第17話

 大木の一つを切り落として、その切り株を腰掛けにしていた。火を焚いて、退屈そうに座り込んでいた。


 切り落とした大木をさらに切り取って、台座のような大きな木が彼の近くにあって、その上に、誰かが寝かせられていた。あれは多分、梨穂ちゃんだった。私はそれを確認すると、近くにどんな罠が仕掛けられているかも考えずに彼の方に駆け込んでいった。


「ようやく来たか。まあ、来ないなら来ないで良かったんだがな」


 開口一番、彼の言葉はひどく醜く、聞くに耐えなかった。彼が何をもってしてこの誘拐を企んだかわかってしまうからだ。


 もっと別の理由があるんじゃないかと思いたかった。


「私を貶めたいなら私だけを狙って。梨穂ちゃんは関係ないじゃない」


「それはできない相談だ。そこの女は俺を馬鹿にした。こうなるのは当然の報いだ」


 歪んでいる。彼の考え方は明らかに歪んでいた。


「それじゃあ、何をすれば梨穂ちゃんを解放してくれるの?」


 戦っても勝てない相手と戦うことに意味はない。太白が彼の前に姿を現せない以上、私は彼以外のお呼び出しで戦いに臨まなければならない。そんな勝ち目の薄い勝負事に梨穂ちゃんの安全を賭けるわけにはいかなかった。


「お前が俺との戦いに勝てたら、解放してやってもいい。まあ、そんなことは一生ありえねえけどな」


 御堂修吾は顔を歪ませている。苦痛からではなく、異常な快楽心からくるものらしかった。


「梨穂ちゃんを解放する気はないの?」


「ああ、ねえな。お前も、そこの女も俺を馬鹿にしやがった。全く権威を持った陰陽師の娘がそんなに大層なものなのか疑問だよ。全く、どいつもこいつも、結局は権威の御子息が一番重要なんだからな」


 彼の怒りの矛先はわけがわからなかった。同情もできない。納得もできない。ひどく滑稽で、ひどく無作法で、ひどく稚拙な行動だった。


 彼の行動理念はただ一つ、自分を認めなかったものに対する憤り。私にしても梨穂ちゃんにしてもそうだ。彼のことを否定した。私たちにそんな意識はなかった。けれど、そんなことは今関係ない。今重要なのは、彼が怒りに満ち溢れているという事実だ。


「どうして私がここに来るとわかったの?」


「最初に言っただろ。別にお前が来ようが来まいが俺にはどうでも良かった。来なければ来ないで、この女がお前に騙されたと真に理解するだけだ。まあ、来たら来たで、お前の滑稽な姿を目の当たりにさせるだけだがな」


 彼の言葉ひとつひとつが癇に障る。彼にものを尋ねることそのものが間違いであるかのような認識をさせられる。


 戦い以外の選択肢が既に失われている。未熟な私にできるのは彼と戦って負けるだけなのだろうか。でも、私が負ければこの人は梨穂ちゃんを解放することはない。彼は自分に対して容疑をかけられることはない。その絶対の自信は彼に何をさせるかわかったものではない。


「御託はいい。さっさと始めろ。サービスだ。お前から攻撃することを許してやるよ」


 彼は手を広げ隙だらけの構えを取った。そんなことをされても、私にはかれに何をすればいいのかわからない。


 私ができることといえばお呼び出しくらいのもの。そして、太白はおそらく出てきてはくれない。陰陽師との戦いで彼は極力姿を晒したくないはずだ。


 それに、太白に頼りたくなかった。私の意地。私が梨穂ちゃんを救いたい。


 財布の中からレシートが見つかる。一、二、三…。全部で十二枚だろうか。随分と無駄な紙が多い。今度から財布の中を誠意しないとダメだなと思いつつ、そのレシートを全て取り出す。何枚かはそのままにして何枚かは直接ポケットに入れる。


