第2話

 私は教室の窓を閉め、帰る準備をする。ロッカーに入れていた自分のカバンを取りに行こうと立ち上がった。抱いていた猫さんは仏頂面で宙ぶらりんになった。なすがままになっている猫さんを見て、私は思わず微笑んだ。


 カバンを肩にかけて私はそのまま教室を離れた。猫さんたちは一匹残らず教室に置いてきた。時間が経てば自然と猫さんたちは元のチョークの粉に戻っている。もし、誰かが猫さんからチョークの粉に変わるところを見たとしても、怪奇現象か目の錯覚くらいにしか思わないだろう。その時、私はその場にいないので何のお咎めもない。要は私が陰陽師だとバレなければいいのだ。


 部活動をしている友達を待ってから私は学校を出た。家に帰るまでの道のりは照明が少ないせいか暗く、一人では帰りづらい。部活動をしているわけでもないのに、遅くまで学校に残っているのはそんなことが理由だった。勿論、猫さんを描いて遊んでいた、というのもあるけれど。


「晴、あたしが部活やってる間、何してんの?」


 友達の梨穂ちゃんにはよくそういった質問をされる。それもそうだ。彼女が部活動に明け暮れている間、私はひとりで教室にいることになっているのだから。まさか猫さんと遊んでいるだなんて口が裂けても言えない。


「うんとね、いつもは本読んでるよ」

 だから、私は嘘をつくしかなかった。


「うっそだあ。晴が本読むとこなんか想像できない」

 梨穂ちゃんはからかい半分で口にする。図星なのが辛い。


 梨穂ちゃんは綺麗だった。可愛いというより、かっこいい女の子だった。男の子よりも女の子にモテる。クラスの人気者で、私が並んで歩くには勿体無い人だ。

 でも、それを口にはしない。

 そう言うと、梨穂ちゃんは怒るのだ。「晴、自分のこと棚に上げてそんなこと言わんでくれる。晴のほうが絶対にモテる」と、彼女はいつもそう言い切るのだ。私はそんなこと絶対にないと思うのだけれど。


 高校二年生の今まで、私は男の子に告白されたことがない。というかそもそも、男の子はあまり私に近づいてこない。梨穂ちゃんはそのことを知っているのに、いつも私がモテる人間だと言い切る。それが私には理解できなかった。


 最近になってどうやら、私の家系にもモテない原因があるらしいことに気がついた。だから、家のことがなければもしかしたら私はモテるのではないか、という淡い期待を抱いてしまう。そうして、結局男の子の誰からも相手にされないのだから、私の淡い期待はもろくも崩れさってしまう。


 梨穂ちゃんの家と私の家はとても近く、三軒ぐらい挟んだ向かい側にあった。彼女にさよならを告げたあと、私は家に着いた。荘厳な雰囲気を漂わせる日本家屋が私の家だ。格子状になった木の門を開いて、私はこっそりと中に入る。悪いことをしているわけではないけれど、あまり家の人に私が帰ってきたことを知らせたくなかった。玄関前までは砂利道が続き、サクサクと足音を立てた。その足音も極力音が鳴らないように努めたけれど、こればっかりは仕方が無かった。


「あら、晴ちゃんおかえり」


 庭先に目をやると、母の姿があった。時代感覚が鈍いのか、母はいつも和服を着ていた。どうやら庭の木々に水をあげていたようで、手にはホースが握られていた。


「ただいま」


 私は行儀のいい子みたいに行儀よくお辞儀をしてから家の中に入った。

 だらしなく靴を脱いでそのままにしてしまおうとも思ったけれど、やはり後が怖いのできちんと脇に並べた。


 手洗い、うがいを済ませたあとは、二階にある自分の部屋に駆け込んだ。その勢いのままベッドに向かって飛び込んで、柔らかい枕に顔をうずめた。この一瞬が家で感じることのできる至福の一時だった。


 出来損ない。


 この家で私がいつも言われていることだった。もうすぐ十七にもなるのに私はまだ陰陽術を完全にはマスターしていなかった。分家で同じくらいの子は既に一人前の陰陽師になっていると父が聞くと、父はいつも私を叱りつけるのだ。それが嫌で、私は逃げるようにして自分の部屋にこもる。それの繰り返し。学校に長いこと居残るのも梨穂ちゃんを一緒に帰りたいだけではなく、家にあまりいたくないという気持ちがあったのは否定できない。


「憂鬱だなあ」


 私は天井を見上げ、天井の無垢な白さに目を奪われる。自分の着ている黒の制服がまるで、この世の悪を全て背負ってしまったかのようで、自分の制服姿を見るのが最近嫌になっていた。そんなの過度な思い込みに過ぎないことを知っていたのに。


 しばらくだらだらしていると、下の階から母の呼ぶ声が聞こえてきた。どうやら、ご飯の時間らしい。私は制服の赤いリボンだけ外して下の階に降りていった。


 食卓に並べられた豪勢な食事もあまり好ましくなかった。私は食が細く、目の前に並ぶ料理を食べきることなど到底できない。だけど、母は色々な料理を作る。「残してもいいのよ」と母は言うけれど、食べきれない量の食事を作るのは無駄だし、勿体無いと思っていた。けれど私は遅くに返ってくる父と顔を合わせるのが嫌だったので、さっさと食事を済ませて皿を片付ける。


「流し台の上に置いておくだけでいいのよ」


 と、母は私を甘やかそうとするが、陰陽師になりきることのできない私がこれ以上迷惑をかけるわけにもいかず、せめて自分の皿は自分で洗うようにした。

 あとはお風呂に入って歯を磨いて、次の日の時間割を確認してからカバンの中に教科書を入れて、あとは布団にもぐるだけ。


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