第22話

 白く雄々しい大きな猫が私の前に現れた。


「久方ぶりだ。だが、感慨に耽る時間はなさそうだ」


 目の前の騒々しい状況に彼は目を向け、そして、吠える。太白をここに晒してしまった以上、私が隠れている意味はなかった。


 私は三人の前に姿を見せて近寄った。


「これはこれは。安倍家の御息女ではないですか。手間を取らせて申し訳ありません。次はあなたの番ですから」


 強気な発言をするときの彼の言葉は御堂修吾に通ずるところがあった。言葉の裏から取れる彼の邪悪さに、私は今まで気がつかなかった。仮面のように作られた笑顔。そんな上辺だけの表情にどうして私は気がつかなかったのだろう。私の父よりもよっぽど権力と名声にこだわっている人間のする顔だ。


 御堂修吾が攻撃の手を止めた。私の姿を見たからというより、太白の姿を見たからという方が正しい。


「随分と遅かったな。やはり、あの男がお前の封印をしていたのか」

 戦いの最中、急に額から流血する御堂司を見ていた御堂修吾は既に理解があったらしい。


 私はこくりと頷く以外に彼に対するアクションは行わなかった。私はそのまま御堂司でもなく、御堂修吾でもなく、光ちゃんのところに向かった。彼女は私の作り出した結界の中でじっと待つことしかできないでいた。


 彼女は泣いてしまいそうな顔で私を見つめていた。それは恐怖ではなく、私に対する何かしらの罪悪感に似たものなのかもしれない。


「ごめん、晴。私、こんなことになると思わなくて」


 私はそんな彼女に対して微笑みかけた。


「私は大丈夫だよお。それより、私は光ちゃんの方が心配だのう」


 私は光ちゃんの真似をしようと、変な口調を使ってみようと思ったけれど、実際に喋ってみると、彼女のようなイントネーションにならない。私の不格好さに光ちゃんは笑ってくれた。私はその姿を見てホッとすることができた。


「いつも光ちゃんには励ましてもらってるからね。今度は私がお返しする番だよ」


 彼女の言葉を待たずして私は振り向いた。背中の方から小さく泣きじゃくった声で「ありがとう」と聞こえた。交わす言葉は少なくとも私たちは互いに通じ合っている。私はそう思った。


 次に御堂修吾のところに向かった。ここまで私と協力してくれたことには素直に感謝していた。私は彼に対し、深々と頭を下げ、それ以上何か言葉にするということはなかった。


 ボロボロの出で立ち。立っているのが関の山のようだ。


「美味しいところを持っていくのか。まあ、今回は俺の顔に免じて許してやるか」

 彼はそう言って腰を落ち着けた。強がりを言うだけの余裕はあるようだった。随分としぶとい人だ。


「それが太白ですか。見るのは初めてのことですが、気高さが伺えますね」


 私は御堂司の目の前で膝をついていた。


「その手で我を愚弄しておいてよくもそんな口が吐けるものだ」


 太白は憎らしげに御堂司を睨みつけていた。


「愚弄?そんなことはありません。私はあなたの強さを知っているからこそ、その負うな手段を取らざるを得なかったのです」


 彼は立ち上がり、私と太白を一瞥した。


「親子の絆すら切り捨てる貴様は犬畜生にも劣る外道。卑怯な手段に出るのも当然というわけか」


「私はただ叡智を欲するのです。知の守護獣と恐れられた太白を使役せんと欲するは自然の摂理でしょう」


「そんな言葉が我に下るとは大言壮語も甚だしい。知を極めることが我に通ずるなどとは違えた道を突き進むのと同義」


 彼らの言葉の交わし合いは私には理解できないことばかりだった。そして太白はいつものように自らを貶めることを忘れなかった。久しぶりに見た、彼の愚直なまでの知に対する貪欲さは少々胸焼けするような煩わしさを伴っていた。


「あなたが自らを卑下するのならば、あなたより知に劣る者は一体全体何者なのでしょう」


「さあな。無知な我には貴様を表す言葉が見つからん」


「そうですか。では話し相手を変えましょう。安倍家の御息女にお聞きしたい。この太白の契約を譲り受けたいと考えております。素直に承諾するならば、ことは穏便に進むことと思いますが」