 術比べ、単純な技の掛け合いではない。人の命が関わっている。真剣に且つ、冷静に。


 私は右の親指の爪を噛んで、そこから僅かに出血させる。レシートにその血をなぞり、猫の文字を書いてみる。そして、強く念じる。


 紙を放り投げると紙は姿を変えて、猫になった。今までに呼び出した猫よりも少し大きい気がする。でも、太白よりは小さい。


 触媒が違うからだろうか。私は考えたけれど、今は後回しにすることにした。


 イチかバチか。私は、猫を走らせ、同時に自分も駆ける。


 猫は御堂修吾に向かって駆けていき、私は彼の方に向かいながら僅かに軌跡を逸していく。彼は余裕そうに身構えたまま動かない。猫一匹の攻撃など取るに足らないと思っているのだろう。


 私は梨穂ちゃんの方に向かった。台座のような大木に乗せられた梨穂ちゃんは意識を失っているのか、眠ったまま動かない。


 術をかけられているのかもしれない。言霊の不得手な私にはどんな術があるのか知らないけれど、そういったものもあるだろうくらいにしか今は考えられなかった。


 梨穂ちゃんを抱き起こして動かない身体を背負う。彼の方を見つめると、御堂修吾はにやりと笑って飛びついた猫を既に払っていた。


 口元に手を当てて、彼は何かつぶやいている。まずい。


 遅かった。彼は唱え終えて、手を一度振り払う。


 火の車。そう言ってもいいくらいに周囲は火に囲まれた。円形に。私たちを完全に包み込んだ。周囲の火で私たちの視界は明るくなった。その時になって初めて、御堂修吾が制服を着たままであったことを知った。


「残念だったなあ。お前の考えそうなことなんざお見通しなんだよ。それにしても、勝負もせずに逃げる算段を立てるとは本当に卑怯者だ」


 どの口が卑怯者と言うのか。


 周りには火の手が広がり、徐々に空気を熱していく。私はズボンの後ろのポケットに入れていたペットボトルを取り出して、もう一つ、持っていたハンカチを湿らせた。中に入っていたのはスポーツ飲料だったので、別段問題はないだろう。


 彼女を台座の上に戻してから、私は梨穂ちゃんの口元にそのハンカチをあてた。もし彼女が意識を取り戻した時に、私をおいてでも逃げられるようにするためだった。もっとも、その望みは薄いけれど。


「どうして、どうしてこんなことをするの?」


「お前には結局、俺の行動がこんなことでしかないんだろ。理解できるはずがねえ」


 理解なんかできるはずもない。


 帽子を深く被り直し、私は彼の方に向かった。


 もう一枚。私は猫と書いて、お呼び出しをする。


「ふん、言霊は使えないくせに式神は使えるわけか。厭味な女だ」


 私の全てが憎らしいのか。私のせいで梨穂ちゃんはこんな目にあっているのか。雑念がよぎるけれど、私は頭を振って目の前に集中し直した。


 もう一枚、私の手元の猫は二匹になった。今度は前後から彼に攻撃をさせる。残りは九枚。あまり無駄遣いはできない。


 彼が言霊を用いて二匹の猫を退けるのを確認した。彼を纏う炎が二匹の猫を灰にした。燃え盛る猫から出る灰は本当に紙切れ一枚ほどの灰だけだった。


「ふざけているのか。まあ、権威の娘がこの程度なわけねえよなあ」


 彼は私を煽る。それとも彼は口にすることで自分の不安をそいでいるのだろうか。


「お前の力がこの程度なら本当に笑いものだ。そろそろ、こっちから行かせてもらうぜ」


 彼がこちらに近づく。走りながら言霊を扱っているようだ。彼の周囲に炎の渦ができる。その渦から火の玉が飛び出す。人間の頭ほどの大きさがあっただろうか。私は飛び退いてその玉を躱す。


 とは言っても、近づく彼に私は距離を取ることしかできない。彼を取り巻く炎は彼を守る鎧となって尚且つ、私を彼に近づけさせない攻撃の手段にもなっていた。


 けれど、彼の方も長い時間その炎の鎧を纏っているわけにもいかなかったらしい。彼はすぐにその炎を解いてしまった。自分の近くに炎を近づけるという行為自体、ある意味で諸刃の剣なのかもしれない。


