第9話
私はびっくりした。まさか、太白の口からそんな言葉が出るとは思わなかったからだ。
「そうだ。晴、お前は驚嘆するであろう。晴に問う。お前は我のことを知っていたか」
私は納得した。知らなかった。少なくとも私は太白が人を食べてきたなんて知らなかったし、それが嘘だとしても、私は太白がこんなことを言う猫だなんて知らなかった。
「うん。知らなかった」
私は頷いた。知っていると思っていたことが実は全く知らないことだった。そのことに感動を覚えていた。
「そうだろうて。知るとはそのこと。永遠の探求がそこにはある。絶えず知り、絶えず知ることを欲する。それが人。知らぬことは怖い。恐れおののくのだ。病を恐れ、畜生を恐れ、悪鬼を恐れるのは知らぬということ。時代が流れゆこうとも、それは摂理」
私は黙って太白の言葉を聞いていた。感動した。私は言葉でこれほど感動できるということを今初めて知った。それが知るということ。私は太白の言葉を胸に刻んだ。
「さて、晴。我が穢れある身とわかった今、お前のすることはなんだ。我を解放するか。それとも、我を退けるか」
力強い視線が私に向かってきた。青と金色の瞳が神々しく光っているように思えた。試している。太白は私を試している。太白自身が私に相応しいか、私が太白に相応しいか尋ねている。そんな風に思えた。
私は息を飲んで覚悟を決める。正直、この決断は私の人生を大きく変えることになるかも知れない。そんな予感がそこにはあった。けれど、私は迷わなかった。
「私は確かに太白のことを全然知らない。けど、私には太白が必要。父を見返したい。一人前の陰陽師になりたい。知らないことは知ればいい。太白のことを知らないなら知ればいい。それじゃダメかな」
太白はじっと私を見つめ続ける。畏敬の念を抱かせるほどに雄々しい。そんな猫が今、私の目の前にいる。
「それならば、我はもう少し居座るとしよう。晴、手を出せ」
私は言われるがまま手を差し出した。手のひらを向けて太白に見えたら首を振ったので、手の甲を差し出した。太白は私の手の甲に自らの前足を乗せた。柔らかい肉球の感触が私の手の甲にあった。段々と、手の甲は熱くなっていった。
「これで良い」
太白が前足をどけると、私の手の甲には何か光るものがあった。手の甲を近づけて、それは私の手の甲そのものが光っているのだと認識した。「太白」と綺麗な字で光っていた。
「今度から我を呼ぶときにはそれに触れて呼べ。陰陽とは思念。その文字は決して消えぬ代物。お前の想像に直接働きかける」
太白は姿を消した。完全に消えてしまったみたいだった。何度か呼んではみたが、返事はなかった。
私はまじまじと手の甲に書かれた文字を見つめる。とんでもないことしでかしてしまった気がする。太白が安全かそうでないかわからないままに、手に大きな傷をつけてしまった気がする。けれど、反省はしていない。何故だか好奇心すら湧いてくる。ともかく、手に刻まれた文字があればもう一度太白を呼び出すことは可能になったみたいだ。
私のやることは決まっていた。お風呂に入って寝よう。私は嬉々として階段を降りた。
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