第10話 秘密基地
「いいか、これは俺とヒロシの二人だけの秘密の場所だからな」
サトシは目を輝かせて言った。二人が川原の草むらの中にプレハブづくりの廃屋を見つけたのは二人が小学校5年生の時だった。もともと護岸工事か何かのために作られたプレハブの建物は6畳程度の空間があって中にテーブル1台と椅子が3脚放置されていた。プレハブには鍵がかかっていたが、どういうわけかサトシが開けてしまった。サトシは錠前破りだと言っていたが、実際鍵が壊れていたというのが正しかったのだろう。
草むらに適度に隠れたこのプレハブは二人の秘密基地になった。学校の帰りに密かに立ち寄っては、至福の時を過ごすのだった。
ヒロシとサトシの男子の同級生たちは放課後になると公園でハンドベースやドッジボールをして遊んだ。二人は公園で遊ぶのはそれほど好きではなかった。なぜなら、なにをやっても最初にアウトになったり、転んで怪我をしたりするのはこの二人だったからだ。チーム分けをするときには必ず二人は別々になった。「お荷物」が二人いた方が負けるという理由だった。同級生たちはじゃんけんでヒロシが同じチームになると分かった時、露骨に厭な顔をした。口に出して言うものもいた。そしてそれはサトシも同じだったのだ。
こういう繰り返しをされている家にヒロシとサトシには連帯感が生まれた。そして二人でともに行動することが増え、公園には行かずに川原で二人で遊ぶことが増えた。二人はボール遊びも鬼ごっこもしない。川に石を投げ入れて水しぶきの大きさを競ったり、川原に座って水の流れを見つめたりした。それだけで十分に楽しかったのだ。
そんな二人にとってこの秘密の場所の発見はなによりもすばらしいことだった。二人だけが知っていて、しかもそれを使うことができるというのが、彼らに今までなかった優越感をもたらした。
二人はこっそりとプレハブに侵入して、かなり腐食した椅子に座り、雑草が絡み付いて視界がほとんど遮られた窓の外を見るのだった。そこにはおおきな女郎蜘蛛が巣を作っていた。光に輝いてきれいだった。
二人は川原で拾った「宝物」を持ち込むことにした。これまでにいろいろな種類のボールや、釘やねじやなんだか分からない機械の部品、怪しげな漫画などが集まっていた。二人の共有財産ということになっていた。
ある日、このプレハブに集まった二人は、いかがわしい漫画を見てそのおぞましい内容に驚きあっていたが、それにも次第に飽きてきていた。サトシは肥った体をもてあますようにしながら腕組みをしていた。そしてまるで眠ったかのように動かなくなったと思った次の瞬間、大きな声を出したのでヒロシは飛び上がってしまった。
「そうだ。ここは俺たちの秘密基地だよな」
「そうだね」
ヒロシは反射的にあいづちをうった。
「それなら、基地には隊長がいるよな。ほらウルトラ警備隊だって隊長がいる」
「それは、そうだ」
「じゃあ、この基地にも隊長がいる。おい、どっちが隊長になる」
「そりゃサトシ君がなればいいよ。だってこの基地の中に入れるようにしたのはサトシ君じゃないか」
「そうか。そういわれてみればそうだよな」
「うん。僕はサトシ君が隊長でいいよ」
ヒロシは黒ぶちの眼鏡がずり落ちていたのを直して言った。
「じゃあ、今から俺がこの基地の隊長だ」
「了解、隊長」
「じゃあヒロシは何だ」
「僕は隊員だよ。ウルトラマンでもそういうのいるじゃない」
「そうか、ヒロシ隊員。よろしく頼む」
「了解しました。隊長」
たった二人の組織はこうして出来上がった。
この二人の組織は<三笠川警備隊>と名づけられた。サトシ隊長の命名だった。主な任務は三笠川の警備ということになっていたが、実際には川原のガラクタ拾いでそれまでしていたこととあまり変わりなかった。
時々川原に下りてくる怪しげな大人がいたが、三笠川警備隊はこれをモンスターと呼ぶことにした。モンスターは時に爆音をたててバイクを乗り回したり、タバコをやたらに吸っていたり、男女のモンスターが絡み付き合っていることもあった。隊長も隊員もこれらモンスターに遭遇したときの対処は、無視と逃避と決定していた。
一度はモンスター同士が殴り合いの喧嘩をしていることもあった。サトシ隊長の指示で警備隊はくさむらに隠れ、足音を立てずに近づいた。モンスターの一体が二人に気づいたらしく、様子をうかがい始めたので、隊長と隊員は一目散に基地に逃げ帰った。幸いモンスターの追跡はなかった。警備隊はこのように時に危険な業務をこなしていた。