 私の勝機は彼の言霊が解除されてから、もう一度詠唱されるまでの時間間隔の中で猫の鉄槌を食らわせることらしい。けれど、彼の方も私に攻撃の手を加えるか、私が反撃の攻勢にでない限り、あの炎を垣間見ることすら適わない。


 それに、彼の攻撃手段は別に炎だけに限らない。彼の手の内で最も効果的な手段を選んでいるだけなのだろう。つまり、自分が不利になるとわかれば、すぐにでも手段を変えてしまうだろう。


 要するに、私は彼に有利だと見せつつ、一瞬の隙をついて尚且つ一撃で御堂修吾を気絶させなければならない。神様はなんて難しい相談を私に持ちかけるのだろう。


「何を黙ってそこに立っていやがる。なんだ、今更怖気づいたのか」


 彼はまだ余裕そうに身構えている。私の攻撃など取るに足らないものらしい。まだ大丈夫。彼は攻撃の手段を変えはしない。


 彼はもう一度その身に炎を纏う。私はもう一度彼と距離をとる。けれど、その際、彼が梨穂ちゃんに近づかないように注意を払った。彼女の方に彼が向かえば、私になすすべはない。


 額から流れ出る汗を手で拭う。ジャージでは吸湿性に欠けているので、手でなんとかする他なかった。


 息を飲んで彼を見つめる。先のように火の玉が放たれる。私の跳躍は自慢じゃないが人並み以下。運動もそこまで得意ではない。従って二度も火の玉を避け切れる訳もない。火の玉に直接は当たらないものの、地面にぶつかった火の玉が弾け、その散弾が私の背中に当たる。私は当たった衝撃でその場に崩れ落ちた。


 背中に衝撃が走る。跳弾だというのに、勢いはそのまま消えていなかった。思ったより痛みはない。


 幸い、背中を確認しても背中が燃え広がっているわけではなかった。ジャージの材質が成せる技かも知れない。


「ネズミみたいにちょろちょろと。逃げるしか脳がねえのか」


 まだだ。彼は油断している。そしてまだ、彼の炎の鎧は彼にとどまったままだ。それに距離も遠い。私の反撃の手は届かない。


 私はうずくまった身体に鞭打って叩き起こす。


 走る。近づく。彼から放たれる火の玉をギリギリのところで躱していく。いや、正確には私の見当違いなところに火の玉が飛んでくるのだ。近づいてくる恐怖は彼にもあるらしかった。


 走りながら私はポケットから紙を取り出し、手探りのまま猫の字を書こうとする。焦りと動揺からか、猫という字を書くのが本当に困難なことだと思ってしまった。仕方ない。私はカタカナでネコと書いた。思えばそちらのほうが余計な手間が省けて書きやすいじゃないか。そんなことに今更ながら気づかされる。


 強く念じる。真剣な思いからか通じるのが早い。紙はすぐにネコの姿に変わった。ネコに飛びつかせた。けれど、火の鎧を纏う彼に容易くあしらわれ、即座に灰燼に帰すことになった。


 まだ。


 私は続けざまにネコの式神を呼び出す。一、二、三…。五枚同時にネコを呼び出し、同時に襲いかからせる。残りは三枚。


 纏う炎が少なくなっている。五匹のうちの一匹が彼の右腕に噛み付いた。


「ああああ、くそ。カスみてえな攻撃ばかりしやがって」


 明らかに苛立っている。彼が冷静さを失いすぎてはいけない。彼が卑怯な手段を使い過ぎない程度。そのギリギリのラインを見極めなければ勝機は見えない。冷静に。冷静に。


 私は感覚を研ぎ澄ます。


 一匹、また一匹と。彼の炎にネコはかき消される。表に出ているのは二匹。今になってみれば一番に呼び出した猫よりも、今表に出ているネコの方が若干小さい気がする。触媒が小さいのか、それとも…。それでも、普通の猫よりは十分に大きいネコだった。


