第18話

 気づけば私は病院の一室で横になっていた。近くの市立病院に搬送されたようだったけれど、私の怪我の原因が原因なので、おそらくことは内密に進んでいる。


 近くに置いてある棚の上に綺麗な花が添えられていた。毎日入れ替えられているのか、花はしおれることなく綺麗に咲いていた。


 窓の外を眺めた。曇りひとつない清々しいほどの青空が広がっていた。窓はしまっている。


 胸のあたりを包帯でぐるぐる巻きにされている。きつく締め付けられているために随分と苦しい。かといって、緩めれば怒られそうだった。ああ、頭にも巻いてある。


 腕には点滴が刺してあって、腕を動かすと、妙な感覚が襲ってくる。


 ぼうっと、ぼうっとしていた。自分でも何が起こっているのか理解するのに時間がかかった。御堂修吾と術比べをしたあの日のことを私は曖昧に記憶している。差し迫った状況で何を考えればいいのかわからなかったけれど、無我夢中で動いた結果はそう悪くないものだと思っていた。


「太白、いるの?」


 私はふと声をかけてみた。返事はなかった。太白が出てきてくれるわけでもなかった。


 私はため息をついて、ぼんやりとそのまま窓の外を眺めた。


 壁にかかっていた時計を見ると、既に二時を回っていた。いつの二時なのかわからないけれど、あの日の次の日だったとしても私は随分と眠っていたようだった。


 しばらくそのまま待っていると、母が手にジュースを持ってやってきた。その他に荷物を持っていないようなので、戻ってきたという方が正しかったかもしれない。よく見れば、棚の近くに母のカバンらしきものが置いてあった。


「お母さん」


 私はそう口にした。身体を起こした私の姿を見て、母は安堵した。彼女は何も言わず私をギュッと抱きしめた。


「痛いよ、お母さん」


 母に抱きつかれて私は痛かった。痛かった。久しぶりに感じたことのような気がする。懐かしく温かい。


「とても心配したのよ。急にいなくなったと思ったら数時間したらボロボロになって家の前に倒れ込んでいるんだもの。梨穂ちゃんも一緒でびっくりしたけれど、私はそれよりあなたのことが心配だったわ」


 頼んでもいないのに母はその日のことを話し始めた。感極まった思いを吐き出しているのかもしれない。それほどに私は母に心配をかけてしまったようだ。


 私は少し胸が痛くなった。


 母がそのまま抱きしめていると、部屋に誰か入ってきた。スーツ姿の人が二人。どちらも父くらいの年齢の男の人だった。


「大事な時間を引き裂いてしまって、申し訳ありません」


 不躾であることを理解しながら、男たちは母に断りを入れた。

 母はそれに気がついて私から離れると、二人に一礼した。


「娘さんに何か説明はしましたか」


 母は首を横に振った。二人は私に用があるらしかった。二人の視線が私に向く。


「どうも、申し遅れました。兵藤と申します。こちらは島崎。我々は娘さんのお父上の部下にあたります。今回は娘さんにお話があって伺いました」


 丁寧な挨拶に礼を失するわけにもいかないので、私も軽く頭を下げた。兵藤という人は眉が綺麗に伸びた、所謂眉目秀麗な人物で鼻筋がすっきりとしていた。けれど年齢のせいか、目元あたりのシワが目立った。


 島崎という人物は隣にいる兵藤という人と比べると見劣りはするものの、頑強そうな肉体を持っていた。スーツがパンパンに膨らんでいる。


「今回ご学友が誘拐された事件について我々は聴取をしなければなりません。意識を戻して時間が浅いようですが、付き合っていただけますでしょうか」


「…はい」私は小さく頷いた。


 勿論、事件の全容について話をすることになった。二人の話から事件が起こってから数日といったところらしい。随分と私は眠っていたようだ。


 私は太白のことを隠しながら式神を用いて彼女を探したと伝えた。太白自体も守護霊であるので、嘘をつくのにさほど苦労はかからなかった。ただ、太白を省いて話を総括するとやや不自然な点があることにも気がついた。意識が混濁していると曖昧に言葉を濁して何とかその場はやり過ごした。


