あがなう虚
花の下にて 春 死なむ
死体。
人ひとりがようやく通れるような路地の先、ささやかな空き地にひそりと咲く桜の下、倒れている男を一目見てそう思った。
何故だが、病気で倒れているとかそういう風には思えなかった。
それを見つけて、叫びだすことも、逃げ出す事も、近づくこともできずに、立ち尽くすことしかできなかった。
ただ、目が離せなかった。
奇妙な非現実感。
長身痩躯。外傷は見当たらない。
でも血の気のない顔の白さが、生きていないことを物語っている。
どうしよう。
どうするべきなのだろう。
二十歳前後に見える青年。
この桜のもつ、人を死に招くという噂を思い出す。
自殺してしまったのだろうか。
呼ばれてしまったのだろうか。
「っ」
息をのむ。
死体が、寝返りをうった。
じゃなくて、生きてた?
「どうしたの? 泣きそうな顔してる」
寝転がったまま、目を開けた『死体』はやわらかな眼差しでこちらを見つめる。
何それ。誰のせいだと。
「生きてるんじゃなぃい」
力が抜けて、地面に座り込む。
びっくりした。
でも、良かった。
「あぁ、ごめん。死んでると思った?」
気を悪くした風もなく、青年は起き上がり小さく微笑う。
整った顔立ち。その顔色はやはりあまり良くない感じだ。
「なに、してたの?」
こんなところで。
怪談じみた噂があるせいか、立地があまりよくないせいか、桜が満開のこの時季でもほとんど人が来ることはない場所。
「ちょっと、疲れちゃって。休憩」
青年は困ったようにちょっと笑う。
「忙しいの?」
声がすごくくたびれていて、思わず尋ねる。
死体に見間違えるほど、疲れているのってちょっとすごい。
「そういうわけじゃ、ないんだけど……なんか、つかれたなぁって時、ない?」
ある。
何にもしたくなくなるような感じ。いろんなものを遮断して、縮こまって、まるくなって。
頷く私に、青年は目を細める。
「そういう感じ」
そんな時、ここは最適な場所かもしれない。
誰にも邪魔されず、呼吸できる。
「桜、キレイだしね」
ひらり、一片舞ったはなびらにつられて顔をあげる。
ただ何もせず、ぼんやり過ごす。
淡いピンクの群れがざわざわと揺れる。
「綺麗だけど、……でも、怖くない?」
青年は笑みをひそめて静かに呟く。
桜を見つめる青年の横顔を見ながら考える。
そう、かな。
そうかも。
言われてみれば。
なんだか、のみこまれそうな気もする。
「……大丈夫?」
近づいてきた青年の手が頬に触れ、長い指が目元を撫でる。
「え? あれ? やだ」
自分の手で、目をこする。
なんで、泣いているんだろう。
おかしい。
哀しいわけでもなんでもないのに、涙が止まらない。
「さみしかった?」
穏やかな声に、反射的に頷く。
自分でも気付いていなかった感情を言い当てられた。
そう。さみしかったんだ。
喧騒から切り離された、この場所で一人いるのが好きだった。
でも。
誰も来ないこの場所で、いつまでも一人でいるのはもう嫌だった。
見つけて、欲しかった。
「大丈夫だよ?」
顔をのぞきこむ、やさしい笑顔。
「……いっしょに、いてくれる?」
青年の手を掴んで尋ねると、微笑みがかえる。
静かで、何もかも許容してくれるようなやさしい表情に安心して身体を預ける。
この人なら、きっと守ってくれると思った。
「つかれた、な」
呟き、満開の桜を眺める。
そんなことを言える立場ではない。
自分を信じて身を預けた少女を、滅消させた当人が。
何も考えないようにして、その場所をあとにする。
非難するような桜のざわめきがしつこく耳に残った。
その樹の下に眠りつづける。
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