うつろう幻

 長い手足。色白できれいな顔立ち。やわらかな髪の色。

 学校帰りに友だちの家に寄って、いつもとは違う電車に乗った。

 その車内で初めて見かけたとき、こうも理想どおりの人間っていうのが居るものかと、かるく感動した。

 あからさまにならないよう、ちらちらとしか見ることはできなかったけれど、その後も用がないのに、同じ時間帯のその電車にちょくちょく乗って、ごくたまに会えることもあって、それで満足だった。



 接触とか、ましてや告白なんてするつもりはなかった。

 ぶっちゃけて言えば、一目ぼれだったし、だから人間性なんてさっぱりわからないし知らないし、期待もしていなかった。

 だいたい、見た目があれだけ良かったら普通に彼女いるだろうし。いないとしたら、よっぽど性格に難ありなんだろうし、いくら好みの顔でも、そういう人とは付き合えないし。

 まぁ、見た目十人並の私じゃ、向こうからお断りされるだろうけど。

 だから完全に鑑賞要員だった。

 そのはずなんだけど、なんというか、いたずら心のような、言うだけタダだしと開き直ったというか。

 まぁ、ある意味運命のいたずら。

 状況が大きく変わってしまったから、心境も変わったということだろう。

 電車を降りる青年のあとをそっと追いかけ、 改札を抜けた辺りで青年の前に回る。

「好きでした」

 スルーされることがわかっているからこそ言えるんであって、普通だったら絶対言えなかったし言わなかった。

「なんてねー。聞こえないから良いものの」

 ちょっと馬鹿馬鹿しくなって、かるく笑う。

「じゃあ、聞かなかったことにしたほうが良いのかな」

 落ち着いた静かな声に、驚いて顔をあげる。

 目の前の、すごく好みの顔が、まっすぐにこちらを見つめている。

「え? え?」

 反応があるはずがないのに。

 でも勘違いではなく、青年は自分を見てやわらかな笑みを浮かべていて。

「ここで立ち止まってると邪魔だから、ちょっと移動しようか」

 促すように背に触れた手があたたかく感じた。



 改めてこうして正面から見て、見れば見るほど好みのタイプだった。

 我ながら乙女ちっくな思考だとは思うけど、少女漫画の王子キャラタイプにいそうな感じ。

 駅を出てすぐ、不思議と人気のない外灯の下で青年は変わらず穏やかな笑顔をうかべたまま佇む。

「過去形、だったよね?」

「だって、私に今も未来もないから」

 静かな問いに、こちらも出来るだけ淡々と返す。

 誰の目にも留まらず、ただ、浮遊しているだけ。

「なんで、見えるんですか? 私、」

 事実を口にすることに、まだ少し抵抗があって中途半端に言葉は途切れてしまう。

「……まぁ、ぼくも似たようなものだからかな」

「なんでっ? 生きてますよねっ」

 だって、電車で何度も見かけていた。

 幸か不幸か、霊感なんてものは一切持ち合わせていなかった。そこにいたのが生身でなかったはずがない。

 青年は答えず、ただ曖昧に笑みを浮かべる。

 まぁ、いいや。別にどっちでも良い。大事なのは今こうして話せることだ。

 おまけに、やさしげな風貌どおり青年が良さそうな人だということがわかったんだから。

「さっきの、お言葉に甘えて聞かなかったことにしてもらって良いですか?」

「うん」

「その上で、仕切り直しさせてください」

「うん?」

 薄明かりの下、青年が楽しげに笑ったように見えた。

「好きです」

「ありがとう」

 青年は目を伏せて、はにかんだように微笑む。

「迷惑じゃないの?」

「迷惑だったら最初の時に、聞こえなかったふりをして帰ってるよ」

 まじめな顔。嘘をついているようには見えない。

「本当に?」

 おそるおそる、聞くと青年は笑みを深くする。

「明日、一緒に出かけようか。朝十時にここで待ち合わせ。どう?」

「良いけど、良いの?」

 半端なく、うれしいけど。

「じゃ、明日。もう遅いから、気をつけてね」

 やさしい手が、そっと髪をなでる。

 気をつけるも何もないのに。

 でもうれしくて、うれしくて、何度もうなずいた。



「おはよう」

 差しかけられた傘に、パタパタと雨の落ちる音。

「おはようございます」

「雨、降ってるのに待たせてごめん」

「へーきです」

 雨なんか関係ないし。それより、こんなことしてたら通りすがりの人に変な風に見られるんじゃないの?

「行こうか」

 周囲に頓着しない青年にそっと手を引かれ、同じ傘の中におさまる。

 どうして、触れられるのか。

 見上げると青年は小さく笑う。

「なに?」

「……なんでもないです」

 聞けなくて、言葉を濁す。

 他愛のない話をしながら、ゆっくり街中を歩く。

 雨が降ってよかったかもしれない。

 一つ傘の下、すごくそばにいる。

 雨じゃなかったら、きっとこんな近くにいることなんてできなかっただろう。

 なんだか得した気分だ。

「なに、笑って」

「ん。こういう風に歩くの、憧れてたからうれしいなって」

「他には? 何かしたいことある?」

 んー。ベタだけど遊園地行ったりとか、勉強教えてもらうとかもいいかも。

 あとは。

「桜を一緒に見に行きたかったなぁ」

「桜?」

「うん。友達に教えてもらったの。一緒に花を見ると、ずっと二人でいられるっていう桜の樹があるんだって。なんか、良いなぁって」

 もう散ってしまっているから、無理だけど。

 それ以前に、昨日会ったばかりで、ずっとなんて言うの、ちょっと引くよね。ふつう。

「行ってみようか」

「でも、もう咲いてないし」

「良いから。どっちに行けばいい?」



「ここ」

 小さな神社の、小さな境内にある立派な樹。

 もう青々とした葉を茂らせて、桜色のかけらもない。

「目を閉じて」

 青年の大きな手に、そっと目を覆われ、反射的に目を閉じる。

「え? なに?」

「さーん、にー、いーち、ゼロ」

 青年の手がはなれ、あわてて目を開ける。

 なんとなく視界がはっきりせず、何度もまばたきして、そして目の前に広がっていたのは、一面のピンクに染まった樹。

 さっきまで葉桜だったはずなのに、時間が巻き戻ったかのように、花が満開。

「なんで?」

 あわてて青年を振り返ると、ただ静かに微笑っていた。

「すごい。びっくり。……うれしい」

 樹に近づき、低く垂れ下がった花枝にそっと手を伸ばした。

 そして、願いを込める。



 束の間の花は、まるで何もなかったかのように元通り。

 はしゃぐ少女の姿も既になく、境内に今は自分一人。

 何一つ説明せず、亡くなった少女の想いを利用して、それを消し去った。

 そのためだけに、話しかけた。少女の欲しいまま、まがいものを演じた。最初から。

「ごめんね」

 謝罪さえも嘘くさく、ざわざわと揺れる葉擦れの音に掻き消された。

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