 話をしている間、二人はメモを取って私の話を記録していた。一言一句聞き漏らさずということはないだろうけれど、おおよそのことはメモしているだろうから、私自身、嘘の内容をある程度は把握する必要があった。


 私が全ての話をし終えたあと、二人はしばらく黙り込んでいた。何か、唖然としている様子だった。私が何かおかしなことを言ったのだろうか。そういえば、御堂修吾も私の何かを見て同じような顔をしていたような気がする。


「そうか、いや、ありがとう。御堂修吾に関しては陰陽師の管轄内で厳重な処罰を受けているはずだから心配しなくていい。何か聞きたいことはあるかな?」


 島崎という人が尋ねた。兵藤という人とは異なり、随分と砕けた口調で私に話しかけた。


「あの、梨穂ちゃん、えっと、誘拐された女の子はどうなりましたか?」


「ああ、大丈夫だ。陰陽師に関する記憶も持っていないようだったので、既に親御さんのもとに帰しているよ」


 私はホッと胸をなでおろした。彼女のことが一番心配だった。彼女の安全が確認できただけでもこの聴取は価値のあるものだと思った。


 それにしても陰陽師の管轄内で厳重な処罰をしたということはやはり、今回の事件は表沙汰にはなっていないのだろうか。


「あの、そういえば御堂君は確かアリバイがあって、犯人からは外されたと聞いていたんですが」


「ああ、そのことですか。まあ、彼もそのことに関しては口を割っていません。まあそれでも犯行に関しては容疑を認めていますし、現場にいたという証拠が山とありますからとりあえず彼だけを捕まえているというのが現状です。彼に協力したかもしれない人はあとで捕まえる方針でいます」


 協力者。つまりは犯行における共犯者。確かに彼以外に協力者がいるとすれば確かに彼のアリバイが成立する。共犯者をバラそうとしないのは彼にとって共犯者が大事な人物だからだろうか。


 いや、そんなことはこの人たちもとっくに考えているはずだ。親類縁者を片っ端から調べていけばいずれ犯人は見つかる。それでも見つからないということは協力者は親類縁者ではない、何かしらの関係を持っている人だということだ。


 彼の友人や色恋沙汰に興味はなかったし、ましてや陰陽師である友人を持っているなどという話は更に聞かなかった。そこまでくれば私の持っている情報の範疇を遥かに超えている。私はそこまで考えてから、これ以上詮索しても新しい発見はないと判断した。


「あの、えっと、もう大丈夫です」


「そうか、ありがとう。それで、何度も質問するようで悪いんだが、今度は君自身について聞きたいことがあるんだ」


 島崎という人は柔らかい笑みを浮かべて私に言った。それに釣られて母も神妙な顔を浮かべている。


 多分、陰陽師の人たちが一番聞きたいことがこれ何だろう。私は息を飲んで彼らを見つめた。島崎という人の浮かべる笑みがとても怖いものに感じられた。


「娘さん。あなたの外傷は頭部と、そして胸部から背中にかけて突き刺されたことによるものが挙げられます。しかし、あなたの治療を担当しました医師の話を伺うと、胸部を貫いたはずの何かは心臓だけ一切の傷を負わせることなく、あなたの身体を貫きました。そして、あなたの外傷では常人であれば確実に気絶またはショック死してもおかしくない程度の損傷をしています。にも関わらず、あなたは自身の式神を用いて独力でご自宅までたどり着いた。その点について何か覚えていることはありますか?」


