第8話

 とりあえず太白をそのまま私の部屋に寝かしておいて、一階に降りて母と一緒に夕食の手伝いに回った。

 父は帰ってくるまで時間があるので道場に居座り続ける理由はなかった。いつも豪勢な母の料理はお客様が来ると聞いて一段と豪勢なものになっていた。私は気乗りしなかったけれど、料理くらいはきちんと作った。ある程度食事の準備が出来たところで、私は道場に移り、修練に励んだ。


 いつものように言霊を扱って呼び出しをしてみるけれど、簡単にはいかない。というかうんともすんとも反応しない。太白を呼び出すことはできたのに、どうして言霊ではうまくいかないのだろう。私は疑問を抱きつつ、何度も何度も修練を重ねた。


 しばらくして道着姿の師範代の姿が見えた。しかし、一人ではなく、誰かを引き連れていた。一人は父と同じくらいの男性で、もう一人は私と同じくらいの男の子。その男の子を見て私は絶句した。狐のような目つきで中性的な顔立ち。彼は御堂修吾だった。


 驚きはしたものの私はお客様を目の前にして礼を失する訳にはいかず、深々と頭を下げて挨拶をした。


「君が晴さんか。お噂はかねがね。私は御堂司。君の親戚にあたり、修吾の父です。ほら、修吾、お前も挨拶しなさい」


 黒縁のメガネをかけていて、柔和な印象のある人だった。


「どうも、修吾です。改めて、よろしくお願いします」


 修吾という男の子がどうしても好きになれないでいた私だが、ここでは私情を交えず丁寧に接した。


「近くに引っ越してきたということでわざわざ挨拶に来てくれた。晴、失礼の内容にな」


 父から念を押され私は素直にそれに従った。道着は着たけれど、術を見せることのないようにしろということだろう。私の陰陽術では家に泥を塗るからと言うようなものだから。


 それから私は彼らの後ろを邪魔しないようについて行って、客間の方に通された。既に母と私で作った料理が並べられていて、傍から見れば料亭に並べられていてもおかしくはないと自信を持って言えた。母の料理好きは、この時に限って十二分に役に立った。


 道着は一応陰陽師からすれば正装でもあるので、私は着替えないまま食卓に座っていた。おしぼりや酌など、そういった作業は全て母がやってくれていて、父はそれを見ているだけだった。役割分担といえば聞こえはいいけれど、私はあまり好きにはなれなかった。


 御堂君も慣れない様子でジュースをもらう。彼の分は一応私が注いだ。全員分の飲み物が注がれたところで乾杯をし、それぞれ食事をした。私はひとり場違いな雰囲気の中に身を置いていると少々居心地の悪さを感じながらも、父が私を厄介者扱いしてあまり私の話を持ち出さないでくれたことには感謝していた。私のことをよく知りもしない父に私の話をされても、気分が悪いだけだったからだ。


 私にわざわざ陰陽師の正装である道着を着せたのも、結局は体面を守りたいだけ。それが煤けて見えてくるから私はますますこの場にいるのが嫌になった。早く食事を済ませてこの場から立ち去ってしまいたい。でも、体面を気にする父は多分それを許そうとはしないだろう。それでいて、私に話す権利は存在していないのだ。ああ、無情なことです。


 気を遣った母が私に「先に部屋に戻る?」と聞いてきたが、私は首を横に振った。母の甘言に乗って後で痛い目を見るのは私だと知っていたからだ。


「すいません、トイレはどちらに。うちの息子が行きたいみたいで」


「ああ、廊下を突き当たって左のところに。道場へ行く途中のところにありますよ」

 父はいかにも優しそうな雰囲気を見せながら、私を睨みつけた。私はすぐに察した。


「あ、あの。私が案内します」


 本当は彼とともになることも嫌だったけれど、父の痛いくらいの視線がそれを妨げたので、仕方なく私は御堂君をトイレに案内することにした。


 彼を引き連れてトイレを案内した。トイレに向かう最中、私は彼に話しかけられた。


「お前、出来損ないって言われてんだってな」


 私の背中から冷たい声が聞こえる。私は彼がこういう人なんだと悟って、ああ、やっぱりと思うとともに、どこかに抱いていた淡い期待が崩れ去った音も聞いた気がした。


「そうです。ろくに言霊も扱えない出来損ないです」


 私ははっきりと答えた。私や御堂君くらいの年齢であれば、言霊など扱えるのが当然。馬鹿にされるのは目に見えていた。


「はっ、出来もしないことをそんなに堂々と言えるその神経が逆に羨ましいよ」


「出来ないことを出来るとは言えませんから」


「そりゃそうだな。お前みたいなのに群がる女どもも、結局お前みたいな出来損ないの集まりなんだろうな」


 群がる女、それが梨穂ちゃんと光ちゃんのことを言っていたのは明白だった。

私は足を止め彼の方に振り向いた。真っ白なその肌は人間味を帯びておらず、太白の持つ、輝きと光沢のある白さともまた違うような気がしていた。御堂君の白さは生物であることを感じさせない白さだった。私は臆することなく御堂君の目を見てはっきりと言った。


