第11話 ダチョウの島さん

 小学校の時のクラスに今でも覚えている女の子がいる。女の子というのはその当時のことで、今はきっといい年のおばさんだ。なぜなら私も腹が出て白髪が目立つおじさんになっているのだから。


 でも、私の記憶の中では彼女はずっと小学校4年生の女の子のままだ。島という苗字だけは覚えているが、下の名前はなんだったか思い出せない。色の白い背の高い女の子で、いつもチェックのスカートをはいていた。明るくて素直ないい子で、いわゆる美人と言うタイプではないが、周囲に気配りができる子どもだった。転校生だった僕は島さんが最初に声をかけてくれたクラスメートであり、困ったときには助けてくれるので助かっていた。その当時はまだ本当の恋なんか知らなかった。知っていたとしても島さんには恋の相手というよりは友達として信頼したい人だった。


 しばらくして島さんがクラスメートに妙なあだ名をつけられていることを知った。それはダチョウというのだ。背が高いからというだけではなく、彼女が走ったときの姿がダチョウに似ているからというのだ。クラスの男子は露骨に島さんをそのあだ名で呼んだ。私はそれが許せなかったが、かといってそれを止めるほどの勇気もなかった。


 しばらく後のことだったが、体育の時間に持久走をすることがあった。おそらく1キロも走っていないと思うが、その当時の小学生にとっては十分に長い距離だった。まず男子が走った。私はその当時からなぜか長い距離は好きで、クラスメートが最初に飛ばしすぎて失速するのを次々にかわし、トップでゴールした。我慢する競争は自分の性質にあっていた。


 次に女子の番になった。私に追い抜かれて悔しい思いをした仲間たちは、自分の好きな女の子を心では応援しながらも冷やかしていた。先生の合図で走り出すと明らかに他の人とはスタイルが違う走りをする子がいた。それが島さんだった。その姿はまさしくダチョウの姿に見えた。そして速かった。悪がきたちがはやし立てると島さんは余計に力をいれたようで白い顔を真っ赤にして走った。ダチョウ、ダチョウと連呼する中を。島さんは最後の最後に抜かれて2位だった。倒れこんで大きな体を小さくして荒い呼吸を整えていた。


 その日、帰宅途中の道で島さんと会った。校庭で遊んでいた私と、教室かどこかで女友達と話をしていた島さんが偶然出会ったのである。島さんの通学路は途中まで私と同じだったから、こういうことはこれまでにも何度かあった。私は何気なく体育の授業の話を始めた。島さんはそのときから顔が曇っていた。でもどういうわけかその時の私は自制が効かなかった。島さんがとても速かったことを行った後、島さんのランニングホームについて「個性的」という意味の言葉で表現したと思う。小学生がそういう言葉を使えたかどうかは記憶が定かではない。ただ、非難や差別めいた言葉は避けようとした。同級生の悪がきがいう「ダチョウ」は決して使わなかったことは確かだ。 しかし、僕が放った言葉に対して島さんは急に泣き出して走り出してしまった。例の個性的な走り方だったが、その時のは妙に痛々しく感じた。


 それからかなり長い間、島さんは話をしてくれなくなった。いつもは見せる明るい顔も、私を見ると瞬時に曇らせて女友達の小さな輪の中だけに閉じこもってしまった。私はその時、島さんの触れてはならないことに触れてしまったことを後悔したのだった。


 島さんは2学期の終わりに転校することになった。お別れの言葉としていったのはみんなに対する感謝の気持ちだった。しかし、少なくとも男子は彼女に対して必ずしも優しくなかった。私だってあの日以来、島さんのために何かをしてあげることはなかったし、できなかった。島さんの挨拶はあまりに美しすぎて僕らの心に突き刺さった。


 彼女が転校した後、クラスに島さんから手紙が届いた。担任の先生がその手紙を読んだ後に、「実はね」と言って付け加えた話があった。それによると島さんは幼い頃、事故で腰の骨を折る大怪我をしたらしい。幸い回復して日常生活に支障はないまでになったのだが、走るときにどうしても影響が出てしまうらしかった。あの独特のフォームはそのためだったのだ。クラスメートに特別扱いされたくないからという理由で先生は口止めされていたそうなのである。他にもいろいろな悩みをもっている人だっているのに、というのだ。その話を聞いたときの悪がきたちの情けない顔は今も忘れない。そして、それは私自身の表情でもあった。


 島さんがその後どういう人生を送ったのかはわからない。私はしがないサラリーマンで、人に誇れることは何もないのだが、町で身体が不自由な方を見つけるとつい手助けをしてしまう。偽善でなく行動できるのは、島さんの影響かもしれない。

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