた。私が木の実に手を触れると、大樹は頷くように目を伏せ笑った。どうやらお礼にくれるようだ。多少の心配はあったけれど、私はこの果実を受け取ることにした。
大樹はキノコを取って欲しくて、寝ている時に枝葉をかけてくれたようだ。初めに私が接近した時に、大樹が隠れるようにしていたのは自分に危害を加える生き物かどうか見極めていたのだろう。臆病な性格なのかもしれない。軒先を借り、その御礼に樹皮のメンテナンスをする。野生生物らしい共生関係だ。
お互いに害意が無いことを確かめ合えたのは幸いだ。私はどうにか大樹とコミュニケーションをとろうと、話しかけてみることにした。もちろん日本語でだ。例え言葉が通じなくてもニュアンスは伝わるかもしれない。
とりあえず自己紹介し、とても困っていることを告げてみた。大樹は何かを考えるように目をぐるりと回し、そしてまた笑った。言葉はもちろん、ニュアンスも通じていないようだ。
次に身振り手振りで伝えてみることにした。きょろきょろと辺りを見回して、泣く真似をしたり、首をかしげる仕草などを繰り返した。『仕草など』の部分を詳しく思い出すと、心拍数が上がり顔から火が出そうになるので省略する。
始めのうちは私の仕草を見て、大樹は笑うだけだった。しかし私が必死の形相で何度も何度もしつこく繰り返していると、やがて大樹は笑うのをやめた。それから目をぐるりと回して、考えこむように瞼?を閉じた。
祈るように大樹の反応を待った。大樹はピクリともせず目を開けなかった。私は辛抱強く待ち続けた。
さすがに寝てしまったのかと思い、もう一度喋りかけようとした時だ。大樹は目を開きニカッと笑った。そして、太い枝を前方に向かって突き出した。何かを指さしているように思えた。私がその方向を向き、同じように右手を上げて指差すと大樹は満足そうに笑った。
何らかのコミュニケーションが成立したようだ。困っているという意思を、大樹が感じ取ってくれたと私は好意的に解釈することにした。大樹が指し示す方向には、きっと困っている私の力になるモノがあるに違いない。
私は荷物をまとめると、焚火に残った灰を大樹の根本にまんべんなく撒いた。灰はミネラルを含むので、植物が生育する土壌に良い。私にできる精一杯のお礼だった。その気持ちが通じたのか、大樹も穏やかに笑っていた。
久しぶりに他者とコミュニケーションをとったせいか、離れがたい気持ちもあった。しかし、いつまでも森の中で私は生きていけない。
大樹に別れを告げ、その場を後にした。
私は大樹のことを信じて歩き続けた。もちろん信じるに足る根拠があった。大樹の眼に私がどう映っていたのか分からない。しかし、私のことをコミュニケーションが取れる知的生命体だと認識していた。その上で警戒から受容へと態度を変えている。この事から推測されるのは、以前にも大樹が二本足の知的生命体に会ったことがある、もしくはその知識を持っているということだ。暗闇の中で希望の光を見た気がした。
雨上がりの森は肌寒く感じるほどの湿気で満ちていた。植物や生き物が活発になったようで、フィトンチッドや土の匂いも強まっている。清涼感で気分は良くなるけれど、泥濘んだ足元には困った。転びそうになって手を伸ばした樹の幹もツルンと滑ってしまい、何度か酷い尻餅をついた。大樹の前での失態といい、今日はよく尻を打つ日だった。
太陽が南中を過ぎて私は昼食を摂ることにした。歩きながら食料を探していたけれど、見つからなかったので大樹から貰った果実だ。
とりあえず黄緑色の皮を一欠片だけ剥いて、二の腕でパッチテストをすることにした。結果を待っている時間が暇なので、その間に皮を剥いた。果実の皮はリンゴのように薄く、皮のまま囓れそうだけれど念のためだ。手が糖質で滑り、甘い匂いが私の鼻孔をくすぐり続けた。
皮を剥いて現れる果肉は雪のように白かった。薄く剥きすぎてミカンの白いアレのような内果皮までしか到達していないのかと思ったけれど、どんなに石ナイフの刃を入れても果肉は真っ白なままだった。
結局パッチテストに問題は見られなかった。とりあえず滴る果汁をぺろりと舐めてみる。コクのある甘さがスッと舌に広がった。果物の見た目からリンゴや梨のような味を想像していたけれど明らかに違うことが、ひと舐めで分かった。