 私は首を横に振った。


「あなたがことを穏便に済ますとは思えません」


「そうですか。信じてもらえないのは大変残念なことです」

 彼はそう言うと、扇を再び口元にかざす。


「さて、晴よ。奴は術比べに興じるらしいが」

 今になって私に何を聞こうというのか。それとも、太白は直接私の口から何か言葉を欲しいのか。私は一度生唾を飲んだけれど、思いついた言葉を彼に伝えることにした。


「太白。手伝って。友達でしょ?」

 私は自分の言葉を正直に伝えたつもりだったが、思いのほか周囲から笑い声から聞こえるので私は少し恥ずかしくなった。


 私が何より驚いたのは太白が声を上げて笑っていたことだった。低く落ち着いた声で笑うと、どこかの国の偉そうな王様が笑った時のような違和感のようなものがある。


「傑作だ。まさか、守護霊獣を友達と称するとは」

 一番大笑いしていたのは御堂修吾だった。満身創痍の身体で笑うたびに傷がしみるはずなのに、どうしてあそこまで声を上げて笑えるのか不思議だった。


 私は尖った石ころを握って親指の腹に押し付ける。そこから僅かに出る血をポケットから取り出した紙切れに書き付ける。


 いつものように「猫」と書き込んだ。そして呼び出される猫。彼らは太白よりも少しだけ小さい。今回は太白が目の前にいるからよくわかった。そういえば猫以外の式神をお呼び出ししたことはない。何故だかわからないけれど、それ以外の文字を書いてはいけないような気がした。だから、そうしているだけ。


 既に言霊の詠唱を終えている御堂司は自らの周囲を結界で囲んでその外に偉業の造物を生み出している。淡く削り出された大きな岩を握る獣。二本の足で大きな躯を支え、頭部には鹿のような角を備えている。


 私の胴よりも太い腕を持つ偉業の姿の獣。この世のものとは思えない。これだけの巨躯が暴れ回れば、廃墟であるこの場所が持たないのではないかと思わせるほどだ。


「女、お前の心配は何も意味を持たない。あれが暴れようと、この建物は壊れない。ここは陰陽師が用意した人よけの場所の一つ。柱ひとつひとつに加護がかかっている」


 私の安い心配事など御堂修吾はお見通しのようだった。つまり、私は気にせず彼を倒すことができるというわけだ。実際に倒せるかどうかは別として。


 お呼び出しによる対価契約もなしに、御堂司の呼び出すような獣をここに呼び出せるのは随分と珍しい。あれをどうにかしなければならない。けれど何をすればいいのか。


 太白に目を向けた。彼を前にすると、私はどうしても彼の言葉を聞きたくなってしまう。彼の言葉がまるで正解であるかのように思うのだ。


「太白。あれ、見たことある?」


「あるな。だが、言葉にするまでもない。見てくれのとおりだ。力任せに薙ぎ払い、地を砕き、空気を震わせる」


「じゃあ、一番面倒だね」


 ため息をついた。要するに私は力勝負で大きな大きな得体の知れないものを打ち払わねばならないらしい。


 近くには私の呼び出した猫が三匹。いや、大きさを考えるとやはり三頭と数えるのがよろしいかも知れない。それと、太白。彼の力を垣間見たことはあるけれど、彼の底は深く見えない。私に推し量ることはできないだろう。


 屈強な腕、脚。それに私たちが真っ向から敵うものはいない。困ったものだ。


 三頭の猫に指示を送る。一頭には「あれ」の脚を。一頭には大きな岩を握るその腕を。一頭には頭部を狙わせた。太白は自分で勝手にやるだろうし、私の行動などお見通しだろうから気にも留めていない。


 三頭の猫が動く。「あれ」と比べて遥かに貧相な四肢を小刻みに走らせて、大きく迂回するように「あれ」に向かう。「あれ」の視線は三頭の猫全てに向かおうとするが、彼らが途中で群れを崩すと、呆れたことか、「あれ」は頭をぐるぐると回転させて自らめまいを起こしかけている。使役者ほどに「あれ」の頭はよろしくないようだった。


 一頭の猫がぶくぶくと膨れ上がっているその脚に噛み付いた。


 同時に聞こえる低く醜い叫び声。私は思わず耳をふさいだ。廃墟であるこの場所が震えているような感じさえした。いかに頭が悪かろうが、その無駄遣いとも呼べる有り余る力の放出は、今の私たちにとってこの上なく面倒な存在に間違いなかった。


 その怯んだ隙をついて、「あれ」はその手に握る大きな黒岩を高く掲げる。無論、このマンションの廃墟であるこの場の天井がそれほどに高いわけではないので、当然、黒岩が天井にぶつかる。けれど、その馬鹿力は底を見せず、いとも簡単に天井を突き破ってみせた。


