第8話 特訓

 「ミツル君はこっちに来て、他のみんなはいつものように」


 転校生は担任に指名され、他の生徒と隔離された。


 「ミツル君はこれから先生と特訓だよ。やればできるんだからね。あきらめないこと」


 転校生は全く泳げなかったのだ。それには理由がある。前の学校は人口急増の新興住宅地であったために、急ごしらえで作られた新設校にはプールがなかったのだ。だから浮き輪なしで水に入ること自体に大きな恐怖感があった。


 転校生はその新しい担任にプールの一番端でマンツーマンの指導を受けることになった。いつもはプールサイドから声をかけるだけの担任が、今日は水着を着て転校生の手をとってくれた。母親より若い女性に手を持たれたことは転校生にとってそれだけで衝撃的であったが、今はそれよりも水への恐怖の方がはるかに勝っていた。


 「いい、水に顔をつけたら中で息を吐くのよ」


 担任はまっすぐに転校生を見て言った。そして見本を見せてくれた。


 転校生はそれをまねしようとしたがうまくできなかった。水に少し顔をつけただけで顔を振ってしまった。それは水への恐怖のおののきの表現にもなっていた。


 「いい、これができれば後は簡単なの。実は先生も始めはできなかったのよ。でも一回できたらもうなんでもなくなったのよ。さあ、勇気をだして、やってみよう」


 担任のやさしいそして力強い励ましの声に、転校生はいまやらねばならないのだという気になった。そして何度が失敗した後、やっとできるようになったのだ。


 担任は頭をなでてくれた。その時、少しだけ担任の胸のふくらみに触れた気がした。転校生はそれでまたドキドキした。そう思える余裕ができたということだった。


 その後、水泳の時間のあるごとに担任は転校生に泳ぎを教えた。そして曲がりなりにも何とか泳げるようになった時、特別授業は終わったのだ。転校生はもうクラスの仲間から笑われることがなくなった。


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