思い切って果肉にガブリとかじりつく。猛烈な甘さが退去して押し寄せ、口を占拠した。とろけるような果肉の食感と相まって、濃厚なクリームを頬張っているようだ。果物を食べるというより、未知の菓子を食べているような感覚におちいる。果肉を飲み込むと舌の上から甘さは去り、心地よい酸味だけが残った。
あまりの美味さに私はここが森の中だということも忘れて、一心不乱に果実をガブガブと食べ続けた。分析しながら味わうことすらもったいないほどの美味さだった。こうやって思い出して書いていると、口の中が唾液であふれてしまうほどだ。
白い果肉を平らげると、親指大の黒い種が二つ残った。煎れば食べられそうだけれど、記念にとっておくことにした。とはいえ、空腹が限界になったら迷いなく食べるだろう。感傷で腹は膨れない。
今までにないほどの美味しい果実を食べて気分が高揚していた。今日までの疲れが吹き飛び、午後もほとんど疲れを感じずに歩き続けることができた。果物に多少の興奮作用でもあったのか身体が軽く感じ、どこまでも行くことができそうだった。
やがて太陽の高度が下がり、周囲が赤みを増していった。そろそろ今日の野営の準備をしなければと、考え始めた頃だ。
木々の合間に、小屋を見つけた。
お腹の底がふわふわするような感覚に襲われた私は、大きく息を吐きだしてから、小屋に向かってかけ出した。その時にはもう涙が溢れていたと思う。
小屋は森の中の少し開けた広場に建っていた。切り出した樹木をそのまま建材に使っているログハウスだ。入り口を探して回りこむ途中で、窓が開いていた。私は躊躇わず中をのぞき込んだ。
誰もいなかった。そして、生活している形跡が無いこともすぐに分かった。窓の戸は腐り落ち、そこから侵入した蔦が小屋の中にも広がっていた。
私は扉のない入り口から小屋に足を踏み入れた。中央に囲炉裏らしきものもあるけれど、風で吹き流された灰がうっすらと広がっているだけだ。最後にここへ火が灯されたのは、いつのことだろうか……。
それでも誰かがこの小屋を建て、使用していた事実に、私は感極まって声を出して泣いてしまった。
どこかに『人』がいる!
この世界で私は独りではない!
間接的にでも他者の存在を知ることができた喜びは、想像以上に大きかった。
しばらく大泣きしてから私はようやく冷静さを取り戻した。辺りはすっかり暗くなっていた。
道々ビニール袋に集めておいた枝葉を取り出し、打ち捨てられていた囲炉裏に火を起こす。久方ぶりの来客に喜んでいるのか火は簡単に大きくなり、小屋の隅々まで照らした。
あらためて小屋の中を確認する。6畳か7畳ほどの広さで、中央に囲炉裏がある。戸のない窓が2つ、どちらからも蔦が入り込んでいる。初めに覗きこんだのとは別の窓際に、木製の長机が置かれていた。他には壁の高い位置にドアノブのような木製の突起がある。コートや服でも掛けていたのだろうか。
森の中にたった一軒で立っていることから考えて、猟師小屋として使われていたのかもしれない。捨てられたのではなく、猟のシーズンではないので誰も居ないという可能性もある。とはいえ、斧や鉈、猟に使う道具などそれを決定づけるような物は見つからなかった。
不必要に考えこんでも仕方ない。高ぶった精神を落ち着け、休むことのほうが重要だ。
屋根と壁に囲まれている空間が、こんなにも安心できるものなのだと初めて実感できた。暗い森の奥の得体のしれない気配や獣の遠吠え、草木が風に揺れる音にビクつかないですむ。さらに焚火の熱も程よくこもって温かい。入り口や窓の戸がないのは多少怖いけれど、二酸化炭素中毒の心配をしなくて良い。
今まで建築物についてそれほど興味を持っていなかったけれど、これをきっかけに壁や床、天井が好きになってしまいそうだ。
身体が思い出したような疲れと、大きな安堵で眠くなってくる。今日はゆっくりと眠れそうだ。
猟師小屋があるということは、大きな生活圏に隣接しているか、そこから遠く離れていないことが期待できる。逆にそうでないとしたら、生活に必要な水場が近くに存在しているはずだ。もしかしたら、果物の木や畑なんかも残っているかもしれない。
期待に胸が踊る。明日は早く起きて周囲を探索してみよう。
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