「こちらがトイレになります」


 私はそのまま客間の方に戻った。

 私が座してからしばらくして御堂君は戻ってきた。入ってきた瞬間、どこか不機嫌そうだったけれど、父や御堂さんが顔を向けると、またいつもの顔に戻っていた。


 食事が終わり、片付けに入っている最中、私は父に呼ばれ、御堂君と御堂さんを使っていない部屋の一つに案内することになった。広い家だから、そんな部屋の一つや二つあって当然だった。どうやら父は彼ら二人を家に泊める気でいるらしかった。ああ、もう、本当についてないなあ。


 二人を空いている部屋に案内したそののち、母と一緒に食事の片付けをしていると、母は急に私に謝ってきた。


「ごめんね晴ちゃん。気を遣わせちゃって。お父さんが体面を気にしていることわかっていたんでしょう?」


「うん、でも気にしないでお母さん。私に才能がないのがいけないんだから」


「そんなことないわ。あなたは才能を持っている子よ。お父さん頑固だから、あなたに自分と同じ道を進んで欲しいのよ」


 父は言霊に関しては権威だった。そんな父が自分の娘に言霊を習得させたいのはわからないでもないけれど、そろそろ才能がないことを認めて見限ってもらったほうが私としてはありがたかった。まあ、でも、言霊の権威である人の娘が、どうしようもないほどに言霊を扱えないというのは父に泥を塗っているようなものだ。父はそうなることを恐れているのだろう。そんな、自分の娘に言霊の才能がないからといって、自分の実力を疑われるなんてことはないだろうに。


 母も別に私が言霊以外の陰陽術が得意であることを知っているわけではなかった。ほんの慰み。私を気遣っての言葉だった。非常にありがたくはあったけれど、結局、母も私のことを知らないのだと知らしめているようなものだった。


 当座の家のことを済ませ、私は自分の部屋に戻った。カーペットにひっついている毛の多さに驚きながらも、夜中に掃除機を動かすわけにもいかないので、カーペット用のローラーを取り出してコロコロと毛を取った。太白が喋らなければ、大きな猫をただ飼っているだけだなと思った。


 部屋に太白の姿はなかった。どこかに散歩に出ているのかもしれないと、私は監督責任を完全に放棄し、そのうち帰ってくるだろう太白を待った。

その間、私は太白の言った大事なものが気にかかっていた。私の大事なものって一体何だろう。なくなったと思い出せもしないものを私は媒介にしてしまったのか。でも、太白は大事なものと言っていた。大事なものがなくなって気づかない人が果たしているのだろうか。疑問は募るばかり。頭が良くて、説得力のある人ほど重要なことを曖昧にする。誰かが死んでしまうことを予言した人が、いつ・どこで・誰に・どのようにして・殺されるのか全く教えてくれないのと同じ感覚だ。


 私はまた、小声でぼそりと「太白、いるの?」とカーペットの上でコロコロとローラーを転がしながら呟いた。


「ここにおる」


「わあお」


 本当に全然気づかないところから太白は現れる。声は天井から聞こえた。私は見上げ、天井を見つめると太白の姿があった。そっか、太白はそこにいたから私は気がつかなかったのか。天井の白さと太白の白さでは勿論、太白の方が濁りのない綺麗な白さだったけれど、漫然と天井を見ていたんじゃ、太白には気がつかない。ふふ、なんかカメレオンみたい。


「太白はすごいね。私とは全然違う」


 私は太白を見て嘆息を漏らした。


「何を言っておる。我と晴が違うのは当然。我のような畜生と比べたところで、何もならん」


「そういうことじゃなくて。ん~と、なんて言えばいいかな。太白は何でも知ってるし、何でもできるから、尊敬しちゃうなって」


「我は晴より永き世を生きてきた。それ故に晴より知識があるのは当然。とは言えど、我も知らぬことを除けば知ることのみ。」


「そりゃあ、知ってること全部省いたら知らないことしか残らないじゃない」


「ふむ、晴はそう思うか」


 太白は床に降り立った。音もなく僅かに風を切る音だけがするだけ。それ以外に音はない。すごい。これなら誰に対しても気づかれないわけだ。忍者みたい。


「だって、そうじゃない?知らないことと知っていることにしか分けられないじゃない」


「そうか。だが、我は知ることを知るのに、幾年もの歳月をかけた。そして、その間に知らぬことを知り、また知ることを知るようになるのに幾数年。延々と続いてきた」


 太白の言っていることの意味はわからなかった。知っていることを知るとはどういうことだろう。


「わかんないなあ。知っていたら知っていたで終わりな気がするけど」


「そうか、では晴よ。我が人を喰らうてきたと知ったらどうする」

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