第15話
それからまた数日たったある日のこと。学校での日常に変化が起こった。私がその光景を目にしたのは、朝、学校にきたときのことだった。
クラスに人だかりができている。アトラクションを待つみたいに列をなしているんじゃなくて、何かを見ているときのように群がっているという感じだった。私はクラスに入る雰囲気を見せながら、光ちゃんとともにその野次馬の中に入っていった。
誰かが誰かの胸ぐらをつかんでいる。物騒なことが起きているな、と、他人事でいられたのはその光景を見た一瞬だけだった。
胸ぐらをつかんでいる人物、つかまれている人物、どちらも私の知っている人物だった。
梨穂ちゃんと御堂君。つかんでいるのが梨穂やちゃんで、つかまれているのが御堂君だった。
「えっ、ちょっ、何?何やってんの梨穂は」
光ちゃんも焦っていた。無論私もだ。梨穂ちゃんは眉間にシワを寄せて、本気で怒っているようだった。一方の御堂くんは相変わらず、冷めた目つきをして上から梨穂ちゃんを見下ろしている。
周囲の子達は止めに入らなかったのだろうか。私はそんな疑問を呈さずにはいられなかったけれど、梨穂ちゃんのドスの効いた顔がその中に入ることを拒ませていた。確かにこれは入りづらい雰囲気かも知れない。
私と光ちゃんは群がる周囲を押しのけて二人のところにたどり着いた。
「どうしたの?梨穂ちゃん」
私はワイシャツを捻りながら掴んで離さない梨穂ちゃんの手をそっと握って尋ねてみた。
「ああ、晴か。何でもない。こいつが気に食わないだけ。こんな胸糞悪いのは初めてだよ」
それはなんでもあるような気がするけれど。今まで御堂君に関心すら寄せていなかった梨穂ちゃんがどうしてこんなにも激高しているのかよくわからない。御堂君がそれだけのことをしでかしたのだろうか。
「俺は君のためを思って言ったまでだ。それと、お前。俺にその手を近づけるな」
御堂くんはあくまで冷静だったけれど、怒りの矛先を向けているとすれば寧ろ私の方に向けていた。あれえ。もしかして私、そんな悪いことしたのかな。
私は手を離して、二歩、三歩くらい退いた。
「梨穂、何で怒ってんのかは知らないけどさ、もう少ししたらチャイム鳴るからその手を離したほうがいいよ」
光ちゃんがそう言って梨穂ちゃんを諭すと、彼女の言葉通り、チャイムが鳴った。梨穂ちゃんは「ふん」と言って手を離し、私たちにも何も言わずに席に着いた。御堂君は襟元を正すと、そのまま私を睨みつけながら席に着いた。
二人が何に関して怒っているのかわからないけれど、もしかしたら、いや、もしかしなくても私のことで怒っているのかもしれないと、そんな気はしていた。
昼休みになって三人でお弁当を広げようとした時も、梨穂ちゃんは不機嫌そうにしていた。私も光ちゃんも朝のことについて聞くことはできず、別な話題に興じるフリをした。梨穂ちゃんは「ああ」とか「うん」とか、曖昧に相槌を打つけれど、話を聞いているようには思えなかった。彼女が何で怒っていたのか聞いてみたい気もしていた。でも、梨穂ちゃんが話す気になれないことを無理に聞き出そうとはしなかった。
私はそのまま、梨穂ちゃんがどうして怒っていたのかわからないままに、昼休みを終え、HRの時間を越えた。
放課後になって私はいつものように猫さんでも呼び出そうと思ったけれど、心ここにあらずといった感じで、集中できなかった。
彼女のことが気にかかっていた。クラスのみんなは御堂君の人気のせいか、梨穂ちゃんを悪者扱いしていた。事情もよくわかっていないのに、どうして梨穂ちゃんを悪者にできるんだろう。御堂君も梨穂ちゃんも、朝のことについて何も言わないので、事件は尾ひれがつくばかり。肯定も否定も弁解も釈明も、二人は何もしなかった。
太白なら何かわかるのかな。私がそう思ったときには既に彼を呼び出していた。一応、周囲に誰もいないことを確認したけれど、多分、そこまで注意を払って確認したわけじゃないと思う。
「晴。心が乱れているな。自身のことでは悩まぬ割に人のこととなると別次元のようだ」
太白は既に実情を知っているかのような口ぶりだった。
「あの二人のこと見てた?何か知っているなら教えて」
太白なら何か知っているかもしれない。私は焦っていた。
「見てはおらぬ。だが、聞いていた」
「ほんと?二人は何で喧嘩していたの?もしかして私のこと?」
「急くな。急いても変わらぬ。晴、まずは深く息を吸え」
私は言われるがまま、深呼吸した。
「それで良い。率直に言えば、お前のことが関係している。陰陽師の小僧が例の女に忠告を入れたのだ」
「梨穂ちゃんに?いきなり?」
今まで話しかけた雰囲気すら感じられなかったのに。どうしてまたそんなことになっているのだろう。
「ふむ、突然だ。その前にどんな予備動作があったのか、我は見ておらぬから分からぬが、声をかけたのは小僧からだ」
「御堂君が何でそんなことを」
「さあな。奴の小物ぶりは知る価値もない。だが、奴はお前に近づくなと忠告を入れたようだ」
私に近づくな、という言葉で何だか全てを理解してしまった気がした。私から友人を奪おうとしている。そんな予感がした。私の嫌なことをどうしてそんな簡単にできるのだろうか。私のことがそんなにも嫌いなのだろうか。嫌われるほど話した覚えはないのだけれど。
