第13話

 私は家に帰り、父が家にいるか母に確認を取った。母が言うには、土曜だけれど仕事があるので夜遅くに帰ってくるとのことだった。


 表向き旅行会社を営んでいる父は会社の中でも上役に当たる存在であることは幼い頃から耳にしていた。勿論、その旅行会社というのが陰陽師の集まりであったりもするわけで、そんな怪しげな旅行会社、私だったら死んでもサポートに回ってもらいたくないと思っていた。


 陰陽師の人間が旅行会社と名乗るのには割と合理的な理由があるらしかった。いざという時に移動に便利だそうだ。観光にしろなんにしろ、土地の情報が旅行会社には入ってくる。心霊スポットだとか曰くつきの場所だとか、そういったところに敏感になるのだとか。私は生まれてこの方お化けというものは見たことないけれど、幼い頃からそういったものの類を退けることが陰陽師の役割であることは聞き及んでいた。


 最近では悪さをする陰陽師の方が後を絶たないらしいから、同族での潰し合いのほうが頻発している悲しい現状も聞いていた。


 父が土曜の日に仕事があるときは大抵、陰陽師の討伐にあたっているのだ。討伐というと物騒に聞こえるけれど、要するに悪い陰陽師の陰陽師としての能力を殺すということ。彼らに陰陽道を捨て去るような術を施すのが父の仕事だった。父の言霊は相当に強力なものであるらしい。各地の陰陽師が法規的措置を採る場合には、必ず、父のような人物の許可を取る必要があると聞いていた。


 つまり、そういった大仕事に従事している父は、家に急に帰宅する可能性はかなり低いと考えられた。よし。私は小さくガッツポーズをした。


 私は自室に戻って浅葱色の道着を取り出した。さっさと道着に着替え、左手につけていた包帯も取り外した。


「太白」


 私は彼の姿を強くイメージし、声を発した。しばらく彼と話していなかったので、少し、緊張してもいた。太白は音もなく現れた。私の何を媒介にしているのか未だに分からないでいたけれど、おそらく私が肌身離さず持っているものが関係しているのだろうという予測はたった。


「久方ぶりだ。我のことなどとうに忘れてしまったのかと思っていたところだ」


「そんなわけないじゃない。太白、一個確認なんだけどね。自分のこと話す気にはならないかな?」


「出会うていきなりそれか。ないな。我の言葉だけを信用してもらっても困るからな」


 他人から見た自分と自分から見た自分の姿は絶えず違う。太白の言葉の端々からそう言いたげな雰囲気が漂っていた。自己紹介が嫌いにも程がある。だったら、人を喰っただなんて言わなければ良かったのに。


「じゃあ、私、これから父様の部屋に侵入するからついて来てくれない?」


「我を必要とするほどか。なるほど、その顔。余程のことと見える」


 部屋に入るだけなのに、私の身体は緊張からか、震えていた。死ぬようなことはないかもしれないけれど、もしかしたら怪我するくらいの可能性は否定できない。


 父の部屋は、私の部屋のひとつ部屋をまたいだ隣にあった。扉は閉まっていて、私の部屋の扉と何も変わらなかった。なのに、それなのに、私の胸の動悸は収まらなかった。こんな思いするくらいなら、調査なんてことはやめてしまえばいいと思う自分もいる。


 けれど、父に対する抗い。今までなんの抵抗も見せなかった私の僅かながらの小さな反乱だと考える私もいて、そう考えるだけで心が躍ってもいた。


「じゃあ、開けるね。何か気づいたことがあったら言ってね」


「待て」

 いきなり太白は私の動きを止めようとした。


「どうしたの、太白。ビックリしちゃったよ」


「晴、気になることがあれば言えと言ったのはお前だ」


「うん。そうだけど、もしかして何かあるの?」


「晴、お前はこの中に入れる。これはおそらくだが。だがしかし、我が入ることは適わぬ。この部屋は人ならざるものを拒んでおる」


 やっぱり、警戒態勢は十分に敷かれているようだった。私は恐る恐る扉を触れてみても、何事もない。


 私は生唾を飲んで太白の方を見た。太白が扉の方に近づく。一歩、また一歩。しかし、彼は扉に触れられる距離までは近づかなかった。彼は何もない空間を前足でひっかくような仕草をする。無論、そこには何もないわけだから、私には空を切っているようにしか見えない。


 けれど、太白が立てた爪は確実に何かを捉えていた。僅かにギギと、何かが削れるような音が聞こえるのだ。


 私は太白爪の先を凝視した。太白は爪も白かった。けれど、見るべきはそこではない。太白の触れている空間がちょっとだけ歪んでいるように見えた。それと、その歪んでいる部分には太白の爪痕があった。ちょっとだけ彫れている三本の爪痕はその場に少しだけ留まったけれど、程なくして周りの空気に中和されるかのように霞んでいった。


「そこから先には進めないの?」


「その通りだ。我には既に晴の姿は見えておらぬ。我の視界に広がるはただの壁よ」


 太白は先程から私と目が合わなかった。太白は私の声でおおよその私の位置を把握していたらしいけれど、流石の太白も目を合わせるまでの所業はできなかったみたいだ。なんでも出来そうな太白にもできないことがあって私はホッとした。