 天井から舞い落ちるかつての天井。瓦礫のくずどもが土砂降りのように降り注ぐ。一頭の猫がその餌食となり、一瞬にして紙くずになり変わる。


 そして、私から滴る真紅の血。痛みはない。


 六階の一部が消えてしまい、「あれ」が十分に動けるだけの空間が生まれてしまったのは随分と痛い話だ。


 残り二頭の猫に再び攻撃に転じさせる。あれほどの肉体を持ちながら、その動きの緩慢さが際立っているのは、「あれ」の膂力に問題があるのではなく、生まれ持った勘の鈍さがあるのではないかと思う。二頭の動きを同時に追わんとして、結局どちらの猫も見失っている。今度は腕に噛み付かれた。けれど、噛まれようとも「あれ」は握る黒岩を離そうとはしなかった。岩を握りながら、猫を振り払わんと腕を振り回す。


 上に下に。右に左に。猫は必死になって「あれ」の腕にしがみつくけれど、それが精一杯らしく、なすがままにされていた。


 どうにかしなければ。私がそう思ったときには既に太白が動き出していた。ゆっくりと、のっそりと。虎が木陰に隠れて獲物を狙う時のように近づいた。彼の目の前には嵐のように暴れる獣がいる。腕にしがみついていたはずの猫はいつの間にやらただの紙切れに戻っていた。頭部に噛み付こうとしていた猫は、どこでやられたのかもわからないまま消えていた。


 それでも「あれ」は暴れ続けている。闘牛のように血気盛んな獣らしい。


「さて。貴様のように振る舞いに品性の欠片もないものと相手したくはないのだが」

 太白は嵐に近づきながら話しかけた。手は止まらず、動きも止まらず。聞く耳を持ち合わせない「あれ」に対し、太白は一瞥した。


 刹那。


 何が起こったのか私にもよくわからなかった。瞬きしていたとは思わなかったけれど、一瞬にして変わってしまった景色は私にそのような誤解を招いた。目を疑いたくなって私はもう一度「あれ」に目を向ける。急に。急にだ。


 視界に映る「あれ」はもがき苦しむ様子も見せずに動かなくなってしまった。「あれ」の時間だけ止まってしまったかのようだ。


「これで静かになったか」


 太白は近くで「あれ」を見上げている。多分、彼が何かしたのだろう。そのことだけは理解できた。


「ふふふ……。それだ。それが欲しかった」


 結界の中でのんびりしていると思われた御堂司は急にせせら笑いを浮かべて口角を上げてみせた。よほど上機嫌らしく、そして太白のしでかした何かに喜びを隠せないらしかった。


「陰陽師太白。あなたの力こそ、この世の摂理に導く鍵になる」


 陰陽師太白。御堂司は確かにそう口にした。


「太白って陰陽師だったの?」


 私は太白に尋ねずにはいられなかった。少し距離を離したところにいた太白は私の声に気がついて素早く私の近くに戻って返答した。


「晴に知って欲しくはないとは思っていたので伏せておいた。最初にあった頃のような驚き方をされては困るからな」


 太白は案外易易と答えてくれた。バレてしまったことを隠す必要もないと思っているのかもしれない。勿論、私は驚いて声を上げるところだったが、口を開きそうになったとき、何かに縛られるかのように口が開くことを拒んだ。


「念のため口は塞いでおいた。もう少し我の話を聞け」


 返答する手段の一つを失った私は仕方なく頷いた。


「この力は我の我足る所以。我は陰陽術を扱う守護霊獣。それが太白」


 思ったほど太白は喋らなかったし、大事なところをほとんど省いている。要するに太白は陰陽道に通じている猫。つまりは「猫の陰陽師」ということらしい。


 正直、守護霊獣にしろ、式神にしろ、陰陽術を使えるということは果たしてすごいことなのか私に判断はつかなかったけれど、あそこにいる御堂司が彼を欲しているということは、やっぱりすごいことなのだろうと思う。


 太白はそれゆえに人に恐れられたのかもしれない。というか、そうだろう。だからこそ、彼の力はどこか切なさと寂しさを覚えるのだ。


 私の口が滞りなく開くようになったので、私は太白に尋ねてみることにした。


「太白、もしかして人間になりたくて陰陽術を覚えたんじゃないの?」


 私は言動の端々から見られる彼の自己嫌悪と、人間に対する根強い執着のようなものを感じた。それは人間に対する憧れや嫉妬があって、彼なりの葛藤があったのではないかと思った。


