第5話

 放課後。光ちゃんは習い事があると言って先に帰った。なんの習い事をしているのか、私と梨穂ちゃんは知らなかった。聞いても「秘密」と言われてはぐらかされてしまう。別に習い事くらい教えてくれてもいいと思うけれど、陰陽術のことをひた隠しにしている私自身のことを考えれば、人それぞれ事情があるのは当然だと思い直して言葉を飲み込んだ。


 私はいつものように教室に誰もいないことを確認してから、教室の戸を閉め、いつものように悪戯に興じた。教室は三階なので、外から見られる心配はない。だから、カーテンは開けっ放し、窓も開けっ放し。椅子の一つを借りて、黒板からチョークを一つ拝借する。


 最近では猫という文字をどれだけ綺麗に書けるかとか、猫という文字で何か描けないかとかくだらないことを考えながら、陰陽術に励んでいる。一応、猫という文字が綺麗に書けたほうが想像しやすいらしいけれど、字が汚くて不都合に感じたことはないなあ。


 ああ、あまりにも猫さんを書きすぎてゲシュタルト崩壊してきそう。何か別の文字にしようかと思ったけれど、目の前に広がる猫さんワールドの中に別の生き物をお呼びする気にもなれなかった。試そうと思ったことすらなかった。


 仕方がないので猫さんの具体的な種類に分けてお呼び出しをしてみることにした。黒猫に三毛猫、縞模様に真っ白な毛色。色や猫の種類を変えてみると、新鮮な感覚を呼び起こしてくれるけれど、結局は猫さんなので最初に呼び出した時ほどの感動は失われていた。


 ふむ。ひい、ふう、みい。


 私は猫さんの数を数えてみた。ちょっと思いついたことがあったからだ。数を数え、十分な猫さんがいることを確認すると、私はおもむろに猫さんを一匹ずつ抱き抱えて、椅子の上に乗せてじっとさせた。数が多いので、中々言うことを聞いてくれない。すぐに降りてしまう猫さんを椅子の上に乗せ直して、ようやくひと段落着いた。


 教室のそれぞれの席に猫さんを乗っけてみました。私は教卓からその光景を眺め、猫さんたちの先生気分でそこに立っていた。言いようもない愛らしい空間がそこに体現されていた。私は思わず頬を歪ませた。


「は~い、皆さん。今から授業始めますよ~」


 もう既に何匹かは椅子から降りてしまっていたが、そんな不良学生を無視して私は先生ごっこを始めてみた。やばい。これはすごく面白いけれど、人に見られたらすごく恥ずかしい。


 私は少し不安になって廊下の方に視線を移す。けれど、人の気配はなくてホッとした。けど、やっぱり誰かに見られたら恥ずかしいからこれで先生ごっこはやめにすることにした。


 さて、ここからが本番。私は指パチンを鳴らす。教室にわんさかといた猫さんたちは途端にチョークの粉に戻り、教室に白い粉末が散らばった。昨日、猫さんをそのまま放置していたら教室に白い粉が散乱していて、今日一日、うちの担任がご機嫌斜めだった。後処理はしっかりしないとダメだと私は反省し、今回はきちんとチョークの粉に戻した。


 箒と塵取りを掃除用具入れから取り出して、教室を掃く。集まった白い粉を塵取りにかき集め、ゴミ箱に入れる。


「よし」


 と、私は意気込んだ。準備は整った。私はもう一度、猫という文字を書く。それも今度はいつも書いている大きさよりもずっと大きく。そうだなあ、ちょうど黒板の上から下までの大きさくらい大きく書いている。


 だって、黒板に書いているから。新品同様のチョークの、先っぽではなく、丸くなった側面を使ってぶあーっと字を書いてみる。黒板の上から下まで一つの文字を書いた経験なんて数えるくらいしかなかったから、その時の爽快感と言ったらなかった。字を書いていることそのものが病みつきになりそうで怖いくらいだった。


 私は大きく「猫」書かれた文字の横に同じぐらいの大きさで「又」という字を書いてみた。合わせて「猫又」だ。これは私がいつも書いている猫という文字からは少し意味合いが異なっていた。猫又というのは日本では妖怪のことを指し示していて、尾が二本に分かれている猫の妖怪だ。正直尾が二本に分かれているだけでは普通の猫と大して変わらないじゃないかと思うかもしれないけれど、私からすると、この世に存在していないことが重要だった。


 この世ならざるもの。


 それの具現化に成功するということは…。いや、わかんない。多分すごいことなんだろうけど、どんくらいすごいのかはわからない。でも、きっとすごいことだから、だから、これが成功した暁にはあの頑固者の私の父に一泡吹かせてやれる。まあ、私の行動資本なんてそんなものです。父を見返したい。出来損ないと呼ばれることにはうんざりだ。


 それだけ。


改めて考えてみると、反抗期のお嬢さんにありがちな反骨精神みたいなもので、なんて大人げないのだろうと恥ずかしくもなるけれど、でもいいの。とりあえずは父に私が陰陽師だと認めてもらう。そこからがきっと陰陽師としての私の始まりのような気がしているのだから。


 そんなことがあって、私はとりあえず「猫又」という文字を完成させた。平たく薄く引き延ばして書かなければならなかったので、力のない私は書ききるのに結構骨が折れた。黒板の上の方は自分の背では届かないので椅子に乗って書いた。


 勿論、大きく各必要が本当にあるのかはわからないけれど、昨日は小さく書いて失敗してしまったので、今度は大きく書いてみようくらいの考えしか持っていなかった。


 書き終えて自分の手を見てみると、真っ白けっけになっていた。でもそれは後回し。私は目の前の「猫又」の文字を見ながらイメージを重ねた。尾が二本の猫、尾が二本の猫。口ずさむように頭の中に猫又の姿を思い描き、想像する。目を瞑って祈るように想像する。


 心臓の前に両手を引っさげて私は祈るように想いを寄せる。


 そして、確かに聞こえた。


 にゃ~ご。

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