第10話

 早朝を迎える。いつもは根性で目覚めるのだけれど、今日は好奇心で目を覚ました。何か世界が変わった気がする。確かな実感がそこにはあった。いつものように浅葱色の道着に着替えて私は道場に向かう。いつものように父が先にいて、だけれど、今日は御堂君と御堂さんの姿も見えた。


「おはようございます、師範代」


 私は挨拶をして彼らの隣に座する。黙祷ののち、稽古が始まる。かと思いきや、今日は私は見学だった。何でも同年代の陰陽師がどんなものであるかしかと拝見せよという目的らしい。勿論、建前だということは分かっていたけれど、父の言葉に従って、私は道場の脇に座して御堂君の術を拝むことになった。


 まずは言霊。私が一番の苦手とするものだ。既に御堂君は扇を手にして口元を覆い隠し、術比べをするまでになっていた。扇で口元を隠すのは言葉を相手に知られぬようにするため。術比べとは勿論、陰陽師同士が術を競い合うこと。御堂君の相手は御堂さんだった。


 二人は剣道のように向き合って、互いに口元を隠し、そして、言葉を交わす。ブツブツと何か喋っているのは聞こえるけれど、何を言っているかはわからないし、口元は扇で隠されているので読み取ることもできない。けれど、二人を取り巻く空気というのは明らかに変わっていった。


空気が揺らぐ。何かに覆われ、包まれる。神秘的なだけでなく、触れてはならない恐ろしさも見えてきた。やがて御堂君からは水が、御堂さんからは炎が取り囲む。


 水は火を消し、熱を奪う。明らかに不利なのは御堂さん。けれど、御堂君の水が御堂さんの炎を消そうとも、その根は絶えない。御堂さんが物量で不利な状況を補っているのだ。これもまた摂理。私はひとつ学んだ。


そのうちに御堂君の雲行きが怪しくなり、父が声をかけて二人共、声を発するのをやめた。火は消え、水も消えた。


 見ていた私まで父の掛け声でため息を漏らしてしまった。これが術比べ。同年代の男の子が術比べをしているのは初めてのことだった。


 御堂君は疲れたのか掛け声と同時に座り込んでいた。状況的には有利だったが、あくまでも格上の相手のとの術比べ。気を張るのは当然のことだった。


「どうでしょう、うちの息子は」


 御堂さんが父に聞いていた。御堂さんは大人だからということもあるけれど、やっぱり実力者であるらしく、表情には余裕が見えた。


「この歳であそこまで言霊を扱える者はおりますまい。先が楽しみですな」


 父も嬉しそうにしていた。先行き不安な私の稽古をつけている時よりよっぽど楽しそうな顔をしていた。私はあの顔がいつか自分に向くことを願っていた。


「安倍様のお墨付きほど、安心できるものもありません。その言葉を聞けただけでもここに来たかいがあったというものです」


「そうご謙遜なさいますな。私も後継者に精魂注ぎ込んでいるつもりではありますが、御子息とは比べ物になりません。一体どのようになさればここまでの実力を?」


 あっさりと私のことを卑下していた。別に私の愚痴を言うのは構わないけれど、せめて私のいないところで口にするくらいの配慮はあってもいいものだと思った。


「いえ、私からは特に何も。修吾が非常に熱心だっただけのこと」


 年配二人で歓談に興じていた。大人とは言え、術比べの話になると途端に子供臭くなる。研究に熱心なのはいいことかもしれないけれど、それに付き合わされる身にもなって欲しいものだった。


 御堂君がこちらへやってきた。私は立ち上がって思わず身構えた。


「別に取って食おうってわけじゃない。お前みたいな雑魚相手にしてもしょうがないからな」

 術比べを真剣にやっているときは見直したと思ったのに、開口一番がそれではちょっとげんなりしてしまう。


「…、なんですか」


 私は警戒を十分に尋ねた。


「いや、別に。俺の実力見ただろ。俺に歯向かうのは賢明じゃないことに気づいたか?」


 この人は実力が違いすぎる相手にこのように威張り散らすのが得意なのだろうか。別に私に絡んできたところで得るものは何もないと思うけれど、昨日、トイレの前での一件がいけなかったんだろうか。私は考えてみるけれど、彼が何を求めて私に話しかけているのかさっぱりわからなかった。


「そうですね。暴力での解決は好きじゃありませんし、御堂君にはかなう気配が微塵もありませんから歯向かうのはやめることにします」


 私は戦わないと正直に宣言した。心からの言葉だ。御堂くんにはかないそうもないし、別に戦ってどちらが強いとか決める必要もないと感じていた。歯向かった覚えもないし。けれど、一方の御堂君はそうではなかったらしく、私の言葉にご機嫌ななめのご様子だ。


「てめえみたいなのが一番むかつくぜ。実力もねえのに上から見下ろしやがって」


 どう言えば正解だったのだろうか。私はその答えを知らなかった。兎に角彼が私だけではなく、私の家系にもケチをつけたがっていることは理解できた。彼を知るとは、そういうことなのだろうか。私は別に得した気分にはなれなかった。


 私はそのまま着替えて学校へ行く準備を、御堂君は一度家に帰ってから学校に向かうらしかった。私としては彼から解放されたことが今日一番で嬉しかった。二度と絡んでこないことをお天道様に祈ろうかと思ったくらいだ。


 母が作った豪勢な朝ごはんを私は角をかじる程度に済ませ、そのまま手渡されたお弁当と自分のカバンを持って学校へと向かう。


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