 炎の中に紛れる彼の右腕には噛み付いた跡があった。制服の袖は引き裂かれ、むき出しになった腕からは血がこぼれている。とても痛々しそうだった。


「あああ、お前なんかが俺に傷をつけていいわけがねえ」


 まだ。


 頃合を見計らう。彼の鎧は消えつつあるが、それでも消えてはいない。口元を手で隠す余裕さえもないらしい。右腕の傷は案外痛いようだ。


 二匹のネコを彼の視界の外に動かしながら、彼の動揺を誘う。その間に、更に二枚。私は「猫」の文字を大きくはっきりと書いて、投げる。


 大きさが違う。大きさだけで言えば太白よりもその猫は大きかった。四肢は太く強靭。巨躯をゆっくりと動かして二匹の黒い猫は御堂修吾に近づく。

私もこんなに大きな猫を呼び出せるとは思いもよらなかった。いや、猫というよりも虎やライオンの類に比類する大きさだ。


「なんだこいつらは。今までと大きさが違うじゃねえか」


 流石の彼も焦りを表に出せずにはいられなかった。血相を変えた顔が彼の顔から確認できた。彼は一度距離をとって膝をつく。口元に手を当てて、つぶやいている。


「打チ払ヒ給ヘ。打チ払ヒ給ヘ。我ガ名御堂修吾ニ取リ付ク悪鬼、英霊ノ類ヨ。目前ニ構ヘル怨霊、畜生ノ造物ヲ、永遠ナル眠リニツカセ給ヘ」


 初めて彼の言霊をはっきり聞いた気がした。大きく、祈るように口にする彼の言霊は彼の精神によらず、曇りのない鮮やかな言霊だった。透き通るような音声が奏でるように鳴り響くと、彼の周りに変化が生じ始めた。


 彼を取り巻く炎の鎧が赤い灼熱の色から淡く青い光に変貌していく。神秘的だ。霊魂のような光が彼を覆い、ぐわんぐわんと巻きついてゆく。


 二匹の猫が彼に飛びかかる。大木のような後ろ脚をしならせて二匹の猫は大きく跳躍した。


「消えろおおおおおおお」


 両の手を身体の前に出して、その手を猫二匹に向ける。


 刹那。


 彼の両手から大きな光が打ち出される。無数の光の矢のようなものが彼の手から放たれ、二匹の猫を貫く。


 二匹の猫は叫び声をあげて闇に消えた。敵ながら凄まじいものだと思った。私には手を抜いていたのだろうか。それとも、火事場の成せる技なのか。


 彼の一撃を見た直後、私の額から何か流れ落ちる感覚があった。


 私は額に触れ、流れ落ちる何かを確認する。赤い液体。私の血だ。そうだ。これは私の血だ。


 呪詛返し。聞いたことがあった。私が呼び出した式神の強さが強ければ強いほど、破られた時、自分にかかる反動も大きい。


 つまり、私は消し飛ばされてしまった大きな猫の対価として傷ついてしまったということだ。不思議と痛みはない。アドレナリンが過剰に分泌しているだろうか。でも、考えるのは後だ。


 彼が息を切らし、額に汗を溜め込んで彼は立ち上がった。


「ふざけんじゃねえ、ふざけんじゃねえぞ」


 静かに肩を震わせ、彼は拳を強く前に突き出す。


「てめえ、あれは明らかに種類が違う。普通の式神なんかじゃねえ。お前、本当に言霊の権威の娘か」


 御堂修吾は何かに驚いていた。私の実力に何か思うところがあったのだろうか。今までのどこか見下すような視線とは何か様子が違うような気がしていた。


「何を言っているの?今そんなこと関係ないじゃない」


「……、本気で言っているのか?まあいい。倒したあとで聞き出せばいい話だ」

 彼の話は何だか要領を得ない。


 憔悴しきった顔が彼の余裕のなさを物語っていた。


 今ならチャンスかも知れない。私たちの周囲を囲っている炎の壁は最初のときよりも小さくなっている。彼の精神的なものと炎の大きさはリンクしているようだった。私はチラリと梨穂ちゃんの方に目をやった。