やはり、父の権威というのが鼻につくのだろうか。
「私のせいで梨穂ちゃんが嫌われるのは納得できない。なんとかしなくちゃ」
「晴、具体的にお前は何ができる?お前は友の為に何ができる」
「わかんない。でも、何かしないと、梨穂ちゃんが誤解されたままだよ」
太白はやれやれといった顔でため息をついた。太白のそんなところは人間臭かった。
「お前が誤解を解くことはできぬ」
太白にそう断言されてしまった。確かに解決する手段が思いつかない。けれど、それで立ち止まったら悲しむことになるのは梨穂ちゃんだ。
「でも――」
「聞け」
言葉を続けようとした私に太白は一喝した。私は彼の勢いに気圧されて、黙って聞くことにした。
「お前では誤解は解けぬ。しかし、お前が誰かに頼み込んで誤解を解かせることはできる」
「それって、つまり――」
「そうだ。誰かが小僧のところへ行き、誤解を解かせるよう働きかけるのだ。だが、お前は奴に毛嫌いされておる。お前が直接小僧に誤解を解かせることもできぬ」
なんとかしたい。その心に突き動かされるままに私は行動しようとしていた。けれど、冷静な太白は私の行動がいかに軽率で危ういものかを示唆していた。
つまり、私では逆効果。彼女の誤解を解こうとも私の話に耳を傾ける周囲の人間などたかが知れている。そして、私の言葉一つで周囲の評価が変わる可能性は低い。
更に、私が御堂君に頼み込んで誤解を解かせるよう協力して欲しいなどと頼もうとすれば、彼の機嫌を損なう可能性は十分にありえる。今まで交わしてきたわずかながらの話し合いですらすれ違ってばかりだ。
歯がゆい。
友人の為を思って行動すればそれが仇となる。それが何だか憎らしい。
「じゃあ、私にできることは光ちゃんとかに頼んで御堂君に誤解を解いてもらうことしかできないの?」
私は思わず肩を震わせた。他人任せ。役立たず。
出来損ない。
胸の奥に突き刺さるかのような痛みが走る。心が痛い。胸が痛い。
「それだけ…か。お前はそこに価値がないとでも言うのか」
「えっ?」
聞き返した。太白の言っていることがよくわからなかった。だって、梨穂ちゃんを助けられない私は役立たずだよ。
「友の為に動こうとする晴の意志はあくまでも無駄だと、お前は言い切るのか」
「だって、だって、そうだよ。私、梨穂ちゃんの為に何もできない。御堂君を説得するのも梨穂ちゃんを助けてあげられるのも光ちゃんの方が適任。私は何もできない」
私は泣きそうになった。友の為に何もできない自分が恥ずかしかった。
「そうか。何もできないか。ならば、お前の為に勝手に怒りだした梨穂とやらは完全に無駄な行動をしたというわけか。結果的にあの小僧の考え方は何も変わっておらぬのだからな」
「そんなことない」
私は即座に言い返した。けれど、口にしたその言葉が私自身の言の矛盾につながっていることに気がついた。
「あっ」
思わず声を上げた。
「そうだな。結果的に梨穂という女が癇癪を起こしただけで、晴にとっては迷惑しか生み出していないな」
太白は続けて私を煽る。私の意見が私自身間違いだということに気がついている。そのことを気づかせるために太白は私を問い詰めた。
「違う。太白。そうじゃない。梨穂ちゃんの行動は嬉しかった。意味のないことなんかじゃない」
「そうか。では晴にもう一度問う。お前の意志は果たして意味のないことだったか」
「違う…と思いたい。私の意志が梨穂ちゃんにとって快いもならそれだけで意味のあることだと思う」
本当に、本当に太白には敵わないなあ。
私は携帯を取り出して光ちゃんにメールした。御堂君に頼んで梨穂ちゃんの誤解を解いてもらえるよう取り計らって欲しいという内容だ。返事はすぐに返ってきた。
私もおんなじこと考えてた
でも、私だけで平気かな?
私も返信した。
私が一緒に行くと、多分だけど逆効果になる気がして…
ああ、そうかも
なんか、あの人やたらと晴のこと嫌ってたみたいだもんね
了解
任せて
光ちゃんの「任せて」という言葉に私は安堵した。
「ありがとう、太白」
「我は何もしておらぬ。それこそ、結果的にはな」
太白はいつものようにあくびをして眠そうに床にうずくまった。
その後、太白を帰してから私はしばらく時間つぶしに興じたあと、いつものように梨穂ちゃんの部活が終わるのを待った。
走り込んで少し気持ちが晴れていたのか、朝や昼の時ほど梨穂ちゃんの機嫌は悪くなかった。それでも私の顔を見るなり、何か言いたそうな顔になったのを見て、愚痴を聞かされることになりそうな未来を覚悟した。
彼女の話を聞いて、概ね太白の言っていたことと合致していた。あとは私が朝に見たとおりであり、後一歩私たちが出るのに遅れれば顔面に一発放り込んでいたらしいという話も聞いた。
彼女が自分のために怒ってくれたことが素直に嬉しかった。そんな気分が顔に出ていたのか、私は気持ち悪い笑みを浮かべていたらしい。梨穂ちゃんに「晴、なんかキモいぞ」と言われてしまった。
ともかく私は梨穂ちゃんの笑顔を見ることができた。それだけで今日は十分だった。
その次の日から梨穂ちゃんが行方不明になってしまったことを知っていたら、私はこのとき笑みを浮かべたりはしなかっただろう。
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