「あのえっと…」


 あまりにも膨大な情報を手渡され、何からどう答えればいいかわからなかった。


「兵藤、聞きすぎだ。一度にそんな聞いても頭ん中こんがらがるだけだ」

 島崎という人が兵藤という人の肩を叩いた。


「あの、娘は何か問題があったのでしょうか」

 私でなく母が二人に尋ねた。


「違います。問題がなかったことの方がある意味問題なのです」


「意味がよくわかりません。私の娘が異常ということでしょうか」


「まあ、陰陽師目線で見ても彼女は異端と言うべきですかね」


 兵藤という人の言葉に母は呆然としていた。無理もない。出来損ないと言われ続けてきた娘が突然異端だと言われればそんな顔の一つや二つすることもあるだろう。

私自身驚いているのだ。自分が異端だと言われたことに。


「待ってください。この子、父からずっと陰陽道の才能がないと言われてきたんですよ。それが今回に限って異端だなんて、何かの間違いです」


 母は現実を受け止めきれないでいた。というより、状況が飲み込めないようだった。やはり、私が普通の陰陽師と違うことに違和感があるらしかった。自分のことを平凡な人間と考えていた私も彼らの言葉を簡単には信じられなかった。


「どうだい、何かわかるかい?」

 島崎という人はあくまでも自分の姿勢を崩さず、平坦を装って私に尋ねた。彼のように表情を強ばらせることなく、聞いてくる人間の方が胸中で何を考えているかわからないから怖かった。


「そう言われましても、私にはわからないことが多すぎて」


 兎に角、誤魔化すしかなかった。陰陽師の人たちは私を疑っている。おそらく話だけ聞くと、一番おかしいのは無傷なまま胸の中に収められていた心臓。そして、胸と頭の痛みがあったにも関わらず、意識を保ったまま家にたどり着いたこと。その二点だ。


 私は自分の経験したことがそこまで不可思議であったことに今になって気がついた。だからこそ、彼らに対して何を言うべきか迷ってもいた。


 正直に話せば太白のことを話さざるを得なくなる。それは飲み込めない相談だった。とすると、何かもっともらしい嘘をつかなければならないのだけど、嘘の苦手な私にはこれ以上大人を騙せる自信は存在していなかった。


「例えば、君は帰るときには意識を保っていたんだよね。その間、何か特別な何かを感じたりはしなかったかな」


「わかりません。無我夢中で梨穂ちゃんを、友人を救おうとしただけです」


 となれば、嘘をつけない部分はわからないで、隠し通すしかなかった。正直、私自身ですら、にわかには信じ難い。


「そうかい。それじゃ、思い出したくない話かもしれないけど、御堂修吾に胸を突き刺されたときはどうだった。胸を突き刺された感触とかはあったかな」


「ありました。時間がゆっくり流れるみたいで、何だかおかしかったです」


「そうか、刺されたときはどんな感じだった」


 島崎という人は柔和な感じを匂わせているけれど、着実に確実に私から情報を搾取しようとしていた。質実剛健といった感じの顔からは想像もつかないほど食わせ者な気がする。


「どんな感じ…。いえ、そこからはよく覚えていません」


「そうか、肝心なところの記憶は欠けているわけか」

 私の心を抉りに来るようなセリフを吐いた。私が何かを隠していることをこの人は感づいているらしい。大人って怖いなあ。


 それから何度か似たような質問をされてから二人の陰陽師は帰っていった。私も母も彼らが帰るのを見るにつけて、大きなため息を漏らした。


「晴ちゃん、大丈夫。お母さんがあなたを守ってあげるから、何も心配しなくていいのよ」

 母は再び私を抱きしめて、そう呟いた。母の手は少し震えていた。何におびえているのか私にはわからなかった。


「ありがとう、お母さん。でも、大丈夫。私もう高校生だし」


 陰陽師のみんなには怪しまれはしたけれど、私がこれから穏便に過ごしていけばなんの問題もなくいつもの日常が過ぎるものだと、私は楽観的なことを考えていた。


「それにしても、晴ちゃんが異端だなんて、あの人たちどうかしてるわ」


 私への言葉から彼らへの愚痴に変わった。母は腹を立てながら窓を開けて、部屋に風を送り込む。少し冷たい風が部屋に流れ込んできて、さっきまでの嫌な雰囲気を消し飛ばしてくれるような爽快感を漂わせた。


 今度学校に行けるようになるのはいつかな。私はそんなことを考えながら、病院のベッドで横になった。

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