 太白は答えなかった。けれど、否定もしなかったので肯定と受け取った。


 彼の過去話に興じたいところだったけれど、長い話をしている暇など私たちにはなく、御堂司は抜け目なく私たちに次の相手を用意してくれていた。


 彼がまとめて呼び出すことができないのは、言霊であるために同時に多くのことに集中することができないためかも知れない。同時にいろんなことを考えるのは私たち女性の専売特許だしね。


 そこで固まったままの「あれ」なるものは路傍の石と同じくらい瑣末なことのように扱われていたけれど、そのうちにガラスが割れたような音とともに消えた。


 その代わりと言ってはなんだけれど、二息歩行のよくわからないものどもが、わんさかと私たちの前に立ちはだかっている。


 いくら数で太刀打ちしようとも、先の太白の一瞬での滅殺を見ると、あまり意味のないことのように思う。でも、御堂修吾にしても御堂司にしても彼らは知略をこねくり回すのがとても好きな人間たちだ。とすると、私は彼の行動に意味を見出さなければならない。


 先と同じくらいに知恵の回らなさそうな獣が私たちに向かってきている。口元がだらしなく、よだれなんかも垂れ流しにしているところが何だか不潔で、いい感じがしない。


「太白、さっきと違う方法であれの動きを止められないかな」


「警戒ゆえの行動か。こちらの手の内を晒すわけにもいかぬが、確かに謀略もなく行動しているわけではなさそうだ」


 私たちは結界の中で顔を扇で隠している御堂司から、そこはかとない何かを感じていた。油断した私たちが、彼の策略にまんまとハメられる姿を待ち望みにしているような顔をしていそうだった。


 太白が動き出す。軽快に地を蹴って駆けるその姿を目で捉えるのはなかなかに困難な作業だ。彼の白さは、陽のもとでは限りなくゼロに近い存在たらしめる。廃墟で周りから光の差し込むことのない場においても、わずかながら照らし出されるベランダ側を駆ければ、彼の姿は霞んでしまう。不思議なことに太白には影ができないのだ。私はその時初めて知った。


 彼が獣どもに触れると、先のように凍りついたように動かなくなる。いや、事実今度は氷漬けにされているかの如く、獣どもの躯から白い冷気が放出されている。

獣が行進する中を縫うようにして通っていく。暗いところを駆けると、白い残像が見えて、白い光が線を描いているようにも見えた。


 大きな図体を持つ獣どもは御堂司の前に立ちはだかっていたためか、彼の姿をすっかりと覆い隠してしまった。この時になって私は、彼の策略に気がついた。


「太白、戻ってきて」


 私は大声で叫んだ。御堂司の姿が見えないというのは大問題だ。彼は白く凍りつく獣どもの陰に隠れ、中を動いている可能性がある。彼の格好は闇に紛れる格好であの光の閉ざされた空間の中に入れば身を隠すことなど容易い。


 そして、私は御堂修吾の存在を知っているからか、彼らの家系がおとなしく結界の中でのうのうとやっているはずがないと直感的に理解していた。彼らは最残線で戦う部類の人間だ。


 私の声に従って太白の姿が見えかけた頃、彼の後ろに迫る影を確認した。

疾い。這い寄るように太白に近づいていた。


 その瞬間、太白を囲う大きな影が生まれた。最早影と呼べるものかわかりづらいけれど、光もない、延々とした闇をそこに感じた。黒い影は太白を飲み込もうと、無数の腕のように影を走らせている。


 けれど、太白の方が一瞬はやかったのか、その影に追いつかれる前に私のもとに戻ってきた。だが、彼は僅かに影なるものに触れていたのか、彼の尾は黒く染まり、焼け焦げたような黒い煙がそこから立ち上っていた。


「なるほど。面倒なものを」


 黒い影は私のところにまでは来ないで、一定のところで動きを止めた。黒い影の塊のようなところに、御堂司らしき人物の人影がある。彼は黒い塊の中にいて、人肌の色はそこから見えなくなっていた。


「あれ、なんなの。すごく気持ち悪い」


「あれも言霊の力。私欲と私怨に駆られ、あのような醜い姿に成り果てているがな。しかし、我にも詳しいことはわからぬ」


 黒く禍々しい。ただ、恐怖。肌をなぞるような気持ちの悪い感覚が続く。味の悪さを感じずにはいられない。


 その中心にいる御堂司の姿も人間からかけ離れているように思えてきた。いや、異形の者と化した彼を人間と呼ぶべきかも迷うところだ。黒き闇に飲まれて、人としての原型をかろうじて保っている状態だ。