 梨穂ちゃんは変わらない様子だった。いける…、だろうか。私の手持ちの紙も最早あと一枚。逃げるにしても、彼を倒すにしてもチャンスはそんなにない。


 私は決めなければならない。覚悟を、選択を。

最後の一枚。私はその紙を取り出して、額から流れ落ちるその血で字を書く。猫。確かに書いた。


 私は髪を地面にゆっくりとおいて、強く念じる。呼び出された大きな猫。人を背負ってもどうにかなりそうなほどの巨躯。これならば…。私は確信した。


 御堂修吾を睨みつける。新品同様だったはずの彼の制服は見る影もない。片袖は完全に失い、下に着ていたワイシャツもビリビリに破れ、赤に染まっていた。


「なんだその目は。まるで化け物みてえだな」


 彼は私を一瞥する。彼は最後まで強情な人間だ。敬意すら評したくなるほど強情だ。

 大きな猫の頭を撫でて「ありがとう」と、小さく呟いた。


 猫は後ろ脚で地面を強く蹴り出した。大きな猫は御堂修吾という男を大きく飛び越えて、梨穂ちゃんの方に向かった。音もなく着地して、そのまま彼女を口に咥え、闇の中に消えた。


 あの猫には私の家に連れて行くよう指示を送った。なんだかんだで、私の家が一番安全だと判断したからだった。


「てめえ、ここまできてそれか。だが、なんでだ。あれほど巨大な猫なら、お前も連れていけたはずだが」


 彼女と猫を追う気力もない御堂修吾は私に対して疑問を呈した。


「あなたの目的は私。ここで逃げてもあなたは私を狙い続ける。あなたとの決着をつけない限り、梨穂ちゃんや光ちゃんは解放されない」


 決着をつかなければならないとは言ったものの、私にできることはない。紙は尽きてしまった。太白を呼べば出てきたりしてくれないかな、と、思ったけれど、彼に迷惑をかけるわけにもいかないと思い直した。


 私はそのまま立ち尽くして、ただ彼を見つめていた。


「お前、わかってんじゃねえか。そうだ。俺はお前との決着をつかない限り、諦めることはない。俺の実力を見せつけなければ、俺の陰陽道における地位は確かなものにならない」


「あなた、そんなことのために梨穂ちゃんを誘拐したの?」


 私の言葉に彼は呆れるような視線を送った。


「お前のその態度がムカつくんだ。お前は地位を確約されている。だが、俺の父親にそこまでの権威は存在しない。未来があらかじめ定まっているお前に俺の気持ちなどわかるはずもないだろ」


「でも、こんな乱暴な手段に出なくたって」


「お前の、お前の父親は正式な術比べを断った。それは俺の父親も言っていたことだ。だから、正当な戦いで決着をつけることは不可能だと悟った。この手しかない。俺にはこの手しかなかった」


 御堂修吾は力強く語った。彼の権威に対する強い執着が読み取れた。


 私の父が正式な術比べを断ったのはあくまでも保身のためだ。術比べをすれば、困るのは父だ。私を大事に思ったからではない。


 確かに彼の言い分は理解できた。けれど、私は彼を許さない。私だけでなく、私の友人を危険な目に遭わせた。それを許すわけにはいかなかった。


「あなたは、梨穂ちゃんに危害を加えた。それを許すわけにはいかない」


「お前に許される必要がどこにある。関係ないな。俺は誰にも咎められない。俺のアリバイは完全なわけだからな」


 そこだ。私は気になっていた。彼が明らかに犯人であるにも関わらず、彼のアリバイは完璧だった。式神を使えば事足りるかもしれないけれど、彼が今まで式神を用いているのを見たことがない。