「故に晴。そこから先はお前一人での旅路となろう。心して進め」


 頼みの綱が入口で使えなくなるというのは私にとって中々の試練だ。私の遅れてきた反抗期を運命ですら止めにかかろうとしているらしかった。


 でも私は触れたその扉に手をかけた。そして、ゆっくりと開いて中に入った。

 もう、太白の声は聞こえなくなっていた。


 厳重な警戒を入口で施しているにも関わらず、父の部屋は小綺麗に片付いていた。部屋の多くは本棚とその中に入っている本が謳歌しており、父の布団は小さく隅にたたまれていた。布団をむき出しのままにしているのは押入れに入れることすら億劫なのかもしれない。


 初めて入る父の部屋。遊園地を待つかのような期待と恐怖があったにも関わらず、そこに待ち構えていたのはあまりにも予想通りで無感動な空間。私はもっと秘密基地的な何かがあるものと思ってちょっと期待していたのに。


 他の部屋と違うところといえば、窓がないということだった。父の部屋は二階のちょうど中央にあたるので、外に隣接する壁が存在しない。これは父の部屋が倉庫として使われるはずだった部屋を自分の部屋にしているからだった。


 換気とかどうなっているんだろう。私は疑問を抱いたが、考えないことにした。

 膨大な数の本棚と本。壁全てが本棚に成り代わっていた。これだけの数、流石の父でも扱いきれないのか、図書館のように種類別に分類がなされていて私でも調べやすかった。


 マメな父の恩恵にあやかって、私は早速、太白のことについて調べてみることにした。


 猫に関する陰陽術の本を取り出して私は本を開いてみた。


 ひとつひとつ、念入りに探してみるが、太白の記述はない。陰陽術に関する本なので、一般には公開されていない物の怪の記述も豊富にあるが、伝承のみで事実確認は取れず、と書かれているものも多かった。あくまでも資料でしかないので、信憑性に難があるものも多いようだった。一冊通して読み終わって、太白の記述がないことを確認すると、既に私はヘトヘトに疲れていた。目次がないのでひとつひとつ念入りにチェックするしかないことと、窓がないから何となく空気が淀んでいる気がすることが理由に挙げられた。


 あと、少し暑い。空気がこもっている。


 父の部屋にいる間に母から声がかかったていたとしたら、大変なことになっているだろう。家の中にいるはずの私の姿が見えないのだから。


 数冊ほど調べて私はちょっと面倒になってきた。何しろ資料が多い。パソコンみたいに印字されている文字のように、綺麗に整っているわけではないので、ひとつひとつの本がそれぞれの癖を持っている。だから無意識のうちに読むことそのものに労力を使っているような気がした。


 私は大きくため息を漏らして、父の仕事をするらしい机にある椅子に座ることにした。

 クッション性があって気持ちいい。座る部分が柔らかくていい。なんて言うんだろう。社長椅子って言うのかな。


 ちょっと休憩。私は暗い部屋の中で白い天井を見つめた。電気を点けるのを忘れていた。でも、その場から離れるのも面倒なので、前にあった机に突っ伏してそのまま目を閉じた。


 眠ってしまいそうだったけれど、腕に触れた紙の感覚に気づいて私は片目で机に視線を向けた。


 何か書類があるようだった。これにシワをつけてしまってはまずいと思ったので、身体を起こして、その書類にシワがつかなかったか確認した。

どうやら何もなかった。私は安堵した。


 けれど、その書類に記されていた文字を見て、私の心は平静ではいられなくなった。


「太白」の文字。


 そして、筆で描かれた彼の姿。そっくりだった。絵に色はついていなかったものの、彼の目を別々に描いているので、左右の目が何かしら異なるという特徴は捉えていた。


 私はまじまじとその書類を見つめながら、どうして父の机の上に太白の書類が置いてあるのか考えた。父は私が太白と何か関係があることを知っているのだろうか。少し焦った。


 でも、本当に焦ったのはそこではなかった。


 厄災。


 そこには確かにそう書かれていた。


 世の理を崩すもの。陰と陽の対立を崩し、世を混沌に導くもの。闇夜に現れるその白は闇夜を照らす星明かり。宵の明星のような輝きを見せる。

 はっきり言って曖昧だった。これじゃわからないよ。私はその書類を投げてしまいたくなった。けれど、その紙の下にもう一枚。印刷機で刷りおろした活字が見えたので、投げるのはやめた。

 そこには誰かがこの太白に関する書類に補足説明をしたような記述がなされていた。


 その昔、陰陽師同士の争いがあった。一人の陰陽師が陰陽師としての禁忌を破ろうとしたからだった。裏切り者の陰陽師、その人物が使役していた霊獣が太白。その陰陽師は生きるために戦い、己の陰陽術を完成させるために戦った。そして、最終的に彼の悲願は達成されることのないまま、その生命を終えた。


 だが、主を失った太白は戦うことをやめなかった。滅する術もないまま、太白の暴走は続き、沈静化するのに幾年の歳月が経過した。沈静化した、というのは本当に言葉通りで、太白は最終的に誰に封印されたわけでもなく忽然と姿を消した。太白を滅したという陰陽師の話はいくつもあったが、どれも証拠に欠けていた。結局、それらしい話を得ることができないまま、太白の存在は忘れ去られることになった。


 口伝で伝わったらしい言葉。いつの時代に書かれていたのかわからないけれど、いくつかの口伝を踏襲したものだということだけは理解できた。


 私はそのまま、続きに目を通した。


 近年、太白の話が再び持ち上がり、陰陽道に名のある方々にこうして直接の文を送らせていただきました。復活の兆しが見られたというわけではありませんが、先見の明のある陰陽師の中に太白の出現を危惧する者がおります。陰陽道の人間に混乱を招かないよう、情報の漏洩には気をつけてください。何か新しい情報がありましたらご連絡ください。

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