「あれ、どこかで見たことが…」


 御堂司の躯にまとわりつく黒い何か、私はあの黒く醜悪なものにどこか見覚えがあったけれど、その答えを私よりも前に口に出した人物がいた。


「あれは俺の呪いと同じだ。あの男。どういうつもりだ」


 御堂修吾だった。部屋の端の方で壁に寄りかかっていた彼がいち早くあの正体に気がついた。なるほど、確かに彼にかけられた呪いと同じような色味を帯びている。深遠たる闇に色を問うのはいささか不可解な気もするけれど。


「修吾。だからお前は見立てが甘いと言ったのだ。あれはお前を強くする術式。決して呪いなどではない」


 彼の疑問に答えたのはほかならぬ御堂司だった。闇の中から声が聞こえる。人の姿から外れようとも、人としての自我はあるようだった。


「そうか。島崎を介して呪いを施したのはお前か。あれほどの呪いを扱える男の割に拍子抜けだったからな」


 別に島崎という男が弱かったわけじゃないけれど、勝者は何とでも言えるのだ。

 それより、御堂修吾にかけられた呪いの正体が目の前の黒い靄のようなものだとすると、案外状況は芳しくない。彼ほどの陰陽師が手を焼いたのだから。


 けれど、太白なら。私は微かな希望を抱いた。


「修吾、お前はあとでじっくりと飲み込んでやるが、今は彼女らが先だ。その霊験あらたかな躯、頂かせてもらう」


 彼の声にノイズがかかったような雑音が入り混じる。御堂司は既に闇の中に紛れ、見えない。


 どうすればいい。あの闇をどうやって打破すればいいのだろう。考えるんだ。御堂司、彼の行動全てには意味がある。その意味を見出さねければ彼に打ち勝つことはできない。つまり、彼が今までしてきたことの中に何か答えの手がかりがあるはず――。


「太白、私や御堂君があれを浴びれば多分大変なことになると思う。でも、どうして御堂司さんはあのままでいられるの?」


 そうだ。私や御堂修吾があれを浴びれば一大事になるにも関わらず、どうして御堂司だけがあれを浴びて平気でいられるのか。


「先程見たはずだ。奴が結界を張っているのを」


「うん、見たけど」


 でも、それはへんてこな獣を呼び出した時の話だ。あ、でも、あの獣は既にいないし、あの影が急に出てきたことを考えると、あの獣たち自体があの深い闇を作り出す材料だったのかもしれない。


「眼前の闇こそが、先の畜生の正体。つまり、奴は結界を張っておらねばあれを呼び出すことは適わぬということ。それは精神的な理由にしろ、物理的な理由にしろ、必要だということだ」


 結界がないと困る…。単純に身を守るためだと思っていた。いや、多分それは正しい。結界を他の方法で使うなど聞いたこともない。とすると、彼は獣を呼び出して更に自分の身を守る、そんな慎重に慎重を重ねたような動きをするだろうか。いや、考えられない。そんなタイプには見えない。……随分と直感的な考え方だけど、私の勘は当たるのだ。


 つまり、最前線で行動するような人が堅牢な防御体制を敷くとは考えられない。そう考えると、彼が結界を張ったのは別の理由によるものだという結論に至る。


 そうか。


「御堂司さんはまだ結界を張り続けている。自分の身体に合わせて。そうしないと自分もあの闇に飲み込まれちゃうんだ」


 形を常に変えることのできる結界を自分の周りに作り、あのおぞましい黒い何かと境界を作ってる。


「おそらくはそうだろう。つまり、晴。お前のすることは決まった」

 わかっていたなら教えてくれればいいのにとは言わなかった。彼は私にとっての希望だけれど、それに依存してはいけないんだと思う。


「うん」


 私は頷いて、すぐに言霊を唱え、自身と太白の周りに結界を張った。光ちゃんのもまだ張り続けているので、私にかかる負担は大きくなっていった。


「さて、作戦会議は終わったでしょうか」


 ノイズのかかった声で御堂司が聞いてきた。彼も自分の実力に余裕があるのか、私たちの作戦会議が終わるまで待ってくれていたようだ。余計な気遣いだ。


「終わりました。お待たせして申し訳ありません」


「いえ、それならば構わないのです。安倍家の御息女と術比べなど私にとってはこれ以上ない手厚い恩恵です。少しくらいの憂慮など、瑣末なことです」


 もし言葉通りなら今すぐこの術比べとやらを終わらせて、さっさと立ち去って欲しいと思った。

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