 たまたま彼が式神を使わなかったということなら話は済むけれど、彼には式神を扱う習慣そのものがないような気がした。


 言霊を扱うにしても、最低限、梨穂ちゃんがそれを聞いていなければいけなかった。けれど、それをすると彼のアリバイは破綻する。


「あなた、一体どうやって梨穂ちゃんを誘拐したの?」


「お前に教える必要性はないな」


 らちがあかない。真実を手に入れるためには彼の口を叩き割る他にないみたいだけれど、私にはそれをすることはできないだろう。私に出来ることはもうないのだから。


 だらりと手をぶら下げて私は脱力した。考えてはいる。何か出来ることはないか探している。でも、わからない。見つからない。


 御堂修吾はゆっくりと近づく。私が油断を装っているのだと思っているらしい。十分以上の警戒をしながら近づく。口元を隠しつつ、ゆっくり、ゆっくりと。刻一刻と時が刻まれ、それと同時に私の命の脈動が失われていくような気がした。


 なぜだろう。私は今、自分の中で思った言葉に疑問を呈した。


 脈動。そうだ。脈動だ。


 私はその言葉に小さな疑問を抱いたのだ。私は胸のあたりに手を当てた。そして私は確信してしまった。


 御堂修吾が私の前に立つ。左手に何か鋭いものが握られていた。ある程度の距離を保ったまま、彼はその鋭いものを高く掲げ、矛先を私に向ける。


「貫キ給ヘ、貫キ給ヘ。御身、我ヲ守護スル霊魂ノ類デ在ルナラバ、陰陽ノ理ヲ逸脱セシ者ヲ貫キ給ヘ。我ニ宿リシ、英知ト屈強ヲ備ヘ持ツ者ヨ。我ヲ阻ム悪鬼ヲ打チ払ヘ」


 そして、放たれた。


 確実に、確実にその鋒は私の胸を貫いた。貫かれる瞬間の感覚は確かにあった。硬い何かが背中ら突き出される感覚。胸から流れ落ちる赤い液体。


 けれど、今の私は人間なら誰しも持ちうる何かが欠落していた。空洞を貫かれるような違和感。私は地にもたれかかっていた。


 もしかしたら、これで死んでしまうかもしれないのに、私は随分と落ち着いているような気がした。何だか、自分を客観視しているような、そんな気にさせられる。


 彼、御堂修吾は私が躱すと踏んでいたのだろう。予想外の事実に表情を曇らせ、歪ませる。何が起こっているのかわからない様子だった。彼の姿を私の虚空の眼から僅かに見ることができた。


 彼は膝をついたまま動かなくなってしまった。目は虚ろ。混沌がうずまき、何もできなさそうだった。彼の目から私はどのように映っているのだろうか。少し気になった。


 ふと、深淵に包まれた闇の中で視界が白に染まる。私の指に触れる冷たい感覚はどこかで感じたことのあるものだった。私の目の前に何かが立っている。


「たいは…く?」

 私の直感は当たるのだ。


「帰るぞ、晴。意識を保っていろ。でなければ、お前の式神は消える」

 そんな、急に帰ると言われても。彼は白銀の身体をなびかせて私の前に立っていた。


「うん」


 色々言いたいことはあったけれど、私はそれしか言えなかった。


「胸に突き刺さっているものが邪魔だな」

 太白はそう言って私の胸元に顔を近づけると、私を貫く何かを噛み砕いた。私の背中側にも回って先の方を同じように砕いた。


「これで良い。引き抜くと、流れ出る血を抑えられんからな」


 私は胴のあたりを太白に咥えられ、手足が宙ぶらりんの状態になった。


 周囲の火は既に消えていた。いや、思えば太白がやってきた時には既に消えていたのか。とすると…。


 私は先程御堂修吾がいたあたりに目をやった。彼はそこで地に伏していた。自らの力を使い切ったのだろうか。それとも、私を咥えている太白がそうさせたのだろうか。でも、どっちだっていい。彼との勝負は決した。私は負け、彼は満足しただろう。それでいい。


 私は太白にいいと言われるまで意識を何とか保ち、彼の言葉を聞いて死んだように眠った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る