秘密基地という居場所を見つけたことは、さえない二人にとってこの上もない出来事だった。学校から帰ると二人は基地に直行した。学校ではやっかいもの扱いされる二人であっても、この基地では三笠川警備隊の隊長と隊員だった。
その日もパトロールと称する川原の散策をしていた二人は、いつもと違う光景に遭遇することになる。
「ヒロシ隊員、前方に女のモンスター発見、接近するぞ」
サトシの声はウルトラ警備隊の隊長の口調に似ていた。
二人が近づいていくと二十代くらいの女が川面に向かってすわっていた。
「さらに接近するぞ」
サトシがささやくように言った時だった。その女が前のめりにばったり倒れたのだ。
「隊長、今の見ましたか」
「ああ」
「もしかして」
「大変だ」
二人は女の下に走っていった。女は赤いワンピースを着て、派手な化粧をしていた。口紅が異常に赤かった。
「ねえ、おねえさん。大丈夫ですか」
女はわずかに声を出したが、言葉にならなかった。
「どうしよう」
もうサトシの声は隊長の口調ではなかった。
「とにかく、起こそう」
二人で女を抱えあげて仰向けにした。息が荒い。熱があるのかもしれないと思ったヒロシが当てた手は明らかに高熱であることを証明した。
「この人、病気だよ」
ヒロシは上ずった声で言った。
「どうしよう」
その時にサトシは再び隊長口調に戻っていた。
「よし、このモンスターを病院に連れて行こう」
「だって、どこの誰かわからないよ」
ヒロシの声は上ずったままだった。
「ヒロシ隊員。我々は三笠川警備隊だ。その任務を果たそう」
普段だったらおどけた冗談にしか聞こえないこの言い方が、ヒロシには頼もしく思えた。そして、冷静さを取り戻した。
二人はモンスターならぬ赤いワンピースの女を両脇から抱えて川原を歩き出した。女は徐々に意識を取り戻してきたようだが、力が入らないらしく言葉が話せない。女はやせていたが小学生、しかもこの二人にとっては大人を運ぶのは難しく、何度も立ち止まった。
そしてもう動けないというところまで来た時、前から来たジョギング中の男に発見された。男はこのあたりをいつも通っているおじさんだった。おじさんに事情を話すと、おじさんはここで待っていろといって走って行った。数分後に救急車が来て女を乗せて行った。
あとから聞いた話だが、女は川原にずっといて風邪か何かにかかって熱を出していたらしい。どうして川原にいたのか。どうして動けなくなるまでじっとしていたのか。その質問にはヒロシの親もサトシの親も答えてくれなかった。
女の家族からは感謝されたし、学校でも人命救助の美談として朝礼で紹介された。しかし、どうして川原にいたのかについて尋ねられると、二人は困ってしまった。偶然その日は川原で遊んでいたということにしようとしめしはつけておいたので、それ以上の追求はされなかった。
しかし、サトシの親も、ヒロシの親も二人が川原にいつも行っているのではないかと察しをつけていたため、監視の目は厳しくなってしまった。そのせいで二人が川原にはしばらくいけなくなってしまった。
それから1ヶ月くらいたった放課後、二人は覚悟を決めて秘密基地に向かった。二人が素直な自分になれる大切な場所にもどれることを楽しみにして。
行ってみると基地を隠していた草むらはきれいに刈られていた。それだけではない。基地といっていたプレハブは解体されてなくなっていた。そのあたりには二人が集めていたガラクタのかけらの一部分が残っていた。
二人の失望は計り知れなかった。
「三笠川警備隊はこれで解散だな」
サトシは小声でつぶやいた。
「ああ」
ヒロシの声も力なかった。
数日後、二人は公園のハンドベースに加わった。以前と違うのはみんなが厄介者扱いしなくなったことだった。学校では二人は人命救助の英雄だったのだ。二人はこれまでの扱いに慣れきっていたので、けっして自慢することはなかった。それで嫌われたらおしまいだからだ。その配慮が謙虚さに映ったらしく、二人の評判はますますよくなった。 ようやく二人は臆することなく自分の考えを回りにいえるようになっていた。
ヒロシの手に当たったゴムボールは外野を抜けて転がっていった。
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